ミンクのつぶやき

何気ない日常生活や時には短編小説を載せる事もあり。

忘れらない~第二章~

2011-10-17 18:31:33 | 短編ストーリー
第二章

 「チーフ。2番に渡さんからお電話入っています。」
「お電話変わりました。中野です。」
「はい、こちらこそいつも有難うございます。」
「では本日3時に伺わせていただきます。ではよろしくお願いします。」

電話を切ると鴨居を呼んだ
「今日の3時に渡さんのお宅に伺うから資料と見積書を用意してね。1時半に出るからそれまでに食事は済ませてよ。私は今から食事してくるからね。」
「はい!わかりました。」
香織は上着を羽織ると会社をでた。

会社を出ると直ぐ前の信号を渡って『喫茶ポエム』に入った。
「いらっしゃいませ。中野さん、いつもの席空いてますよ。」
「ありがとう。マスター。いつものね。」
「今日はクリームコロッケですよ。コーヒーは食後ですね。」
水と一緒に灰皿を持って来ながらマスターは確認する。
「お願いします。」
香織は笑顔で頷いた。

この店は開店したときから通っている。
うるさ過ぎない程度のBGMが常に流れていて落ち着ける。
一人で入るのにも入りやすい。しかも渋谷にしてはランチなどが700円でコーヒーまで付いている。
バッグから煙草を取り出すと火を付けた。
滅多に煙草は吸わないのだがやはり仕事でストレスが溜まるのでこうやって吸う事がある。

「お待たせしました。今日のランチです。」
「美味しそう。いただきます。」
「熱いですからね。気をつけて召し上がってください。」

香織の食事が終わる頃マスターはコーヒーを運んできた。
香織は今日のスケジュールを再確認していた。
「相変わらずお忙しそうですね。」
「まぁまぁってところですね。ここだって相変わらず繁盛してますね。やっぱり味と価格がいいからでしょう。」
「有難うございます。ごゆっくり。」

マスターが去ると再び眼を通す。
(今日は3時に渡さん、5時に帰社して打ち合わせ。7時に『ラ・パン』・・・ギリギリかな。)
チラッと時計を確認すると煙草に火を付けた。


 心地よい風邪が吹いている。
(きもちいいなあ。)
「いい海だ。風がいい。」
「本当に。いい風ね。」
「たまにはいいだろう?」
「誘ってくれてありがとう。きてよかった。」
「香織ちゃん、仕事忙しすぎだよ。時には仕事を忘れて遊ばなくちゃ。」
今日は日曜日。
3日前、いきなり山脇から会社に電話があったときにはびっくりしたが、来てみてよかったと香織は思っていた。
確かに香織は忙しすぎた。慣れないチーフという地位になって早3ヶ月。前任の菅原は香織に一通りの引継ぎを済ますと退職していった。
菅原がいざいなくなってしまうと途端に責任感が香織の肩に重くのしかかってきたようで毎日が戦いの日々になっていった。
渚も一生懸命サポートをしてくれるが彼女もまもなく寿退社を控えている。
決して仕事自体が大変なのではないのだが、責任というものはこんなに重いものだったのだと改めて感じていた。
毎朝早く出社しそして帰りも遅い。
食事だってほとんど出来合いで済ませている。渚が退社してしまうことも寂しい。
そんな時に山脇が電話をしてきた。

「中野チーフ。2番にお電話入ってます。山脇さんとおっしゃる方からです。」
「ありがとう。山脇さん?誰かしら?・・・お電話変わりました。中野です。」
「久しぶり。香織ちゃん俺覚えている?」
いきなり言われて最初は咄嗟に思い出せなくて香織が口ごもっていると
「少し前だけど吉田文彦の従兄弟山脇達哉です。この前渚さんと一緒に来てくれたでしょう?」
「あっ。ご無沙汰しています。先日はどうもご馳走になりましてありがとうございます。私ったらお礼もしないでごめんなさい。」
「思い出してくれた?良かったよ。いやお礼なんていいんですよ。男が女性にご馳走するのは当たり前ですから。」
「ありがとうございます。今日はどうされたんですか?」
「仕事中だよね。手短に用件を伝えます。良かったらドライブでも誘いたいなって思って連絡したんですよ。海でも行きませんか?今度の日曜日。」
「ドライブ?ですか。」
「そうドライブ。天気もよさそうだし。そうだな朝9時にお近くに迎えに行きますよ。バ著はこの前タクシーでおろしたところで。では」
「あの、もしもし・・・切れちゃった。なんて勝手な誘い方なのかしら、人の都合も聞かないで。あきれた人。」
そういいながらも一人で笑ってしまう自分に驚いてもいる香織。
「・・・・チーフ?中野チーフ?どうしました?」
「いえいえ何でもないわ。さぁ仕事仕事。」

そして今日、朝9時に山脇は約束どおり迎えに来てくれた。そして今二人で湘南の海にいる。
「仕事大変なんだって?」
「渚に聞いたんですか?」
「いや、性格には文彦から。」
「そうでしたか。まぁまぁです。」
「一応言っとくけど頼まれて香織ちゃんを誘ったわけじゃないよ。勝手に誘ったんだ。海に来たかったしね、何よりは一人よりは二人の方が楽しいでしょう。」
そういうと達哉は海に向かって走り出した。
波打ち際まで来ると大きく手を振って
「香織ちゃんもおいでよ~~。気持ちいいよ~~。」
あっけにとられている香織にはあまりお構いなく達哉は波と戯れている。
(いい大人が、変な人。でも面白い人。)
香織はサンダルを脱ぐと手に持って波打ち際に走っていった。
達哉が香織に水をかける、香織もかけ返す。
その繰り返しをしていたらいつの間にか二人は鬼ごっこをしていた。
逃げる香織、追いかける達哉。
「ちょっとストップ!」
「降参ですか~~?」
少し離れたところから香織が答える。
「うん、降参するからちょっと休憩しようよ。」
歩き出しながら
「山脇さんっていくつですか?」
「何で?今年で三十八!」
「やっぱり体力は私の勝ちですね。」
「いやいや、そんなことないよ。あれ?そうかもな。」
二人は笑いながら砂浜に腰を降ろした。
「何だ?香織ちゃんビショビショだよ。風邪引いちゃうな。」
「大丈夫ですよ。山脇さんもビショ濡れですよ。」
「とりあえずどこかで着替えを買って着替えなきゃ。」
「いいですよ。」
「アッ。警戒してますね。大丈夫どこにも連れ込まないから。その辺のお土産やさんでTシャツでも買おう。さぁおいで。」
達哉が手を差し伸べると香織は黙って捕まった。
「ごめんなさい。」
「何が?警戒のこと。だったろ当然のことだからいいんだよ。逆に普通にされると俺が引いちゃうから。さっさと行こう、着替えたら美味いもの食いにいくよ。」
「・・・ハイ!」


~~~~ハローハローミスターモンキー~~
突然の音にハッとする、慌てて時計を見ると既に1時半だ。電話は鴨居からだった。
「もしもし。ごめん時間だよね。今すぐ戻るから。」
いつの間にかうたた寝をしていたようだ。
「マスター、ご馳走様。また来るわ。」
「ありがとうございます。起こせばよかったですね。いやあんまり気持ちよさそうだったんで。」
「ううん、大丈夫。ありがとう。」
   第二章

約束の7時ギリギリに香織は「ラ・パン」に着いた。
「いらっしゃいませ。お待ちかねですよ。」
顔見知りのマスターがカウンターから声をかけてくれた。
「こんばんわ。久しぶりですね。」
「ここのところは見かけませんでしたね。忙しいんですね。今夜は奥のお席でお待ちですよ。」
「ありがとう。」

「お待たせ。」
「大丈夫よ。私も幸代も今着たばかりだから。名に飲む?」
「何飲んでるの?知美の結婚式依頼だね。」
「水割りよ。二人とも。」
「じゃぁ同じにしよう。ねえボトル入れちゃおうか?そのほうがお得だよ。」
「いいよ。そうしようってさっきも幸代と話していたんだ。香織が来たら決めようかって。」
「じゃ決まりね。マスター、ボトル入れるからお願いします。」
すぐにマスターがボトルと氷と水を運んできた。
「マスター、ソーダもお願いね。レモンもほしいかな。」
「かしこまりました。ボトルはこちらでよろしいですか?」
「オッ!いいですね~~。この角瓶がいいのよね。」
「また~孝子は。ありがとうマスター。」
「おつまみはお任せでよろしいですか?」
「はいお願いします。」
「かしこまりました。そういえばお一人いらっしゃってないですね。」
「あのね彼女はこの前結婚したのよ。」
「そうそう、だから今日は三人です。」
「そうでしたか。それはおめでたいことです。ではごゆっくりと。」

マスターが去るのを確認してから、香織は孝子に
「それで?相談って。雄治さんのことでしょう?」
「うん、そうなんだ・・・」
「この前言っていたけど浮気してるの?」
「わからないんだ。相変わらず連絡ないし、こっちからしても留守電で・・・」
「電話に出ないだけじゃ仕事って事じゃないの?」
おかわりの水割りを作りながら幸代が口を挟んできた。
「そうかな?」
「そうだよ。きっと。仕事が忙しいんだよ。」
香織も幸代に同調して頷いた。
「男って不器用な人が多いから二つを同時にはできないってことよ。別れた旦那もそうだったよ。最初は一応恋愛だったしね。でもいつも忙しいって言ってたし、それだから寂しいから焦って結婚しちゃったのが間違いだったけど。雄治さんと孝子は違うよ。私は若すぎたから考えが甘かったのよ。」
「幸代・・・」
「別れた奴のことは置いといて、もう古い話だから。そんなことより孝子は雄治さんをもっと信用しなきゃでしょ。」
「そうだよ。信用しなきゃだめだよ。」
「香織もそう思う?大丈夫だって。」
「うん、大丈夫よ。そう思う・・・・私も達哉を信用していたから。」
「・・・・・ごめん・・・辛いこと思い出しちゃった?」
「いやだ!大丈夫よ。もう忘れたから・・・」
そういいながら涙が出てきてしまった。
「香織。」
「香織、泣いてもいいよ。ここは奥だから私たち三人しかいないから。」
「・・・大丈夫・・・・孝子の相談を聞いてるのになんか変じゃない。」
涙がどんどん溢れて止まらない。
(もう忘れたはずなのに。どうして?こんなに涙が出るの?)

「香織。よしよし辛かったね。」
幸代が肩を抱いてくれた。孝子も涙ぐんでいる。
「・・・・・たい。」
「・・・・うん、どうした?何したい?」
「達哉に・・・もう一度会いたい・・・」
「香織・・・・」

しばらく三人は黙っていた。時が静かに流れている気がする。
香織は立ち上がった。
「??香織?」
幸代がつぶやく。
「ちょっとトイレに行ってきま~す。」
香織はトイレへと向かった。
とにかく一人になりたかった。
鏡をみると目の周りが真っ赤になっていた。
(急にどうしちゃったんだろう?とにかく落ち着いてから戻ろう。)

「香織に思い出させちゃった・・」
「みたいね。すっかり立ち直ったと思ったんだけど。」
「本当に。私のせいだよ。」
「違うよ。孝子のせいじゃない。まだ傷がいえてないのよ。表面では平気にしても心の奥にはまだ傷が残っている。無理ないよね。」
「・・・目の前だったものね。」
「あの日は確か三年前だったよね。」
「そうか・・もう三年経つんだね。あのころはちょうど雄治と出会ったころだった。」
「そう、私も離婚したばっかりだった。」

「ごめんね。急に泣いたりして。」
「大丈夫?香織。無理してない?」
「全然大丈夫。さぁ飲もうよ。じゃなくて雄治さんの話だったね。失礼しました。」
「そうだね。雄治さんの話よ。」
「そうだ!今呼んじゃう?」
「なんで?香織。いいよ。どうせ電話でないし。」
「じゃメールは?とにかく呼んで直に話を聞いちゃおう。」
「それがいいよ。思い立ったら実行!」
「エー。いいよ。」
「貸して携帯。私がメールするから。」
言うが早く香織は孝子の携帯を手にとってなにやら始めた。
「もう!二人とも強引じゃない。」
「よし。送ったよ。」
「なんて送ったの?」
「内緒。幸代には教えてあげる。幸代ちょっと。」
なにやら二人でひそひそ・・・
「それなら来るよ。絶対。」
ちょうどそのとき孝子の携帯が鳴った。
香織と幸代がメールをあけて読み出す。
孝子は不安そうに見ている。
「来るって。ほら読んでご覧。」
幸代がニコニコと携帯を差し出す。
恐る恐る読んでみると確かに雄治からだった。

すぐ行くから待っててろ
              雄治

「うそー。」
「良かったね。これできっと一軒落着だね。」
「本当に良かった。孝子良かったね。」
「ありがとう。でも何で?なんて送ったの?」
「送信ボックスを見てみて。」

酔っ払いに絡まれています。助けて。「ラ・パン」に香織と幸代といます。
                孝子

「何これ?絶対、雄治に文句言われる。」
「大丈夫。私たちが一緒だから。」
「マスター、氷とソーダのお代わりお願いします。あとピザを二枚お願いします。」
「私はチョコが食べたい。」
「ごめん、マスターチョコと後サラダもお願いします。」
「さぁ、飲んで食べて。そのうち来るよ。雄治さん。」
確かに香織と幸代の行ったとおり雄治はそれから三十分もしないうちにやってきた。
「いらっしゃいませ。」
「雄治だ。どうしよう。」
「大丈夫だって。雄治さ~んここ。」
「大丈夫か?孝子?」
「雄治さん、まぁ座って。マスターグラスお願いします。」
「あっ。お久しぶりです。」
「久しぶり。」
香織と幸代がにっこりと微笑む。
「であの酔っ払いは?」
「あっ!それはね解決しちゃったの。ねっ!」
意味が飲み込めない雄治。
「でもメールで孝子が助けてって。」
そのとき
「お待たせしました。先ほどです、こちらの女性方にしつこくされてるお客様がいらしてまして。私も最初はすぐに止めるかと思ったんですがあまりに酷いので帰っていただいたんですよ。こちらのお嬢様が隠れてメールをしていたときですかね。いやーすいませんでした。ご迷惑をかけてしまって。こちらのチョコとサラダは私からのお詫びですのでどうぞお召し上がりください。」
「あっそうなんですか?それはありがとうございます。でも大丈夫なのですか?そのお客さん怒らしちゃって。」
「お呼びしたタクシーが来ましたよ。といっただけですから全く問題ありません。」
ニコニコとマスターが雄治に話しているのを三人はあっけにとられてみていた。
「雄治、ごめんね。心配してくれたの?」
「当たり前だろ。でも何でもなくてよかったよ。マスターの機転に感謝だな。」
「本当にマスターの機転には感謝ね。」
幸代が片目をつぶってみせるとマスターが軽く頷くのが見えた。
「さぁてと私たちは退散しましょうか。幸代帰ろう。」
「そうだね。じゃ私たちの分はマスターに渡しておくから後はごゆっくりと。」
「エーまだいいじゃない。」
「そうですよ。まだいいじゃないですか?」
「久しぶりに会えたんだから二人でゆっくりと話したら?雄治さん仕事忙しいのはわかるけどさ、たまには孝子をかまってあげなきゃ。」
「そうよ。雄治さん。ほっとくと誰かに取られちゃうかもよ。」
「それは困ります!」
「あらら、安心して誰のことよりも孝子は雄治さんを信用しているから。じゃね。」
「おやすみ。」
「ありがとう、香織、幸代。」
幸代が小声で
「マスターには私たちからお礼を言っとくからね。後で報告するんだぞ。」

「「マスター私たち帰るから。二人分でいくら?さっきはありがとう。凄いね。何で企みがわかったの?」
マスターは笑いながら
「長年の感ですよ。お役に立てて光栄です。」
「ご馳走様、また寄らしてらいます。」
「ありがとうございます。」

振り返ると雄治が孝子の肩を抱いているのが目に入った。
一瞬、達哉と重なった。
「香織?どうした?」
「ううん、さぁ帰ろうか。」
「どこかで飲んでいく?」
「いいよ。明日も仕事だし、それに幸代は亮太君がまっているでしょう。早く帰ってあげなよ。」
「母がいるから大丈夫よ。」
「心配してくれてるんでしょう。ありがとう。でも本当に大丈夫だから。」
香織は手を挙げるとタクシーが止まった。
「乗って乗って。運転手さんお願いします。」
「香織も乗っていこうよ。」
「いいの、いいの。私はちょっと歩きたいから。また連絡するね。じゃね。」

走り去るタクシーを見送った香織はブラブラと歩き出した。
ここはよく達哉と「ラ・パン」の帰りに歩いた道。
(孝子と雄治さん、仲直りできたかな。いいなぁ、孝子あんなに心配してくれて。達哉と同じ。)
香織の脳裏に次々と達哉と過ごした日々が浮かんでくる。初めてのデートは湘南。おそろいのTシャツ。中華街にも行った。初めて紹興酒を飲んで真っ赤になった香織をしんぱいしてくれたっけ。仕事が上手くいかなくて落ち込んだ香織を励ましてくれた。拗ねた香織に手を焼いて怒らせてしまった事もあった。そしてプロポーズしてくれた日。嬉しかった。幸せだった。二人で沖縄に行ったのもプロポーズの後だった。父と母は喜んでくれたっけ。
(なのにどうして?急にいなくなっちゃったの?どうして置いていってしまったの?私はあなたを忘れられなくて、ずっと忘れられなくて。寂しいよ!達哉の馬鹿。馬鹿・・・一緒に連れてってよ。今からでもいいから・・・達哉。)
いつの間にか涙がこぼれていた。香織はそれも気がつかないように歩き続けた。
「どうしました?」
ふいに声を掛けられて香織は反射的に振り向いた。
「高柳さん。」
「あれ?中野さん。どうしました。一人で。」
気がつくと「SILENT」の前だった。
「ごめんなさい。ちょっと友達と飲んでいて。」
「そうでしたか。女性の一人歩きは危ないからと思って声かけたんですよ。それに少しふらふらしていたし。だいぶ飲みました?」
「いえ、そんなには。」
「よかったら送りますよ。というか送ったほうがよさそうですし。」
「すいません。じゃお願いします。」
「今、店を閉めちゃいますから。」
高柳は一旦店に入ると又顔を出して
「良かったらコーヒー入れるから中に入ってください。」
ちょっと迷ったけど確かにコーヒーを飲んだほうがよさそうだ。香織は高柳の好意を受けることにした。
「失礼します。」
「どうぞ。インスタントですけどね。」
「ありがとうございます。」
「中野さんらしくないなぁ。いや失礼。」
「いえ今日はお客じゃないから。」
「そうですね・・・・何かありましたか?良ければ話してください。ただ聞くだけですけど。」
「・・・・「
「まぁとにかくコーヒー飲んだら送りますよ。大丈夫。心配しないでください。私は紳士ですから。」
「それは勿論、良く知ってますよ。」
香織は少し笑って高柳に答えた。
静かな時間が過ぎてゆく。
コーヒーの温かさが体に染みてくる。
「静かですね。」
「そうですね。昼間は賑やかですけどこの時間はさすがに静かですね。」
「最近、昔のことをよく思い出すんです。年かなって。もう忘れたと思ってるんですけど。なんでこんなに思い出すんでしょう。不思議なくらいです。」
「忘れたくても忘れられない事は誰でもひとつくらいはありますよ。それに年じゃないですよ。中野さんはまだ若い。無理に忘れる必要はないんじゃないでしょうか。忘れなくていいんですよ。ただいつかは前に進まなくてはいけない。そのときが来たら心の奥にしまえばいいだけのこと。忘れることはないですよ・・・・・それに忘れたくないでしょう?」
「・・・ずっとずっと、忘れなくては思ってきたんです。でもちっとも忘れてなんかいない。忘れられない。」
また涙が溢れてきた。
高柳は黙って見ている。
高柳は急に立ち上げるとボックスティッシュを香織に手渡した。
「三年前ですね。山脇さんが亡くなったのは。」
「・・・」
「止めましょう。又余計に中野さんが泣いてしまうから。」
「三年前です。あの日私はここで髪をセットしてもらっていました。あの日は達哉と私の婚約パーティでした。」
「そうでしたね。もともと山脇さんが内の店の常連でしたから。あの日は彼に僕の婚約者を一番素敵にしてくれと言われましてね。一生懸命でした。山脇さんはよくあなたの話をしていましたよ。もともと鹿児島出身で飲んだりすると訛りがでてね。僕も博多だったんでよくカットしながらお互いのお国言葉で会話していましたね。公私共に仲良くしてました。女性にはもてなくてといつも言ってたんですけどね。あなたを一目見たときから好きになったと言ってました。交際が決まったときは私にわざわざ電話をしてきたくらいですからね。」
「そうなんですか?知らなかった。」
「そうですよ。プロポーズの時もね大変でしたよ。ずっと練習をしていたんですよ。私を相手に。だから中野さんからOK貰った時には嬉しくてたまらなかったようでお祝いにのみ言ったくらいですから。スタッフも連れて。全くそれなのにあなたをおいていくなんて。馬鹿ですよ。あの人は・・・」
「本当にね。置いていかれてしまいました。」
「・・・中野さん、山脇さんのことは忘れないでやってください。でも忘れてください。おかしな言い方ですが忘れずに忘れてください。それがきっと彼が一番望んでることだと思うんです。」
「忘れずに忘れる・・・・そうですね。それがいいのでしょうね。でもまだ無理です。そのときが来たらそうします。」
香織は弱弱しく微笑んで言った。
「・・・時期が来ます。きっと。さぁ送りますよ。そろそろ深夜ですよ。これからはフラフラと一人歩きはしないように。危ないですから。何かあったらいつでも寄ってください。たいていは十時位までは店にいますから。」
「そんなに遅くまでいらっしゃるんですか?」
「ええ若いスタッフのカット練習や自分もやらないと若いスタッフに負けてしまいますからね。何事も練習、努力です。さぁいきましょう。」
「はい。あの~。」
「・・・・何でしょう?」
「高柳さんありがとうございます。」
香織は深々と頭を下げた。
高柳は笑って答えてくれた。

 翌日は朝から雨だった。
(うっとうしいなぁ、雨は嫌い。)
香織は独り言を言いながら出勤の支度をした。
やはり電車は案の定混んでいた。
人込みに押されながらやっと新宿に着いた。
出社する前スターバックに寄って軽い朝食を摂った。
食後にタバコを吸いながら今日のスケジュールを確認する。
(今日は長坂さんと山崎さんのお宅ね。今日は二軒だけだから早めに帰れそう。)
 昨夜遅くてしかもあれから達哉のことばかり思い出してしまって、なかなか寝付けなかった。
(今日は早く寝よう。)
時計を見て香織は店を出た。
会社に到着すると次々と社員が香織を見て声を掛けてくる。
「おはようございます。」
「おはようございます。チーフ。」
「おはよう。」
一人一人に声を掛けながら自分のデスクに座る。
(さあて仕事、仕事。今日もがんばるぞ。)
「チーフ。本日の長坂さんですが先方から時間の変更の連絡がありまして午後4時にしてくれとの連絡がありました。」
鴨居がそばにきて報告を始めた。
「4時か。山崎さんは1時だから大丈夫ね。じゃ午前中はアポとりしてね。十一時半に出るからね。」
「はい、わかりました。チーフ今日顔色良くないみたいですけど。」
「そう?寝不足かな。大丈夫よ。ありがとう。」
鴨居が離れると香織は引き出しから鏡を出して覗いてみた。
(ちょっと肌荒れかな。昨日寝てないからだね。寝不足は女性の敵ね。)

かすかに振動が伝わってきた。
メールの着信だった。
メールは孝子からだった。

おはよう。香織昨日はありがとう。おかげで雄治と仲直りできました。逆に達哉さんの事思い出させてしまったごめんね。
大丈夫?幸代もさっきメールがきて心配してたよ。
              孝子

大丈夫だよ!それより良かったね。
雄治さんによろしく。
              香織

続けて幸代のアドレスを選んでメールを打っていく。

昨日はありがとう。もう大丈夫だから心配しないで。それより孝子上手く寄りが戻った良かったね。
              香織

直ぐに幸代から返信が届いた。

おはよう。ちょっと心配していたんだ。
何かあったら言ってね。
力になるから。
              幸代

 
「お疲れ様。鴨居さん疲れたでしょう?」
「いえ、大丈夫です。」
「ちょっと時間が予定よりかかったからね。ご飯でも一緒にどう?」
「行きたいんですけど。今日はちょっと・・・都合が悪くて。」
「あら、さてはデートだな。いいわよ。又の機会にしましょう。」
「すいません。せっかくの誘いを・・・」
「いいのよ。ただ今日は時間が予定よりかかったし最近、鴨居さん頑張ってるからって思ったからよ。」
「ありがとうございます。次回は是非ご一緒させてください。」
「OK。ところでどんな人?」
「あ、あの実は高校の同級生なんです。」
「へー。同級生なんだ。ずっと?」
「いえ、昨年同窓会で再会して。それでなんとなく話があって。でいつの間にか付き合うようになって。」
「そうなんだ、同窓会での再会ね。ラブ・アゲインか。そういうのもいいわね。」
「ラブ・アゲインなんてそんな素敵なものじゃないですよ。」
「そお?でもいいと思うわよ。」
「チーフは結婚とかしないいんですか?」
「結婚ねぇ。しないというか相手がいないのよね。」
「そんな勿体無いですよ。チーフは美人だし仕事もできるし。」
「でも三十じゃね。それにあんまり結婚とか恋人とか興味ないのよ。」
「三十に見えませんよ。」
「そう、ありがとう。もう7時になるわね。鴨居さん、今日は直帰でいいわよ。月曜日にもう一度詰めるから。それにデートに遅れちゃうんじゃないの?」
「いいんですか?ありがとうございます。実は間に合わないかもって連絡しようと思っていたんです。」
「ちょうどよかったじゃない。じゃ私はここで一旦会社に戻ってから帰るわ。その資料は私が社に持って戻るからかして。」
「はい、ありがとうございます。よろしくおねがいします。」
「はい、お疲れ様。」
「お疲れ様でした。」

鴨居と別れた香織は一旦、会社に戻って今日の報告書を書いていた。
既に殆どの社員は帰宅していた。
残っているのは香織位だ。
(さあてと終わった。もう八時か。帰らなきゃ。)
帰り支度を整えて電気を消す。
急に暗くなった社内はシーンとしている。エレベーターで1階に降りる。
出口で警備員に挨拶をしもう人が残っていないことを告げる。
「お疲れ様でした。」
「お疲れ様、後はよろしくお願いします。」

(今日は何か買って家で食べよう。疲れちゃったよ。)
駅に降りるとコンビニに入ってコーンサラダと幕の内弁当を買う。
駅から徒歩五分の部屋に入るなり、バッグを投げ出して座り込んでしまった。
「はー。疲れたよ~~~!」
子供みたいに声を出してしまった。
テレビをつけ、お風呂場に行ってお湯を溜める。
冷蔵庫から氷とソーダを取り出すと棚からウイスキーを出す。
ハイボールを作りながら携帯をバッグから取り出す。
いつの間にか着信があったようだ。渚からだった。
(香織、元気?あのね来月の六日の達哉さんの命日だけど今年は三回忌だからその前の三日に行うことになったの。後で案内を出すから良かったら来て下さいって。達哉さんのご実家からの伝言です。それじゃまた連絡します。)

(命日。三回忌・・・だからなの?こんなに達哉を思い出していたのは。私ったらこんな大事な事を忘れていたなんて。そうよね、三年だものね。行かなくちゃ。)


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