

両国花火は享保18年(1733)「疫れい天下に行はる」病魔退散祈願に打ち上げたのが、後の川開きの行事なったと云われている。この絵は柳橋一丁目の神田川口付近から斜め下流に両国橋を、したがって対岸は墨田区両国一丁目から千歳一丁目当たりになる。


山王祭ねり込みとは、日枝神社のまつりに繰り出した山車の行列で、神田明神とともに将軍家参加のおまつり、それで天下祭といわれた。


絵の前景隅田川の流れで、対岸は日本橋中州、同箱崎町になる。江戸時代は三股と呼ばれ粋人たちの舟遊びの地であった。振り売りの桶から取りだした亀を額縁の外に泳がせ、亀は万年・・と橋名にかけて広重も遊んでいる。
写真の手前は万年橋、前方は清州橋。
読売新聞発行
リッカー美術館所蔵
byびんちゃん