
流れは曳舟川で手前の橋は八反目橋、水門橋との間の両岸が小梅村になる土手の樹木はハンノキ、同じ木が前方の田んぼにも並んでいる。今でも越後平野などの水田地帯に見られるが、穂架に使用していたのでは、のどかな野趣にあふれた江戸の農村風景です。曳舟川は左下隅、絵の切れた当たりで右にカーブ、今の小梅児童遊園西側に沿う道路を流れていた。写真は曳舟通りを、手前の繁みは小梅児童遊園。

広ぼうと荒涼。十万坪、現町名では千田、海辺、千石1~3丁目、絵では左方雪をかぶった屋根が七つ見える当たりから右方え広がった一帯で、その手前屋根が四つ見える当たりが通称六万坪。上から見下ろしている位置はまだ海だった今の新砂一、二丁目付近の上空、そこから北方やや東寄りを遠望している事になる。はるか地平に筑波山が見えている。そしてひたひたと冬の海に洗われている雪原は、当時は砂村新田とよばれ今の北砂、南砂の各町。江戸の東の地の果てであった。写真は南砂二丁目。

江戸庶民に根強く生きる稲荷信仰の幻想世界を描いてこれは妖にして美しい。「江戸名所百景」の中で非現実世界を描いたのはこの絵一枚だけである。幻想画とはいえ、榎とその背景はおそらく実景で、右前方こんもりとした杜が王子稲荷でしょう。写真は装束稲荷と榎、碑はその前にある。
後の三枚は現代の写真を紛失。歌川広重(1797~1858)が描いた「名所江戸百景」の
シリーズ全121点の内わずか、たったの20枚しかありませんが、この百景は晩年の作品
で幕末の1856~58年に制作され「亀戸梅屋舗」「代はしあたけの夕立」の作品はゴッホ
が油彩で模写した事でもしられている。このシリーズは終了します。
上野清水堂不忍池 待乳山山谷掘夜景 飛鳥山北の眺望
読売新聞発行
リッカー美術館所蔵
byびんちゃん