
酒はもともと各家庭でドブロクを作って飲んでいたのですが、元禄年間になると専門業者により酒が出回るようになった。
この時代はバブル期の様な時代で、浮かれた人々は酒屋で酒を買っては酒盛りをする様になった。大名から庶民まで飲む人が急増するとアルコール依存症と大トラが目立ちはじめた。酔ったうえの乱行や犯罪が頻発し社会問題化していくので、五代将軍綱吉は法令を出し、酒を強要する事を禁じ、酒商売をへらす様に指示している。
古文書に残されているのを見ると色はウイスキーの様な琥珀色、味は濃厚でいくらか甘口で、量り売りされていた。友人同士の支払い時の
「割り勘」が一般化したのもこの時代です。上下関係のある席では目上の人が全額払うか多目に支払うのも現代と同じで支払いのルールが確立したのも元禄年間。この時代は買った酒を持ち帰り飲むのが一般的でしたが、それから半世紀後宝暦年間(1751~64)には酒屋の店先で買った酒をすぐ飲むスタイルが広がった。店先に居るままで飲むので
「居酒屋」と呼ばれる様になった。
その中でも神田鎌倉河岸(千代田区神田二丁目)の
「豊島屋」が有名。
もともと豊島屋は関ヶ原の合戦があった1600年に江戸城の大改修で集った武士や職人、商人達を相手に開いた酒屋だった。
居酒屋になりお客を呼ぶため豆腐田楽を出し大当たり。豆腐田楽一本2文(30円程度)と安く大きかったので肉体労働者が押し寄せた。当時の川柳
「田楽も鎌倉河岸は地物なり」と詠まれる位有名だった。この豊島屋の繁盛をきっかけにさまざまな肴、営業方法が工夫され、その中から座敷で煮売りの料理と酒を飲ませる居酒屋が増えた。
江戸の町は武士、職人、他国からの流れ者等独身男性が多く気軽に一杯ひっかけられる店としてはじまり現在にいたっているわけです。
著書:歴史の謎を探る会
byびんちゃん