3月31日
明日で年度が変わる節目の日ですね。別れと出会いの季節が訪れます。
昔話の「かぐや姫」(竹取物語)も出会いと別れのお話であると言えます。
竹の中から生まれたかぐや姫は、両親に大事に育てられ、才色兼備で皆に愛される存在でしたが、本来居なければならない場所は月であると悟り、月へ帰るというお話しです。
私は、ふと思いました。
なぜ、かぐや姫はこちら(地球)へやって来たのか。
なぜでしょうか。
宇宙人説?
偶然説?
神様のいたずら説?
スパイ説?
なぜ来たのか、どうやって来たのか、アナザーストーリーを考え出したら意外と面白いかもしれません。
本当のところは分かりませんが、かぐや姫は地球に来る何か「意味」を持っていたのではないかと私は思います。
出会いがあれば別れもあります。
そして別れは辛いことがしばしばあります。
しかし、そこに何か「意味」があれば、救われます。前を向けそうです。
なぜこの年度末に「かぐや姫」の話なのか。
私の職場でも、今日で退職される方が1人おります。
彼女は才能に溢れているだけではなく、気品もあり、皆に愛される存在でした。
惜しまれつつも退職されますが、思う存分才能を発揮できる場所がまだまだある方です。
才色兼備という部分もそうですが、本来の場所へ行く、もしくは、更に輝ける場所へ行く、という点で、まさに「かぐや姫」的存在だと、ふと思ったのです。
別れの挨拶の中で、彼女は「ここで幸せな時間を過ごすことができて本当に良かったです。ありがとうございました。」と言っていました。
私はそれを聞いて、彼女も何か「意味」を持ってここに来てくれたんだな、と感じました。
この時期に限らず、皆さんにも別れる人もいれば、出会う人もいますね。
その時、その場所、その人、それぞれに何か「意味」があるのかもしれません。
仏教の根本的な考え方として「縁起」というものがあります。
この世のあらゆるは時間も超越した相互に関係し合う存在(因果関係)であり、単独で存在しているものはない、という考え方です。
最初に話していた「意味」は、仏教でいうと「縁起」という言葉に置き換えられるかもしれません。
「縁起」とは、今ある自分は、自分だけで存在しているものではなく、周りの人、はたまた過去・未来の人にも(因果)関係があるというのです。
(1つの例としては今の自分があるのは代々のご先祖様がいるからこそですよね。)
私はなぜ生まれたのか
私はなぜここにいるのか
ついつい自分のことばかりに目を向けがちですが、自分という存在は、目には見えない多くの命の関わり合いの中で支えられて生きているのです。
当たり前のことも、実はいろんな関わり合いの中で生まれていると思うと有り難いですよね。
この話を聞いてくださっているのも何かの縁なのでしょう。ありがとうございます。
いろんな巡り合わせ、周りの支えがあってこそ今の自分があるのだと感謝して私も日々過ごしてまいります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます