わが心のフットパス

 自分の足で大地を歩くことは、そこの土地、人々、動植物たち、空気を直接五感で感じ、生きていることを実感することである。

「わが心のフットパス」 スタートです

2008-06-14 23:28:42 | Weblog
わが心のフットパス _____ Missy-S

自分の足で大地を歩くことは、そこの土地、人々、動植物たち、空気を直接五感で感じ、生きていることを実感することである。
 それは旅をすることや、身近にある土地を車でなく自分の足で歩き、人々や自然に親しむことで生まれてくる。
 
 こんなことを感じるようになったのはつい、ここ3,4年のことである。
  特に今年の春からは、41年間働き続け、ようやく自由の身になったこともあってその感慨は特に強さを増してきた。今まで日々の生活に追われ見えなかったものが見えるようになってきた感がある。
 
 これまでも健康維持のために行っていたウオーキングが今度は毎日の日課になった。それとともに、その何気なくいつも歩いている道がそれまでとはちがって見えてきたのである。どちらかといえばいままではウオーキング中も自分のことが中心で、自分の体調や疲れ具合、足の状態、服装などに気が入っていたのがここにきて変化してきた。歩く中で感じることが多様化してきたのである。
 それらは周りの風景であり、空の色であり、雲の形であり、その日その日の空気の味である。また、出会う人々の表情であり、道ばたを彩る植物の姿であり、道すがら見られる働く人々の声や動きであり、遠くに聞こえる列車が通過する音、工場のサイレン、学校の授業開始終了を告げるチャイム、グラウンドからのスポーツする歓声等々のいろいろな生活の音などなどである。
 これからも歩くことを続けながら、思いっきり息を吸って、生きていることを実感したい。
  
 そしてまた、生きて動ける限り、もっともっと地球上のあらゆる所を見てみたい。これは自分の幼い頃からの強い夢でり、この50年数年間持ち続けてきた好奇心であった。いまそれがようやく少しづつではあるが実現しつつある。
 つい2ヶ月前にイギリスを訪れ、一度はしてみたかったフットパス歩きやロンドンの街歩き、美術館巡りなどの体験をすることが出来た。

 しかし、この地球は大きく広い。全く歯が立たないほど巨大な世界である。
 命には限りがある、もちろん年齢、健康にも限界があり、だいいち資金力が全くこころもとない。どこまで実現できるか....

 そんなわけで、この命ある限り、その数万分の一でも体験できれば本望と思うしかないであろう。などと思いを巡らしながら、これからも夢を持ち続けて生きていきたいと思っているルーキーのリタイヤーである。(長くなりました)