ともかくショック!
3月11日の東日本大震災。
当日のその時間、自分は河岸の雪原をスキーで歩いていた。
残り少ない冬、そしてつかの間の春休みを楽しもうとせっせと河原で汗を流していたときであった。
北海道の当地は進度3の揺れの様であったが地震のその瞬間も動き回っていたので全く気づかなかった。
歩き終えてスキーを車に入れラジオのスイッチを入れた瞬間いきなり大津波情報を叫ぶ声が耳に入った。この時点ではまだ津波は予告の段階であったが、東北の海岸全域に大津波警報が出たことをくり返し叫んでいた。過去に津波警報は何度も聴いていたが大津波警報
というのは余り経験がなかった。急いで自宅に戻ってテレビをつけると画面に釘ずけになった。何と上空からのヘリコプターの中継と言うことでリアルタイムに巨大な波が海岸に押しかけ、そして乗り越え、更に畑をみるみる飲み込み、数々のビニールハウスが次々になみに飲み込まれているのだ。これは一大事というよりとんでもないことが今まさに起きつつあるという恐怖に身震いした。
さらに津波は陸をなめるように奥へ奥へと進み、続いて道路が見えてきた。遠くの道路では車数台が平然と(ではなっかたかもしれないが)走っていたが、津波近くの道路では大波に気がついたのか停まったり、向きを変えて逃げようとしている車が映し出されたがまもなく波に呑まれてしまった。そして先ほど遠くに走っていた車もまもなく波が到達して危険なのだが所詮テレビ映像なので教えてあげることも出来ない。そうこうしているうちにそれらの車もみる見るうちに大波に飲み込まれていった。
家々も、木々も、ガソリンスタンドも、線路もみな大波に現れていった。これらの瞬間を映像ながら目撃した。今起きつつあることがとても信じられないようなあっという間の出来事であった。
このあとテレビでは次々と各地で起こっている映像を映し出していた。このまっただ中に何百何千人の人々が助けを求め悲鳴を上げていると思うと居いても立っても居られない心境だったがどうすることも出来ないのだ。海の向こうの800キロ以上も離れた地の出来事なので今は何とか無事に多くの人々が逃げのびることを祈るしか方法がなかった。
そしてその翌日にさらにそれに輪を掛けた出来事が待っていたとは。言うまでもない福島原発の大変深刻な事故である。
これらのことはまさに、いままでの価値観が完全に崩壊するような出来事であった。
地球の上に住む人間の宿命とはいえ、一旦地の底が動くと、何と人間は無力な存在なのかを思い知らされた。家族、友人、仕事、家、お金、生活設計、将来の希望、夢みな一瞬にして砕け散ってしまうのである。
こんな事があっていいのか、こんな事が起きると言うことを受け入れてしまっていいのか、しばらくは動転する日々を過ごしてしまった。
被災者の大変な日々が続いていることを思いつつも、自分としての今後の生き方をどう組み立て直すか見通しを立てなければという心境が日増しに強まってきているのである。
3月11日の東日本大震災。
当日のその時間、自分は河岸の雪原をスキーで歩いていた。
残り少ない冬、そしてつかの間の春休みを楽しもうとせっせと河原で汗を流していたときであった。
北海道の当地は進度3の揺れの様であったが地震のその瞬間も動き回っていたので全く気づかなかった。
歩き終えてスキーを車に入れラジオのスイッチを入れた瞬間いきなり大津波情報を叫ぶ声が耳に入った。この時点ではまだ津波は予告の段階であったが、東北の海岸全域に大津波警報が出たことをくり返し叫んでいた。過去に津波警報は何度も聴いていたが大津波警報
というのは余り経験がなかった。急いで自宅に戻ってテレビをつけると画面に釘ずけになった。何と上空からのヘリコプターの中継と言うことでリアルタイムに巨大な波が海岸に押しかけ、そして乗り越え、更に畑をみるみる飲み込み、数々のビニールハウスが次々になみに飲み込まれているのだ。これは一大事というよりとんでもないことが今まさに起きつつあるという恐怖に身震いした。
さらに津波は陸をなめるように奥へ奥へと進み、続いて道路が見えてきた。遠くの道路では車数台が平然と(ではなっかたかもしれないが)走っていたが、津波近くの道路では大波に気がついたのか停まったり、向きを変えて逃げようとしている車が映し出されたがまもなく波に呑まれてしまった。そして先ほど遠くに走っていた車もまもなく波が到達して危険なのだが所詮テレビ映像なので教えてあげることも出来ない。そうこうしているうちにそれらの車もみる見るうちに大波に飲み込まれていった。
家々も、木々も、ガソリンスタンドも、線路もみな大波に現れていった。これらの瞬間を映像ながら目撃した。今起きつつあることがとても信じられないようなあっという間の出来事であった。
このあとテレビでは次々と各地で起こっている映像を映し出していた。このまっただ中に何百何千人の人々が助けを求め悲鳴を上げていると思うと居いても立っても居られない心境だったがどうすることも出来ないのだ。海の向こうの800キロ以上も離れた地の出来事なので今は何とか無事に多くの人々が逃げのびることを祈るしか方法がなかった。
そしてその翌日にさらにそれに輪を掛けた出来事が待っていたとは。言うまでもない福島原発の大変深刻な事故である。
これらのことはまさに、いままでの価値観が完全に崩壊するような出来事であった。
地球の上に住む人間の宿命とはいえ、一旦地の底が動くと、何と人間は無力な存在なのかを思い知らされた。家族、友人、仕事、家、お金、生活設計、将来の希望、夢みな一瞬にして砕け散ってしまうのである。
こんな事があっていいのか、こんな事が起きると言うことを受け入れてしまっていいのか、しばらくは動転する日々を過ごしてしまった。
被災者の大変な日々が続いていることを思いつつも、自分としての今後の生き方をどう組み立て直すか見通しを立てなければという心境が日増しに強まってきているのである。