わが心のフットパス

 自分の足で大地を歩くことは、そこの土地、人々、動植物たち、空気を直接五感で感じ、生きていることを実感することである。

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2012-11-11 18:13:33 | Weblog
余裕がなくてしばらく休んでしまいましたが再び開始することにしました。
2012年も残り少なくなってきました。そろそろ冬の使者である雪が舞うころです。
この1年を思い起こしながら、進めたいと思っています。まずは再開の挨拶から。

雪原のスキーウォーキングを満喫しています

2012-01-22 17:04:54 | Weblog
この冬も雪原のスキーウォーキングを楽しんでいます。
冬5ヶ月半のは雪に閉じこめられる旭川ではどうしても冬は運動不足になり、家の中に閉じこもる生活になりがちです。でもそれは大変もったいないです。北国の厳寒の冬は冬ですばらしい自然の情景が見られます。以前は自分もやや冬は閉じこもり型の生活をしていますがここ数年(6~7年)は全く変わり、冬を思いっきり楽しむようになりました。定年退職し現役の第一線から開放されてからです。冬の雪原や丘をスキーで歩くのは大変気持ちの良いものです。晴れた日は棲んだ青空の下、純白の世界がどこまでも広がり気分は爽快になります。氷点下の厳寒の日は、その美しさがさらに際だちます。また、曇りの日や吹雪の日もそれなりの趣がある自然の情景を味わうことが出来ます。もちろん動物との出会いもあります。キタキツネ、いろいろな野鳥、凍てつく川原に群がるカモなど、時には鳶や鷹との出会いも。大雪の翌日は雪原を漕いで自分が最初のコースをつくり進んでいきます。時には他の人が先に造ったコースを歩かせてもらったりします。ともかく厳しい北国の冬に棲んでいても、冬は冬なりに楽しめます。健康にもプラスになっているようにも思い、今後もずっと続けて行ければと思っています

もう一度出直しします

2012-01-21 18:07:47 | Weblog
しばらく長い間お休みしました。また始めます。
少し落ち着いてからこれまでに旅歩きをした記録を自分へのメモとしての意味も込めて紹介していきます。
ともかく昨年2011年は日本にとって大変な年でした。それはとりもなおさず自分の心の中も大変な年になったと言ってといいでしょう。他の理由もありましたが結果として楽しみにしていたドイツ各地を巡る旅は取りやめにしました。
気持ちの整理がついてから国内の旅をいくつかしました。
地球がこの日本という地に起こした大変な災害、自然の猛威(その中には人間社会が引き起こした愚かな出来事も含まれていますが)に呆然としながらも、しかし確実に訪れる美しい四季に気持ちを取り直す日々がやってきました。やはり地球は、この自然はすばらしい。それを私たちが大切に守っていくことこそ大切であるということを今更ながら痛感する日々でした。
年が明けて2012年気持ちを新たにスタートです。

ともかくショック!いままでの価値観が完全崩壊

2011-04-17 12:23:03 | Weblog
ともかくショック!
3月11日の東日本大震災。
当日のその時間、自分は河岸の雪原をスキーで歩いていた。
残り少ない冬、そしてつかの間の春休みを楽しもうとせっせと河原で汗を流していたときであった。
北海道の当地は進度3の揺れの様であったが地震のその瞬間も動き回っていたので全く気づかなかった。
歩き終えてスキーを車に入れラジオのスイッチを入れた瞬間いきなり大津波情報を叫ぶ声が耳に入った。この時点ではまだ津波は予告の段階であったが、東北の海岸全域に大津波警報が出たことをくり返し叫んでいた。過去に津波警報は何度も聴いていたが大津波警報
というのは余り経験がなかった。急いで自宅に戻ってテレビをつけると画面に釘ずけになった。何と上空からのヘリコプターの中継と言うことでリアルタイムに巨大な波が海岸に押しかけ、そして乗り越え、更に畑をみるみる飲み込み、数々のビニールハウスが次々になみに飲み込まれているのだ。これは一大事というよりとんでもないことが今まさに起きつつあるという恐怖に身震いした。
さらに津波は陸をなめるように奥へ奥へと進み、続いて道路が見えてきた。遠くの道路では車数台が平然と(ではなっかたかもしれないが)走っていたが、津波近くの道路では大波に気がついたのか停まったり、向きを変えて逃げようとしている車が映し出されたがまもなく波に呑まれてしまった。そして先ほど遠くに走っていた車もまもなく波が到達して危険なのだが所詮テレビ映像なので教えてあげることも出来ない。そうこうしているうちにそれらの車もみる見るうちに大波に飲み込まれていった。
家々も、木々も、ガソリンスタンドも、線路もみな大波に現れていった。これらの瞬間を映像ながら目撃した。今起きつつあることがとても信じられないようなあっという間の出来事であった。
このあとテレビでは次々と各地で起こっている映像を映し出していた。このまっただ中に何百何千人の人々が助けを求め悲鳴を上げていると思うと居いても立っても居られない心境だったがどうすることも出来ないのだ。海の向こうの800キロ以上も離れた地の出来事なので今は何とか無事に多くの人々が逃げのびることを祈るしか方法がなかった。

そしてその翌日にさらにそれに輪を掛けた出来事が待っていたとは。言うまでもない福島原発の大変深刻な事故である。

これらのことはまさに、いままでの価値観が完全に崩壊するような出来事であった。
地球の上に住む人間の宿命とはいえ、一旦地の底が動くと、何と人間は無力な存在なのかを思い知らされた。家族、友人、仕事、家、お金、生活設計、将来の希望、夢みな一瞬にして砕け散ってしまうのである。
こんな事があっていいのか、こんな事が起きると言うことを受け入れてしまっていいのか、しばらくは動転する日々を過ごしてしまった。
被災者の大変な日々が続いていることを思いつつも、自分としての今後の生き方をどう組み立て直すか見通しを立てなければという心境が日増しに強まってきているのである。


「わが心のフットパス」 スタートです

2008-06-14 23:28:42 | Weblog
わが心のフットパス _____ Missy-S

自分の足で大地を歩くことは、そこの土地、人々、動植物たち、空気を直接五感で感じ、生きていることを実感することである。
 それは旅をすることや、身近にある土地を車でなく自分の足で歩き、人々や自然に親しむことで生まれてくる。
 
 こんなことを感じるようになったのはつい、ここ3,4年のことである。
  特に今年の春からは、41年間働き続け、ようやく自由の身になったこともあってその感慨は特に強さを増してきた。今まで日々の生活に追われ見えなかったものが見えるようになってきた感がある。
 
 これまでも健康維持のために行っていたウオーキングが今度は毎日の日課になった。それとともに、その何気なくいつも歩いている道がそれまでとはちがって見えてきたのである。どちらかといえばいままではウオーキング中も自分のことが中心で、自分の体調や疲れ具合、足の状態、服装などに気が入っていたのがここにきて変化してきた。歩く中で感じることが多様化してきたのである。
 それらは周りの風景であり、空の色であり、雲の形であり、その日その日の空気の味である。また、出会う人々の表情であり、道ばたを彩る植物の姿であり、道すがら見られる働く人々の声や動きであり、遠くに聞こえる列車が通過する音、工場のサイレン、学校の授業開始終了を告げるチャイム、グラウンドからのスポーツする歓声等々のいろいろな生活の音などなどである。
 これからも歩くことを続けながら、思いっきり息を吸って、生きていることを実感したい。
  
 そしてまた、生きて動ける限り、もっともっと地球上のあらゆる所を見てみたい。これは自分の幼い頃からの強い夢でり、この50年数年間持ち続けてきた好奇心であった。いまそれがようやく少しづつではあるが実現しつつある。
 つい2ヶ月前にイギリスを訪れ、一度はしてみたかったフットパス歩きやロンドンの街歩き、美術館巡りなどの体験をすることが出来た。

 しかし、この地球は大きく広い。全く歯が立たないほど巨大な世界である。
 命には限りがある、もちろん年齢、健康にも限界があり、だいいち資金力が全くこころもとない。どこまで実現できるか....

 そんなわけで、この命ある限り、その数万分の一でも体験できれば本望と思うしかないであろう。などと思いを巡らしながら、これからも夢を持ち続けて生きていきたいと思っているルーキーのリタイヤーである。(長くなりました)