はるかママ一家のドタバタ日記

奇怪、宇宙人君夫と、ぼーっとしたトドはるかママ、歌と踊り大好き娘はるかとの、ドタバタ生活を書きつづります。

祖母の笑顔

2011-06-26 22:48:52 | Weblog
6月22日、午前12時17分、母方の祖母が亡くなりました。


祖母は大正4年生まれ。6月22日は、祖母の誕生日でもありました。


96歳まで生きる。と、祖母は言っていたそうです。日が変わって誕生日を迎え、祖母は亡くなりました。


祖母は、幼い子供から見ても、猛烈に働いていました。豚の世話や、畑、義父母の介護など、私もよく山の上の豚舎まで、モノレール(荷物用らしいが(^_^;))に乗せてもらって、豚舎の隣の部屋で待っていました。

私は、ものすごいおばあちゃんっ子で、祖母の姿を見ると、ベッタリひっつき、姿が見えなくなったりしようものなら、大泣きしまくり(^_^;)


祖母は、隠れながら運動会を見ていたとか(^_^;)


とうきび(トウモロコシ)が大好きな私のために、祖母は、釜いっぱいに茹でてくれていて、お盆には、ガジガジとうきびを食べまくっていました。


職を変わる度に心配をかけたようで、病院に通うバスから、私の車が見えたからと、バスから降りて、

どうしたん?ちゃと行きよる?

と聞いてきたこともありました。その時就活中(^_^;)心配しないように説明しました(^_^;)


結婚式の前に、びっくりするぐらいのお祝いを頂き、感謝すると共に、どれだけ大事に思ってくれていたか、ひしひしと感じ、感激したものです。


やがて、はるかが生まれ、はるかを抱っこする祖母の嬉しそうな顔。


中々、顔を見られない時がありましたが、元気にしていると思っていました。


時がたつにつれ、介護を受けるようになった祖母。ご飯を食べる気力がなくなって、食べ物を口にしなくなった祖母。


家族介護に限界があり、介護施設に入居した祖母。

足が腫れ、入院した祖母の片足は、足を切断しなければ悪くなっていく状態で、手術後は、熱と痛みで苦しそうでした。

約一年後、残っていた片足も切断することになり、切断した片足を、発泡スチロールの箱に入れた状態で焼却するところへ持って行く気持ちは、言葉にできない悲しさを感じました。。


入退院を繰り返し、悪くなっていた背中の床擦れが治った頃退院していた祖母。

誕生日に亡くなった祖母に、約束を守ってくれてありがとう。と、叔父や母が声をかけたそうです。


皆で食事をしている時、祖母が四国88ヵ所に行きたかったことがわかりました。本が見つかったそうです。

今度、四国を廻る時に、祖母の写真を持って行くと母がしみじみ言っていました。


私も、祖母を思いながら、廻ります。


遺影は、笑顔いっぱいの祖母でした。生前、つらいことがたくさんあったのに、よく笑っていたと、祖母を皆偲んでいました。


決していい孫とはいえない私を、愛情深く見守ってくれてありがとう。


そして、笑顔を忘れないようにと、教えてくれてありがとう。


苦労した分、ゆっくりくつろげるといいね。ばあちゃん。本当にありがとう。ありがとう。安らかに。