きょうの お庭はね

庭にいると おしゃべりできるかな?

ことしのイースタを迎える気持ち

2020-04-11 19:55:09 | 日記
     すっかり外は 
       春です
      きょうの神戸再度筋教会のスロープです
    
        とりのこも むしのこも
          トカゲも あたしたち人間も 
         ちからがぬける庭だといいなぁ。
               って おもいながら

      あたしが ちょこちょこと
                手をいれています       

      



        ほんとは いまごろ
          三鷹の東京の神学校で
            何十年ぶりかの 大学生活
          はじめることになっていたのですが



            

        思わないことがおきる
              誰しもそうですね


          計画たてて
           進めてるつもりになってることも
            予期せぬ方向にいく
                 止まってしまう
                 
              この年になれば
                あぁ。
            こうくるのかぁ、と
                
           だいたいのことは
             思ったようではない
            ちがうことも
               受け入れて
           ある程度 びっくりしなくなるものですが

              まさかなぁ。は
                   あります

             
         
          ひとのたてる計画なんて
                 はかないものだと
                      あらためて


 
              そもそもは
               あたしが
             神学校に行くという
              神さまの お恵みを
                          受け取らせていただくこと

             あたしには 思いもよらぬで。
             

          祖父も父も牧師なら
            驚くこともないと思われるかもしれませんが 
 

             神さまは 信じている
              だけど

             なんて たいへんなしごとって
              いちばんちかくで みてきて
             あたしには むりやなぁ。としか 

                      思えてなかった

          そっかぁ。
           逃げたらあかんのかぁ。
             と 去年の春ね
         そんな自分のこころに 響いたものに
           いちばん
            ドキドキしたのは
              あたしであり 
                  予期せぬことでした。


            予期せぬではあるけど

               
            神さまの ご計画で   
                   あるのでしょうか

      
           ちゃんと前をむけるのか
              いまから
                   はじまるとき
              

       

          そして
            こんなにも イースターを
           待ち望む気持ちを
            あらためて感じるのは 
                 どうしてなんだろうか

            あたしが 洗礼を受けた
              中学生のイースターの日を
                   思いだしました。

           それで
              きょうは このブログを
                     書きました

        
       イースターの意味は
           かるいものではないです。

          そうクリスマスも そうです。

     救い主 
      主イエスキリストが
             お生まれになったのが
                      クリスマス
      主イエスキリストは
        どうして 救い主と呼ばれているのでしょうか
     
 
     それは 主イエスキリストが十字架に おかかりになり
        死にて葬られ 復活されたという福音を
      ほろぶべき身である人間が 信じることで
        新しいいのちを あたえていただいたからです

  
       それは 神さまの大きな愛によるのだと

    聖書
     ヨハネによる福音書3章によれば

     神さまは そのひとり子を お与えになったほどに
     この世を愛してくださった

      独り子を信じる者が
       一人も滅びないで 永遠の命を得るためである。

       神が御子を世に遣わされたのは
         世を裁くためではなく、
       御子によって
         世が救われるためである。と

                
      
    
    すべての人が十字架の血によって
     贖われることが
     父なる神の御心であると確信され
       十字架の道を歩んでくださった 
               主イエスキリスト

    そして 神でありながら
         
      渇き苦しみ
        生身の人間の痛みをも
       おなじように知ってくださった
                イエスさま

        その復活を祝う イースターは

         神を信じるものが
          神さまと共にいる平安を
               いただいてる 

        イエスさまを こころに迎えることができることは
          永遠の命を いただいている喜びです。 
          
        

     
          

       ここ何年か 
         大きな地震があり、大雨が降り
           津波が起こり
         これでもか、これでもか、って
          
       たくさんの困難なことが続いている
         だいじな命が失われ
        多くのひとが
           悲しみをかかえて生きている
                
   
    原子力発電所から
         放射能が放出されて
    だいすきな生まれ故郷では 
         気持ちのいい 
     ふつうの毎年の のどかな春を
       あの日から 迎えることができなくなった

        そうニュースで きいてても
          その時期だけのニュースで
         自分のこととして
              とらえることなく
       そっかぁ。
         つらいなぁ、で どうすることもできないまま
                      わすれてしまう

        じぶんが 苦しい春を迎えて
           はじめて 気づかされること
             
       
        シリアの子どもたちが
           戦争の恐怖のなかにいると
              知っていても
         自分のことにばかり
               熱心でいて、
             忘れたように生きている

           経済優先って言われてる政治に
              あきらめの目しか
                向けられていない
    
         まったく優しくない
              あたしの罪

     いま あたえられている現実の意味は?

       コロナウイルスの脅威
         だれもが感じる死の恐怖

      恐怖と不安だけで 
       おわっててはいけないんよね
       

      ここまでならないと
     あたしたちは 
       立ち止まれなかったのだろうか
    
     そして いま
         どうしたらいいんだろうか

      ちゃんと こころを 動かそう
        気づかないふりは やめよう。
     
          弱いときは  
            恵みのとき
         神さまが くださっている チャンス!!
           神さまの 恵みを 知ることができるとき
            
   

      神さまを 信じたら
        コロナウィルスの脅威がなくなるというわけではない

      神さまを 信じたら
         商売が繁盛するわけでもない
       生活は もっと苦しくなるかもしれない

       それでも
         人間だけで 生きているってなったら
                 どんどん 苦しくなる
       
      
       はなれてて あえない人
           はなれてても だいすきなひと
        いっしょにいるときと おなじように
               つながっていると
                    おもうんよ


         はなれてても 
          あなたのことを 祈っているよ

 
       限られた 神さまから
         与えていただいている時間を
              どのように使うか
       
        神さまを 神さまであると
          賛美礼拝すること

        神さまに あたえていただいてる手を
                  どのように使うか
 
    
      
    
   

        神さまの恵みを信じて
          あなたとともに生きるよろこびに
             たちかえりたいと思います

         いまは
         いろいろ わかっていても
          苦しくなる
         つらくなる
           どきどきしてくる

       
         しずかに 祈ろう


       ことしのイースター
         高齢の人
          電車を使って来られるひと
        職場で 自粛をいわれているんよって
              メールをくれた 幼稚園の先生も
            いっしょに礼拝することは
                 できない多くのひとのことも
                           おもう
              天に帰った
               だいすきなひとのことも
                        おもう

            あえないから    
              いつもより おもう。も
                     あるね
           
          

          はなれていても
               いっしょに
                 礼拝しよう

            いっしょに 祈ろう。


            いま 苦しんでいる
             おおくの人に
            神さまの 慰めと励ましが
                  ありますように


         あしたのイースター
            感謝して迎えることができますように

        
        80才をこえた牧師である父が
           神さまから いただいている
         残された時間を 神さまにささげ
           神さまの ことばを 
              伝えている教会です
          

          はやく いつでも
             どなたでも
               おいでくださいね。って
                礼拝が迎えられることを
                       祈ってます


           みんなで 困難を
                乗り越えて
                 感謝して生きようね