明治30年、久米島(くめじま)にて出生.戸籍上は前里(まえざと)
10代には北大東等で作業に従事.20代で本土に移居.
大正11年、空手を富名腰義珍師に師事.
昭和4年、屋比久孟伝師より琉球古武術の指導を受ける.
東京は明正塾、群馬県は伊香保を拠点にして精武に励み、職にも携わる.
昭和15年沖縄に帰郷、琉球古武道保存振興会を設立し会長に就任.
沖縄各地に猶、残存埋没する武器術の型の収集に努めると共に 沖縄、本土各地で指導・演武わ通じて琉球古武術の保存と振興に生涯を捧げる.
直門井上元勝に全型を皆伝、武器毎の技術体系の確立を命じる.
昭和45年9月3日那覇(なは)で永眠(享年73歳)
大型バスの運転技術を実行し、車の分解・組立等にも明確な技能力あり、また歌舞音曲に優れた才を有す.