インド訪問―ソーシャル・インクルージョンに関するワークショップ
厳しい暑さ残るインドのパンジャブ州のアムリトサルを、2014年9月に訪問しました。アムリトサルはパキスタンとの国境の町で、シーク教の総本山があります。100万人の人口を擁し、伝統的に農業が盛んで、近年では工業化が進んできている台頭目覚ましい都市です。
このアムリトサルで、ソーシャル・インクルージョン(誰もが共に生きる社会を目指すことで、社会的包摂などと訳されている)の実現のための建築デザインや社会デザインという観点から展開されるワークショップに参加しました。ワークショップを主催したのは、ディロン・マーティ財団の創始者にして理事長のソニア・ディロン・マーティ。東京大学教授で建築家の隈研吾氏、山口大学准教授でソーシャルデザイン専門の林裕子氏、建築や都市工学を専門とする東京大学やスタンフォード大学の教員や学生など合わせて40名ほどが、アムリトサルの名門総合大学であるグル・ナナク大学に集まりました。
ソニアは、アムリトサル出身で、スタンフォードでデザインや建築を学んだ女性実業家であり、フィランソロピスト(慈善事業家)です。インドの少女や女性へのエンパワメント(生きる力をつかみ取ることへの支援)が、彼女のライフワークのひとつになっています。2013年秋に知り合い、それ以降、家族ぐるみの親しい交流を続けています。
シンボルとしての「公衆トイレ」
今回ソニアが、ソーシャル・インクルージョンをテーマにしたのは、そうしたインドの少女や女性の生活改善や地位向上という目的がありました。彼女が注目したのは、「公衆トイレ」でした。
インドの公衆トイレは、想像を絶するほどひどい所となっています。これは、インドのひとつの象徴で、IT産業をはじめとした華やかな発展の影で、衛生状態、子育て環境、教育、女性の地位は、旧態依然としてなかなか改善されず、開発一辺倒による自然環境の破壊や大気汚染が広がっていて人々の生活を脅かしています。そこで、清潔で文化的で差別がなく、環境に優しい循環型のまちづくりと人づくりの核として、「公衆トイレ」をテーマにしたインクルーシブ・ソサエティ(誰も排除せずに包み込む共生社会)に向けたワークショップを行うということになったのです。
各国から集まった建築・デザインを学ぶ学生たちは、インドの学生たちと共に5,6人のグループをつくり、公衆トイレを中心とした街づくりの設計図を、数日かけて作成しました。教員たちはアドバイザーとして学生たちの作業を見守り、適宜アドバイスをしていました。また全員参加で、現地で手に入る素材を利用した実物大の公衆トイレも作り、デモンストレーションを行っていました。
最終日にはコンペが執り行われました。それぞれのグループが、これまでの集大成の設計図を展示し、それに関するプレゼンテーションを行いました。ソニア、隈研吾氏、林裕子氏、在印フランス大使、そして私が審査員となって、評価をさせて頂きました。
インドにおける女子教育
ソニアが挑戦しようと思っている、インドにおける女の子や女性の地位向上という課題は、女性に対する差別という、この国のひとつの“文化”となってしまっているほど根深く、解消するのが困難な問題の克服でもあります。例えば、教育という面においても、女の子たちが享受するには数々の障壁があります。
インドは数年前に、世界銀行から貧困国から中所得国へと格上げがされました。2009年には、教育権利法(Right to Education Act)が可決され、6歳から14歳までのすべての子どもたちが無償で義務教育が受けられるようになりました。最近の調査では、98%の子どもたちが、初等教育に就いているという報告もあります。
このように就学率が高いことは喜ばしいことなのですが、一方で教育の質という観点からは、まだまだ十分とは言えません。例えば学校では、一クラスの人数が多いので常に教室が混み合っていたり、教員が不在のことがあったり、非衛生的な環境だったりするといいます。すると、親たちはそんなところに子どもを行かせる価値はないと思い、学校に行かせないといいます。そして特に女の子は家の仕事をさせられたり、結婚させられたりしがちなのだそうです。
2010年のインド国立教員教育協議会のレポートによると、教育権利法の基準を満たすためには、あと120万人の教師が必要だと見込まれています。最近の教育権利フォーラムでは、公教育のたった5パーセントの学校しか基準を満たしていないというNGOからの報告もありました。40パーセントの小学校では、一クラスに30人と権利法の基準を上回る生徒がいて、電気の通っていない学校も半数以上あるとのことでした。またこのフォーラムでは、21パーセントの教師が専門職としての訓練を受けてないことも指摘されました。教育の達成度も高いといえず、小学校5年生の生徒の約半数が小学校2年生レベルの教科書を読めないという報告も上がっているとのことでした。
インド政府の出している報告書によると、小学校でドロップアウトしてしまう子どもは25%いて、そのほとんどが女の子、貧困者、障がい者です。入学時は女子も男子も同じ数なのですが、年齢が上がるにつれて女の子は、働かされたり結婚させられたりして教育から遠ざけられてしまうのです。
全体の教育改革が必須ですが、とくに女の子が継続して最後まで初等教育を受けられることは喫緊の課題と考えられます。
代理母
教育は、女性の地位向上と経済的自立の下支えとなる重要な課題ですが、この課題を考える上で、インドにおける代理母は様々な問題を突き付けています。インドでは、「再生産ツーリズムreproductive tourism」と呼ばれる、外国人がインドに来て生殖補助技術を受けることが流行になっているといいます。
インド人女性が代理母となって出産までこぎつけると、そのためにかかったすべての医療費や代理母への謝礼など一切込みで価格は12,000ドル、約140万円です。ちなみにアメリカで同様のことをすると約70,000ドル、約800万円かかります。インドにおけるこうした代理母に関することは、500億円規模のビジネスになっているとのことです。
なぜ女性たちは代理母になるのか。大きな理由は、お金を得るためです。彼女たちは通常、どんなに働いても1日に50ルピー程度(100円くらい)の稼ぎにしかなりません。一方で代理母となると、1回の妊娠・出産で60万円以上のお金が入ってきます。自分の家族のために、子どものために、彼女たちは「子宮のレンタルWomb for Rent」をしているのです。
しかも代理母になることはインド社会において「汚いdirty」ものと見なされているので、代理母たちは親族や近隣には内緒で、一時的に別の町に引っ越したりして、この仕事をしています。差別が助長される危険を冒して、代理母は妊娠・出産の役目を果たしている訳です。遺伝的な自分の血を引く子どもに、よい教育を受けさせるために、場合によっては女の子に持参金を持たせるために。
生命の誕生がこのような状況であることに対して、先進国の安全な場所にいて疑問を呈することは控えなくてはならないかもしれませんが、やるせないものを感じざるを得ません。
教育と子どもの貧困
アムリトサルでは、最も教育が必要であろう貧困な家庭こそ、教育から遠ざけられている状況に出くわしました。例えばアムリトサルでのワークショップの会場だったグル・ナナク大学の構内には、建設中の建物があって、作業員たちの家族がバラック建ての小屋に住んでいました。小屋の周りには幼児から小学校の低学年くらいの子どもたちがいました。小さい子をちょっと大きな子が遊ばせている様子で、一見微笑ましい光景なのですが、ソニアはこれを見て溜息をつきます。
「あの子どもたちは、学校にも行かないで、小さな子たちの面倒を見させられているのよ。インドでも公立小学校は無料で開放されているのに、親たちが行かせていない。子どもたちは教育がなく、いい仕事にもつけず、貧しいまま。この連鎖を断ち切らなくてはいけない。」
また、昼食をとりに出かけたアムリトサルの繁華街では、少女が何事かを話しかけながら近づいてきました。ソニアは、「物乞いをしているのだから、お金を渡しては駄目よ。親がこの子に物乞いをさせているのだから、この子のためにならない」といいました。なるほどこの少女の後方には母親らしい女性がいて、視線を送っていました。
初等教育を充実させるだけでは、改善していかないインドの現実があちこちにありました。子どもに教育を受けさせるには、親が働いている間、幼児の面倒を見てくれる保育園のような場所も必要ですし、子どもに物乞いをさせるのではなく、教育を受けさせるように親の意識を変えてゆかねばなりません。ソニアの挑戦は、まだまだ続きます。
尊厳ある人として生きるために
教育の力を信じ、子どもたちが教育を受けられるために活動している人物で、現在、最も注目されているのは、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんでしょう。かつてインドの隣のパキスタンに住んでいた彼女は、学校に行くのをやめなかったためにタリバンに頭部を銃撃された少女ですが、回復後、「教育第一Education First」をスローガンに掲げ、子どもたちへの教育を世界の最重要課題とすべきことを訴えかけています。
彼女のノーベル賞受賞のスピーチは秀逸でした。各国の政治家や著名人を前に、「自分は大人ではなくて子どもであるので、大人たちがなぜ軍備や戦争に莫大なお金をかけているのに、教育にほんのわずかしかお金をかけないのか全く分からない」、と言ってのけました。また、「先進国は、初等教育(Primary Education)は支援しているけれど、中等教育(Secondary Education)は支援していない。自分たちの子どもには高等教育までも受けさせているのに。途上国の教育支援は、中等教育まですべき」とも言っていました。世界の人が注目しているスピーチで、お座なりの感謝やおもねりの言葉を言うだけでなく、先進国側にとっては耳の痛い核心を突いた内容にまで踏み込むとは、勇気ある発言だと思いました。
パキスタンにマララさんがいるように、インドにも、その他の国にも彼女のような少女はいつの時代もいると思います。ただ、それが社会的に注目されていなかったり、家族や周囲の圧力で家庭の中に閉じ込められてしまったり、時によっては命を奪われたりしてきたのでしょう。インド人であるソニアこそ、女の子や女性のエンパワメントと地位向上が困難であることをよく知っているはずですが、数々の障壁を乗り越えてきた彼女自身の経験から、女の子や女性が尊厳ある人として生きることのできる可能性も知っています。
日本でも、未だ男女差別が解消された段階でないことは周知ですが、ソニアと目標を共有しながら、インクルーシブ・ソサエティに向けた活動をしていきたいと思いました。
【参考資料】
Abigail Haworth, Womb for Rent: Surrogate Mothers in India, WebMD.
http://www.webmd.com/infertility-and-reproduction/features/womb-rent-surrogate-mothers-india?page=8 (2015年1月15日閲覧)
Rachel Williams, 2013.March 11, Why Girls in India are Still Missing out on the Education They Need, The Guardian.
http://www.theguardian.com/education/2013/mar/11/indian-children-education-opportunities (2015年1月15日閲覧)
厳しい暑さ残るインドのパンジャブ州のアムリトサルを、2014年9月に訪問しました。アムリトサルはパキスタンとの国境の町で、シーク教の総本山があります。100万人の人口を擁し、伝統的に農業が盛んで、近年では工業化が進んできている台頭目覚ましい都市です。
このアムリトサルで、ソーシャル・インクルージョン(誰もが共に生きる社会を目指すことで、社会的包摂などと訳されている)の実現のための建築デザインや社会デザインという観点から展開されるワークショップに参加しました。ワークショップを主催したのは、ディロン・マーティ財団の創始者にして理事長のソニア・ディロン・マーティ。東京大学教授で建築家の隈研吾氏、山口大学准教授でソーシャルデザイン専門の林裕子氏、建築や都市工学を専門とする東京大学やスタンフォード大学の教員や学生など合わせて40名ほどが、アムリトサルの名門総合大学であるグル・ナナク大学に集まりました。
ソニアは、アムリトサル出身で、スタンフォードでデザインや建築を学んだ女性実業家であり、フィランソロピスト(慈善事業家)です。インドの少女や女性へのエンパワメント(生きる力をつかみ取ることへの支援)が、彼女のライフワークのひとつになっています。2013年秋に知り合い、それ以降、家族ぐるみの親しい交流を続けています。
シンボルとしての「公衆トイレ」
今回ソニアが、ソーシャル・インクルージョンをテーマにしたのは、そうしたインドの少女や女性の生活改善や地位向上という目的がありました。彼女が注目したのは、「公衆トイレ」でした。
インドの公衆トイレは、想像を絶するほどひどい所となっています。これは、インドのひとつの象徴で、IT産業をはじめとした華やかな発展の影で、衛生状態、子育て環境、教育、女性の地位は、旧態依然としてなかなか改善されず、開発一辺倒による自然環境の破壊や大気汚染が広がっていて人々の生活を脅かしています。そこで、清潔で文化的で差別がなく、環境に優しい循環型のまちづくりと人づくりの核として、「公衆トイレ」をテーマにしたインクルーシブ・ソサエティ(誰も排除せずに包み込む共生社会)に向けたワークショップを行うということになったのです。
各国から集まった建築・デザインを学ぶ学生たちは、インドの学生たちと共に5,6人のグループをつくり、公衆トイレを中心とした街づくりの設計図を、数日かけて作成しました。教員たちはアドバイザーとして学生たちの作業を見守り、適宜アドバイスをしていました。また全員参加で、現地で手に入る素材を利用した実物大の公衆トイレも作り、デモンストレーションを行っていました。
最終日にはコンペが執り行われました。それぞれのグループが、これまでの集大成の設計図を展示し、それに関するプレゼンテーションを行いました。ソニア、隈研吾氏、林裕子氏、在印フランス大使、そして私が審査員となって、評価をさせて頂きました。
インドにおける女子教育
ソニアが挑戦しようと思っている、インドにおける女の子や女性の地位向上という課題は、女性に対する差別という、この国のひとつの“文化”となってしまっているほど根深く、解消するのが困難な問題の克服でもあります。例えば、教育という面においても、女の子たちが享受するには数々の障壁があります。
インドは数年前に、世界銀行から貧困国から中所得国へと格上げがされました。2009年には、教育権利法(Right to Education Act)が可決され、6歳から14歳までのすべての子どもたちが無償で義務教育が受けられるようになりました。最近の調査では、98%の子どもたちが、初等教育に就いているという報告もあります。
このように就学率が高いことは喜ばしいことなのですが、一方で教育の質という観点からは、まだまだ十分とは言えません。例えば学校では、一クラスの人数が多いので常に教室が混み合っていたり、教員が不在のことがあったり、非衛生的な環境だったりするといいます。すると、親たちはそんなところに子どもを行かせる価値はないと思い、学校に行かせないといいます。そして特に女の子は家の仕事をさせられたり、結婚させられたりしがちなのだそうです。
2010年のインド国立教員教育協議会のレポートによると、教育権利法の基準を満たすためには、あと120万人の教師が必要だと見込まれています。最近の教育権利フォーラムでは、公教育のたった5パーセントの学校しか基準を満たしていないというNGOからの報告もありました。40パーセントの小学校では、一クラスに30人と権利法の基準を上回る生徒がいて、電気の通っていない学校も半数以上あるとのことでした。またこのフォーラムでは、21パーセントの教師が専門職としての訓練を受けてないことも指摘されました。教育の達成度も高いといえず、小学校5年生の生徒の約半数が小学校2年生レベルの教科書を読めないという報告も上がっているとのことでした。
インド政府の出している報告書によると、小学校でドロップアウトしてしまう子どもは25%いて、そのほとんどが女の子、貧困者、障がい者です。入学時は女子も男子も同じ数なのですが、年齢が上がるにつれて女の子は、働かされたり結婚させられたりして教育から遠ざけられてしまうのです。
全体の教育改革が必須ですが、とくに女の子が継続して最後まで初等教育を受けられることは喫緊の課題と考えられます。
代理母
教育は、女性の地位向上と経済的自立の下支えとなる重要な課題ですが、この課題を考える上で、インドにおける代理母は様々な問題を突き付けています。インドでは、「再生産ツーリズムreproductive tourism」と呼ばれる、外国人がインドに来て生殖補助技術を受けることが流行になっているといいます。
インド人女性が代理母となって出産までこぎつけると、そのためにかかったすべての医療費や代理母への謝礼など一切込みで価格は12,000ドル、約140万円です。ちなみにアメリカで同様のことをすると約70,000ドル、約800万円かかります。インドにおけるこうした代理母に関することは、500億円規模のビジネスになっているとのことです。
なぜ女性たちは代理母になるのか。大きな理由は、お金を得るためです。彼女たちは通常、どんなに働いても1日に50ルピー程度(100円くらい)の稼ぎにしかなりません。一方で代理母となると、1回の妊娠・出産で60万円以上のお金が入ってきます。自分の家族のために、子どものために、彼女たちは「子宮のレンタルWomb for Rent」をしているのです。
しかも代理母になることはインド社会において「汚いdirty」ものと見なされているので、代理母たちは親族や近隣には内緒で、一時的に別の町に引っ越したりして、この仕事をしています。差別が助長される危険を冒して、代理母は妊娠・出産の役目を果たしている訳です。遺伝的な自分の血を引く子どもに、よい教育を受けさせるために、場合によっては女の子に持参金を持たせるために。
生命の誕生がこのような状況であることに対して、先進国の安全な場所にいて疑問を呈することは控えなくてはならないかもしれませんが、やるせないものを感じざるを得ません。
教育と子どもの貧困
アムリトサルでは、最も教育が必要であろう貧困な家庭こそ、教育から遠ざけられている状況に出くわしました。例えばアムリトサルでのワークショップの会場だったグル・ナナク大学の構内には、建設中の建物があって、作業員たちの家族がバラック建ての小屋に住んでいました。小屋の周りには幼児から小学校の低学年くらいの子どもたちがいました。小さい子をちょっと大きな子が遊ばせている様子で、一見微笑ましい光景なのですが、ソニアはこれを見て溜息をつきます。
「あの子どもたちは、学校にも行かないで、小さな子たちの面倒を見させられているのよ。インドでも公立小学校は無料で開放されているのに、親たちが行かせていない。子どもたちは教育がなく、いい仕事にもつけず、貧しいまま。この連鎖を断ち切らなくてはいけない。」
また、昼食をとりに出かけたアムリトサルの繁華街では、少女が何事かを話しかけながら近づいてきました。ソニアは、「物乞いをしているのだから、お金を渡しては駄目よ。親がこの子に物乞いをさせているのだから、この子のためにならない」といいました。なるほどこの少女の後方には母親らしい女性がいて、視線を送っていました。
初等教育を充実させるだけでは、改善していかないインドの現実があちこちにありました。子どもに教育を受けさせるには、親が働いている間、幼児の面倒を見てくれる保育園のような場所も必要ですし、子どもに物乞いをさせるのではなく、教育を受けさせるように親の意識を変えてゆかねばなりません。ソニアの挑戦は、まだまだ続きます。
尊厳ある人として生きるために
教育の力を信じ、子どもたちが教育を受けられるために活動している人物で、現在、最も注目されているのは、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんでしょう。かつてインドの隣のパキスタンに住んでいた彼女は、学校に行くのをやめなかったためにタリバンに頭部を銃撃された少女ですが、回復後、「教育第一Education First」をスローガンに掲げ、子どもたちへの教育を世界の最重要課題とすべきことを訴えかけています。
彼女のノーベル賞受賞のスピーチは秀逸でした。各国の政治家や著名人を前に、「自分は大人ではなくて子どもであるので、大人たちがなぜ軍備や戦争に莫大なお金をかけているのに、教育にほんのわずかしかお金をかけないのか全く分からない」、と言ってのけました。また、「先進国は、初等教育(Primary Education)は支援しているけれど、中等教育(Secondary Education)は支援していない。自分たちの子どもには高等教育までも受けさせているのに。途上国の教育支援は、中等教育まですべき」とも言っていました。世界の人が注目しているスピーチで、お座なりの感謝やおもねりの言葉を言うだけでなく、先進国側にとっては耳の痛い核心を突いた内容にまで踏み込むとは、勇気ある発言だと思いました。
パキスタンにマララさんがいるように、インドにも、その他の国にも彼女のような少女はいつの時代もいると思います。ただ、それが社会的に注目されていなかったり、家族や周囲の圧力で家庭の中に閉じ込められてしまったり、時によっては命を奪われたりしてきたのでしょう。インド人であるソニアこそ、女の子や女性のエンパワメントと地位向上が困難であることをよく知っているはずですが、数々の障壁を乗り越えてきた彼女自身の経験から、女の子や女性が尊厳ある人として生きることのできる可能性も知っています。
日本でも、未だ男女差別が解消された段階でないことは周知ですが、ソニアと目標を共有しながら、インクルーシブ・ソサエティに向けた活動をしていきたいと思いました。
【参考資料】
Abigail Haworth, Womb for Rent: Surrogate Mothers in India, WebMD.
http://www.webmd.com/infertility-and-reproduction/features/womb-rent-surrogate-mothers-india?page=8 (2015年1月15日閲覧)
Rachel Williams, 2013.March 11, Why Girls in India are Still Missing out on the Education They Need, The Guardian.
http://www.theguardian.com/education/2013/mar/11/indian-children-education-opportunities (2015年1月15日閲覧)
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