突然の訃報
6月初めの未明のメールで、俳優にして映画やお芝居の監督でもある塩屋俊(しおや とし)氏の死を知りました。演劇『HIKOBAE 2013』の公演先の仙台で打ち合わせの最中に倒れ、救急車で病院に運ばれ、懸命の救命医療が行われましたが、残念な結果になってしまいました。原因は急性大動脈解離でした。享年56歳。まだまだやりたかったことがたくさんあっただろうと思います。
塩屋監督と初めてお会いしたのは、2012年3月の『HIKOBAE ひこばえ』と題された演劇の相馬公演の打ち上げの席でした。『HIKOBAE』は、311東日本大震災直後の相馬市の病院を題材にした舞台劇で、ニューヨークの国連本部や東京での公演の成功の後、相馬市で多くの住民の方々の前で上演されました。その相馬での公演に幸運にも招待されて、終演後の打ち上げにも同席させていただきました。「エンターテイメントの世界から、よりよい世の中になるように発信していきたい」という塩屋監督の熱気のこもったお話は、とても印象的でした。
その後も塩屋監督には、筆者の所属する星槎大学の教員免許更新講習でゲストスピーカーになっていただいたり、新たな演出によって今年の春に天王洲銀河劇場で上演された『HIKOBAE 2013』にご招待いただいたりと、交流が続きました。
『HIKOBAEひこばえ』
『HIKOBAE』は、相馬市の病院を舞台にした塩屋監督の企画・演出による劇です。主人公はサキという名の看護師。サキの恋人のエイジは、サキの勤務する病院の院長の息子で、市の職員として働いています。彼は消防団員でもあり、大地震の後、海辺の住民を避難誘導しているところを、津波にのまれてしまいます。サキは、エイジの行方が分からないまま、次々に運ばれてくる患者の対応に追われます。
やがて、原子力発電所が爆発します。医師や看護師の中には、放射能被ばくを恐れて避難しようとする人たちもいますが、患者さんがいる限りこの病院を動けないと、サキを含む何人もの看護師や医師たちが、身内の安否を心配しつつ、食糧の入ってこなくなった病院を守り続けます。
そんなところにエイジの遺体が確認されたという知らせが入ってきます。彼の遺品は、上着のポケットの中に入っていたサキへのエンゲージリング。サキは、大きな悲しみに包まれます。
そこへ両親を津波で亡くして自分も足を怪我した少年が担ぎ込まれます。隣町でその子を見つけた医師が背負って運んできたのです。懸命の手術や手厚い看護のおかげで男の子の足は治っていきます。しかし、両親を亡くした心の傷はいえません。看護師に当たったり自暴自棄になったりします。
戸惑いながらもその子のケアをするサキでしたが、最後は、「おねえちゃんもいっしょだよ」と悲しみを共有し、共に泣きます。そのことによって男の子も心を開くようになり、サキの心も癒やされてゆきます。やがて登場人物たちは皆、それぞれの思いを抱きながら、未来を見つめられるようになっていきます。
看護師としての責任
『HIKOBAE』には、脇役として何人もの看護師が登場します。ほとんど寝ないで現場を守る看護師長、小さい子どもを夫に託して病院に詰めているベテラン看護師など。全員が自ら被災者でありながらも、患者のケアに当たっていました。
何がそうさせているのか。それは看護師としての責任感なのだと、この舞台からメッセージとして伝わってきます。恋人が亡くなって辛い思いを抱えたサキも、必死で患者のケアに当たっていました。それは、彼女がこれまで辿ってきた看護師養成課程や職業生活の中で、当たり前のこととして身に着けた行為(=慣習化された行為。ハビトゥスという)だったように見受けられます。
登場人物たちは皆それぞれに、大きな葛藤も抱えていたことでしょう。娘として、妻として、母として、家族の傍にいてあげられないことは、さぞ心配だったでしょうし、罪悪感も持っていたことでしょう。
また、病院にとどまることに全く不安がなかった訳ではないでしょう。放射能による被害を恐れて避難しようとした看護師も登場していました。また劇中で、ある患者家族は、遠くに避難するから患者を退院させてほしいという要望を出していました。多くの人々が、事故を起こした原発から少しでも遠くに避難しようと思っていたのでした。
しかしながらそうした思いを超えて、サキたち看護師は病院にとどまったのです。さらに、いったんは避難しようとした看護師も、結局は病院に戻ってきて、みんなに再び仲間として迎え入れられるのです。
看護師という専門職
社会学者のタルコット・パーソンズは、専門職の条件として「他者指向性」を挙げました。自分の利益よりも他者の利益を優先するのが、専門職とそうでない職業との一番の違いだということを示したのです。
自分のことよりも、患者のことを思って病院に残ったサキたち看護師は、まさしくパーソンズの指摘した意味での専門職でした。そしてまた、消防団員であったエイジも、ボランティアという立場であっても消防団員としての責任を背負い、逃げ遅れた人々をひとりでも多く助けようとしていました。まさしく専門職としての条件を備えていたといえるでしょう。
自己の利益よりも他者の利益を優先させることは、口で言うほど簡単ではありません。だからこそ、専門職professionというのは、その他の職業occupationとは異なる、特別なあり方なのでしょう。
医療の不確実性に対処する
パーソンズの薫陶を受けた筆者の恩師であるルネ・フォックスは、医療は人の生老病死に関わっており、切実でないことはなく、しかも不確実性に満ちているといいます。この場合の医療の不確実性とは、どんな治療が一番いいか、どこまで良くなるのか、いつまで生きられるのか、あらゆることは確率統計や過去の経験によるものでしかなく、実際には人それぞれによって大きく異なっているという特徴のことです。
フォックスは、医療専門職というのは、この不確実性によって大きなストレスを感じているので、対処する方法を編み出しているといいます。そしてその方法として、「距離を置いた関わり方Detached Concern」、「ユーモア」、「科学的な魔法」という3つを指摘しています。ここでは特に、「距離を置いた関わり方」に注目してみましょう。
通常、医療専門職が患者に対してよそよそしく、冷淡な態度をとることは、人間味がないとか、共感に欠けるという批判の対象になっています。しかしフォックスは、それは視覚的にも嗅覚的にも尋常ではない手術室の場面や患者の死といった場面などにおいて、感情を乱されずに、冷静に対応することができるために医療専門職がとっている態度なのだと分析して、「距離を置いた関わり方」と呼びました。
ただし、この「距離を置いた関わり方」については、それを貫徹すべきなのか、少しは表出してもいいのかについては、まだ答えが出ていないといいます。「距離を置いた関わり方」ばかりを強調すると、「感情的麻痺」になったり、患者を全人的な人間として見られなくなったりするからです。ある程度の距離を保つことができると共に、離れすぎることなく適度な距離を探ることが求められているのです。この点を十分に研究するためには、看護学や医学など医療系学問のほか、社会学や教育学や心理学など周辺諸学問が協働することが必要だとフォックスは強調します。私もいつか調べてみたいものです。
看護師の社会的役割
1960年代から1970年代のアメリカでは、学校教師や図書館司書などと共に看護師が専門職か否かという議論が高まった時期もありましたが、もはや1990年代以降、看護師が、高度な知識を備え、高等教育機関で教育される「ケアにおける専門職」としての地位を獲得するようになってきたことは明白です。
看護師には、自分の利益より患者の利益を優先する他者指向性、不確実性の中で患者の持つ生きる力を引き出し育むこと、たとえ終末期であっても良い死を迎える手助けをすることが期待されています。こうした看護師への期待が、『HIKOBAE』には反映されていました。また、怪我をした男の子の患者に、看護師サキは、当初は「距離を置いた関わり」の中でケアを行っていましたが、やがて、共に大切な人を失うという悲しみを共有していることを明らかにし、距離を縮めて男の子の生きる意欲を引き出しました。
塩屋監督は、このように演劇というエンターテイメントの世界で、専門職の責任や共に苦しみを分かち合うことで傷ついた心が癒されることを伝えようとしていらっしゃいました。この塩屋監督のメッセージは、私たちの心に残り続けるでしょう。エイジがいつまでもサキの心の支えになるように。
そして、肉体はこの世から去っても、志は受け継がれてゆくこと。人は、たとえこの世から旅立ったとしても、その人を愛した人の心の中で生き続け、呼びかけをしていること。塩屋監督は、これらのことも、彼の人生の舞台で私たちに教えてくれました。看護師は、もしかしたら、この世を去りゆく患者と残された家族の織り成す舞台の演出家の役割も期待されているのかもしれない。ふと、そんなことを思いました。
この文章を、故塩屋俊監督に捧げます。この場をお借りして、心よりご冥福をお祈りいたします。
【参考文献】
Parsons, T., 1951, The Social System, Free Press. =1974, 佐藤勉訳, 社会体系論, 青木書店
Fox, R., Human Condition of Medical Professionals, 2003=2003, 細田満和子訳, 医療専門職における人間の条件, レネー・C・フォックス, 生命倫理を見つめて―医療社会学者の半世紀, みすず書房, 149-174.
細田満和子, 1997, メディカル・プロフェッションの変容―職能集団としてみた看護婦を中心に―, ソシオロゴス, 21, 95-112.
6月初めの未明のメールで、俳優にして映画やお芝居の監督でもある塩屋俊(しおや とし)氏の死を知りました。演劇『HIKOBAE 2013』の公演先の仙台で打ち合わせの最中に倒れ、救急車で病院に運ばれ、懸命の救命医療が行われましたが、残念な結果になってしまいました。原因は急性大動脈解離でした。享年56歳。まだまだやりたかったことがたくさんあっただろうと思います。
塩屋監督と初めてお会いしたのは、2012年3月の『HIKOBAE ひこばえ』と題された演劇の相馬公演の打ち上げの席でした。『HIKOBAE』は、311東日本大震災直後の相馬市の病院を題材にした舞台劇で、ニューヨークの国連本部や東京での公演の成功の後、相馬市で多くの住民の方々の前で上演されました。その相馬での公演に幸運にも招待されて、終演後の打ち上げにも同席させていただきました。「エンターテイメントの世界から、よりよい世の中になるように発信していきたい」という塩屋監督の熱気のこもったお話は、とても印象的でした。
その後も塩屋監督には、筆者の所属する星槎大学の教員免許更新講習でゲストスピーカーになっていただいたり、新たな演出によって今年の春に天王洲銀河劇場で上演された『HIKOBAE 2013』にご招待いただいたりと、交流が続きました。
『HIKOBAEひこばえ』
『HIKOBAE』は、相馬市の病院を舞台にした塩屋監督の企画・演出による劇です。主人公はサキという名の看護師。サキの恋人のエイジは、サキの勤務する病院の院長の息子で、市の職員として働いています。彼は消防団員でもあり、大地震の後、海辺の住民を避難誘導しているところを、津波にのまれてしまいます。サキは、エイジの行方が分からないまま、次々に運ばれてくる患者の対応に追われます。
やがて、原子力発電所が爆発します。医師や看護師の中には、放射能被ばくを恐れて避難しようとする人たちもいますが、患者さんがいる限りこの病院を動けないと、サキを含む何人もの看護師や医師たちが、身内の安否を心配しつつ、食糧の入ってこなくなった病院を守り続けます。
そんなところにエイジの遺体が確認されたという知らせが入ってきます。彼の遺品は、上着のポケットの中に入っていたサキへのエンゲージリング。サキは、大きな悲しみに包まれます。
そこへ両親を津波で亡くして自分も足を怪我した少年が担ぎ込まれます。隣町でその子を見つけた医師が背負って運んできたのです。懸命の手術や手厚い看護のおかげで男の子の足は治っていきます。しかし、両親を亡くした心の傷はいえません。看護師に当たったり自暴自棄になったりします。
戸惑いながらもその子のケアをするサキでしたが、最後は、「おねえちゃんもいっしょだよ」と悲しみを共有し、共に泣きます。そのことによって男の子も心を開くようになり、サキの心も癒やされてゆきます。やがて登場人物たちは皆、それぞれの思いを抱きながら、未来を見つめられるようになっていきます。
看護師としての責任
『HIKOBAE』には、脇役として何人もの看護師が登場します。ほとんど寝ないで現場を守る看護師長、小さい子どもを夫に託して病院に詰めているベテラン看護師など。全員が自ら被災者でありながらも、患者のケアに当たっていました。
何がそうさせているのか。それは看護師としての責任感なのだと、この舞台からメッセージとして伝わってきます。恋人が亡くなって辛い思いを抱えたサキも、必死で患者のケアに当たっていました。それは、彼女がこれまで辿ってきた看護師養成課程や職業生活の中で、当たり前のこととして身に着けた行為(=慣習化された行為。ハビトゥスという)だったように見受けられます。
登場人物たちは皆それぞれに、大きな葛藤も抱えていたことでしょう。娘として、妻として、母として、家族の傍にいてあげられないことは、さぞ心配だったでしょうし、罪悪感も持っていたことでしょう。
また、病院にとどまることに全く不安がなかった訳ではないでしょう。放射能による被害を恐れて避難しようとした看護師も登場していました。また劇中で、ある患者家族は、遠くに避難するから患者を退院させてほしいという要望を出していました。多くの人々が、事故を起こした原発から少しでも遠くに避難しようと思っていたのでした。
しかしながらそうした思いを超えて、サキたち看護師は病院にとどまったのです。さらに、いったんは避難しようとした看護師も、結局は病院に戻ってきて、みんなに再び仲間として迎え入れられるのです。
看護師という専門職
社会学者のタルコット・パーソンズは、専門職の条件として「他者指向性」を挙げました。自分の利益よりも他者の利益を優先するのが、専門職とそうでない職業との一番の違いだということを示したのです。
自分のことよりも、患者のことを思って病院に残ったサキたち看護師は、まさしくパーソンズの指摘した意味での専門職でした。そしてまた、消防団員であったエイジも、ボランティアという立場であっても消防団員としての責任を背負い、逃げ遅れた人々をひとりでも多く助けようとしていました。まさしく専門職としての条件を備えていたといえるでしょう。
自己の利益よりも他者の利益を優先させることは、口で言うほど簡単ではありません。だからこそ、専門職professionというのは、その他の職業occupationとは異なる、特別なあり方なのでしょう。
医療の不確実性に対処する
パーソンズの薫陶を受けた筆者の恩師であるルネ・フォックスは、医療は人の生老病死に関わっており、切実でないことはなく、しかも不確実性に満ちているといいます。この場合の医療の不確実性とは、どんな治療が一番いいか、どこまで良くなるのか、いつまで生きられるのか、あらゆることは確率統計や過去の経験によるものでしかなく、実際には人それぞれによって大きく異なっているという特徴のことです。
フォックスは、医療専門職というのは、この不確実性によって大きなストレスを感じているので、対処する方法を編み出しているといいます。そしてその方法として、「距離を置いた関わり方Detached Concern」、「ユーモア」、「科学的な魔法」という3つを指摘しています。ここでは特に、「距離を置いた関わり方」に注目してみましょう。
通常、医療専門職が患者に対してよそよそしく、冷淡な態度をとることは、人間味がないとか、共感に欠けるという批判の対象になっています。しかしフォックスは、それは視覚的にも嗅覚的にも尋常ではない手術室の場面や患者の死といった場面などにおいて、感情を乱されずに、冷静に対応することができるために医療専門職がとっている態度なのだと分析して、「距離を置いた関わり方」と呼びました。
ただし、この「距離を置いた関わり方」については、それを貫徹すべきなのか、少しは表出してもいいのかについては、まだ答えが出ていないといいます。「距離を置いた関わり方」ばかりを強調すると、「感情的麻痺」になったり、患者を全人的な人間として見られなくなったりするからです。ある程度の距離を保つことができると共に、離れすぎることなく適度な距離を探ることが求められているのです。この点を十分に研究するためには、看護学や医学など医療系学問のほか、社会学や教育学や心理学など周辺諸学問が協働することが必要だとフォックスは強調します。私もいつか調べてみたいものです。
看護師の社会的役割
1960年代から1970年代のアメリカでは、学校教師や図書館司書などと共に看護師が専門職か否かという議論が高まった時期もありましたが、もはや1990年代以降、看護師が、高度な知識を備え、高等教育機関で教育される「ケアにおける専門職」としての地位を獲得するようになってきたことは明白です。
看護師には、自分の利益より患者の利益を優先する他者指向性、不確実性の中で患者の持つ生きる力を引き出し育むこと、たとえ終末期であっても良い死を迎える手助けをすることが期待されています。こうした看護師への期待が、『HIKOBAE』には反映されていました。また、怪我をした男の子の患者に、看護師サキは、当初は「距離を置いた関わり」の中でケアを行っていましたが、やがて、共に大切な人を失うという悲しみを共有していることを明らかにし、距離を縮めて男の子の生きる意欲を引き出しました。
塩屋監督は、このように演劇というエンターテイメントの世界で、専門職の責任や共に苦しみを分かち合うことで傷ついた心が癒されることを伝えようとしていらっしゃいました。この塩屋監督のメッセージは、私たちの心に残り続けるでしょう。エイジがいつまでもサキの心の支えになるように。
そして、肉体はこの世から去っても、志は受け継がれてゆくこと。人は、たとえこの世から旅立ったとしても、その人を愛した人の心の中で生き続け、呼びかけをしていること。塩屋監督は、これらのことも、彼の人生の舞台で私たちに教えてくれました。看護師は、もしかしたら、この世を去りゆく患者と残された家族の織り成す舞台の演出家の役割も期待されているのかもしれない。ふと、そんなことを思いました。
この文章を、故塩屋俊監督に捧げます。この場をお借りして、心よりご冥福をお祈りいたします。
【参考文献】
Parsons, T., 1951, The Social System, Free Press. =1974, 佐藤勉訳, 社会体系論, 青木書店
Fox, R., Human Condition of Medical Professionals, 2003=2003, 細田満和子訳, 医療専門職における人間の条件, レネー・C・フォックス, 生命倫理を見つめて―医療社会学者の半世紀, みすず書房, 149-174.
細田満和子, 1997, メディカル・プロフェッションの変容―職能集団としてみた看護婦を中心に―, ソシオロゴス, 21, 95-112.
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