第3回北海道大会は、総本部の助っ人もなく北海道支部の道場生のみで他流派を抑えた結果となりました。
これこそが真の北海道大会であったと思います。
正道会館北海道支部は、この大会で弾みを付け、道場のみならず弟の旭川東海大学、酪農大学の正道空手部といった大学生にまで広がりをみせていったのでした

私自身も2連覇に向け、更なる稽古を積んでおりました

当時の組手は、脛、膝、拳にサポーターを装着しているとはいえ100%、いゃ…それ以上の力でぶつかり合っていました。
情け容赦ない組手 🔥
ある時は、夜勤明けの先輩が疲れた体で昇段審査を受けた際に何の感情もなく平気でKOしたこともありました。
他流派出身の道場生などは、確実にその犠牲者となっていました。
批判する者もいましたが、私は、それを良しとしていたのです。
石井館長も審査会で「手加減するのは相手に失礼なんやで」と言っておられたので、私はこれを愚直に実行しておりました。
しかし

大会数ヶ月前のことになりますが
この私に思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです😈
この私に思わぬ落とし穴が待ち受けていたのです😈
それは、私と共に北海道初の昇段審査を受け初段となっていたH君との組手で起きたのです。
黒帯同士の組手となればプライドのぶつかり合いです。
絶対に引くわけにはいきません。
この日もそうでした…
いつものようにガチの組手をやっていたのですが、H君の左右どちらかのハイキックが私の顎にヒットしたのです

この時倒れはしなかったのですが、奥歯が折れ口の中に血の味が広がっていました。
本来ならここで止めておくべきなのですが、当時は血気盛んな時期であり、H君を絶対に倒してやろうといった気持ちが先立ち、私は完全に冷静さを失っていたのです

そして私がガンガン攻め込んだところ、今度は右のミドルキックがカウンターで入ってきたので、私は咄嗟に左上腕部で受けたのでした。
その時です

ボキッ
という音と共に左上腕部に激痛が走ったのです。
腕は変形しており、一目で骨折していることが分かりました。
原因は、相手の蹴りを受け流すことなく、もろに受けてしまったことです😨
直ぐに救急当番医に行ったのですがその診断結果は尺骨骨折で医者には全治まで約2~3カ月と言われ、私は北海道大会どころではなくなってしまったのです😢
実はこの大会には、有名主流派の北海道大会で準優勝の経験がある強豪が出場予定であり、私は実力を試す絶好の機会として楽しみにしていたのです…
本来ならここで諦めるべきなのですが、私は今では考えられない行動を執ったのでした🔥
当時の稽古風景


つづく

当時の稽古風景


