ローバは一日にしてならず

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3年に一度の事業

2015-12-16 09:55:20 | 日記
3年に一度の事業


高校時代バレーボールを楽しみ・苦しみ・泣き・笑った仲間と
3年に一度の総会の準備です。
地元に残る方々が卒業年度で総会の通知を発送します。
住所変更の確認をしてアドレスのタックシールを貼る作業と
若いメンバーは写メを撮って送信!
はがきを持ち帰って声掛けしながら来年何人の方が集まるであろうか?

仲間は500人にもなるので女性らしい細やかな配慮で
今もバレーボールを続けている方々は、総会翌日の大会があるので
呼びかけをする。

役員としてここ2期6年かかわってきたので様子が少しつかめてはいるが
半世紀の差があり、孫たちとひ孫ともなろう年代との交流が楽しみです。










片手落ちででしたので、ギャラリーのもうひと方の絵をアップします

2015-12-07 10:36:21 | 日記










じっくり見ていただくように一枚ずつアップしました。

数多くの受賞作品でしょうか?展覧会では見られない絵も多かった中の作品を

作風を聴き耳立てて、ご本人さんにも伺ってみました。

I.さんらしい優しさが和紙に描かれた絵具も配色も優しいですね。

この写真では見えないですが、見せていただいてびっくりしたのは

皴ができている・・・クチャクチャニしてニスを塗って

はがすのだそうです・・・紙を伸ばす方法は? 筆で水をつけてとか

技法をお聞きしてびっくりしました。

作者ご本人さんにもお会いできて、この優しさがにじみ出る力を感じました。

地元紙で取り上げていたので入場者も多かったでしょう。

私にとっては滅多にない機会でした。

実行委委員のS.さんお疲れさまでした。


年賀状を書きましょう

2015-12-05 13:41:55 | 日記





生き生き倶楽部で年賀状を書きましょう
いちばん出したい人に!…みなさん悩んでおられる。
一枚だけ完成させるのです。

相手方の住所を記入してからスタンプを押して
いきいき倶楽部の落款も押して。







誰宛てに書くか迷っていた方々も、何とか書き終えました。

「来年の元旦に届くように責任もって投函します!」と職員がいう。

我が家も年賀状の準備を…今年は失礼したので
来年は皆様の幸せを祈って書きますよ。

お友達とドライブ

2015-11-24 19:15:10 | 日記
お友達とドライブ


何時もの教室がお休みなので、トリオで出かけました。
ミステリーと言っておいたものの、企画と道順は運転手役の私
天竜峡から山本I.C.までいずれ開通するであろう三遠南信道路を走り
阿智の写真家のギャラリーを見せていただきました。
”日本の祭り”の入選作品の展示中(29日まで)

下條に向かう・・・途中柿の農家の柿干しののれんを見ながら
写真も撮りながら。

そばの城に行って”新そば始めました”の張り紙に
2階に上る。
殿様気分に舌鼓・・・親田辛みのおろしと長芋とろろ・・・味ご飯付き

お蕎麦で胸いっぱいになったわたくし御飯が入りそうもない
持ち帰りは? 食中毒の心配もありで禁止
その間facebookでアップしながらゆっくりいただきました。

目的地の温泉に貸し切り状態で・・・そのうちにポツリポツリ
おばあちゃまたちが入って見えた。

お天気も良かったので、唐傘まで下って
記念撮影・・・14時4分の岡谷行きを見送って
リフレッシュした気分で規格通りの行程で終了しました

わたくしの気分で運転して仲間にはちょっとゆっくり走ってよ
と言われそうな・・・いつもよりゆっくり走りました。

少し過去の行事ですが

2015-11-22 19:21:32 | 日記
少し過去の行事ですが


300年前の羊満水(1715)
満水とは洪水災害を示す。

大島川が荒れて今の出砂原ができた。
ということくらいは理解していたが・・・今年の羊年に
参加しなくて何時? と参加しました。

パンフレットを見ながらウォーキング
50余名の参加で”ブラ高森”とか


ひつじ満水の山津波が丘を残した

山津波は巨大な石を先頭に集めて走ってくる。
先頭の巨石は浮いてくる、 激しく衝突しあい
火花を発して突進してくる。谷あいの末端で
大きな石は止まり、砂礫だけが抜け出して
より下流部に広がって扇状地を作る。

ひつじ満水では現在の国道153号線出砂原交差点で
石は止まった。 そこに巨礫の丘ができて
地元では大石といった。

台持ち洞は語る

大石の丘を掘り割って国道153号線が開通した(1975年)。

古くから人が住む金部扇状地への井水と市田田圃への用水路は
国道下をサイフォンで送っている。
人は出砂原歩道橋から大石側の丘へ出る。

ゆるやかな丘から町道田村線へ下る洞には暗渠になった
一貫水路の水が音を立て流下している。
一帯は天竜川へとゆるやかに下っていく。

ひつじ満水から35年後の(1750)に
惣兵衛堤防の建設がはじまった。(完成は1752)

堤防を構築した巨石は大石から下って田村線の直下から
金部扇状地の扇側部から搬出している。 
巨石を搬出したゆるやかな洞は台持ち洞
言い伝えられている。

ひつじ満水で古い六地蔵が流れた

大石の丘から町道田村線下ってくると六地蔵へ出る。
今の六地蔵はひつじ満水から125年後に再建されたものだ。
三界萬霊碑の碑文によれば六地蔵と墓地は流れてしまったとある。
この場所は、行き倒れの人などの無縁仏を葬った場所だ。

柿の里ウォーキング

親水公園をスタートして===下の亀甲石===六地蔵===大石

上の亀甲石===天竜川を渡る===田村の交差点===洞岩寺

城山城===山田ポンプ置き場水洗トイレを済ませ===巻ヶ城

山から下りて===豊丘霊園===田村諏訪神社===役場

天竜川の橋の下から===親水公園に戻る

コースプロデューサーのM.さんの説明をはじめは聞けたが
ついに離れ、近所のK.ちゃんや、Fさんにも迷惑をかけながら
まして、リュックの背中を押してもらってやっとで上り詰めた
巻ヶ城・・・思い出に残ります。

帰って、トン汁とおにぎりをごちそうになって帰宅
羊年の記念に7キロ余を歩いて・・・グロッキーでした

でも、思い出してアップしてみました。