久しぶりの日記になりますが、入院?と思われても仕方ない程お休みしていました。
すみません。
記録し伝えるべき明確な思いが弱気にへし折れ、迷走しながら疑問に思う事に囚われ、現実生活に集中するしかありませんでした。
少し前に将門公に祈った際、
「都内はきっと将門公も守って下さる」との期待を以前から持っていた私は、
「都内は核家族が多くどうしたものか・・・」というニュアンスの空気を感じました。
そのお言葉の意味は、ある程度今の社会細胞である家族のあり方や、先祖から切り離れて生きる者が先祖を大切にしていない現状を指摘するものでした。
残念ながら、助けられる側の人間が先祖を敬っていない。神々に対する崇敬も否定している人が多い。宗教管理者のトップ層が無宗教的に教義に沿っていない。
様々な神々を、八百万の神々も宗教も大切にするどころか否定し馬鹿にする人々が多く、物質主義、経済優先の心が勝ってしまっているし、思い留まれない程に余裕が無く、国から負担が酷く人心は追い詰められてしまっているのが現状。
天変地異で起こる浄化ならまだしも、天変地異そのものが略奪や搾取する輩の意図し計画するものだとしても、創造主や神々は今ある世を助けても人心は変わるとは見ていないのではないか・・・そんな思いが私にはありました。
高齢者や、基礎疾患のある人々が病んで亡くなる事を「自業自得」と語ったり、経済の為に高齢者は邪魔と、更には自決しろと迄口にする人が増えた世を救いたいと思う神はいないとおもいます。
感性、倫理観、モラルの崩れた上に他者を思い遣る心も育めない儘、物質的な豊かさを追い続ける社会に存続の希望はあるのかも霊性の上で問題があり過ぎるとの躊躇いが私にはありました。
ただ、昨今の地震多発の中、五大明王様や龍神様に祈り続ける中頂けたのは、
「揺れる所は決まっている」
「大丈夫」
の言葉。
これをどう捉えるか。
どの時代が基準なのか?
どの程度大丈夫なのかは未知だと思います。
人生が50年であった時代。
日本人同士が領地を争い殺りくした時代。
七五三か本当に意味があった程に、多くの子供が病で亡くなった時代。
外国との対戦や原爆大量死。
そうした時代を見守った神々にとって、今の私達は、神々の目にどう映るのか。
人としての人格、精神性、霊性の面から見れば・・・
今の時代の私達は、退化していると思える部分が多々あると思います。
ただ、精神性に置いては日本人として、良心さえ見失わなければ、御加護は頂けると思い直し、再度辿ってきた道としての祈りを続ける事で神々に希望を求めていきたいと思います。
日々重ねる祈りを大切です。