2日前、秋葉原に行った。駅から出たら大勢の人でごった返していた。いつもより人が多いなと思っていたら、その日はラブライブのスクフェスのイベントがやっていた。秋葉原はラブライブ一色だった。ラブライブのキャラのバッグを持っている人も多くいた。缶バッジジャラジャラつけてたけどこいつらがラブライブのキャラを本当に好きなのかは実に疑わしい。ああやって人に見せつける、やたら「キャラ愛」をアピールするのは分かりやすい。だがそれだけだ。そんな分かりやすい愛は偽物でしかない。それにそういう自慢趣味は浅ましいものでしかない事を自覚するべきだ。イベントに熱狂していた人々はまさに今のオタクそのものだった。今のオタクはみんなが注目しているから自分も注目する、という風に没個性的になっていく。
オタク文化がメジャーになって久しい昨今、オタク界に「流行」、「風潮」という概念が浸透した。その結果、オタク文化はサブカルチャーではなくなった。オタクという言葉からマニアという意味が消え、ファンという意味にすげ替えられた。否、オタクはもはやコミュニケーションツールの一つと化した。
私は本来のオタクはマニアのように特定の事柄に強いこだわり、決して冷めることのない情熱を持っている人種だと固く信じている。その対象はアニメオタクに絞って言うと、ストーリーだったり、登場人物だったり、世界観だったりいろいろある訳だけど、その対象に執着して、なおかつその対象に対する愛着、そして、自分が好きだと思った事柄に対するこだわり、信念が必要不可欠だと思う。だけど今のオタクは自分の好きという気持ちよりもみんなに合わせる事を優先する傾向にある。自分本位ではなく他人本位なのだ。
だから、本来のオタクから遠くかけ離れた存在、それが今のオタクだ。(いや、そもそもオタクですらないのだが便宜上これを用いる事にした)私はこういう人種が嫌いである。彼らはアニメオタクと自分で言っているが、アニメと言う作品にもアニメキャラにもこだわりも執着も熱意もさらさらない。
だがそれ以上に問題なのは今のオタクが二次元のキャラより三次元の声優を重視する風潮にある事だ。先に触れたラブライブにしたってそうだ。μ'sの頃はまだキャラがメインだった。アニメの出来も良かったし、メンバーもちゃんとまとまっていた。それがサンシャインになってからは声優がメインになった。アニメの出来は一気にお粗末になった。メンバーもまとまりがまるで無いし、そもそも母校に対する愛着もないからスクールアイドルとしての目的も不明瞭。これは一例に過ぎないのは確かだ。だが、アニメで声優をメインにする必要があるのだろうか。アニメは二次元で、声優は三次元だ。声優をゴリ押しするのはそのアニメがライブありきになっているからだ。まぁ、これはμ'sの頃からだった。4年前の年末にμ'sの声優が紅白に出場したのは記憶に新しいだろう。私も少し見たのだが…酷かった。そもそも声優は本来キャラクターを演じるのが役割だ。表舞台に出る必要はないはずだ。テレビ映りは悪いし、普通に顔出してアニメ声でしゃべるのを見て思わずドン引きしたのを今でも覚えている。思わず目をそむけたくなるような光景だった。しかし、多くのオタクはこれを拍手喝采で歓迎した。
このような声優偏重が当たり前となった今、声優オタクというのもいるらしい。ただ、私は声優オタクはアニメオタクとは全く違うと思う。アイドルオタクみたいなものじゃないだろうか。声優にしか興味ない、って方がいっそすがすがしいのだが、一番やっかいなのは「二次元も声優も好き」という人だ。そういう人はやたら自分の好きなキャラを演じた声優を知りたがる。そうでなくとも、キャラと声優を同一視する見方をする。二次元も三次元も別物だ。双方には双方独自の魅力がある。したがって、選べないオタクはアニメオタクにも声優オタクにもなれないでいつまでも中途半端な立ち位置に甘んずるしかないのだ。しかし、「二次元最高!」とか「二次元は裏切らない」とか言っている奴ってそこまで二次元が好きなのか大いに疑問だ。大方いかにもオタクらしい言動をとることで、周囲にアピールしてるだけに過ぎない。そして二次元に対するこだわりもないから、平然と声優オタクになっていく。興味を示すのは流行りのコンテンツだけ。そんな奴に二次元好きを名乗る資格はない。そもそも「俺には二次元しかない…二次元だけが支えなんだ!」という人の方が少数派なのだという事を知った方がいい。
二次元(キャラ)が好きなのか三次元(声優)が好きなのか、この問題は二者択一なのだ。どっちも選べるわけはないと知れ。
さて、ほとんど声優の話になってしまった。けれどそれだけ声優の存在が今のオタク文化に投げかけた問題は大きい。
オタク文化がメジャーになって久しい昨今、オタク界に「流行」、「風潮」という概念が浸透した。その結果、オタク文化はサブカルチャーではなくなった。オタクという言葉からマニアという意味が消え、ファンという意味にすげ替えられた。否、オタクはもはやコミュニケーションツールの一つと化した。
私は本来のオタクはマニアのように特定の事柄に強いこだわり、決して冷めることのない情熱を持っている人種だと固く信じている。その対象はアニメオタクに絞って言うと、ストーリーだったり、登場人物だったり、世界観だったりいろいろある訳だけど、その対象に執着して、なおかつその対象に対する愛着、そして、自分が好きだと思った事柄に対するこだわり、信念が必要不可欠だと思う。だけど今のオタクは自分の好きという気持ちよりもみんなに合わせる事を優先する傾向にある。自分本位ではなく他人本位なのだ。
だから、本来のオタクから遠くかけ離れた存在、それが今のオタクだ。(いや、そもそもオタクですらないのだが便宜上これを用いる事にした)私はこういう人種が嫌いである。彼らはアニメオタクと自分で言っているが、アニメと言う作品にもアニメキャラにもこだわりも執着も熱意もさらさらない。
だがそれ以上に問題なのは今のオタクが二次元のキャラより三次元の声優を重視する風潮にある事だ。先に触れたラブライブにしたってそうだ。μ'sの頃はまだキャラがメインだった。アニメの出来も良かったし、メンバーもちゃんとまとまっていた。それがサンシャインになってからは声優がメインになった。アニメの出来は一気にお粗末になった。メンバーもまとまりがまるで無いし、そもそも母校に対する愛着もないからスクールアイドルとしての目的も不明瞭。これは一例に過ぎないのは確かだ。だが、アニメで声優をメインにする必要があるのだろうか。アニメは二次元で、声優は三次元だ。声優をゴリ押しするのはそのアニメがライブありきになっているからだ。まぁ、これはμ'sの頃からだった。4年前の年末にμ'sの声優が紅白に出場したのは記憶に新しいだろう。私も少し見たのだが…酷かった。そもそも声優は本来キャラクターを演じるのが役割だ。表舞台に出る必要はないはずだ。テレビ映りは悪いし、普通に顔出してアニメ声でしゃべるのを見て思わずドン引きしたのを今でも覚えている。思わず目をそむけたくなるような光景だった。しかし、多くのオタクはこれを拍手喝采で歓迎した。
このような声優偏重が当たり前となった今、声優オタクというのもいるらしい。ただ、私は声優オタクはアニメオタクとは全く違うと思う。アイドルオタクみたいなものじゃないだろうか。声優にしか興味ない、って方がいっそすがすがしいのだが、一番やっかいなのは「二次元も声優も好き」という人だ。そういう人はやたら自分の好きなキャラを演じた声優を知りたがる。そうでなくとも、キャラと声優を同一視する見方をする。二次元も三次元も別物だ。双方には双方独自の魅力がある。したがって、選べないオタクはアニメオタクにも声優オタクにもなれないでいつまでも中途半端な立ち位置に甘んずるしかないのだ。しかし、「二次元最高!」とか「二次元は裏切らない」とか言っている奴ってそこまで二次元が好きなのか大いに疑問だ。大方いかにもオタクらしい言動をとることで、周囲にアピールしてるだけに過ぎない。そして二次元に対するこだわりもないから、平然と声優オタクになっていく。興味を示すのは流行りのコンテンツだけ。そんな奴に二次元好きを名乗る資格はない。そもそも「俺には二次元しかない…二次元だけが支えなんだ!」という人の方が少数派なのだという事を知った方がいい。
二次元(キャラ)が好きなのか三次元(声優)が好きなのか、この問題は二者択一なのだ。どっちも選べるわけはないと知れ。
さて、ほとんど声優の話になってしまった。けれどそれだけ声優の存在が今のオタク文化に投げかけた問題は大きい。
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