トキワ荘ゆかりの地
トキワ荘に住んでいた手塚治虫、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが生活の場としていたトキワ荘周辺。
彼らはここで夢を育み、才能を磨き、漫画界のレジェンドへと成長していったのです。
今朝、逝去された藤子不二雄Ⓐ氏に哀悼の意を表し、「まんが道」「愛…しりそめし頃に…」を元に、ゆかりの場所について紹介させて頂きます――。
特大パネル
西武池袋線「池袋駅」からひと駅のところにある「椎名町駅」。
駅の入り口には、藤子不二雄Ⓐの「怪物くん」、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」、赤塚不二夫の「天才バカボン」の特大パネルが設置されています。
階段先の踊り場には、トキワ荘の漫画家たちと漫画のキャラクターが勢ぞろいした特大パネルもあります。
マンガ地蔵
椎名駅北口そばの金剛院の境内には、ペン先の光背とペンの杖、コマ割りに吹き出しや擬音が描かれた衣を纏ったマンガ地蔵が鎮座しています。
記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
2009年4月4日に、トキワ荘公園入口付近に建立された記念碑。
トキワ荘ゆかりのマンガ家たちの自筆の似顔絵とサインのプレートの上部に、トキワ荘のブロンズ模型が建立されています。
トキワ荘の玄関前にあるスクーターは、毎日のようにトキワ荘に通っていたつのだじろうの愛車・ラビットスーパーフロー。
[愛...しりそめし頃に... / 6巻・P113]
[愛...しりそめし頃に... / 10巻・P75]
記念碑建立当日は記念式典が行われ、 2000名を越えるマンガ原作者、来場者、近隣住民で終日にぎわいました。
トキワ荘マンガミュージアム
日本を代表する漫画家たちが青春時代を過ごした木造モルタル2階建てアパート「トキワ荘」を忠実に再現したミュージアム。
トキワ荘跡地碑から程近い場所にあるトキワ荘公園内の広場に建設されました。
約4億2500万円の寄付が集まるなど期待が高まる中、2020年3月22日の開館を予定していましたが、コロナ禍により7月7日のオープンとなりました。
ふるいちトキワ荘通り店
トキワ荘公園入口の横にあるトキワ荘に関連した書籍や雑貨の販売を行うブックカフェ。
以前は、トキワ荘研究家でトキワ荘復元計画にも関わった方が店主の「スエヒロ堂時計店」でしたが、建物がリノベーションされ、今年5月にオープン。
トキワ荘ゆかりの漫画家による作品やグッズを購入することができます。
トキワ荘メンバーが通ったエデンの復刻版マッチや電話BOXキーホルダーなど、トキワ荘関連のグッズの販売もしています。
ドリンクを注文すると、店内の名作古書が読み放題になるとのこと。
トキワ荘跡地碑
日本漫画の礎を築き、のちに日本中に名を轟かせることになる多くの漫画家たちを輩出した木造モルタルの2階建てアパート「トキワ荘」。
1952年12月6日に、豊島区椎名町5丁目2253番地(現・南長崎3丁目16番6号)に上棟されましたが、老朽化のため1982年12月2日に解体。
[藤子不二雄Ⓐ展より]
現在は出版社の社屋が建っており、社屋の前の一画には、豊島区制80周年を記念して2012年4月6日にトキワ荘のモニュメントが建立されました。
トキワ荘の漫画家たちは、裏口の階段を降りてこの道を通って松葉に行くこともあり、松葉からトキワ荘への出前の通り道でもありました。
[まんが道(文庫版) / 9巻・P137]
石ノ森章太郎が高校3年生だった1955年夏に初めてトキワ荘を訪れた時は、こちらの裏口の階段から入りました。
[まんが道(文庫版) / 14巻・P219]
なお、トキワ荘はモニュメント裏手の道に面して建っていて、下記写真の左のブロック塀の裏側付近に入り口への通路がありました。
[Fライフ01 / P57]
徹夜で漫画の原稿書きをしている時は、トキワ荘の入り口付近に止まる夜鳴きそばの屋台でよく夜食をとっていました。
[愛…知りそめし頃に… / 12巻・P129-130]
[愛…しりそめし頃に… / 8巻・P46]
・住所:東京都豊島区南長崎3丁目16−6
松葉 (まつば)
トキワ荘に住んでいた藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎らがよく訪れたり、出前をとっていたラーメン屋。
[まんが道(文庫版) / 7巻・P257]
[まんが道(文庫版) / 9巻・P316]
[まんが道(文庫版) / 13巻・P120]
[愛...しりそめし頃に... / 12巻・P58]
[愛...しりそめし頃に... / 11巻・P76]
[愛...しりそめし頃に... / 6巻・P81,82]
・住所:東京都豊島区南長崎3丁目4−11
落合電話局跡
トキワ荘入り口正面にあった電話の架設・交換などを行っていた会社で、今は取り壊されてマンションになっています。
路地の左側の曲がり角付近に、20店舗ほどが入った第一マーケットというお店があり、コロッケやメンチカツなどを買っていたそうです。
部屋に電話が無かったトキワ荘の住人は、落合電話局の建物前にあった電話ボックスで雑誌の編集部とやりとりしていました。
[まんが道(文庫版) / 10巻・P267]
[愛...しりそめし頃に... / 6巻・P168]
・住所:東京都豊島区南長崎2丁目3
紫雲荘(しうんそう)
赤塚不二夫が1960年に2階の202号室に移り住み、1961年10月に鈴木園2階のアパートに引っ越すまで住んでいました。
2軒右隣りの敷地には、1959年に藤子不二雄が仕事場として借りた兎荘がありました。
紫雲荘に出入りしていた出会ってわずか半年の女性アシスタントと1961年1月に結婚し、身内だけでレストランに集まり、ささやかな披露宴を行ったそうです。
・住所:東京都豊島区南長崎3丁目16−21
トキワ荘通りお休み処
2013年にオープンしたトキワ荘の情報発信拠点施設。
1階は休憩・物販・イベントスペースになっており、「トキワ荘ゆかりの地 散策マップ」が無料配布されています。
2階には、トキワ荘の住人だった寺田ヒロオの部屋の再現や、音楽喫茶「エデン」で使われていたテーブルや椅子の展示などがされています。
寺田ヒロオの部屋は宴会部屋になっており、トキワ荘の漫画家メンバーが集まってチューダーとキャベツ炒めで宴会を開いていました。
[愛...しりそめし頃に... / 4巻・P182]
なお、“チューダー”というのはテラさんが発明した飲み物で、焼酎をサイダーで割ったお酒。
[まんが道(文庫版) / 9巻・P102]
寺田ヒロオは、トキワ荘の漫画家たちから「テラさん」と呼ばれて慕われ、兄貴分として頼りにされていました。
[愛...しりそめし頃に... / 8巻・P177,178]
・住所:東京都豊島区南長崎2丁目3−2
トキワ荘マンガステーション
トキワ荘マンガミュージアムの開館に合わせて、模様替えをして再オープンしたミニ図書館。
藤子不二雄Ⓐの「まんが道」「愛…知りそめし頃に…」をはじめ、「漫画少年」の復刻版など、トキワ荘ゆかりの漫画家たちの作品約5000冊が無料で読めます。
50分ごとの入替制で、事前に整理券をもらわないと中に入ることはできません。
・住所:東京都豊島区南長崎2丁目3−3
・営業時間:10時~18時 ※毎週月曜日定休
鶴の湯跡
トキワ荘の近くで1991年頃まで営業していた銭湯。トキワ荘には風呂がなかったため、トキワ荘のメンバーたちがよく利用していました。
鶴の湯は、路地の突き当りの敷地にあったそうです。
[まんが道(文庫版) / 14巻・P90]
[愛...知りそめし頃に... / 2巻・P166]
[愛...しりそめし頃に... / 3巻・P84]
・住所:東京都豊島区南長崎3丁目19-2
菊香堂跡と鈴木園
【菊香堂跡】
トキワ荘の住人がよく利用していた手づくりパン・ケーキの店「菊香堂」跡。現在は「まいばすけっと南長崎2丁目店」。
昔の写真と見比べると、横に並んでいるお店の敷地面積が当時と一緒なのが面白い。
まんが道でも、藤子不二雄Ⓐと藤子・F・不二雄が菊香堂で買ったコッペパンにコロッケやメンチカツをはさんで食べるシーンが出てきます。
[まんが道(文庫版) / 10巻・P107]
[まんが道(文庫版) / 10巻・P210]
また、藤子不二雄がトキワ荘入居から2年後に借りていた敷金を返すために並木ハウスの手塚治虫を訪れた時、この店でケーキを買っていきました。
[まんが道(文庫版) / 12巻・P12]
・住所:東京都豊島区南長崎2丁目1−3
【鈴木園】
新婚の赤塚不二夫は、1961年10月に鈴木園の2階にあったアパートに転居。ここで「おそ松くん」や「ひみつのアッコちゃん」が誕生しました。
・住所:東京都豊島区南長崎2丁目1
目白映画跡
トキワ荘の漫画家たちが通った東宝系の映画館があった場所。
1963年の目白映画付近の空撮写真と1962年の豊島区の住宅地図を見てみると、路地を入った所に映画館の入り口があったようです。
「愛…しりそめし頃に…」で目白映画が出てくるシーンを確認したところ、松葉の壁に貼ってあるポスターとトキワ荘で満賀が目白映画に誘われる場面の2カ所でした。
[愛...しりそめし頃に... / 1巻・P48]
[愛...しりそめし頃に... / 10巻・P74]
【最愛の姉の死】
1958年4月、 喘息で発作を起こした姉を病院に入院させた石ノ森氏(当時20歳)。
トキワ荘に戻った石ノ森氏は、赤塚氏と水野氏と一緒に目白映画で映画を観て帰宅。その時、「病院へすぐ来い」との電報が。
病院へ着いた時、姉はすでに亡くなっていました。姉が息を引き取る時に、何も知らずに映画を観ていた自分を責めたそうです。
[愛...しりそめし頃に... / 4巻・P34]
・住所:東京都豊島区南長崎1丁目3
あけぼの湯・あけぼのハウス跡
1975年頃まで営業していた銭湯で、トキワ荘の西側にあった「鶴の湯」とともに、トキワ荘の漫画家たちがよく利用していました。
北側には「あけぼのハウス」というアパートが隣接していました。
このアパートに、自分以外の漫画家がトキワ荘から転出してしまい、空虚さに耐えられなくなった石ノ森章太郎が1961年末に転居して1年半ほど住んでいました。
トキワ荘の近くにに引っ越したのは、「椎名町」「トキワ荘」という”青春の残滓“から離れ難かったためだったそうです。
また、あけぼのハウスの石ノ森氏の部屋は、トキワ荘メンバーが「スタジオゼロ」というアニメ制作会社を作った時の本社所在地として登録されました。
跡地に建っている区民ひろば富士見台の庭には、銭湯時代の灯篭などが残っています。
[まんが道(文庫版) / 11巻・P200-201]
・住所:東京都豊島区南長崎1丁目6−1
エデン跡
1949年に創業し、2002年に惜しまれつつ閉店した音楽喫茶「エデン」があった場所。
当時すでに冷房設備があったこの喫茶店では、トキワ荘の漫画家たちがよく漫画の構想を練り、ペン入れまですることもあったそうです。
赤塚不二雄も時間をつぶすときによく利用していました。
モダンな外観で、屋上にはEDENの文字の黄色いネオンサインが輝いていて、ランドマーク的存在だったといいます。
山内ジョージさんは仕事で徹夜した朝、エデンで石ノ森さんにトーストとコーヒーのモーニングセットをごちそうしてもらうのが日課だったそうです。
[愛...しりそめし頃に... / 11巻・P161]
【道路拡張による取り壊し】
山手通り(左側の道路)の拡幅工事により取り壊されたエデンは、目白通りと山手通りの横断歩道が公差する辺りにあったようです。
1996年の地図と現在の地図を見比べると、左右に車道と歩道が拡張されて建物が削られているのがわかります。
【エデンゆかりの品】
「トキワ荘お休み処」の2階には、当時のエデンで使われていたテーブルやイス、コーヒーカップが展示されています。
「ふるいちトキワ荘通り店」では、復刻版・エデンのマッチを購入することができます。
・住所:東京都新宿区中落合3丁目1−21
哲学堂公園
トキワ荘の漫画家たちが野球をしたり、散策をしたりした公園。
[愛...しりそめし頃に... / 8巻・P47]
[まんが道(文庫版) / 13巻・P134]
トキワ荘の漫画家たちで結成したエラーズとして、または他チームの臨時選手としてここで試合を行いました。
[まんが道(文庫版) / 8巻・P200]
[まんが道(文庫版) / 8巻・P223]
[愛...しりそめし頃に... / 8巻・P157]
[まんが道(文庫版) / 8巻・P192]
[まんが道(文庫版) / 8巻・P233]
・住所:東京都中野区松が丘1丁目34−28
※関東バス「哲学堂」下車徒歩1分
東長崎駅前交番
西武池袋線「東長崎駅前」にあるトキワ荘をモチーフにした交番。
トキワ荘を活用した街の活性化に取り組んでいる豊島区が警視庁に要望し実現したもので、2019年3月20日に開所しました。
レオ&ライヤ
西武池袋線「東長崎駅前」の駅舎には、手塚治虫の作品「ジャングル大帝」のレオとライヤのモニュメントが設置されています。
編集後記
1978年生まれの自分にとって、少年時代はまさに藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎作品とともにあったと言っても過言ではありません。
「ドラえもん」「忍者ハットリくん」「怪物くん」「オバケのQ太郎」「パーマン」「プロゴルファー猿」「エスパー魔美」「キテレツ大百科」「ビリ犬」「ウルトラB」「笑ゥせぇるすまん」。
「天才バカボン」「おそ松くん」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」。
「仮面ライダースーパー1」「星雲仮面マシンマン」「兄弟拳バイクロッサー」「おもいっきり探偵団 覇悪怒組」「じゃあまん探偵団 魔隣組」「仮面ライダーBLACK」「仮面ライダーBLACK RX」。
そんな少年時代に夢中になった作品を生み出した人たちが下積み時代を過ごした場所を追体験できるようになるとは、凄い時代になったものです――。
【出典】「まんが道」「愛…しりそめし頃に…」
「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」「@tokiwaso_mm |Twiiter」