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尾崎豊の生家(朝霞)
尾崎豊は練馬の都営住宅で幼少期を過ごした後、父親の健一さんが朝霞に一軒屋を建て、小学5年生の頃に引越しています。
同時期に、兄の康さんが使わなくなったアコースティックギターの練習を始めたため、この家はアーチスト・尾崎豊の誕生の地ともいえるでしょう。
そんな尾崎の生家が売りに出されている (更地にして引き渡し予定) ということで、2009年に線香を上げさせてもらった時の様子を紹介します――。
[出典] LIFUL HOME'S
1階
玄関を入ってすぐ左側の部屋がリビングダイニングになっていて、入口から見て右奥に尾崎豊の遺影がありました。
線香を上げさせてもらった後、健一さんと色々とお話させて頂きましたが、映像や写真でよく見ていた人が目の前にいて、ちょっと不思議な感じでした。
来訪したファンにいつもラーメンの出前をとっていたそうですが、ラーメン屋が配達をしなくなったためラーメンは食べれずじまい。。
2階
尾崎豊が少年時代からデビュー後にかけて使っていた部屋。
階段を登って左側にあるこの部屋は、今は健一さんが寝室として使用しているため、ここ数年はファンの人には見せないようにしていたとのこと。
机の上に積もっていた埃を払うと、少年時代の尾崎豊によって刻み込まれたあの“I Love you”と“Rock'n Roll”の文字が目の前に。
数冊のアルバムも置いてあり「見てもいいよ」といわれたけど、何ともいえない罪悪感に襲われて、1ページだけ見て静かにアルバムを閉じました。。
(写真に写っているメロンは健一さんから頂いたもの)
・尾崎豊の生家(朝霞)
埼玉県朝霞市溝沼4丁目4-2
※東武東上線「朝霞台駅」「朝霞駅」から徒歩約20分
編集後記
「十代の教祖」と呼ばれたカリスマの家は、どこにでもある普通の民家でした。
尾崎家に生まれた少年に備わっていた音楽の才能と鋭い感性が、彼にあの様な輝かしくも壮絶な人生を歩ませたのかと思うと、才能とそれに群がる人間社会の恐ろしさを感じました。
【アーチスト・尾崎豊の原点】
朝霞に引っ越した尾崎は、「東京出身の転校生」ということで女子に人気になり、それを妬んだクラスメイトにいじめられるようになりました。
その状況に嫌気がさした尾崎は、朝家を出て、共働きの両親が仕事に出た後に家に戻るという登校拒否生活を、半年間ほど続けていたそうです。
その際、自室で兄の康さんが使わなくなったアコースティックギターの練習をするようになり、アーチスト尾崎豊へと成長していきました。
尾崎豊の伝説がつまった朝霞の生家が取り壊されるというのは、ファンとしてはなんともやりきれない思いで一杯です。
朝霞市やソニー、もしくはアーチスト有志の皆さんが動いて、尾崎豊の生家の建物を移築して、文化遺産として保存してほしいものです——。
【参照】「尾崎豊ゆかりの地 / 朝霞」「尾崎豊の生家跡 (練馬) 」