MKB2025

―― MK1のBLOG.

【生誕60周年】 尾崎豊の生家 (朝霞)

2025年02月13日 | 尾崎豊

  

 尾崎豊の生家(朝霞)



 尾崎豊練馬の都営住宅で幼少期を過ごした後、父親の健一さんが朝霞に一軒屋を建て、小学5年生の頃に引越しています。

 同時期に、兄の康さんが使わなくなったアコースティックギターの練習を始めたため、この家はアーチスト・尾崎豊の誕生の地ともいえるでしょう。

 そんな尾崎の生家が売りに出されている (更地にして引き渡し予定) ということで、2009年に線香を上げさせてもらった時の様子を紹介します――。

 

 [出典] LIFUL HOME'S




 1階



 玄関を入ってすぐ左側の部屋がリビングダイニングになっていて、入口から見て右奥に尾崎豊の遺影がありました。


         


 線香を上げさせてもらった後、健一さんと色々とお話させて頂きましたが、映像や写真でよく見ていた人が目の前にいて、ちょっと不思議な感じでした。

 来訪したファンにいつもラーメンの出前をとっていたそうですが、ラーメン屋が配達をしなくなったためラーメンは食べれずじまい。。
 
 

 2階



 尾崎豊が少年時代からデビュー後にかけて使っていた部屋。

 階段を登って左側にあるこの部屋は、今は健一さんが寝室として使用しているため、ここ数年はファンの人には見せないようにしていたとのこと。 


         


 机の上に積もっていた埃を払うと、少年時代の尾崎豊によって刻み込まれたあの“I Love you”と“Rock'n Roll”の文字が目の前に。

 数冊のアルバムも置いてあり「見てもいいよ」といわれたけど、何ともいえない罪悪感に襲われて、1ページだけ見て静かにアルバムを閉じました。。

 (写真に写っているメロンは健一さんから頂いたもの)


               




・尾崎豊の生家(朝霞)
 埼玉県朝霞市溝沼4丁目4-2
 ※東武東上線「朝霞台駅」「朝霞駅」から徒歩約20分



 編集後記



 「十代の教祖」と呼ばれたカリスマの家は、どこにでもある普通の民家でした。

 尾崎家に生まれた少年に備わっていた音楽の才能と鋭い感性が、彼にあの様な輝かしくも壮絶な人生を歩ませたのかと思うと、才能とそれに群がる人間社会の恐ろしさを感じました。


【アーチスト・尾崎豊の原点】

 朝霞に引っ越した尾崎は、「東京出身の転校生」ということで女子に人気になり、それを妬んだクラスメイトにいじめられるようになりました。

 その状況に嫌気がさした尾崎は、朝家を出て、共働きの両親が仕事に出た後に家に戻るという登校拒否生活を、半年間ほど続けていたそうです。

 その際、自室で兄の康さんが使わなくなったアコースティックギターの練習をするようになり、アーチスト尾崎豊へと成長していきました。

 尾崎豊の伝説がつまった朝霞の生家が取り壊されるというのは、ファンとしてはなんともやりきれない思いで一杯です。

 朝霞市やソニー、もしくはアーチスト有志の皆さんが動いて、尾崎豊の生家の建物を移築して、文化遺産として保存してほしいものです——。



 


【参照】「尾崎豊ゆかりの地 / 朝霞」「尾崎豊の生家跡 (練馬)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウルトラマンゆかりの地 / 祖... | トップ | 【映画大ヒット】 ガンダムが... »