永遠の桑田ロード
甲子園で一躍スターダムにのし上がり、巨人軍で一時代を築き、背番号18でメジャーのマウンドにも立った桑田真澄。
彼の野球人生に敬意を表して、これまでの道程を振り返ります――。
KKコンビ
清原和博との「KKコンビ」で1983年夏から5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回という輝かしい成績を残した。
甲子園通算20勝は戦後最多の不滅の金字塔であり、甲子園に一時代を築いた。
巨人入団
大学進学とプロ入りの両方を考えていた桑田は、ドラフト当日に出る方向が自分のベストの道だと信じて進もうと考えていた。
そしてドラフト当日、清原を1位指名すると公言してきた巨人は、桑田を1位指名した。
大学進学に備え受験勉強に明け暮れていた桑田だったが、「最高の道をもらった。この道を進もう」とプロ入りを決意した。
3本柱
1986年5月25日の中日戦で初先発。6月5日の阪神戦で初勝利を初完投で飾るが、1年目は、2勝1敗、防御率5.14とプロの洗礼を浴びた。
しかし、翌年には15勝を挙げて、最優秀防御率、沢村賞のタイトルを獲得。
以後、斎藤、槙原とともに「三本柱」と称され、先発の軸として活躍した。この年から6年連続で2桁勝利を上げ、巨人の黄金期を支えた。
KK対決
1987年のオールスターゲームで、初の「KK対決」が実現。しかも場所は、甲子園球場。
パ4番の清原は、セ先発の桑田からホームランを放って、初対決を制した。2人の対決は「KK対決」と呼ばれ、数々の名勝負を生み出した。
絶頂期と停滞期
1989年から1991年にかけて絶頂期が続く。
1989年は17勝、1990年は14勝を挙げて、1991年も勝ち星が16まで伸びて、ゴールデングラブ賞にも輝いた。
しかし、翌92年、93年と勝ち星が伸びず、マスコミに叩かれる日々が続く。
1994年10月8日、残り1試合を残して巨人と中日が69勝60敗の同率首位で並んでいたため、プロ野球史上初の最終戦・直接対決での優勝決定戦となる。
「しびれるところで行くぞ。」 10.8決戦前夜、桑田は長嶋監督からそう告げられていた。
6対3で迎えた7回、槇原-斎藤の後を受けて、桑田がマウンドに立った。そして、中日打線を3回を無失点に抑え、胴上げ投手となる。
その後、西武を倒して日本一に輝き、最多奪三振王とMVPのタイトルを獲得した。
右ヒジ靭帯断裂
1995年6月5日の阪神戦。湯舟の放った三塁線沿いの小フライをダイビングキャッチする際、右肘を人工芝に打ちつける。
その際の衝撃で右肘側副靱帯が断裂。手術のため渡米し、残りシーズンと1996年を棒に振った。
術後、ボールが投げられない期間が続いたが「ボールは投げられなくても下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場のグラウンドをひたすら走り続けた。
桑田が走り続けた外野の芝生は剥げ上がり、いつしか"桑田ロード" と呼ばれるようになった。
2年ぶりの復帰マウンド
2年間に及ぶリハビリの末、1997年4月3日に復帰登板を果たす。
試合開始前、桑田はマウンドに跪いて右肘をプレートにつけ、「ようやく戻ってきました。また、宜しくお願いします。」と、野球の神様へ復帰の挨拶を行った。
この試合で、清原がホームランを放ち、復活の110勝目に花を添えた。
屈辱のリリーフ生活
1998年に16勝を挙げて最高勝率賞を手にしたが、1999年から抑えに転向。99年はリリーフ登板した10試合において失点を許さず5Sを上げ、00年も5Sを上げた。
しかし、本人の先発完投型としてのプライドもあり、ストッパーとして定着することはなかった。
転機の原政権
そんな不遇の日々を送っていた桑田に転機が訪れる。
10年続いた長嶋政権に終止符が打たれ、2002年に原政権が誕生したのだ。原新監督はキャンプインと同時に桑田に先発復帰指令を出した。
前半戦の成績は4勝5敗だったが、防御率は2.28。エースへの信頼は蘇り、終わってみれば12勝6敗の堂々たる成績を残し、最優秀防御率のタイトルも獲得した。
試合に出場できない日々
しかし、翌年は5勝、2004年は3勝と勝ち星が伸びず、2005年は1勝もできずにシーズンを終える。
年齢的な衰えもあったが、肘の怪我の影響をかばおうとして腰に負担がかかり、それが足首や膝に悪い影響を与えていたことが原因だった。
06年も4月13日の広島戦で1勝を挙げたが、4月末からは故障もあり、2軍での調整が続いていた。
巨人退団
2006年9月23日、巨人公式ページ内の桑田のコーナーに「明日、ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう」とのコメントが掲載された。
パイレーツとマイナー契約
2006年12月20日、桑田がパイレーツとマイナー契約を結ぶことが発表された。
マイナー契約ながら、フロリダで行われたピッツバーグ・パイレーツの2007年の春季キャンプに招待選手として参加し、開幕メジャー入りを目指すことになった。
右足首靭帯断裂
2007年3月26日、オープン戦5度目のブルージェイズ戦で7回から2番手で登板。
しかし、8回に三塁ベースカバーに走った際に、審判と激突し右足首じん帯断裂の重傷を負い、2ヶ月にも及ぶ長いリハビリ生活に入る。
メジャーに電撃昇格
パイレーツ傘下の3Aインディアナポリスで、3試合連続無失点の好投を続けた桑田は、6月8日の試合後にメジャー昇格を知らされた。
彼は移動中の空港でその事実を知り、「背番号は18」との知らせに涙したという。
メジャー・デビュー
桑田投手の夢が6月10日、敵地でのヤンキース戦でついに実現した。
ヤンキースが8-6と2点リードで迎えた5回裏、「マスミ・クワタ」の名前がコールされると、ブルペンから芝生の感触を確かめるように、背番号18が小走りにマウンドへ向かった。
ファンの歓声も派手なパフォーマンスも無かったが、心の中で野球の神様に「ありがとうございます」と、感謝の言葉をつぶやいたという。
翌11日には、5回から3番手としてマウンドに上がり、松井との初対決が実現した。
VS イチロー
6月21日、マリナーズ戦に6回から2番手として登板。
6回を無失点で切り抜けると、7回にはイチローから変化球で三振を奪った。2回を投げて、4奪三振、無失点の好投を見せてマウンドを降りた。
パイレーツ退団
8月14日、球団から戦力外通告を受ける。念願のメジャーでの初勝利こそ果たせなかったが、会見で球団への感謝の気持ちと達成感をにじませた。
パイレーツと再契約
2008年1月8日に、パイレーツと再契約を締結。
最初はマイナー契約で、メジャーに昇格した場合切り替わるスプリット契約で、昨年に続き招待選手としてパイレーツの春季キャンプに参加した。
現役引退
2008年3月26日、桑田真澄投手が現役引退を表明した。
「自分の中では、燃え尽きました。デビュー戦をヤンキースタジアムでできたのも信じられないし、18番を頂いたこともパイレーツに感謝しています。」
開幕マイナーの事実を引退への天命と受け入れた彼は、マウンドに静かにボールを置いて、小学校3年生から始まった32年の野球人生に幕を下ろした――。
編集後記
桑田が巨人に入団したのが、小学校3年の時。
そして、巨人の3本柱として全盛期を迎えたのが小学校高学年から中学生にかけてで、1994年の10.8決戦で胴上げ投手となった時は、高校2年。
いわば、自分は全盛期の桑田の背中を見て育ってきた世代。
それだけに、「心が燃え尽きるまでマウンドに立ち続けたい」という野球人としての美意識を貫くために、実績やプライドを捨ててマイナーリーグで一から頑張っている姿には、心打たれるものがありました。
最近では、納得がいくまで頑張って桑田投手の野球哲学をメジャーに浸透させてほしいと思っていただけに、現役引退は残念でした。
しかし、彼は「野球にはたくさん幸せをもらった。これからは、野球界に恩返しをしていきたい」と話しています。
現役を引退してからもなお伸びていく桑田ロードは、どこまで続いていくのでしょう――。
【記事引用】「Wikipedia」「桑田真澄 OFFICIAL BLOG」
「試練が人を磨く~桑田真澄という生き方/扶桑社文庫」「激闘甲子園物語」
「エースの鐘は2度鳴り響く」 「桑田真澄」 etc..
【画像引用】「月刊清原和博」「スポーツ報知」「関心空間」
「sportsnavi」 「桑田真澄の軌跡」 etc..
最近の巨人の動きを見ていると、ひたむきに努力を重ねることが今の時代に合わなくなったのかとさえ感じたりします。
今回の桑田選手の件は本当に「寂しい」ですね。
何処へ行っても、頑張って欲しいです。
mitamuraさんのブログ、桑田投手について細かい!画像もあって素敵ですね。
桑田投手が好きなんだなぁって伝わってきます(笑)
桑田投手の生き様にはプロ野球選手の中でも特別なものを感じます。
まさに夢に向かっていくのが男の美学ですね!
小久保のような選手をはなしたら、何十億だしても
代わりの選手を起用することできないでしょう!!
原監督大好きです
経営陣に訴えてください、
客観的にみて今の巨人は終わってます。
駒澤苫小牧の田中をとるとかなぜ真剣にかんがえないのか、彼なら初年度で、10勝はいじょうは硬いのでは。。。。。
桑田さんは、投手では一番好きな選手でしたので、
米国に行っても頑張って欲しいです。
3本柱と呼ばれていた頃の巨人は、とても好きでしたが、今は見る影もないですね…。
全く別のチームになったように思います。
巨人に対しては、かなり辛口コメントですが、またよければ、遊びに来て下さい。
いくら常勝を義務付けられたチームだからと言っても、ファンの気持ちを無視しすぎですよ。。
3本柱が活躍していた時は平和でよかったですよね。
早速遊びきました。
10・8の桑田リリ-フコ-ルには、驚きましたね。しかも、完璧に近いリリ-フで。
また、怪我より復活し、マウンドでのあのポ-ズは感動的でした
でも、今の巨人ってTVドラマでいう「踊る・大捜査線」みたいですよね。
現場が大事なのに会議室で話しあってる気がします。
現場とフロントが一体になって本当の野球の楽しさって伝わる気がしますが・・・。
桑田・仁志・工藤の頑張りに期待したいと思います
怪我から復活した時の、グラウンドに手を着き涙した桑田の姿が思い出されます。ただ、ひたすらにトレーニングをし復活を信じ、出来た桑田ロード...。
桑田なら、きっとメジャーに這い上がってきてくれる、そう信じています。
> どうも今シーズンの巨人はフロント、現場ともおかしい。
今年は理解に苦しむ場面が多かった気がします。
というか野手獲る前にまずはストッパー探せとw
毎年アキレス腱同じだんだもの
記事を読ませていただき初めての東京ドームで
『ピッチャー桑田』に胸躍ったことを思い出しました。