十七歳の地図
1983年12月1日リリース
デビュー40周年を記念して、『I LOVE YOU』『15の夜』など、今でも歌い継がれる名曲の数々が収録されたアルバムの制作秘話を紹介します――。
無期停学中のレコーディング
1982年10月11日、CBSソニーのオーディションに合格した尾崎(当時高2)。
CBSソニーでは、オーディションの合格者は、半年から1年かけてディレクターが育成してレコードデビューさせるシステムになっていた。
そのため、曲作りのため、月に1、2回の頻度でCBSソニーのディレクターだった須藤晃氏の元に通うようになった。
打ち合わせ場所は、市ヶ谷のCBSソニーの本社ビル(現・武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス)の6階。
尾崎は平日の朝は新聞配達、学校帰りに皿洗いのバイトをしていたので、基本的に土曜日に会うことが多かったという。
そんな中、高3の7月、校内での喫煙による3日間の停学中に渋谷で酒を飲んで警察も駆けつけるほどのケンカ騒ぎを起こして無期停学となった尾崎。
それを機に「自由な時間ができた今のうちにレコーディングしておこう」というCBSソニーの計らいで、デビューアルバムのレコーディングが始まった。
レコーディング開始
レコーディングは、1983年7月30日の18時にソニー・ミュージック六本木スタジオで始まった。
30日と31日で『僕が僕であるために』、『愛の消えた街』、『15の夜』の3曲のリズム録りが行われ、メロディーとリズムの照らし合わせのため、尾崎のボーカル録りも行われた。
最初に歌ったのは、『僕が僕であるために』だったという。
1982年8月12日からは、キーボード奏者でアレンジャーの西本明氏もレコーディングに参加。
彼は市ヶ谷のCBSソニー6階で初打ち合わせを行った後、24日からソニー・ミュージック信濃町スタジオでレコーディングを開始している。
これ以降、『街の風景』『十七歳の地図』『I LOVE YOU』など7曲のレコーディングが行われた。
ジャケット撮影
「十七歳の地図」のジャケット撮影は、1983年8月に「スタジオエビス」で行われた。
アルバムジャケットを手掛けたデザイナーの田島照久氏によると、テーマは「何かから逃れるために高い所から飛び降りる」というイメージだったという。
田島氏の説明を聞いた尾崎は、色々なやり方で台から飛び降り、その回数は42回にも及んだ。
レコーディング
尾崎が「十七歳の地図」のレコ―ディングを行っていたのは、主に信濃町にあったソニー・ミュージックのスタジオだった。
レコーディングの最中も、須藤氏は尾崎を話し合いながら歌詞の詰めを行っていた。
尾崎のルーズリーフには詞が大量に書かかれており、そのまま歌にすると7分ほどになってしまうほどの文量だった。
そのため、須藤氏は「俺はここは削りたくない!」と抵抗する尾崎と喧々諤々と喧嘩しながら、4分から5分のポップスというパッケージに収める作業を行っていたという。
ラチがあかない時は休憩になり、その間、レコーディングのメンバーはスタジオにあったスペースインベーダーをやっていたとか。
尾崎がレコーディングを行っていた信濃町スタジオは、スタジオが3つあり、別スタジオに松田聖子の名前が書いてあった時は「聖子ちゃんいるんですか!?」と飛んで行ったという。
喧嘩して渋谷署に補導されてレコーディングに来ない日もあったとか。
なお、CBSソニー信濃町スタジオはすでに取り壊されて現存しておらず、現在は創価文化センターの建物が建っている。
十七歳の地図
ギターの弾き語りのデモを聴いた須藤氏は、「ブルース・スプリングスティーンのような8ビートの曲にしてくれ」と西本氏に指示。
その結果、『十七歳の地図』のアレンジは、ブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』がモチーフとなっている。
彼はこのアレンジに狂喜してハイテンションで歌い出したが、サビが高すぎて出ない。
そのため、須藤氏はサビを1オクターブ下げて「サビが1オクターブ下がっても盛り下がらないように歌ってくれ」と指示を出したという。
15の夜
この曲は、最初は『無免で…』というタイトルで、その後『無免許』になり、最終的に『15の夜』となった。
歌詞も「昨日も朝まで飲んで、気が付いたら酔いどれて道端で寝てたぜ」というような歌詞だったとか。
須藤氏はその歌詞を読んで、「高校生が朝まで酒を飲んで、道端で寝てたっていう歌を聞いて誰が共感するんだ?」と怒ったという。
そして、「なぜそんなことをするのか、その理由を書け」とダメ出ししたという。
なお、『無免で…』はルーズリーフに書かれており、それは尾崎が須藤氏に最初に提出した詞の断片だった。
ちなみに、クラスメイトと集団で家出をした出来事は、尾崎が中学3年の14歳の時のものだったが、『14の夜』だと語呂が悪いので『15の夜』になっている。
歌詞も「昨日も朝まで飲んで、気が付いたら酔いどれて道端で寝てたぜ」というような歌詞だったとか。
須藤氏はその歌詞を読んで、「高校生が朝まで酒を飲んで、道端で寝てたっていう歌を聞いて誰が共感するんだ?」と怒ったという。
そして、「なぜそんなことをするのか、その理由を書け」とダメ出ししたという。
なお、『無免で…』はルーズリーフに書かれており、それは尾崎が須藤氏に最初に提出した詞の断片だった。
ちなみに、クラスメイトと集団で家出をした出来事は、尾崎が中学3年の14歳の時のものだったが、『14の夜』だと語呂が悪いので『15の夜』になっている。
ハイスクールRock'n'Roll
レコーディングの最中、尾崎に「シンプルなロックンロールナンバーを作ってくれ」と依頼した須藤氏。
しかし、尾崎に「ロックンロールって何ですか?」と尋ねられた須藤氏は、ハウンドドッグの『だから大好きロックンロール』を聴かせた。
「わかりました」と言って作ってきたのが『ハイスクールRock'n Roll』で、そのよしみで大友康平がコーラスで参加している。
OH MY LITTLE GIRL
『OH MY LITTLE GIRL』は、1983年7月に『セーラー服のリトルガール』というタイトルで制作され、デモテープでは『となりのリトルガール』になっている。
当初は、同じクラスの好きな女の子に想いを寄せる自分について書かれた歌詞だった。
その後、曲の世界観を教室や学校に限定されたものから、冬の並木道を若い男女が二人で一つのマフラーをしながら歩いているイメージへと変更された。
I LOVE YOU
8曲目くらいまでレコーディングが進んだ時、バラードがもう一曲ほしいということになった。
尾崎は「いい曲があるんですよ」と言って、コードを伝えて西本氏のピアノで歌い出した。数フレーズを聴いた須藤氏は即OKを出し、「そういう感じで書いてきてくれ」と指示。
西本氏も自身の引き出しの中から名イントロを作り出し、後世に残る名バラードが誕生した。
そして、10月7日の『I LOVE YOU』のボーカル録りをもって、尾崎豊のデビューアルバム「十七歳の地図」のレコーディングが終了した。
西友にレコードがない
『十七歳の地図』は10月18日にマスターテープが出来上がり、12月1日発売というギリギリのスケジュールだった。
そのため、宣伝もほとんどされず初版プレスも少なかっため、発売日になってもほとんどのレコード店に置かれなった。
尾崎家の近所の西友朝霞店(現・マルエツ朝霞店)も同様で、尾崎はCBSソニーに電話して、須藤氏に「朝霞の西友に自分のレコードがない」と伝言を残したという。
編集後記
「十七歳の地図」のレコーディングに携わったミュージシャンたちはこう語っている。
「尾崎君のエネルギーに巻き込まれた」「尾崎豊は化学反応を起こさせるための起爆剤だった」
ディレクターの須藤氏もこう振り返っている。
「一つのビジョンや信念に基づいて作られたものは強い。どこも媚びてなくて、“この音楽観がわかるか!”というものを作っていた。その強さを今となっては誇りに思う」
なお、わずか1300枚しかプレスされなかった尾崎豊のデビューアルバム「十七歳の地図」は、現在300万枚以上のセールスを記録している――。