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尾崎裕哉 (おざき・ひろや)
尾崎豊の長男で一人息子の尾崎裕哉。
尾崎の音楽活動休止中に生まれ、尾崎の復活時に作成されたアルバムタイトルは「誕生」でした。彼の誕生は、どん底にいた尾崎を救いました。
そんな尾崎裕哉について調べてみました――。
新しく生まれてくる者よ
1989年7月24日、尾崎豊の長男として生まれる。
1992年4月25日、2歳の時に父が死去し、5歳から15歳までを母親とともにアメリカ・ボストンの街で過ごす。
アメリカでは、レッドツェッペリンやグリーンデイなど、1960年代~90年代のロック&ブルースから影響を受ける。
同時に、父親が遺した音源を幼少期から聴き続けて、ギターとソングライティングを習得。
2004年、尾崎豊トリビュートアルバム「"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」にHIROという名前で参加し、『15の夜』を歌う。
帰国
2005年にアメリカから帰国した後、2008年6月にアメリカンスクールを卒業し、慶應義塾大学環境情報学部に入学。
2010年10月より、InterFMのラジオ番組「CONCERNED GENERATION」のパーソナリティとしてデビュー。
2013年4月には慶應義塾大学大学院への入学と同時に、InterFMでラジオ番組「Between The Lines」を開始。
アメリカやイギリスの曲を自ら翻訳し、日本語でポエトリー・リーディングを行った。
2015年3月30日の最終回では、番組内で初めて日本の楽曲を紹介し、英語でポエトリー・リーディングを披露。
同年3月に慶應義塾大学大学院を修了していた彼が選んだ楽曲は、尾崎豊の『卒業』だった。
音楽活動本格化
2015年10月にFM802のイベント「ミナミホイール」に参加し、大阪ドロップで初ライブを開催。
翌年2月には、新宿RUIDO K4にて初のワンマンライブ「WITH YOU / HIROYA OZAKI」を開催。翌月には、大阪・OSAKA RUIDOでもワンマンライブを実施。
7月に生出演したTBSテレビ「音楽の日」では、父の楽曲『I LOVE YOU』をカバー。続けて、自身のオリジナル曲『始まりの街』をテレビ初披露した。
父親の年齢を超える
2016年7月24日に27歳になり、父親が亡くなった年齢を超える。
同年9月に、東京・よみうり大手町ホールで初のホールコンサート「billboard classics 尾崎裕哉 premium concert -始まりの歌-」を開催。
さらに、同年11月にはピアノとストリングスを加えたスタイルでのステージ「billboard classics 尾崎裕哉 premium ensemble concert」を行った。
コンサート翌日、メジャーデビューシングル『始まりの街』のデジタル配信を開始。
初のライブツアー&CDデビュー
2017年2月26日からは初のライブツアー「LET FREEDOM RING TOUR 2017」を福岡公演を皮切りに、大阪、東京、愛知、新潟の5都市で開催。
3月22日には、1stミニアルバム「LET FREEDOM RING」でCDデビューした。
「自由の鐘を鳴らせ」という意味で、彼が敬愛するマーチンルーサーキング牧師の「解放」をテーマにしたスピーチからインスピレーションを受けて製作されている。
【関連サイト】
☆公式ホームぺージ
☆TOY'S FACTORYページ
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編集後記
2017年3月11日、EX THEATER ROPPONGIでの初めての裕哉君のコンサート。
ファンになった時はすでに尾崎豊はこの世にいなかったので、尾崎のDNAを受け継いだ存在の登場に、「やっと(尾崎に)会えた・・・」と思わずつぶやいてしまいました。
何の前触れもなくアカペラで歌い出した「Forget-me-not」では、歌声のあまりの生き写しぶりに鳥肌が立つほど感動。
自分で作った曲を懸命に歌う姿に、彼の音楽活動に対する本気さが伝わってきて、これからも頑張りを応援していきたいと自然に思えました。
尾崎豊ファンの中には賛否両論があるみたいだけど、息子の活躍を応援することができなかった父親の分まで活動を見守っていきたいな~。
[LET FREEDOM RING TOUR 2017 / 東京公演(EX THEATER ROPPONGI)/ 2017.3.11]
【記事引用】「Wikipedia」「尾崎裕哉公式サイト」「尾崎裕哉」
【画像引用】「ナタリー」