~吉岡、伝蔵、栗塚さん訪問顛末記~
私は、『新選組血風録』10巻発売時代、ある若い女性をこのドラマの虜にして以来、もっと全然知らない人も
ファンにするのが可能と思いはじめた。何故なら、このビデオを運ぶ道中、軽口を聞く人にもビデオの箱をみせると、中年の人は、ほぼ半数ぐらい、このドラマを知っていたという事実だった。
まず同じ係の人から、陥落させた。隣の係りで、仲の良い人は時代劇が好きということで、みせた。
泊まり勤務の人で、たまたま、先の人の鑑賞中、その部屋に入った人が、すわりこんで
その巻を最後まで、みてしまい、翌日、貸してくれの依頼。どんどん仲間が増えた。
しかし、私の本当の目的は、このドラマの歓談が一番の眼目であった。
そして、吉岡さんの上映会、4K仲間たちの話に興味を向けてドラマをみせた一群もいた。
その人たちは、いとも簡単に、栗塚さん、吉岡さんの訪問を打診すると同意した。
そうこうするうちに、4K仲間のOさんから、『燃えよ剣』での、隊士以外で、見事な脇役をつとめた、
小田部さんの寺で上映会を挙行したことの情報を得て、この人にも、会いたくなった。
それもじわじわ打診し、同意を得て、実行すべく、小田部さんに手紙を書いた。
それから、約2週間後、私の不在時、電話があり、身体の具合が悪いので訪問は
春にしてくれとの返事があった。
お礼がてら、小田部さんに電話をすると、訪問を同意してくださった。
その日は、Tさんにも、どうしても電話をしたい用事があり、失礼をかえりみず、
電話をし、最後に小田部さん訪問を話すと、「私も小田部さんが好きでした。」
すごくうらやましそうな感じだった。これに勇気を得て、計画を進めた。
昨年の日の間違いの愚をくりかえさいように、計画を進めた。
しかし、直前、また1人が脱落。小田部さんに日を決めた手紙を書いた直後だった。
しかし今度は私が主体だ。1人でも、実行する決意だった。
決行当日の2~3日前、風邪をひいた。しかし、医者嫌いの私だが、すぐ医者にかけこんだ。
当日の天候のみを念じながら。
大げさに書いているが、メンバーは、私とあと一人だけである。
彼は全26巻と『俺は用心棒』3巻、私が制作した4Kビデオをみただけの、4K歴1年の中年男である。
集合時間、少し遅れている。彼がくるまでの3分は非常に長く感じた。
いざ、出発。まず、最初は、吉岡さん、地図をみて、研究して、着く。
ちょうど11時半と思っていたら、少し、早かったのか、店開きをする、
吉岡さんと会い、いれてもらう。天ぷら、あげたてで、すごくおいしい。
誠の暖簾を出し、吉岡さん、とりたいというと、さすがに、笑われ断られる。仕方が、ないので、
私たち2人が、誠の暖簾で写す。
4K仲間の話をする。平成版血風録について「1回みて、あとはみませんでした。」
友人は、「まずまず、面白かったですよ。」「じゃぁ、この台本、平成版第1話のシナリオあげますよ。」
私、「ファンから、いろんなもの贈ってくるでしょう。」
「ぇぇ、みるのが、おっつきませがね。だから、スタッフにみんなで、分けます。」
「スタッフには、みなさん、いろんな人がいるでしょうね。」
「学校の先生もいまして、確か、奈良の高校の先生もいますね。」
友人「息子が、中3です。何高校ですか。」「~高校です。」
「ひよっとしたら、その高校に行くかも知れません、吉岡さんの事云っていいですか。」「ええ。」
友人は、4Kの話にのれないのが、残念そうだったが、これで、吉岡さんの温かい人柄に満足そうだった。
「小田部さんの身体の具合、どんなんでしょうね。」
「足が悪いそうです」「栗塚さんの店、どうでしょうね。」
「寒い時は休みが多いですけど、今日は、温かいから、開いていると思いますよ。いらしゃったら、よろしくね。」
楽しい1時間だった。友人は、いたく気にいって、別の仲間を連れて、天ぷら屋さんとして紹介したいと云った。
次なる目的地、小田部さん、以下伝蔵さんと表現。
地下鉄を探す、容易に見つかった、しかし、北大路駅、地上になかなかでれない、2人で思わず笑った。
やっと地上にでる。タクシーにのり、伝蔵さんの地図を示し、
『燃えよ剣』の主要な脇役を訪問するというと、運転手さん、栗塚さんの人柄について、
「ドラマも好きだったけど、お客さんになっても、すばらしい人で、大ファンになった。
『服の補正をするために、~にいくんです。』決して気取らず、うれしかった。
いろんな役者さん、のせた事あるけど、あんな人いないよ。」
「実は、このあと、栗塚さんの店にも行きます、今の事必ず伝えますよ。」
「頼みますよ。」
伝蔵さんの寺に着く。表札は、あった。しかし、どういうふうに、入ればいいのか思案していた。
近所の奥さんらしい人2人が、入ろうとするので、尋ねた、
「ここの、住職さん、昔東映の俳優さんで、実は、手紙で了解は、得ているのですが、
どういうふうに、入ればいいでしょう。」「私たちといらしゃい。」と案内してもらい、入る。
年は、めされては、いるが、伝蔵さんが、いた。さっそく挨拶をする。足は、ステッキをお持ちだ。
結束さんのお墓を教えて頂き、さっそくあがる。司馬さんの言葉の碑がある。
すごくわかりやすく書かれていた。
下に降り、伝蔵さんを待つ。大きな犬は、尻尾をふりながら、ほえる。ついに、歓談開始。
「ここでの、上映会の様子は。」
「ここに、暑い中で150人くらい、いましたかね、吉岡さんが、天ぷらを揚げて、
ビールを飲みながら、みるんですよ、楽しかったですよ。」
「ビデオを去年20年ぶりに、みた時は、すごく感動しましたよ、
伝蔵さんが、誠の旗をまいて死ぬシーンすごく印象的でした。」
「あのシーン、なかなかうまくいかず、笑い顔で死ぬシーンをとろうとしたのは、
私の考えでしたけど、監督さん、いい考えといってすぐ採用してくれました。」
「あのドラマを、みなさんいいドラマを作ろうとする熱意は、見ていても感じていました。」
「結局、私、死ぬシーンだけど、動いてばかりいたので写真にしたんですよ。」
「私、このシリーズでの、小田部さんは、栗塚、左右田、島田さんにつづく、準レギュラーだと思います。
発売されている、用心棒シリーズにも、目明かし役でついにでてきました。」
「あぁそうですか、最初は悪役でしたけどね。監督さん、結束さんに気にいってもらって、
よくつかってもらいました。」「河野監督さんって」
「河野監督、お酒に酔って、助監督の松尾さんに、おまえやれとよくいっていました。
『燃えよ剣』では、松尾監督もたくさんとっていますよ。」
「左右田さんと伝蔵さんの掛け合い漫才的な会話、すごくドラマを盛り立ていたように思います。」
「結束さんの作るシナリオはうまいでしょう。亡くなる前に、この寺によく来て、住むのに、
この周りの景色いいな、死んだら、ここで、弔ってくれなと、冗談まじりに、いっていました。」
屏風に結束さんの法要の記帳があったこれを背景に写真を取ることにした。
誠の暖簾を出し、「これと一緒に映ってください。」とお願いすると、心よく同意してくださった。
それから、「制作費が安く、当時、銭形平次さんの大川橋蔵さんのギャラと私たちのドラマと
一緒くらいでした。」楽しい話一杯の1時間だった。そして、最後に、わがデパートのキャンペーン販売の写真を見せた。「東映さん、すごくよろこぶでしょうね。」と云いながらうれしそう。
吉岡さんの伝言、これから栗塚さん宅に行くというと、またうれしそうだった。
今度は、バスを求めて歩く。約20分と思っていたら、約40分乗った、
若王子神社の標識は、容易に見つかった。しかし、目当ての栗塚さん宅はなかなか。
やっと見つけ、入り口をさがしていると、栗塚さんの声、「ここですよ。」
「ところで、あなた方は新選組のファンですか。」「はい。」
このあたりの会話は、私の独壇場。Tさんの息子さんふたりの事を話す。
すごく喜んでくださった。そこの老婆(栗塚さんの身内?)
「上映会には、沖縄からもきてくださるんですよ。」ここでは、例の写真は、早目に見せた。
東映の販売員さんにサインを書いた事もうれしそうに話された。
4K仲間の資料交換、『新選組血風録』フィルム廃棄寸前の事も最近知ったことを告げた。
伝蔵さんの事も伝えると、すごく心配そうだった。
「ところで、あなたは、『新選組血風録』、『燃えよ剣』どちらが、好きなんですか。」
「私は、全52話として、みています、だから、どちらということがないんです。」
「私は、土方さんを丁寧に描いているという事から、『燃えよ剣』の方がいいかな。」
巧みな、栗塚さんの会話誘導術で、私は20数年の思いと、この4K仲間のすばらしさをみんなぶちまけた感すらした。
「『用心棒シリーズ』まで、ビデオ化され、びっくりしました、いい人みんな死ぬ、悲しい話が多いのにね。」
「『天を斬る』は、フィルムはあるでしょうか。」
「聞いた事はないのですけど、あればいいですね。とにかく、新選組だけでも、残っていたのはすばらしいですね。」
私たちに、他の2組のお客さん、残念ながら、2組とも、ドラマを御存知でないよう。
ここでも、いとも簡単に写真撮影に同意してくださった。
今日、お会いした方、本当にすばらしい方ばかり、友人も「あなたの、強引ともいうべき、
訪問だけど、すごく楽しかった。」と感想を述べてくれた。
一杯楽しかったこと、書いたけど、書き落としは、ないかな。
伝蔵さんには、京都のいい旅館をおしえてもらい、昔は栗塚さんの近所に住んでいたとのこと。
そして、『燃えよ剣』の「近江の宿」のシーンの撮影場所を教えてくださった。
やはり、御自分のでたシーンは、よく覚えておられ、その輪にはいるような、
私たちの反応をみて、ひどく喜んでくださった。もうひとつ、鶴田さんの新選組、
途中で、出演しなくなったのは、海外旅行に行っていました。旅行の中味はききそびれた。
栗塚さん、私の言葉に、いちいち丁寧に答えてくださったのには、すごく温かさを感じた。
9500円時代から、購入していたことには、感心してもらった。いろんな、がらくたを乱雑においてあるが、
多分、それぞれに思い出がつまっているのでは、ないだろうか。
今幻の雑誌と化している、「テレビジョンエイジ」奈良の場末の古本屋で、てにいれた。
販売当時10部くらい買い、みんなにあげて、ひさしぶりに、自分の元に還ってきたとの事。
「復刊して欲しいですね」と笑う。みなさん3人、よく交流があるので、
他の方のことを話すと、一様に身をのりだして、聞かれる。
すがすがしい気持ちて、家路に着いた。家に帰っても、余韻がのこり、家族も私の顔をみて笑っていた。
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