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氷月神示 他の暗号解読編 591 (赤穂事件完結?編)

国之常立神より皆様へ

わしの説は強引かもしれんけど、可能性はゼロではない
何より、吉良と浅野のケンカの原因が、未だにはっきりしないからだ
これも、幕府が浅野から詳しいいきさつを聞き出す努力をせず、即日切腹させ、また吉良にだけ温情をかけたように見える、片手落ちの裁断をしたからである…
だから謎が残るし、人々はいろいろ憶測したくなるのだよ

…さて、私の仮説を続けよう
(前回述べた、「事件発生から儀式開始までに、綱吉が休めるような時間があまりなかった」という前提を、翻し削除しました
理由は以下に挙げます、)
綱吉は可能な限り寝かされていた…
なぜなら、事件の起きたとされるのが午前10~11時頃、(ここでは11時に統一、)
その知らせが綱吉にもたらされた時間が午後1時頃、少なくとも発生から2時間が経っています…
その間、吉良の手当てや浅野への対処、血で汚れた部屋の掃除など、いろいろあったかと思いますが、なぜ2時間も後で綱吉に報告したのか、登城した大名達に早く知らせるよりも、真っ先に綱吉に報告すべきではないでしょうか…
知らせを受けた時、綱吉は湯殿にいて、激怒したと記録されています…
もちろん、儀式に際してみそぎをしていたと思われますが、又別の解釈も成り立つのです…
それは、綱吉がもし乱心したのなら、吉良の返り血を浴びている可能性があります…たとえ服を着替え、肌についた血の跡をふいたとしても、汚れの概念が残りますから、それは念入りに湯殿で洗ったことでしょう…
そして、問題はそれまでの空白の2時間です
この間、綱吉は何をしていたのか
幕閣は、なぜ彼にすぐに報告しなかったのか
私の考えでは、綱吉は乱心したために、先述の通りしばらく放心状態、おまけに昨夜一睡もしていなかったから、すぐに寝入ってしまった…
幸い、儀式が始まるまでに数時間あったようなので、そのままこんこんと、眠らせておかれたようです…少しでも、平静に戻すために…

そして、その間に、吉保の仕組んだ芝居が始まった
吉保は事件の後の午前11時頃、城内の茶坊主や腹心の部下に命じてわざと騒がせ、松の廊下で刃傷があった風を装い、浅野と吉良がもめ事を起こしたと、触れて回らせた
登城を始めていた他の大名達は驚き、幕閣に目撃者になるように指示された武士達が、口裏を合わせて、証言した… (気がとがめたでしょうけどね、)
また、彼らはその日の日記に同じことを書くように、命じられた
何もかも、幕府の現体制を守るためだった

…浅野は小部屋にずっと閉じ込められていて、外の騒がしさを感じ取ったが、内容までは聞こえてこなかった…しかし、吉良殿が負傷しているので、その事に関することだろうとは推測できたし、自分が関与しただのと非難されているに違いないことも、わかった……、
悔しくて、膝に置いた両のこぶしをぎゅっと握りしめたが、どうしようもない…
一方、吉保は熟睡していた綱吉が眼を覚ましたと聞くと、早速馳せ参じ、綱吉の様子が落ち着いてきていたので少し安心し、できるだけ刺激しないよう、言葉を選んで吉良の軽傷と、見聞きした誰も何も言わぬように言い含めてあること、また城内の客の誰も真相に気づいていないこと、それから浅野に関しては、居合わせた「罪」により、何らかの御沙汰が必要でありましょう、と問いかけた…
「いかがいたしましょう? あの件……」
吉保はできる限り、浅野の名前を出さなかった
綱吉は眉にしわを寄せて考え込んだが、
「う……、」
としか言わなかった
彼は儒教を大層大事にしていたから、その中でどう折り合いをつけるか、考えていたに違いなかった
…そして、
「…目下の者は、目上を敬い、かばわねばならない……国の危機の時に……」
とだけつぶやいた
「なるほど、そうでございますな、いかにも名君らしいお答えで、」
と膝をついて顔を寄せるように近づけて、返答を待っていた吉保は、口の端ににやりと笑いを浮かべた
「主君のため命をかけることは、武士の本懐でござい、」
と言って吉保はさばさばして立ち上がると、胸を張った
(厄介者は早く払うに限る…そして、いずれ、あのご老体も……生かしては、ならぬ……)
と彼は、胸で1人ごちた

さて、これで吉保の方針は決まった
幕閣に告げると、誰も異存はなかった
みな、保身の塊と成り果て、一刻も早い解決を、待ち望んでいた…
綱吉への報告がずいぶん遅れたこと、(綱吉の性格だったら、遅いと怒るでしょうに、)
城内で事件を茶坊主が騒ぎ立てるより、儀式前の勅使やお客達を驚かせぬよう、できるだけ物静かに処理して、後で速やかに済ませました、とお客達に報告する方が安心させ、自然ではないか、
そして、粗相があれば困るのは指南役の吉良も同罪であり、浅野に意地悪したとて、何の得にもならないと思うのである……
何より、浅野の動機が不明………

さて、午後3時頃、浅野は籠に乗せられ、罪人用の平川門から城外に出された
そして、一関藩主の屋敷に急遽作られた座敷牢に入れられた…
午後6時ごろ、大目付と目付がやって来て、突然に切腹を申し渡した
浅野は静かに従い、事切れたのである…
辞世の句 (後世の創作、とも言われるが) がある、
「風さそふ花よりもなほ我はまた
春の名残をいかにとやせん」
後に残された家族や藩の家来や領民を思い、自分の無念を述べているのかな、とも思われますが、
わしの仮説に従って深読みすると、
風=乱心
花=将軍
春の名残=家族、家来、領民
「乱心した将軍を守ることも大事だが、残された国もとの者達のことが心配だ」
とも、読めるのです……
わしから見ると、浅野内匠頭は、やはり、柳沢吉保の言う通り、ある意味主君と言うか、将軍と日本の体制を守るために、納得して死んだのではないかと、思います…
そうでも考えなければ浮かばれますまい…たとえおかしな君主だとしても…
なお、わしの説に従えば、吉良上野介に何ら落ち度はなく、むろん浅野内匠頭も無実であり、それを知らずに1年9ヶ月後に仇を打った四十七士達は、ある意味大きな勘違い??をしたかもしれないが、やはり不審な片手落ちの裁定をした、幕府と綱吉や柳沢に対して、強い一矢を報いることができた、と思います…
そして、幕府は浅野がなくなった後、吉良をのけ者にして、それまでの江戸城に近かった彼の屋敷を、遠い両国に移転させた…まるで無防備になれ、いつでも赤穂浪士達が討ち入りできるように、とでも言うように、……
吉良はおそらく未来を予見していたのでしょう、老齢ながら、毎日剣の稽古をし、討ち入りの時には一旦小屋に2人の家臣と隠れたものの、家臣たちが浪士に倒されると、自ら剣を振りかざして飛び出していき、見事に討たれた……
覚悟の死ですね……
彼もまた、死後さんざん不名誉な言われ方をしましたが、本当は浅野と同時にしにたかったのではないか、どちらも少しでも名誉あるしに方をしたかったのではないか、それは必ずしもかないませんでしたが……
今頃は、天国で仲良くしてくれているといいなと、思います
なお、切腹した大石達も、もしかすると天国で真相?を知り、怒りに燃えたかもしれません…
そして吉良と和解したかもしれない…
私は、そのように、考えています……
これは、あくまで仮説ですけどね、

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