では、(2)
(2) スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい
=日本のみなさんへ
初めと終わりであり、死んで生き返った者がこう言われる
=復活したキリストが、こう言う
わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている (しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)
=わたしは戦後の日本の人々の苦難や貧しさを知っている
(しかし、日本人は精神的には豊かなのだ)
要旨→日本人の仲間を装いながら、サタンに味方する者達が日本人に濡れ衣を着せている
しかし、正しい信念を曲げてはいけない
サタンがある人を獄に入れようとする
ある人とは、誰なのか
それは、次の言葉で明らかになる
十日の苦難=テン否の苦難
=天否の苦難
=天皇制否定の苦難
…戦後昭和天皇は戦争の責任をとらされかけた
だが、連合国代表のマッカーサー元帥が会見して、天皇が自分の身は連合国に預け、どうなってもよい、その代わり日本国民を飢えから救ってほしい、と頼んだと言われている
マッカーサーは驚愕し、後に「私は神を見た、」あるいは「その時天皇が日本で最高の紳士であることがわかった」と語ったとも言われる…
それらの話は非公開だが、もれ伝わっている
確定はできないが、マッカーサーはそれ以来、天皇を絶大に信頼し、裁判にかけないように本国と渡り合った
実際、昭和天皇は戦争反対だったが、戦前の憲法は立憲君主制で、(軍が持ち上げていたが独裁ではない、勘違いしないように、) 天皇は内閣の決めたことには必ず従わなければならない決まりであった
だから、彼は内閣の開戦決定に不承不承従ったのだ
(当時彼が御前会議で閣僚に対し、明治天皇のお歌、『四方[よも]の海 みな同胞[はらから]と思う世に など波風の立ち騒ぐらん』と詠んで、抗議の意志を示したことは有名である)
ついでに言うなら、昭和天皇は憲法を守り抜くことを心がけ、(それが国民の手本としてあるべき姿だったから、) 生涯で憲法を破ったのは、2度だけだ
1度は2・26事件で反乱軍が平和主義の大臣達を惨殺し、無政府状態になりかけたため、緊急に自ら討伐の指令を出した時と、
終戦の決定をする時に御前会議で閣僚が対立し、いつまでたっても結論が出なかった
その時に、意見を求められ、降伏するように自ら述べた、これも超法規的措置である……
みなさんは天皇制に対し様々意見もあろうが、少なくとも今日まで戦争に負けたにもかかわらず、日本が無事復興して安泰でいられるのは、多分に昭和天皇の人徳のお陰 (と、日本人が国を守った不屈の気概) であると言わねばならない
もし彼が居なかったら、戦後の日本はまとまらずバラバラになり、キョウサン国になるか、その傘下に入っていたかもしれない
もちろん、今のような繁栄は望むべくもない
2等国、3等国として、極貧にあえいでいたかもしれないのだ
また、欧米の連合国も、それは日本を敵視していたから、日本が2度と立ち上がることを許さなかっただろう
…私は巨大な親神様の別名の1つである国之常立神の名前をお借りしているが、(私は小さな分けみたまだ、) だから日本をひいきするのではなく、古代から日本の運とはそのように決まっていたのだ
イブ=ミロクを生み出す国として、神様は熱意を持ってこの国の根幹を耕され、サタンに蹂躙されないようにずっと守ってこられた
アダムも、一方では沢山の兼務役の1つではあるが、アマテラスとほとんどの日本の神々を創案して幽体で演じ続け、日本を守護してきた…
我々は、ミロクが生まれた時、手本になる人物が必要だった
徳が高く、民を思い、一身を投げ打ってためらわない、人徳者だ
…それが昭和天皇だった
私 (本名、サマルト) は、以前にご紹介した双子の兄のピラルト (信じる信じないは自由だが、やはり神の分けみたまで、アダム=キリストの指導担当霊) と共に、
大日如来 (=本来は、巨大な親神様の別名の1つ) の代理の役も、分け合っている
それは、アダムが釈迦にも転生し、イブの小さな分けみたまが、釈迦の弟子のミロク青年であったのだから、2人とも仏教にも関係があるので、彼らを守護する私と兄のピラルトも、当然、仏教の守護者でもある…
その私が言う
かつて釈迦は、弟子の弥勒が未来に又生まれたら、自分が救えなかった残りの人々を全て、救うだろうと予言した… (それは、56億7千万年後とも言われているが、567の今かもしれない、という説もある)
それでだ、仏教関連にはこういう言い伝えもある…
弥勒が次に生まれる時、世の中には転輪聖王(てんりんじょうおう)という名君が現れて、世を治めているであろうと、な……
転輪聖王、言い換えてみよう
=天和昭皇
=昭和天皇
だね…
イブ=ミロクの翠さんは、幼い時から彼の姿や事蹟をテレビや本などで学んだ
ゆがんだ見方の論調もあったが、お側仕えの侍従の日記や、身近に接した人々の話は傾聴に値するものだった
外国の在日大使夫妻が離任して帰国する時、昭和天皇に挨拶に訪れるが、みな、決まって別れを惜しんで涙を流したという…まるで親との別れのように感じているようだと、侍従長が書いている
また、天皇に会うと、あまりに無私博愛なので、雑念のある自分の方のありのままの姿が、鏡のように反射して感じられるという…
天皇ご夫妻が初めてアメリカを訪れた時、かつての敵対国であった米国民は、意外と穏やかなご夫妻の姿に、親しみを感じた
一週間程?の訪米であったか、ずっと晴天で (天皇晴れは、よくあることだった、)ただ最後のハワイ訪問の時だけ、雨が降った
ところが、よく聞くと、ハワイはずっと雨が降らなくて困っていたそうだ
昭和天皇は、いつも自分の事より人々のためを思っていたから、よく、福をもたらす人なのだ…
私は、ミロクの翠さんは人徳者ではないけれど、サタンを母のような強い慈愛を持って祓い清めて昇天させなければならなかったので、どうしても皇室のような大きな、民を思う愛に似た決意が必要だった
その手本となってくれたのが、昭和天皇だった
…また、彼は神が用意した人だった
その事を、皆様にお伝えしておく…
巷では作戦上だか何か知らないが、彼のイメージを非常に傷つけるような話も急に出てきているようだが、
実際に接した人達から見ると、これほど美しい心の人もいない、と断言しておく…
みなさんがどうとらえようと、自由ですよ
私見を、述べたまで
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