みなさんは、SF作家のH.G.ウェルズを御存じでしょうか
あの、「透明人間」とか、「タイム・マシン」という、画期的な作品を書いた人ですね
彼の作品の中に、「来るべきものの姿 (世界はこうなる)」(1933年) という、未来予言めいた長編があります
そこでは日本の敗戦や原爆などが預言して言い当てられ、遠い未来には謎の知的生物が出現するという、不思議なストーリーであったようです
エピソードの中に、未来のある時代に中国で争乱に遭い、敵に追われた日本人の将校が、開封(カイフェン)という所で力尽きて倒れ、ノートに或る詩を書き残すシーンがある…
それが謎めいた詩なので、予言研究家の五島勉さんが取り上げて、「H.G.ウェルズの予言された未来の記録」という本を書いて、かつて出版しました…
その詩の原文は、こうです:
Almond blossom in the spring sunshine
Fuji-Yama gracious lady
Island treasure home of lovely things
Shall I never see you again?
そして、五島さんが付けた訳は、
「アーモンドの花が咲き誇る
春の太陽の光の中に
富士山 優雅で美しく凛とした女性
宝の島 かわいいもの達に満ちた家庭
僕はそれ等をもう決して見る事は出来ないのだろうか?」
イギリス人のウェルズが何故、当時日本人を登場させ詩まで詠ませたのか、
故国を思う詩にせよ、日本にあまり生育せず、全くなじみのないはずの、アーモンドの花を題材にしたのか…
何かをSF的に予言する詩かもしれないと、五島さんは考えていたようです
ところで、日本ではアーモンドにもっとも種属的に近似しているのは、桃です
…ほら、種が似ているでしょう?
すると、私はあの詩をこのように言い換えてみます
「桃の花が咲き誇る
春の太陽の光の中に
(=桃の節句にミロクが生まれ、やがて覚醒して気の力を発揮する)
そこは富士山があり、優雅で美しく凛とした女性(=ミロクの母)が居る
道徳の整った、宝のように貴重な島で
ミロクの育つ家庭にはかわいい物があふれている
僕はそれ等をもう決して見る事は出来ないのだろうか?」
ここで「僕」とは、誰なのか?
それは例えば、転生したイブ=ミロクの翠サンを、若い時に陰から特訓して死ぬほど苦しめた、
彼女の魂の兄である、アダム=キリストと考えると、話が合いやすい
なぜなら、当時未覚醒だった翠さんは、アダムに気の術で、疑似ノイローゼになるように、数年間苦しめられたから、もう少しでしぬんじゃないかと精神的に追いつめられたことが、たびたびあった
(ただしアダムは術を加減して、危険な1歩手前でいつも止めていた
そして、数年後に術を解いて、彼女を楽にしてから、今度は気のお祓いの術の伝授を始めた)
…なので、もし万一翠さんが負の術の特訓にくじけて、本当にしんでしまったら、
「僕」=アダムは、富士山のある宝のような日本の島に、美しい母から生まれ、かわいいものに囲まれて育った妹のミロクが、ついには覚醒する姿を見ることが出来ないかもしれない、
そんなことは決してあってはならないが、
という意味になるのです……
また、この詩を書いた将校が倒れたのは、「開封」という場所だった
アダムが負の特訓を終えた翠さんの閉じられていた丹田を開封したのは、彼女が31才の時でした
もし彼女がしなないで、うまくその丹田を開封できれば、彼女の莫大な気の力が発現して、覚醒に向かうのです…
ですから、アダムにとって「開封」という言葉は、非常に重要な重みを持っている
「開封」でしんだ男の詩には、そんなミロクの力が発現するかしないかの分かれ目、生死の瀬戸際のような、アダムの切実な願いが込められているかのようです…
この詩は何とでも解釈できるかもしれませんが、私ならこのように解釈する、という例です
もちろん、作者のウェルズが当時鋭敏な感受性を持ち、未来予知に長けていたので、それを見越してアダムの霊が、彼に上記の詩をわざと閃かせて書かせた……という仮定を、私は立てた上なのですが
アダムはいろいろな所に、未来に来る妹のイブのことを 、(その母の事も含めて、) それとなく予言暗号化して、入れさせておりますので、(「ヨハネの黙示録」等のように、)
こんな説も、有り得るということです…
そして、我々仲間は上記の詩を重んじて、イブ=ミロクの母 (=アダムの大きめの分けみたまで、双子の妹格) に、gracious→grace=「大グレース」という呼び名をいつも付けています……
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