今日はiPhoneの買い替えキャンペーンの最終日。また明日からキャンペーンが始まるだけだけど・・・・。
保証期間内の1週間前に5Cが壊れた姉。故障の原因はiPhoneの内部だったから無償交換。で、悩む。
新しいからバッテリーも新品。当たり前だけど、ラッキーな展開。でも新機種が出た。もし無償交換でなければ7,000円の費用を考えると一回分のクレジットを支払った方が安い。でも・・・・・・・・・・、新機種だった。果たしてこれはラッキーか。
ドコモショップにも直営店とフランチャイズがある。我が町はフランチャイズ。今回のiPhoneは違うけど、ドコモがiPhoneを新規発売するときは、直営とフランチャイズには差があった。我が町でiPhoneが買えるのは一か月後・・・・。で隣の市の直営のドコモに行った。
隣の市は呪う神主のテリトリー・・・・。この伏せん凄いでしょ。ドラマならいいけど現実ならば策略的だ。もう大丈夫さと大丈夫さを確かめる良いチャンスではあるが、怖さがないわけではない。リアルにあいつは呪詛活動を辞めていない。都合のいい奴だから正当な神に祈らずに、従うものであれば邪悪なモノでも召喚するだろう。祝うだろう。神のように祀るだろう。
神職の資格はく奪ってあるのかないのか知らない・・・・。あれは国家資格の類いと違うから免状のようなものだろう。法的根拠があるか分からないけど資格がないと神社では神には祈れない。奉れない。直接的に神と交信する機会は与えて貰えない。免状=神の使いなんだから、特別な霊能が必要ないのが神道なのだ。しかるべき手本となる教義がない。仏教でいうお経は教義を説くものであるのに。神道とは精神の道である。過ちでも道。誤りでも道は道であるし、満ちているわけだ。
はく奪されていないのなら破門でも独立宗教法人として、なんとかやっている。現に自ら神社庁を離れて、独立宗教法人となってる神社も少なくない。が、それは賽銭や祈願で神職らが食べていける信仰に篤い強豪な神社だけの話。権威をハズされた小さな神社はカリスマ神職を必要とする。神饌と賽銭は違うだろう。賽銭は神社の維持費や神職の生計を立てるために使う用途がある。儀礼的にお願いするときに賽銭を入れるけど、それは直接神様に関係ないですし、悪く言えば10000円を神社に入れるとかなりの確率でお金が入ると言うのは心理学的なトリックだ。別にそれは神社を型にしてるけど、寺でも街頭の寄付でもいいだけだ。一万円の価値を捨てるって・・・・あれはまやかしだと思うな。心理学とは言葉のトリックだ。ああいえばこう言う。脳生理学に基づいた心理学は尊重しますけど・・・・・。お賽銭が一円でも百円でもいいし、一万円を払って祈願と言う仕事をして貰ってもいいのに、比較的誰もいない神社に1万円の賽銭をあげる勇気が金運につながるなんて、本当に神社を神を舐めているんですかね。人気のない神社には神はいないと思う。人間がわ忘れると神は消える。消えた神社に賽銭上げて喜んでる場合じゃない。神モドキが願いを叶えてる場合だってある。
人が忘れると神様が消えるルールをこしらえたのもまた人間側の都合だった。神モドキと呼ぶだけモドキもその類には違いない。高位か低位か、正か悪か、果たして人間に見分けがつくのだろうか。まあ貧乏神社には得な話だ。けど、なぜ鎮守の杜がそうなったか考えないといけないのでは。
あなたの願いを叶えたのは悪霊かもしれないし、動物霊かもしれない。危険な行為ではあるんだ。それならば1万円を宝くじにしたら、当たらないといけなくなる。金に対する執着と価値観を変えると、その心理学者は言ってる。その通りだけど、それならば金をどぶに捨てても同じはず。おいらだってランクはある。1000円入れる神社と501円入れる神社と101円と11円と・・・・十円はあげない。遠縁になるからゴロが悪い。基本的に生きてることに感謝してお詣りしているから、そんな邪な企みを持って賽銭をあげたりしない。あぶく銭は身に着かない。そこは誓いを立てる場所であって一方的に場所ではない。等価交換ではないと思うけど、おれは同じ。何かを得るためには何かを失くす。失くしたのは執着なんではないだろうか。こうなりたかった。ああなりたかった。たかった、たかった。自分や環境にたかったのだ。カツアゲです(笑)。だから失くしたと損した気持ちになるけど本当はなかったんだ。と思う。これは私的な解釈だけど。
まあ、除名処分を受けたからまたまた呪われたのだが、あんまり私的な感情過ぎて、それではもう神もうんざりしただろう。まあ悪い噂のある神社だ。自死した霊や落ち武者が出ると言う。モドキはいっぱいいる。権威のはく奪はネットワークの外側に置かれたと言うこと。神も神社も差し押さえはくらいはしないだろうけど、かたちを残しすでに神威は取り除かれているのかもしれない。・・・・それはとても容赦がなかった。
自尊になるけど、ちょっとだけ知識がまさって手伝って、辛いながらもそれたんだと思う。今度の直接攻撃は、本人に反射する。我執そのものが行う行為は神事にしたって、それはペテンと同じ。まあどこにでも会費制度があるのだから、ケチって除名だったなんて笑える話の可能性もあるのだけど。手続き上。断罪されたのだろう。まぎれもなく事実だったから表の世界で裁きを食らう。まあどこまでいっても裏の世界の話なんですが・・・・。でもその裏の世界の影響は必ず表の世界に投影される。だからもう奴の術式は無効なのだが・・・・・ね。
おいらもおいらの考える理の中でルールを決めている。だからあと3日は有効なんだ。向こう側も手が出せる・・・・。
たかがiPhoneなのだけれど(笑)。旧機種の高価買取は魅力的だ。
姉はおいらに決めさせよとしたいみたいだけど、この一年は傍観者で徹するのがおいらなりの自分に課した罰でもあり、バチでもある。だからおいらは判断しない。してはならない。”流れ”とは”あるがまま”とかはそういうものだと今更ながら思う。
父の高血圧の原因が、高々目薬であったにしても投薬を中止させられていたのだから、それはそれで父の誤り。医者側からすれば命令違反だ。考えてみると目薬は目の薬で、液体でも体内に血管に入るもの・・・・。間にあったけど、命取りの行為ではあった。
父は誰の言い分も聞かないが、これまで医者と看護婦には逆らったことがない。絶対服従者だったはず。だから父が代わって見えたのは気のせいじゃない。何らかの影響を受けている。それが呪いか先祖由来かは断定でない。どちらでもあると言えるから。どちらでもないとは思えないし、思わない。
だって、それを案じていた故に盆でも悲願でもないくせに黄泉道を歩き、祖母がやってきた。その可能性を是正するために。でも母が感じ取ってる「死」の気配を、死の匂いを感じてる身のおいらたちは辛い。母は無意識に寺の話題を引っ張り出して、おいらはそれを否定する。幽霊が怖いと言うけれど、死の気配を感じる方がよっほどゾッとするんですけどね。無自覚の魔女の成せる技です。いいや業です(笑)。死を阻止するゆえに”流し”をやっていたりする。自分ちの不幸自慢をしてるつもりはない。それに死を願って読んでくれてる邪な人もいるだろう。読めば毒となるけど、探ると薬になると思う。これは啓蒙で予防の話でもあるからだ。炭の結界を試してくれた人がいると嬉しいな。リスクは盛り塩よりも低いから。ハイリターン好きでしょ?みんな。・・・神に願うより前に「掃除」しろっていうスタンスと同じくらいは効果がありますよ。
守られてるっ感じは、なんだか死にそうにないという心境と同じで度胸が付くもの。度胸もつくものなんですよね(笑)。
予見では死にはしないが、死に近いところにはいるはずだ。事態自体は消えてはなくならない。身代わりがいる。それが正しいことのようにおいらの身体は反応してる。でも、あんな者のために死ぬのは御免だ。代わってあげたい痛みなんて感じたことがない。それは父がそう言う人だからだ。人の痛みが分からない。誰かの代わりが出来ないことを正しくもいみじくも知ってるからだ。もちろん動物的なカンで。親子でもやらないよ。一滴も一グラムも。父には何も教わったことがない。ペイできやしない。無念が残るだけだ。そういう犠牲を伴う誰かの願いなんざ、おいらの知ったことではない。忍野メメと同じ意見。人は人を救えない。勝手に助かるだけ。手を貸すのはいいけど与えたりしない。もうそれが父のために、何よりも自分のためにならないことをおいらもまた知ってしまったのだから・・・・・。
少しうんざりするけど、今日もまた書かされてる。書かされている感が半端ない。
姉が迷いかねている。外は雨。姉は雨の日が極端に嫌いだ。髪が跳ねるから。それに身体も疲れてる。
これはかなりの確率で、次にもっといいキャンペーンがあるから我慢して養生しなさいって伝達でしょう。思考が鈍るほどにはおいらも低気圧のせいで肩がコリコリ。思ってる好条件が思いの全部を喜ばせることはない。好条件にはリスクもある。アレも入れこれも入れ、で一か月したら辞めていい。ドコモはいじらしいくらい胡坐をかいていて未だに小銭を稼ごうとする。だからおいらのiPhoneはソフトバンク。
こういう誘い方、試し方嫌なんですけど。もっとストレートにガツンと来てもらえたら嬉しいです。今日も早起き出来たのは父の代わりで神棚のお世話をしてるせい。まあ、仕方がない。決して望んだことではないが、そういう風に償うことはおいらには当たり前すぎることなんだ。
さあ昼飯の買い出しに行こう。
保証期間内の1週間前に5Cが壊れた姉。故障の原因はiPhoneの内部だったから無償交換。で、悩む。
新しいからバッテリーも新品。当たり前だけど、ラッキーな展開。でも新機種が出た。もし無償交換でなければ7,000円の費用を考えると一回分のクレジットを支払った方が安い。でも・・・・・・・・・・、新機種だった。果たしてこれはラッキーか。
ドコモショップにも直営店とフランチャイズがある。我が町はフランチャイズ。今回のiPhoneは違うけど、ドコモがiPhoneを新規発売するときは、直営とフランチャイズには差があった。我が町でiPhoneが買えるのは一か月後・・・・。で隣の市の直営のドコモに行った。
隣の市は呪う神主のテリトリー・・・・。この伏せん凄いでしょ。ドラマならいいけど現実ならば策略的だ。もう大丈夫さと大丈夫さを確かめる良いチャンスではあるが、怖さがないわけではない。リアルにあいつは呪詛活動を辞めていない。都合のいい奴だから正当な神に祈らずに、従うものであれば邪悪なモノでも召喚するだろう。祝うだろう。神のように祀るだろう。
神職の資格はく奪ってあるのかないのか知らない・・・・。あれは国家資格の類いと違うから免状のようなものだろう。法的根拠があるか分からないけど資格がないと神社では神には祈れない。奉れない。直接的に神と交信する機会は与えて貰えない。免状=神の使いなんだから、特別な霊能が必要ないのが神道なのだ。しかるべき手本となる教義がない。仏教でいうお経は教義を説くものであるのに。神道とは精神の道である。過ちでも道。誤りでも道は道であるし、満ちているわけだ。
はく奪されていないのなら破門でも独立宗教法人として、なんとかやっている。現に自ら神社庁を離れて、独立宗教法人となってる神社も少なくない。が、それは賽銭や祈願で神職らが食べていける信仰に篤い強豪な神社だけの話。権威をハズされた小さな神社はカリスマ神職を必要とする。神饌と賽銭は違うだろう。賽銭は神社の維持費や神職の生計を立てるために使う用途がある。儀礼的にお願いするときに賽銭を入れるけど、それは直接神様に関係ないですし、悪く言えば10000円を神社に入れるとかなりの確率でお金が入ると言うのは心理学的なトリックだ。別にそれは神社を型にしてるけど、寺でも街頭の寄付でもいいだけだ。一万円の価値を捨てるって・・・・あれはまやかしだと思うな。心理学とは言葉のトリックだ。ああいえばこう言う。脳生理学に基づいた心理学は尊重しますけど・・・・・。お賽銭が一円でも百円でもいいし、一万円を払って祈願と言う仕事をして貰ってもいいのに、比較的誰もいない神社に1万円の賽銭をあげる勇気が金運につながるなんて、本当に神社を神を舐めているんですかね。人気のない神社には神はいないと思う。人間がわ忘れると神は消える。消えた神社に賽銭上げて喜んでる場合じゃない。神モドキが願いを叶えてる場合だってある。
人が忘れると神様が消えるルールをこしらえたのもまた人間側の都合だった。神モドキと呼ぶだけモドキもその類には違いない。高位か低位か、正か悪か、果たして人間に見分けがつくのだろうか。まあ貧乏神社には得な話だ。けど、なぜ鎮守の杜がそうなったか考えないといけないのでは。
あなたの願いを叶えたのは悪霊かもしれないし、動物霊かもしれない。危険な行為ではあるんだ。それならば1万円を宝くじにしたら、当たらないといけなくなる。金に対する執着と価値観を変えると、その心理学者は言ってる。その通りだけど、それならば金をどぶに捨てても同じはず。おいらだってランクはある。1000円入れる神社と501円入れる神社と101円と11円と・・・・十円はあげない。遠縁になるからゴロが悪い。基本的に生きてることに感謝してお詣りしているから、そんな邪な企みを持って賽銭をあげたりしない。あぶく銭は身に着かない。そこは誓いを立てる場所であって一方的に場所ではない。等価交換ではないと思うけど、おれは同じ。何かを得るためには何かを失くす。失くしたのは執着なんではないだろうか。こうなりたかった。ああなりたかった。たかった、たかった。自分や環境にたかったのだ。カツアゲです(笑)。だから失くしたと損した気持ちになるけど本当はなかったんだ。と思う。これは私的な解釈だけど。
まあ、除名処分を受けたからまたまた呪われたのだが、あんまり私的な感情過ぎて、それではもう神もうんざりしただろう。まあ悪い噂のある神社だ。自死した霊や落ち武者が出ると言う。モドキはいっぱいいる。権威のはく奪はネットワークの外側に置かれたと言うこと。神も神社も差し押さえはくらいはしないだろうけど、かたちを残しすでに神威は取り除かれているのかもしれない。・・・・それはとても容赦がなかった。
自尊になるけど、ちょっとだけ知識がまさって手伝って、辛いながらもそれたんだと思う。今度の直接攻撃は、本人に反射する。我執そのものが行う行為は神事にしたって、それはペテンと同じ。まあどこにでも会費制度があるのだから、ケチって除名だったなんて笑える話の可能性もあるのだけど。手続き上。断罪されたのだろう。まぎれもなく事実だったから表の世界で裁きを食らう。まあどこまでいっても裏の世界の話なんですが・・・・。でもその裏の世界の影響は必ず表の世界に投影される。だからもう奴の術式は無効なのだが・・・・・ね。
おいらもおいらの考える理の中でルールを決めている。だからあと3日は有効なんだ。向こう側も手が出せる・・・・。
たかがiPhoneなのだけれど(笑)。旧機種の高価買取は魅力的だ。
姉はおいらに決めさせよとしたいみたいだけど、この一年は傍観者で徹するのがおいらなりの自分に課した罰でもあり、バチでもある。だからおいらは判断しない。してはならない。”流れ”とは”あるがまま”とかはそういうものだと今更ながら思う。
父の高血圧の原因が、高々目薬であったにしても投薬を中止させられていたのだから、それはそれで父の誤り。医者側からすれば命令違反だ。考えてみると目薬は目の薬で、液体でも体内に血管に入るもの・・・・。間にあったけど、命取りの行為ではあった。
父は誰の言い分も聞かないが、これまで医者と看護婦には逆らったことがない。絶対服従者だったはず。だから父が代わって見えたのは気のせいじゃない。何らかの影響を受けている。それが呪いか先祖由来かは断定でない。どちらでもあると言えるから。どちらでもないとは思えないし、思わない。
だって、それを案じていた故に盆でも悲願でもないくせに黄泉道を歩き、祖母がやってきた。その可能性を是正するために。でも母が感じ取ってる「死」の気配を、死の匂いを感じてる身のおいらたちは辛い。母は無意識に寺の話題を引っ張り出して、おいらはそれを否定する。幽霊が怖いと言うけれど、死の気配を感じる方がよっほどゾッとするんですけどね。無自覚の魔女の成せる技です。いいや業です(笑)。死を阻止するゆえに”流し”をやっていたりする。自分ちの不幸自慢をしてるつもりはない。それに死を願って読んでくれてる邪な人もいるだろう。読めば毒となるけど、探ると薬になると思う。これは啓蒙で予防の話でもあるからだ。炭の結界を試してくれた人がいると嬉しいな。リスクは盛り塩よりも低いから。ハイリターン好きでしょ?みんな。・・・神に願うより前に「掃除」しろっていうスタンスと同じくらいは効果がありますよ。
守られてるっ感じは、なんだか死にそうにないという心境と同じで度胸が付くもの。度胸もつくものなんですよね(笑)。
予見では死にはしないが、死に近いところにはいるはずだ。事態自体は消えてはなくならない。身代わりがいる。それが正しいことのようにおいらの身体は反応してる。でも、あんな者のために死ぬのは御免だ。代わってあげたい痛みなんて感じたことがない。それは父がそう言う人だからだ。人の痛みが分からない。誰かの代わりが出来ないことを正しくもいみじくも知ってるからだ。もちろん動物的なカンで。親子でもやらないよ。一滴も一グラムも。父には何も教わったことがない。ペイできやしない。無念が残るだけだ。そういう犠牲を伴う誰かの願いなんざ、おいらの知ったことではない。忍野メメと同じ意見。人は人を救えない。勝手に助かるだけ。手を貸すのはいいけど与えたりしない。もうそれが父のために、何よりも自分のためにならないことをおいらもまた知ってしまったのだから・・・・・。
少しうんざりするけど、今日もまた書かされてる。書かされている感が半端ない。
姉が迷いかねている。外は雨。姉は雨の日が極端に嫌いだ。髪が跳ねるから。それに身体も疲れてる。
これはかなりの確率で、次にもっといいキャンペーンがあるから我慢して養生しなさいって伝達でしょう。思考が鈍るほどにはおいらも低気圧のせいで肩がコリコリ。思ってる好条件が思いの全部を喜ばせることはない。好条件にはリスクもある。アレも入れこれも入れ、で一か月したら辞めていい。ドコモはいじらしいくらい胡坐をかいていて未だに小銭を稼ごうとする。だからおいらのiPhoneはソフトバンク。
こういう誘い方、試し方嫌なんですけど。もっとストレートにガツンと来てもらえたら嬉しいです。今日も早起き出来たのは父の代わりで神棚のお世話をしてるせい。まあ、仕方がない。決して望んだことではないが、そういう風に償うことはおいらには当たり前すぎることなんだ。
さあ昼飯の買い出しに行こう。
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