おばあさんは帰っていなかった・・・・ようだ。
母がおいらの目の見ない。あれは罪悪感を知っている目だ。しかし母は罪の意識が低い。自分が傷ついたときにだけ相手を裁き切る。死の気配を感じ取っていることを悟られないようにしてる。
だから同時に何人もドン引きさせすべてを敵に回す。今、政府がしているように仮想敵にしてしまう。危険なゾーンにいる。まだこっち側だけど、あっち側に引っ張られてる。良く言えば白い紙。悪く言えば空っぽ。実母を失くした際の穴を埋めることが今も出来ていない。なのに供養だと偽って最深部に潜ろうとする。母方の祖父母に限って言えば母を恨んだりはしていない。いまでもすまないと思っている。母が心の中の祖父母を留めてる。宗教的な協議に倣えば未成仏なのだが、おいらの中では極楽浄土で飼い犬だった40年飼っていた愛鳥のインコや我が家の愛犬の世話をしてくれていると思う。そう願う。
それに夢の中では危険を知らせてくれるおいらにとって大事な存在でもある。生きる知恵と勇気を教えてくれた。
今の母は父をがんじがらめにして、「私」しか頼るものがないような話し方をする。それはもちろんそうなのだが、私とは娘息子を含んでいない状態をもちろんさす。文字通りに・・・・・。ちょっと前まであんな風に気が触れた様子ではなかったのに。
昨日の失態もそのあと咎めたりはしなかった。実は咎められたり叱られた方が楽な時がある。いつもは楽を与えてあげるけどこう頻繁ではおいらも身が持たない。しまったぁと本人が思ったのだから本人が反省すればいいけれど、そもそもの罪悪感がないので「なんで私が悪いんだ」になる。だから姉と三人で話していてもこちらを向かない。・・・叱って欲しいんだろう。でも、それを言葉にしたら母が感じ取ってる死の気配が本物になる。
寿命というものは確かに存在する。科学とは並行してはいないと思うけれど、人の世の変容に合わせて裏の世界も膨張したり縮んだりする。微妙なバランスで影響しあって干渉しあう。母がしようとしてることは独善的な支配だ。まるで父の母がそうしたように。母はまた父が望むように変幻しようとしてる。それがばあちゃんが憑りついてるせいだ。昨日はまんまと交わされたけど今日の態度でピンときた。
昨日、母とは病院から帰った後にケンカを一度もしていない。だから生き霊を飛ばされることもない。なのに今朝から首肩腰に不具合が出てる。それをおいらは気圧のせいにしてとぼけてる。姉がiPhoneを変更しない結論に達したのも理由。思い込んでたキャンペン締め切りは11月3日。今日ではないのだ。10月12日ではありえないのだ。なのに姉は今日だと妙な誤解をしてた。そんなお知らせのメールもSNSもショートメッセージも来ていない。姉も首を傾げてる。すると友人からの誘いがあってお茶しに出かけた。良いことが人間関係の再構築。前の友達とは疎遠になっているし、近づきたくない理由もある。離婚した叔母の孫のダーリンは昔の友人の息子さん。そのことに限っては、どんな話でもする人が姉には何にも言わなかった。なのに、どんな小さな落ち度でも姉は伯母から耳にしてると誤解されていた。本当に都合よく何も知らないのに、状況は都合よく姉と叔母(一方的に)を仲違いさせる。異様で異常ですよね。異形のモノが関わっている方が自然。関わっていないなら不思議なくらい。霊能者Mに叔母の生き霊を指摘されていた。
何だか、会って気まずいのはわだかまりもあるが、寝静まる頃に生き霊になってファイトしてるせいかもしれないです。
今日も一緒に行ったら教育する時間が減る。おいらたちが戻ってから一緒にいけばいいのに黙って病院へ行った。いつもの母なら予定を話す。都合が悪いんだ。知られるともれなく娘と息子が付いてくる。スナック菓子の要らないオマケか。
屋根の上にカラス。いい声で鳴いてやがる。
まあ、今日も連れて帰ってきたら追い出すからいい。言葉のシャワー(笑)。
ばあちゃんは父のための(正確には伯母も)に延命措置をした。まるで不運を肩代わりするように近々に父が不運に陥ると親戚の誰かが亡くなる。去年もそうだった。父によく似た3つ上の父のいとこが亡くなった。そこの息子さんにいちばん悪い昨年の8月に風呂場の水周りの修理を頼んだ。いつもと違う工務店に頼んだのもこの時が初めてで、いとこの息子が水道工事をしてるのを知ってはいたのに初めて頼んだ。
ちょうど昨年の20日に父の入院する病院で急死した。死因は心不全。その前日に退院が決まっていたほど様態は回復していたにも関わらずだ。正確に言えば呪う神主の呪詛は我が家でも成就したのである。人死には出てる。もはやこれは裏の世界がいびきを返す一瞬だった。の、はずだったのだが、ばあちゃんの霊が介在した。息子を死なせるわけにはいかない。代わりに差し出された命がいとこ。時を同じくして別のいとこも広島で亡くなったいた。
前にも言ったけど予見はそれ自体を回避することはない。大小の違いはあれ、必ず起こる。人死にが発生してもおかしくないようなネガティブアタックを最大に受けていたときだ。その数日間に呪う神主と接触してる。いつにもまして黒い目をしていた。あれは疚しいものの目で、おいらがすでに気が付いたことを物語っていた。だから殺ろうと思ったんだ・・・・・。
去年は今よりも強固な結界をしくべき、崇敬する神社と地元でいちばんそう言う系の強い神社からお札をいただいていた。祈願をした。だから我が家に来たものを跳ね返す力はあった。跳ね返った先がいとこの元だと思った。すまない気持ちでいっぱいになった。今年もなんだか試しに守りを薄くした。わけ合って崇敬する神社には足しげくいかないことにした。今思うと不思議なんだけど、後々理由がわかった。この6月に頭がガンガンして生き苦しくて死ぬかと思って、家を飛び出したことがある。市内にはいなかった。帰ってビックリ。家の正面にある近所のお宅で不幸があった。30代の息子さんが急死した。心臓が止まった。心不全。自室に戻ると斜めにむけていた風水の八卦鏡のガラスが壊れていた。
予見と知っても私見を予測するのは不可能だ。自分の事は分からない。自分のことがわかったら崇敬神社で言われた。命を奪われます。即関係を断ってくださいの神からの警告をすぐさまに実行していた。こんなに心を削る必要もなかったんだ。その時は傷つきたくなくて先送りした。これがまた過ち。神道系の呪詛ならば家の住所でもかけられる。おいらの氏名で呪っても、同じ番地に住む家族にも被害が及ぶことを完全にあの時も失念してた。そうなんだ。神のご信託では命を削られる=死ぬと言う警告がなされていたのだから。
だからもう閉店までの2か月前に、父は倒れ死にかけた。それは8月同じ月。風呂場の修理を依頼したときに父は病院のベッドにした。間の悪い偶然で魔の悪いタイミングで、父のいとこの奥さんと母が話をすることがあって、いつもはしないのにまるでウチん家の修理が必要になることを知っているように息子さんの仕事先を営業した。この奥さん謙虚な人でそういう押しつけがましいリップサービスはしない人なのだ。
逢魔が時。不幸は不幸と引き合ってた。
だから母は風呂が壊れたときにいつもの工務店に電話しないで、いとこ宅に電話をしたのだ。まるで当たり前みたいに、疑うこともせずスムーズに。
そのいとこの墓が菩提寺に完成したと言う報告を、父の手術中に叔母からもたらされる。その時まで意識的に忘れていた。まだ頭がぼんやりしていたからだ。確か奥さん側の身内の菩提寺に土地を購入していたと言うのに。我が家と同じことがいとこの家でも起こってた。こんな偶然あんまりない。で、なかったことにしていた事実が申し訳なさと一緒に蘇ることになった。まるであの時と同じ。同じ展開・・・・・。
もちろん母は知るまい。意図的にやらされてる分は。正しい人の選択とは思えないことをこの数年間やり続けてる。どれも事を悪化させただけ。我が家には不幸がないと思ってる。目の前の息子はうーーーーーーーーーーーーーーーんと不幸だぞ。これだけの不幸を見せつけられても突っぱねようとする強い心。母が弱いはずもない。いつだって罪悪感は人の半分、もしくは四分の一。でも最近は思う。これだけの悪事を働いても、自分がいちばん不幸だと言う。貧乏くじを引いたと言う。それは当たり。大当たり。自分で決めることがいつも間違っていたのに、父を誘導し姉を懐柔し、三対一の構図を作り出して、息子のおいらと対峙する卑怯者だ。性根は相当に腐ってる。まるでおいらと同じ。反面教師で反対教師。
要するに母は霊界からの運び屋です。憑りつかれ運ぶ。それを家に持ち込む。無自覚の魔性を帯びた天然の魔女。可愛くなんか全然ない。
裏の世界が反射することを表の世界で具現化してしまう。父が死んでいちばん困るのも母なのだ。なのに死の気配を祓えない。だから死霊に取り憑かれる。死霊と言っても今度のは先祖だから背後霊。守護する立場の者が現実社会に影響を及ぼしてる。
父の命の犠牲はいらない。犠牲になるなら今度はおいらかおいらのいとこ。悪いけど肝臓をくれてやるのとはわけが違う。でも泣いて懇願されても父に臓器をくれたやるのが何だか欲しい。他人の命乞いなら尊くて出来そうだけど、父をそれくらいには嫌う理由もおいらにはある。やるもんか、おいらの命も他人の命も。寿命であるならば仕方ない。世の理から外れ続ける父もまた異常で異様なのだ。病人には誰も優しい。だから手を貸す。そして奪われる・・・・・。この繰り返しはあってはならない。大義滅親とはこの事だ。大義とはこの場合、世の理だけど・・・・・。
まあちょっと生身の身体を借りて父の世話をしたいならばいい。
実は叔母の話と父の話を比較して統合するには無理がある。瑕疵がある。父の話には綻びがある。
兄妹で様子が違う。全然違う母親像がそこにある。唯一の働き手である父を異常に贔屓したけど、それは便宜上言葉の彩で、うるさいヘンクウ(変わり者)の父の食事は毎日伯母が支度していたようだ。父が食べたいものを娘に強要して作らせていた。口に合わなければ叔母のせいし、合うと母をほめる。歪んだ愛情ゆえの歪んだ父性。曲げた母性。それは強個性となり対峙する。叔母は父がいない家族を望んだに違いない。それくらいに緩やかにおばあちゃんは来るっていったんだ。真実を見ずにもくもくと働く父。それはそれで偉いのだけど・・・・。悲しい過去。
ご飯を嬉しそうによそう母を姿に家事一般の恩義を感じていた。腹をすかせた兄弟を顧みることもしないで、なんて間抜けな男だろう。入院させることも出来ただろうにひた隠して、身内の口の堅い拝み屋のおばさんを頼りにした。手に負えなかっただろうし、心残りもある。ずっとおいらを陰ながら見守ってきてくれたのは、この拝み屋のおばさんなんだろう。名前も知らない。父はそんなに母のために心を砕いてくれた恩人の名前も覚えていない。関心がないのだ。自分以外には。父もしかり兄もしかり、弟もまたしかり。それは弟に色濃く出たのだと思う。病むことで闇み、闇むことで更に病んだ。自殺未遂の理由は理由にもなっていない。婚約者の気持ちを傷つけて不幸を蔓延させた。死にきれずに生きた。
実際、父は誰よりも妹を労い可愛がるべきであった。父の母を慕う慕情や守り方には瑕疵がある。やっぱりそこには他の家族の姿がない。そして己の不甲斐なさを我がままに変えて激高した。母の歪んだ愛情が父を暴君へと変えていった。皆思うだろう。おじいさんはどうしたのか?・・・・きっと見ないふりしたんです。そして父と母のいない場所で他の兄弟姉妹を労った。それがまずかった。叔母の中で祖父は最大の存在となり、父には最大で最凶の母と最大の父でいっぱいになった。手に負えない妻を子供らに任せたんだ。秘密があるのは良く分かる。悪い部分がない人間なんていない。故人を悪く言わないものだが、信頼に篤い人物だと皆が一様に言ううけれど、それは特徴も個性も表していない。外的には頼りになる人物だったようだが、家内では違っていたのだろう。実父をほめる時に困った表情になる。叔母なんて実母のことに触れもしない。兄が喜ぶことを徹底的に絶対的にしない。それは伯母の思うところで「母」の存在が普通の家のそれとは違っていることに気が付いているからだろう。恥だから隠した。隠したから秘密となった。遺影の祖母の写真はかなりふくよかなのに、みな内に秘めた思いを吐露してこう表現する。線の細い人だったと。普通太っている人には使わない形容だ。邪推も入っているだろうが、ほぼ当たりだろう。実家と父方の一族を呪う条件を満たしているのは今のところ祖母だけ・・・・。隣家とも揉めたけど、それならば父の分家筋だけが祟られて終わりのはず。隣家のおばさんは宗教家みたいですけど、宗教家全般が霊能力者ではないし、呪詛など行えません。そう思い込もうとしてる。
まあ、父の好物のカツレツや炊き込みご飯やあれもこれも作っていたの働き者の伯母。ただ心はその頃捻じ曲げられている。それは危なげな母のせいではない。たぶんに父のせいだろうな。でも叔母には実母を怨めなかった。可哀想な女性だったから。だから代わりに我儘な兄を憎んだ。兄を憎むことで平静を装った。母親が父にした「親らしさ」の下準備は伯母が父と実母を畏れながらしていたのだ。普通は気づいてやるだろう。母親の味が変わったときにでも。母には一度も言わないが、子供の頃に訊きおぼえがある。「あれのご飯は上手くない。お前のご飯は醤油が染みて上手いのう」
だから父はいつだって、どんなときだって知っていた。でも知らんフリした。だから叔母は父が大嫌いになった。その伏線をいとことテレビを見ながら聞いていた。敏い目を持つ子供は敏い耳も持っていた。こういう場面で母を侮辱する父をおいらが嫌い始めた理由も分って貰えるだろう。
・・・・しかし、これもまた母の家族とよく似た構図。兄を憎んで親を憎まず・・・・・。
言い換えると両家とも両親の婚姻を持って不幸が激化した。沈下することなくくすぶってる。火元はなんだぁ。
接点がないぞ。今瀬ではないのか。ではいつだ。答えはそこにある〇城の〇田家だ。ここでしか明治以降に至る禍根の接点はない。
まぐれなく、まぎれもない。
先送りされてる父の寿命。
それが心配でならない。
子として。
予見するへっぽこ霊臭男として、これは阻止せねばならない。
予見はハズれない。身代わりが出る。可能性は高いが、向こうはがっつりご先祖様が守ってる。だから歯がゆくて母もばあちゃんも仕方がない。簡単に取り疲れるなぁーーーーーーー。
こういう時は思ってもみないことをする。おいらの心配。昨日姉を送った後で左に傾いでる自分はすでにグロッキーだった。お金にならない霊的な営業はするものじゃない。ペイをもらってペイにすることが出来ない。ただの無料奉仕。日ごろしゃべっていないからすごいエネルギーを消費する。
こういう時はすぐに家に入らずに塩を浴びてから入るようにしてる。で、うっかりカバンを自転車のかごに入れたまま失念してた。スマホはポケットにあったから特段財布は必要なかったし、姉の迎えへに行く必要もないから免許は要らなかった。で、玄関前に放置した。バッグには相応な魔除けグッズが入っていていつも身近な結界を作ってる。
母に今朝指摘されるまで気が付かなかった。こういう時にこういう失敗。だからまんまをすり抜けて邪念が家に侵入した。道理で今朝は頭がガンガンしていたのだ。
ちなみにこれも”流し”です。
念のために、順を追いますが、読めば毒、探れば薬のお話です。
寿命は伸ばせない。
だから、そういう悲しい願いに命を捧げてはいけません。それは献身ではありません。もっとも危険な行為です。おいら身に染みてわかります。
自分の意思だと思っていることがどこまでが自分の意思か分からななくなる。こういう状態をカオスと呼ぶんだろう。すっきりしたけどまだ終わっていない。
誰かがまた死ななきゃいけなのかな。
母がおいらの目の見ない。あれは罪悪感を知っている目だ。しかし母は罪の意識が低い。自分が傷ついたときにだけ相手を裁き切る。死の気配を感じ取っていることを悟られないようにしてる。
だから同時に何人もドン引きさせすべてを敵に回す。今、政府がしているように仮想敵にしてしまう。危険なゾーンにいる。まだこっち側だけど、あっち側に引っ張られてる。良く言えば白い紙。悪く言えば空っぽ。実母を失くした際の穴を埋めることが今も出来ていない。なのに供養だと偽って最深部に潜ろうとする。母方の祖父母に限って言えば母を恨んだりはしていない。いまでもすまないと思っている。母が心の中の祖父母を留めてる。宗教的な協議に倣えば未成仏なのだが、おいらの中では極楽浄土で飼い犬だった40年飼っていた愛鳥のインコや我が家の愛犬の世話をしてくれていると思う。そう願う。
それに夢の中では危険を知らせてくれるおいらにとって大事な存在でもある。生きる知恵と勇気を教えてくれた。
今の母は父をがんじがらめにして、「私」しか頼るものがないような話し方をする。それはもちろんそうなのだが、私とは娘息子を含んでいない状態をもちろんさす。文字通りに・・・・・。ちょっと前まであんな風に気が触れた様子ではなかったのに。
昨日の失態もそのあと咎めたりはしなかった。実は咎められたり叱られた方が楽な時がある。いつもは楽を与えてあげるけどこう頻繁ではおいらも身が持たない。しまったぁと本人が思ったのだから本人が反省すればいいけれど、そもそもの罪悪感がないので「なんで私が悪いんだ」になる。だから姉と三人で話していてもこちらを向かない。・・・叱って欲しいんだろう。でも、それを言葉にしたら母が感じ取ってる死の気配が本物になる。
寿命というものは確かに存在する。科学とは並行してはいないと思うけれど、人の世の変容に合わせて裏の世界も膨張したり縮んだりする。微妙なバランスで影響しあって干渉しあう。母がしようとしてることは独善的な支配だ。まるで父の母がそうしたように。母はまた父が望むように変幻しようとしてる。それがばあちゃんが憑りついてるせいだ。昨日はまんまと交わされたけど今日の態度でピンときた。
昨日、母とは病院から帰った後にケンカを一度もしていない。だから生き霊を飛ばされることもない。なのに今朝から首肩腰に不具合が出てる。それをおいらは気圧のせいにしてとぼけてる。姉がiPhoneを変更しない結論に達したのも理由。思い込んでたキャンペン締め切りは11月3日。今日ではないのだ。10月12日ではありえないのだ。なのに姉は今日だと妙な誤解をしてた。そんなお知らせのメールもSNSもショートメッセージも来ていない。姉も首を傾げてる。すると友人からの誘いがあってお茶しに出かけた。良いことが人間関係の再構築。前の友達とは疎遠になっているし、近づきたくない理由もある。離婚した叔母の孫のダーリンは昔の友人の息子さん。そのことに限っては、どんな話でもする人が姉には何にも言わなかった。なのに、どんな小さな落ち度でも姉は伯母から耳にしてると誤解されていた。本当に都合よく何も知らないのに、状況は都合よく姉と叔母(一方的に)を仲違いさせる。異様で異常ですよね。異形のモノが関わっている方が自然。関わっていないなら不思議なくらい。霊能者Mに叔母の生き霊を指摘されていた。
何だか、会って気まずいのはわだかまりもあるが、寝静まる頃に生き霊になってファイトしてるせいかもしれないです。
今日も一緒に行ったら教育する時間が減る。おいらたちが戻ってから一緒にいけばいいのに黙って病院へ行った。いつもの母なら予定を話す。都合が悪いんだ。知られるともれなく娘と息子が付いてくる。スナック菓子の要らないオマケか。
屋根の上にカラス。いい声で鳴いてやがる。
まあ、今日も連れて帰ってきたら追い出すからいい。言葉のシャワー(笑)。
ばあちゃんは父のための(正確には伯母も)に延命措置をした。まるで不運を肩代わりするように近々に父が不運に陥ると親戚の誰かが亡くなる。去年もそうだった。父によく似た3つ上の父のいとこが亡くなった。そこの息子さんにいちばん悪い昨年の8月に風呂場の水周りの修理を頼んだ。いつもと違う工務店に頼んだのもこの時が初めてで、いとこの息子が水道工事をしてるのを知ってはいたのに初めて頼んだ。
ちょうど昨年の20日に父の入院する病院で急死した。死因は心不全。その前日に退院が決まっていたほど様態は回復していたにも関わらずだ。正確に言えば呪う神主の呪詛は我が家でも成就したのである。人死には出てる。もはやこれは裏の世界がいびきを返す一瞬だった。の、はずだったのだが、ばあちゃんの霊が介在した。息子を死なせるわけにはいかない。代わりに差し出された命がいとこ。時を同じくして別のいとこも広島で亡くなったいた。
前にも言ったけど予見はそれ自体を回避することはない。大小の違いはあれ、必ず起こる。人死にが発生してもおかしくないようなネガティブアタックを最大に受けていたときだ。その数日間に呪う神主と接触してる。いつにもまして黒い目をしていた。あれは疚しいものの目で、おいらがすでに気が付いたことを物語っていた。だから殺ろうと思ったんだ・・・・・。
去年は今よりも強固な結界をしくべき、崇敬する神社と地元でいちばんそう言う系の強い神社からお札をいただいていた。祈願をした。だから我が家に来たものを跳ね返す力はあった。跳ね返った先がいとこの元だと思った。すまない気持ちでいっぱいになった。今年もなんだか試しに守りを薄くした。わけ合って崇敬する神社には足しげくいかないことにした。今思うと不思議なんだけど、後々理由がわかった。この6月に頭がガンガンして生き苦しくて死ぬかと思って、家を飛び出したことがある。市内にはいなかった。帰ってビックリ。家の正面にある近所のお宅で不幸があった。30代の息子さんが急死した。心臓が止まった。心不全。自室に戻ると斜めにむけていた風水の八卦鏡のガラスが壊れていた。
予見と知っても私見を予測するのは不可能だ。自分の事は分からない。自分のことがわかったら崇敬神社で言われた。命を奪われます。即関係を断ってくださいの神からの警告をすぐさまに実行していた。こんなに心を削る必要もなかったんだ。その時は傷つきたくなくて先送りした。これがまた過ち。神道系の呪詛ならば家の住所でもかけられる。おいらの氏名で呪っても、同じ番地に住む家族にも被害が及ぶことを完全にあの時も失念してた。そうなんだ。神のご信託では命を削られる=死ぬと言う警告がなされていたのだから。
だからもう閉店までの2か月前に、父は倒れ死にかけた。それは8月同じ月。風呂場の修理を依頼したときに父は病院のベッドにした。間の悪い偶然で魔の悪いタイミングで、父のいとこの奥さんと母が話をすることがあって、いつもはしないのにまるでウチん家の修理が必要になることを知っているように息子さんの仕事先を営業した。この奥さん謙虚な人でそういう押しつけがましいリップサービスはしない人なのだ。
逢魔が時。不幸は不幸と引き合ってた。
だから母は風呂が壊れたときにいつもの工務店に電話しないで、いとこ宅に電話をしたのだ。まるで当たり前みたいに、疑うこともせずスムーズに。
そのいとこの墓が菩提寺に完成したと言う報告を、父の手術中に叔母からもたらされる。その時まで意識的に忘れていた。まだ頭がぼんやりしていたからだ。確か奥さん側の身内の菩提寺に土地を購入していたと言うのに。我が家と同じことがいとこの家でも起こってた。こんな偶然あんまりない。で、なかったことにしていた事実が申し訳なさと一緒に蘇ることになった。まるであの時と同じ。同じ展開・・・・・。
もちろん母は知るまい。意図的にやらされてる分は。正しい人の選択とは思えないことをこの数年間やり続けてる。どれも事を悪化させただけ。我が家には不幸がないと思ってる。目の前の息子はうーーーーーーーーーーーーーーーんと不幸だぞ。これだけの不幸を見せつけられても突っぱねようとする強い心。母が弱いはずもない。いつだって罪悪感は人の半分、もしくは四分の一。でも最近は思う。これだけの悪事を働いても、自分がいちばん不幸だと言う。貧乏くじを引いたと言う。それは当たり。大当たり。自分で決めることがいつも間違っていたのに、父を誘導し姉を懐柔し、三対一の構図を作り出して、息子のおいらと対峙する卑怯者だ。性根は相当に腐ってる。まるでおいらと同じ。反面教師で反対教師。
要するに母は霊界からの運び屋です。憑りつかれ運ぶ。それを家に持ち込む。無自覚の魔性を帯びた天然の魔女。可愛くなんか全然ない。
裏の世界が反射することを表の世界で具現化してしまう。父が死んでいちばん困るのも母なのだ。なのに死の気配を祓えない。だから死霊に取り憑かれる。死霊と言っても今度のは先祖だから背後霊。守護する立場の者が現実社会に影響を及ぼしてる。
父の命の犠牲はいらない。犠牲になるなら今度はおいらかおいらのいとこ。悪いけど肝臓をくれてやるのとはわけが違う。でも泣いて懇願されても父に臓器をくれたやるのが何だか欲しい。他人の命乞いなら尊くて出来そうだけど、父をそれくらいには嫌う理由もおいらにはある。やるもんか、おいらの命も他人の命も。寿命であるならば仕方ない。世の理から外れ続ける父もまた異常で異様なのだ。病人には誰も優しい。だから手を貸す。そして奪われる・・・・・。この繰り返しはあってはならない。大義滅親とはこの事だ。大義とはこの場合、世の理だけど・・・・・。
まあちょっと生身の身体を借りて父の世話をしたいならばいい。
実は叔母の話と父の話を比較して統合するには無理がある。瑕疵がある。父の話には綻びがある。
兄妹で様子が違う。全然違う母親像がそこにある。唯一の働き手である父を異常に贔屓したけど、それは便宜上言葉の彩で、うるさいヘンクウ(変わり者)の父の食事は毎日伯母が支度していたようだ。父が食べたいものを娘に強要して作らせていた。口に合わなければ叔母のせいし、合うと母をほめる。歪んだ愛情ゆえの歪んだ父性。曲げた母性。それは強個性となり対峙する。叔母は父がいない家族を望んだに違いない。それくらいに緩やかにおばあちゃんは来るっていったんだ。真実を見ずにもくもくと働く父。それはそれで偉いのだけど・・・・。悲しい過去。
ご飯を嬉しそうによそう母を姿に家事一般の恩義を感じていた。腹をすかせた兄弟を顧みることもしないで、なんて間抜けな男だろう。入院させることも出来ただろうにひた隠して、身内の口の堅い拝み屋のおばさんを頼りにした。手に負えなかっただろうし、心残りもある。ずっとおいらを陰ながら見守ってきてくれたのは、この拝み屋のおばさんなんだろう。名前も知らない。父はそんなに母のために心を砕いてくれた恩人の名前も覚えていない。関心がないのだ。自分以外には。父もしかり兄もしかり、弟もまたしかり。それは弟に色濃く出たのだと思う。病むことで闇み、闇むことで更に病んだ。自殺未遂の理由は理由にもなっていない。婚約者の気持ちを傷つけて不幸を蔓延させた。死にきれずに生きた。
実際、父は誰よりも妹を労い可愛がるべきであった。父の母を慕う慕情や守り方には瑕疵がある。やっぱりそこには他の家族の姿がない。そして己の不甲斐なさを我がままに変えて激高した。母の歪んだ愛情が父を暴君へと変えていった。皆思うだろう。おじいさんはどうしたのか?・・・・きっと見ないふりしたんです。そして父と母のいない場所で他の兄弟姉妹を労った。それがまずかった。叔母の中で祖父は最大の存在となり、父には最大で最凶の母と最大の父でいっぱいになった。手に負えない妻を子供らに任せたんだ。秘密があるのは良く分かる。悪い部分がない人間なんていない。故人を悪く言わないものだが、信頼に篤い人物だと皆が一様に言ううけれど、それは特徴も個性も表していない。外的には頼りになる人物だったようだが、家内では違っていたのだろう。実父をほめる時に困った表情になる。叔母なんて実母のことに触れもしない。兄が喜ぶことを徹底的に絶対的にしない。それは伯母の思うところで「母」の存在が普通の家のそれとは違っていることに気が付いているからだろう。恥だから隠した。隠したから秘密となった。遺影の祖母の写真はかなりふくよかなのに、みな内に秘めた思いを吐露してこう表現する。線の細い人だったと。普通太っている人には使わない形容だ。邪推も入っているだろうが、ほぼ当たりだろう。実家と父方の一族を呪う条件を満たしているのは今のところ祖母だけ・・・・。隣家とも揉めたけど、それならば父の分家筋だけが祟られて終わりのはず。隣家のおばさんは宗教家みたいですけど、宗教家全般が霊能力者ではないし、呪詛など行えません。そう思い込もうとしてる。
まあ、父の好物のカツレツや炊き込みご飯やあれもこれも作っていたの働き者の伯母。ただ心はその頃捻じ曲げられている。それは危なげな母のせいではない。たぶんに父のせいだろうな。でも叔母には実母を怨めなかった。可哀想な女性だったから。だから代わりに我儘な兄を憎んだ。兄を憎むことで平静を装った。母親が父にした「親らしさ」の下準備は伯母が父と実母を畏れながらしていたのだ。普通は気づいてやるだろう。母親の味が変わったときにでも。母には一度も言わないが、子供の頃に訊きおぼえがある。「あれのご飯は上手くない。お前のご飯は醤油が染みて上手いのう」
だから父はいつだって、どんなときだって知っていた。でも知らんフリした。だから叔母は父が大嫌いになった。その伏線をいとことテレビを見ながら聞いていた。敏い目を持つ子供は敏い耳も持っていた。こういう場面で母を侮辱する父をおいらが嫌い始めた理由も分って貰えるだろう。
・・・・しかし、これもまた母の家族とよく似た構図。兄を憎んで親を憎まず・・・・・。
言い換えると両家とも両親の婚姻を持って不幸が激化した。沈下することなくくすぶってる。火元はなんだぁ。
接点がないぞ。今瀬ではないのか。ではいつだ。答えはそこにある〇城の〇田家だ。ここでしか明治以降に至る禍根の接点はない。
まぐれなく、まぎれもない。
先送りされてる父の寿命。
それが心配でならない。
子として。
予見するへっぽこ霊臭男として、これは阻止せねばならない。
予見はハズれない。身代わりが出る。可能性は高いが、向こうはがっつりご先祖様が守ってる。だから歯がゆくて母もばあちゃんも仕方がない。簡単に取り疲れるなぁーーーーーーー。
こういう時は思ってもみないことをする。おいらの心配。昨日姉を送った後で左に傾いでる自分はすでにグロッキーだった。お金にならない霊的な営業はするものじゃない。ペイをもらってペイにすることが出来ない。ただの無料奉仕。日ごろしゃべっていないからすごいエネルギーを消費する。
こういう時はすぐに家に入らずに塩を浴びてから入るようにしてる。で、うっかりカバンを自転車のかごに入れたまま失念してた。スマホはポケットにあったから特段財布は必要なかったし、姉の迎えへに行く必要もないから免許は要らなかった。で、玄関前に放置した。バッグには相応な魔除けグッズが入っていていつも身近な結界を作ってる。
母に今朝指摘されるまで気が付かなかった。こういう時にこういう失敗。だからまんまをすり抜けて邪念が家に侵入した。道理で今朝は頭がガンガンしていたのだ。
ちなみにこれも”流し”です。
念のために、順を追いますが、読めば毒、探れば薬のお話です。
寿命は伸ばせない。
だから、そういう悲しい願いに命を捧げてはいけません。それは献身ではありません。もっとも危険な行為です。おいら身に染みてわかります。
自分の意思だと思っていることがどこまでが自分の意思か分からななくなる。こういう状態をカオスと呼ぶんだろう。すっきりしたけどまだ終わっていない。
誰かがまた死ななきゃいけなのかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます