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空に問う。

空に問うても果てがない

いじめ

2015-10-27 19:12:21 | 日記
人の嫌がることをするのは虐めではなく、強いることが虐めなんだと思う。

今度からはいじめっ子にカウンセリングをつけることには大賛成。虐められた子がカウンセリングを受けたら余計に自虐的になるのではないかと思って心配してました。虐められるには虐められる原因があるとか言う考え方に実はうんざりしてるから。

一部にはあるかもしれないけど、ほぼないと思う。そうして閉ざした心に大人の理屈でこじ開けるカウンセリングが必要とは思えない。寅さんと馬さんは静かに眠っていた方がいい。下手に刺激するから印象付けされるのだ。

人を理由もなく虐める子供は徹底的に強制すべき。

まあおいらも少し社会性不適合者的な面もあると自覚している。対人関係に問題を抱えてる。けど、それが犯罪者に向かわせなかったとしたら・・・・。TVゲームじゃないかな。ファミコンでもスーパーマリオしかしないし、今でも麻雀ゲームしかしない。最近のゲームってリアル過ぎて現実とゲームが脳内で混同してしまうんではないかと思う。

ヴァーチャルの中の生命体の命って脆いし、なのにすぐに蘇るから・・・・・・。

それに相手の痛さがわからないと人間は成長できないんではないかと思う。他人に極力関わらないように生きると成長は出来ないんじゃないかなぁ。最近は失恋したくらいで心療内科を受診するケースが多いと言うけど、失恋の痛手は勉強なんではないかな。ずっといない人を思い続けるなんて無理。おいらも8年しか思えなかった。付き合った期間の倍は人はなんとなく元カレ元カノを引きずるんだって。それ以上引きずって苦しくて死にたくなったり相手の恋愛や家族をひどい目に合せてやりたいと思ったら病院に行けばいいと思う。今は経験すべき精神の成長する大切な時間をはしょってショートカットするからろくでもない人間性が形成されるんじゃないんだろうか。

ウチは裕福な家庭じゃなかった。漁師の家だっから食卓にはいつも魚があったから肉はご馳走だった。きっとそんなちょっとした貧乏の経験もなく甘やかされて我がままに育った兄弟を知っている。高校当時デザイナーズブランドなる日本人のデザイナーのブランドがバカ売れした時代がある。世はまさにバブル・・・・。バイトもしないで似あいにしないのに数万する服を着ていたな。それはちょっとではなくずいぶん上の贅沢なんじゃないんだろうか。そういう家の子だから我儘がどこでも通ると考えていた。まあ正義の味方願望の強い不良だったおいらは金魚のフンみたいなのがいじめっ子の真似でランク付けをしたがるのに一番腹が立つのだ。カンちゃんの一家と禍根があると言ったけど、それは虐めに合っていた友達を助けたからなのだ。しょうもないから胸ぐら掴んで恫喝しただけで腰を抜かすくらい怯えられた。・・・・手は出していないけど、親にも叱られたことがないのにってタイプだったんだろう。

虐げられていた友達はとても優しい子で、軽く受け流していたがあるときに目に余り過ぎたからお灸をすえた気分でした。

そんだけでおいらはまず最初の呪詛を受けたわけだ。そういう子供の親だから、そういうもんだろう。せめて学校にクレームつける社会性は持って欲しいけど・・・・。まあ、その頃は住所とか誕生日とか簡単に教え合っていたよね。友達を疑うことがあるなんて夢にも思わなかった頃の話だし。でも最初から仲が悪かったわけではない。でも裏目に出たわけだ。

んで続いて兄である呪う神主のカンちゃんと再び出会う。考えてみると凄い密度の濃い因縁に最初から気が付いていたから、極力避けてましたね。まあ毎日会う訳じゃないし、話をしなくても住んでいたから。でも甘かったなぁ。カンちゃんのお父上が亡くなったころは今考えるとある意味順風満帆だった時期で楽しかったな。世襲制で宮司を自動的に引き継いだころから、なんだか周囲がざわざわし始めた。まあおいらの地元の方だけだけね。

その当時よりもうんと前になんかおかしいなと思っていたけど、今のようにそこまでに至る知識がなかったからね。でも友達の言葉が忘れられなかった。『あいつの家〇〇憑きの家系だから関わらん方がいいよ』って忠告。今も思う。それに従っておけば良かった(苦笑)。

インフルエンザみたいに一度かかったら免疫がつくわけでは無いんだろう。催眠術と同じで一度かかればかかりやすいのが呪いなんじゃないかなぁ。呪いに免疫持ってる人も少ないだろうし。

まあ風のうわさで弟の方が離婚したと訊いてちょっと憐れに思った。人を呪うような家系は家族運がすごく悪いと訊いていたけど少し同情はした。その時の怯え方を憶えていて記憶に残っていたから。幸せでいて欲しいなぁと勝手に思っていた。そう思うことで追いやってしまっていた。

まあひとえにかつて虐められっ子時代の自虐史観が影響してる・・・・。吃音で上手く話せない小1のおいらを教師も罵倒した。「考えてから話すように」

それは分かったいたけれど、それが出来れば苦労はしないし、考えて話してもドモってしまうのだ。泣き虫だったから、言葉に詰まるたんび苦しくて泣いた。その時は廊下に立たされるか、机の下に掃除用のバケツを置かれ涙を貯めろ的な仕打ちを受けた。なんだか学校に行きたくなくなって家に帰ると柱に頭をガンガンぶつけた。今振り返ると死のうとしていたんだと思う。それから数年経て苛めっ子になったけど、おいらは悪い奴らの壁に隠れてイジメをする奴らが許せなかった。おいらは正義の味方になりたかった。困ってる人を助けたかった。まあ不良にはなって多少はグレたけど、バチはあたったかな。

自虐は他人が植え付けるもの。バケツの話を訴えたら、先生が正しいみたいなことを言われたけど、それは教師による見せしめや弱いもの虐めですよね。昔から悪い見本として教師に利用されてきたから、あの職種の人間を善人と思うことはない。

まあいじめが呪詛になるなんて本当にレアケースなんだと思うけど、そういう不幸を自分が引き寄せているのではないかと思うことが時々ある。自虐や自責や自問や自答に負ける時がある。寅と馬が変化してトラウマになった。だから・・・・いじめられっ子の方に原因は探さないで欲しい。 

フラフラして、ぐるぐるして、気分はまだ最悪なんですけど、これも書かずにいられなくて・・・・・。

前は意識していなくても「そこ」にいたけど、今は探りを入れても気配を感じない。

ハイ終了!って合図があればいいのになぁ。良く分からないまんま体調不良(苦笑)







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