さりげなく・・・宮崎神宮をスルーして別の神社で神武天皇を語り「八紘一宇」のことをぼやかして何気に書いているけど何か違和感がある。確か現人神が宇宙の中心って考え方じゃなかったけ。・・・・家族が末永く暮らす国造りを表した言葉・・・・。無理ないかい。その解釈。
まあそれなりに評価も受けて本も売れてる人だけど・・・・解釈の仕方は人それぞれでいいんかいな?
この人は成功談ばかり語るからちょっとね。ノーリスクじゃないですよね。たんにお詣りしても仕方がないですって。
神武天皇と言えば宮崎神宮だし、宇佐神社だったり、出現した場所が寛容であとは分霊って考え方じゃないんだっけ?おいらには分霊と言うよりも勧請された神は同時に成り立つものだと思うが・・・・。諏訪の神様が神はかりに呼ばれないのは諸説あるけど、単に身体が大きいからと言う大義名分がある。分霊でもデカいから入れないわけでしょ?でも他にも参加できない神がいたはず・・・・。なんかハイリターンなんですよね。神さまから見たら貧乏は病気ってね・・・・・。言い過ぎです。コメントで意地悪な質問しようかと思いましたが、こういうタイプが呪詛やるんだと思うから怖くてね。ネットには目には視えない魑魅魍魎がいたりするでしょ。ウィルスとかもそう。擬人化して社会を反映しているわけだし。Windowsの窓もロシア正教のイコンみたいな考え方でしょうに。
八紘一宇を曖昧にとらえると怖いと思うんですよ。
ファンタジーを入れちゃいけないよね。スピ詣も真剣な誓約でもそりゃあ制約があるわけじゃないし、入社料でも頂戴しますよとなれば10円しか入れないケチな人は神社なんて行かないと思う。だからまあ最低でも100円~2,000円までの範囲で賽銭は決めるけど入社料と考えて500円くらいは要れますね。それが神職の方らの生活の糧となるわけですからね。
その方のfacebookでも友達なので、すこし戸惑いながら読んでいます。急に今日は神社へ行く日だよって・・・・。疑問が湧くぞ。
このブロガーさんの読者であるガールや元少女が駆けつけてどうするんですか。今どきの若い娘さんて〇理の時は神様が血を嫌うから行っちゃいけないとか知らないと思うんですよね。そういうことはもう知ってて当たり前だから書かないんですかね。出雲大社の遷宮の時に縁結びを求めたガールズグループがたくさんいたけどつい考えてしまいました。そんな失礼な娘さんに縁結びの神は微笑ないし、縁結びだと松江の八重垣神社の方なんだよね。出雲大社の縁結びってビジネスとかそっち系だと訊きますよ。
スピ詣でで神様を怒らせてもね・・・・・。
そのうち訴えられるんじゃないんだろうか。オリジナル財布も売り始めたし。竜神さん??竜神さんって神棚の・・・・・・。ドクターコパさんでもちゃんと小さいけどお社を建立していたし、神職の資格も持たれてる。なんか今に大変なことになりそう。元々占いの人みたいだけど霊能っぽい語り口が鼻につきだした。まあ信じていないですけど。
これで神道系の大きな疑問が二つになった。三つになったらもう愛読は辞めよう(笑)。
おいらはね、木魂とか森神とか、住んでる地方にあったはずで、先祖が絶対に祀っていた木々があったことをちゃんと確認して、それを木の神さんって呼んでしますけど真名はもちろん隠していますよ。神は誰でも作ることで出来るんですからね。特に制約はないんです。じいちゃんとおいらで二代だけど二代目限りで忘れられる神様なので、あえてそういう風に正式にしないだけです。祀らない理由がないことは説明して納得して貰いました。
けど、おいらがある日突然に家の神棚の写真を載せて「木の神さんに祈願済み」って長財布売りだしたら誰か買うと思います?。おいらはおいら特製の財布なんておいらが買いませんし、持ちませんよ(笑)。でも注文殺到していそう。まああれほどのポジティブシンキングなら大和言葉を用いなくても現代の言葉で通じたりするのかな?もちろん試しでも買いません。それ買うくらいなら輸入物のオルゴナイト買います(笑)。
その自信がどこから来るのか不思議だし。神って系統を重んじるものだけど、やたらいろんな神様に愛されるアピールしてるし。合う合わないって絶対にあると思うし、同行人が違うだけでも感じ方が異なるし、気分も手伝う。暗い気分のときに行ってもどうにもならないし。荒魂的な部分には決して触れないスピリチュアリストの進言は信用できなくなってしまった。
今日のおいらに神社詣りは出来ない。母が戻ってきてくれたからいいけど、今日は神仏に心から祈りと感謝を伝えて終わりにしました。目的や方向性が定まらないときは行くところじゃないですよ。迷ったときは先祖の墓参りに行く方がいいと思います。が、マントラっぽいのを唱えさせておいて仏法的なことがない。キリスト教が正式に認められた頃に宗教という考え方を導入しましたが、その頃の仏教は仏法と呼ばれて痛そうです。「教」とのは便宜上で区別するために用いられた明治時代から言い始めたことみたいですよ。だから昔は僧侶を仏法僧と呼んだのです。マントラ(真言)は危険だから素人は辞めときなって言われたことがあって唱えないことにしてる。信仰仏でもないのにやたらありがたがっても・・・・・・。
まあ、この方の基本も、、、、、
玄関を掃除しろ。それは誰かの受け売りですかと言いたくなる。
でもこういう人が大好きな鉱物をいとも簡単に錬金してスピリチュアルなブレスとかに変化させてるのが、おいらをアンチ側に立たせるんだ。財布の次はブレスでしょ。ビジネスで神を利用するとしっぺ返し来ると思う。いつも同じ角度の自撮り写真も痛いぞ(笑)。
本当にわかる人は拝殿の写真なんて撮らないよ。罰当たりですからね、アレ。
まあ最後に一個だけ踏ん切りがつかないときに、たった一行だけ背中を押してくれたから感謝はしていますが、記紀神話をファンタジーに変えちゃいけない。あれはどう読んでも復讐物語だからね。最終的に「バカにしてると祟るよ」ってことですから。聖書もそんな風に読んでしまったおいらの読解力が痛いんでしょうか・・・・・・。
まあ宮崎神宮の八紘一宇の塔はもうある意味独立した遺物みたいなものだから壊すことも出来ない代物だと思います。でもそれが権威を与えているのもまた然り。近寄れなかったなぁ。富国強兵とか国家神道とか・・・・・それ以上に八紘一宇はなんでもないことなのですが、当時の方向性と正当性のシンボルである以上、戦争反対のおいらは苦手なのです。
ちょっとブロガーさんの健康を気にしたりしてます。
まあそれなりに評価も受けて本も売れてる人だけど・・・・解釈の仕方は人それぞれでいいんかいな?
この人は成功談ばかり語るからちょっとね。ノーリスクじゃないですよね。たんにお詣りしても仕方がないですって。
神武天皇と言えば宮崎神宮だし、宇佐神社だったり、出現した場所が寛容であとは分霊って考え方じゃないんだっけ?おいらには分霊と言うよりも勧請された神は同時に成り立つものだと思うが・・・・。諏訪の神様が神はかりに呼ばれないのは諸説あるけど、単に身体が大きいからと言う大義名分がある。分霊でもデカいから入れないわけでしょ?でも他にも参加できない神がいたはず・・・・。なんかハイリターンなんですよね。神さまから見たら貧乏は病気ってね・・・・・。言い過ぎです。コメントで意地悪な質問しようかと思いましたが、こういうタイプが呪詛やるんだと思うから怖くてね。ネットには目には視えない魑魅魍魎がいたりするでしょ。ウィルスとかもそう。擬人化して社会を反映しているわけだし。Windowsの窓もロシア正教のイコンみたいな考え方でしょうに。
八紘一宇を曖昧にとらえると怖いと思うんですよ。
ファンタジーを入れちゃいけないよね。スピ詣も真剣な誓約でもそりゃあ制約があるわけじゃないし、入社料でも頂戴しますよとなれば10円しか入れないケチな人は神社なんて行かないと思う。だからまあ最低でも100円~2,000円までの範囲で賽銭は決めるけど入社料と考えて500円くらいは要れますね。それが神職の方らの生活の糧となるわけですからね。
その方のfacebookでも友達なので、すこし戸惑いながら読んでいます。急に今日は神社へ行く日だよって・・・・。疑問が湧くぞ。
このブロガーさんの読者であるガールや元少女が駆けつけてどうするんですか。今どきの若い娘さんて〇理の時は神様が血を嫌うから行っちゃいけないとか知らないと思うんですよね。そういうことはもう知ってて当たり前だから書かないんですかね。出雲大社の遷宮の時に縁結びを求めたガールズグループがたくさんいたけどつい考えてしまいました。そんな失礼な娘さんに縁結びの神は微笑ないし、縁結びだと松江の八重垣神社の方なんだよね。出雲大社の縁結びってビジネスとかそっち系だと訊きますよ。
スピ詣でで神様を怒らせてもね・・・・・。
そのうち訴えられるんじゃないんだろうか。オリジナル財布も売り始めたし。竜神さん??竜神さんって神棚の・・・・・・。ドクターコパさんでもちゃんと小さいけどお社を建立していたし、神職の資格も持たれてる。なんか今に大変なことになりそう。元々占いの人みたいだけど霊能っぽい語り口が鼻につきだした。まあ信じていないですけど。
これで神道系の大きな疑問が二つになった。三つになったらもう愛読は辞めよう(笑)。
おいらはね、木魂とか森神とか、住んでる地方にあったはずで、先祖が絶対に祀っていた木々があったことをちゃんと確認して、それを木の神さんって呼んでしますけど真名はもちろん隠していますよ。神は誰でも作ることで出来るんですからね。特に制約はないんです。じいちゃんとおいらで二代だけど二代目限りで忘れられる神様なので、あえてそういう風に正式にしないだけです。祀らない理由がないことは説明して納得して貰いました。
けど、おいらがある日突然に家の神棚の写真を載せて「木の神さんに祈願済み」って長財布売りだしたら誰か買うと思います?。おいらはおいら特製の財布なんておいらが買いませんし、持ちませんよ(笑)。でも注文殺到していそう。まああれほどのポジティブシンキングなら大和言葉を用いなくても現代の言葉で通じたりするのかな?もちろん試しでも買いません。それ買うくらいなら輸入物のオルゴナイト買います(笑)。
その自信がどこから来るのか不思議だし。神って系統を重んじるものだけど、やたらいろんな神様に愛されるアピールしてるし。合う合わないって絶対にあると思うし、同行人が違うだけでも感じ方が異なるし、気分も手伝う。暗い気分のときに行ってもどうにもならないし。荒魂的な部分には決して触れないスピリチュアリストの進言は信用できなくなってしまった。
今日のおいらに神社詣りは出来ない。母が戻ってきてくれたからいいけど、今日は神仏に心から祈りと感謝を伝えて終わりにしました。目的や方向性が定まらないときは行くところじゃないですよ。迷ったときは先祖の墓参りに行く方がいいと思います。が、マントラっぽいのを唱えさせておいて仏法的なことがない。キリスト教が正式に認められた頃に宗教という考え方を導入しましたが、その頃の仏教は仏法と呼ばれて痛そうです。「教」とのは便宜上で区別するために用いられた明治時代から言い始めたことみたいですよ。だから昔は僧侶を仏法僧と呼んだのです。マントラ(真言)は危険だから素人は辞めときなって言われたことがあって唱えないことにしてる。信仰仏でもないのにやたらありがたがっても・・・・・・。
まあ、この方の基本も、、、、、
玄関を掃除しろ。それは誰かの受け売りですかと言いたくなる。
でもこういう人が大好きな鉱物をいとも簡単に錬金してスピリチュアルなブレスとかに変化させてるのが、おいらをアンチ側に立たせるんだ。財布の次はブレスでしょ。ビジネスで神を利用するとしっぺ返し来ると思う。いつも同じ角度の自撮り写真も痛いぞ(笑)。
本当にわかる人は拝殿の写真なんて撮らないよ。罰当たりですからね、アレ。
まあ最後に一個だけ踏ん切りがつかないときに、たった一行だけ背中を押してくれたから感謝はしていますが、記紀神話をファンタジーに変えちゃいけない。あれはどう読んでも復讐物語だからね。最終的に「バカにしてると祟るよ」ってことですから。聖書もそんな風に読んでしまったおいらの読解力が痛いんでしょうか・・・・・・。
まあ宮崎神宮の八紘一宇の塔はもうある意味独立した遺物みたいなものだから壊すことも出来ない代物だと思います。でもそれが権威を与えているのもまた然り。近寄れなかったなぁ。富国強兵とか国家神道とか・・・・・それ以上に八紘一宇はなんでもないことなのですが、当時の方向性と正当性のシンボルである以上、戦争反対のおいらは苦手なのです。
ちょっとブロガーさんの健康を気にしたりしてます。
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