遺体を7年間放置した幼児衰弱死事件。父親への求刑は懲役19年。
妙なアングルで静止画にするワイドショー。どこにでもいる普通の普通の男。
複雑な気持ちになるが想像はしない。裁判官が量刑を超えて私的制裁をしているようにも思う。確かに殺す優しさはない。どこかに子供を捨てる勇気もない。仕事して飲んで女と遊んで・・・・。DV夫で妻と離婚。子供は引き取れなかったのか。おいらは裁判官の超えてしまった想像力よりも、この身勝手な男自身がそれでも子育てしてけるかどうかの身内の想像力の低さを嘆きたい。事情って言われるとどうすることも出来ない。
だからよく言われるように”子供は親を選んで生まれてくる”とする何ら根拠のなさそうな発言を耳にするたび、その残酷さに身震いする。こう言う考え方が事実としても、こういう意見を言える人はきっとひとりぼっちを知らず幸せな家に育った子供だろうと思う。男の子を望んだ家庭に女子ばかりが生まれたり、子供が欲しい家族には子供が授からなかったり・・・・・。
去年だったかな。こんな話をある霊能者がブログに書いていた。きっと事実なんだと思う。思うがゆえに、おいらみたいな鼻つまみ者が訊くとそれは毒みたいに廻る。誰のせいにも出来なくなったら人は最後に何を思うんだろう。どんなに残酷でもこの子が優しい両親を思いながら旅立ったと思う。最後に俗物的な言い方でおにぎり食べたかったとか、せめて思ってあげたくない。
しかし遺体を遺棄した7年間の間で、普通にこの子は小学生になったり中学生になったり、きっと社会という別の方法がもっと早くに気が付いてあげられたと思うとそれは少し悲しい。民事不介入って「壁」も分かるから単純に行政側の責任とも思わないけど、その異様なさまを見て見ぬ振りした誰もが、この惨状をつくりだしてる気がした。
父親と言う病と言う本を読んだ。生物学的には受精がすめば、子供が生まれたのちは父親と言う存在を特に必要としないのだとか。そういうと犯人である男を庇うみたいだと言われそうだけど、それもまた現実のこと。
子供の頃のことを思う。
まあおいらは早熟で嫌なガキだった。
この家に越していたから5つの誕生日に子供用のグローブを貰った。父はおいらを野球少年にしたかったみたいだ。自分が唯一褒められて楽しいと思った競技種目。
その頃おいらはバトミントンのラケットが欲しくて、欲しくて、バトミントンのラケットを母へ父へさりげなくと言うか、大胆にアプローチした記憶がある。姉とバトミントンがしたかったのだ。姉も欲しがっていたし。きっと子供用のバトミントンって高価なものではなかったように思う。しかし普段のどんなん時も買って貰えなかった。だからラケットが欲しかった。
でも実際にプレゼントされたのは子供用のグローブだった。自分が望むものを託したり与えたり、そういう自己満足で子供のが喜ぶと思ったんだろうか。そういう経験上、人の話をよく聞くおいらは人の好きなものを当てやすい。確かに予算の関係があれば妥協するときもあるけど、だいたい相手が欲しいものをあげるようにしてる。最終的には一緒に出掛けて買う。
父がプレゼントしてたもう一つもグルーブだった。小6で町内会の野球チームでレギュラーになった時だ。グローブは町内のを借りていた。マイグローブの友達もいたけど別に欲しくなかった。地区大会が行われるのが野球だけで、それ以外のスポーツはなかった。女子はポートボールだったかな。もしバスケットを選べたらバスケしてたと思う。運動神経も悪くなくて半ばスカウトされた感じの町内会のチーム。
おいらは野球が嫌いだった。あとは父親が死ぬほど嫌いだった。
そのグローブを何回使ったのか覚えていない。でもたぶん嬉しかったから油で磨いたりしていた。中学に入ってバスケ部に入部したんだけど、自室に置いてしまっていたら、ある日なくなっていた。妹の子が野球が好きでグローブをやったと言う。とりあえずバカみたいだと思ったけど、俺が貰ったものだと主張したら、
「ワシがこうたもんだ。だから誰にやろうと関係しない」
いとことは仲が良かったのでいつもグローブが貸してやったいた。いずれやったかも知れないけど・・・・。そういう子供の事情を父は知らない。だから誰か大人が一枚かんでる。それがいつも母親だった。
所有権を主張する。固辞される。なんてバカな男なんだろうと心ん底から卑しく思った。大人になっておいらが捨てたはずのTシャツを父が来てる。膿の仕事だから仕事着にちょうどいいと。役目が終わった想い出のTシャツを処分したのをまた母は知っていた。けれど父に着せてる。もううんざりしたので二人の目の前で鋏で切れ目を入れて破いた。
残忍だと蔑まれたが、どっちが先に心を殺した。足のつかない岩場で3歳児を海に放り投げて、何度も助けてと叫ぶ息子に泳ぎを教えたい父は何度も何度も姉が止めるまで沖に放り投げた。
殺されると思った。星一徹のような過剰なスパルタが虐待に思えたのだ。その当時は幼くて虐待の意味は知らなかったけど、「つまらんの、お前は」って吐き捨てるように行った父であるはずの男の顔は今も忘れたりしない。そういうもんなんだと思ってやれるほど父が好きではなかったし、形にも言葉にでもできなかったけど、最初に死にたいと思った瞬間でもあった。
それから二度と懐いた記憶もない。
〇〇憑きの家なんて昔は噂されていた一家である。実際は〇〇憑きの筋ではなかっただろうが、それなりに線の細い異質な子供は生まれてる。そういう事を知ったとき許せるかと思ったが、無理だった。父が何万回死んでもおいらの中から幼少期に感じたストレスは消えない。トラウマは残る。だから切り離してる。これはすでに親ではないと。
大人になって飲みに出かけることもないし、酒を酌み交わすこともない。一杯のビールでご機嫌になるほど酒も弱くない。この男が死んでくれたらずいぶんとラクになるだろうと大いびきをかいて寝てる様をみて何度思ったことか。もう愛情の域はとっくに超えていた。
だからすごい早い段階で親になることを自主的に諦めた。親になってしまうと子供を危険にさらしてしまうと思った。おいらが血を呪うのは別に霊感とかそういう類いのことだけの話ではない。なんでも告げ口する母と、なんでもそれを繰り返す母と、もう両方の血が嫌で嫌で堪らなかった。
父がガンであると知ったときに、何の感慨もなかった。ああ、そうって言いそうになったのを止めたくらいだった。まずこの感じでは死なないと思った。この人はボケて家族を最後まで困らせてから往生する人だ。人に迷惑をかける生き物だ。
カンちゃんは自分の家族や家族の在り方を想像して、一番効率よくおいらを捩じ上げるつもりだったんだろうが、別段おいらの孤独心を深さを刺激するほどには至らなかった点は気づいてもいないだろう。そこが計算ミス。おいらは親しい他人を傷つけた罪を憎んだし、今も腹を立てている。家族に類が及んでしまったときも申し訳なさが勝ってしまった。嫌いな人間に迷惑を掛けたり荷物を背負わせることになったのが辛かった。おいらにすれば惜しい命でも守りたい存在でもなかったけど、自分のせいで呪われてしまった最悪の義侠心が家族を守るキッカケとなった。
育てて貰った恩はあるのかなって。
後ろめたかった。それはもう一遍の愛情でもなかった。
この人たちは呪われるまんま、家の中をもうめちゃくちゃにした。するなと言えばするし、やるなと言えばやるし。どうしたら1か月祈願をして貰い、ある日突然届いた除災用の米の塩を混ぜたものを神棚に備えることが出来るんだろう。そとに撒いて余ったから・・・・・。あれほどの量をいっぺんに撒くほどに頭が悪いのだ。当然梅雨時ならそんな混ぜ物は腐る。家の周りも臭い。
もう本当に完全に頭に来たので、その他諸々いただいたお守りなど全部取り上げた。神に守られる資格はないじゃないか。
「もうこんなの持っていても、あんたらを助ける神様なんていない。思い知れ!」と言ったら、バカな両親は翌日にその神社へ出かけて父はなんだか病気になって倒れた。結果的にはWINWINになったわけだが、おいらはちょっとその神社へ参るのがその時は怖くなった。
涼しくなったら二人で返しに行けばいい。でもその前の、あんたらはもう守られないの方がきつかったんだろう。おいらは閉店前で割と大忙しで自分の気持ちを誤魔化すと言うよりも真剣に働いた。そういう息子の身を案じて神社に参拝してくれた訳じゃないだろう。自分の命の尊さを思いしれみたいな男だ。死にもしない病気で家族をこれでもかってくらいに脅した。友達に医者の息子がいたので薬を見せて調べて貰ったが、重症患者に処方される薬ではなかった。でも母は認めないんだ。この人も心のどこかで父を負担に思っているから、死んでくれないと困ったんだろう。それを純粋な姉に押し付けて、高校時代にも家がめちゃくちゃになった。
今思えばこの時すでに土地に呪詛を掛けられていたんだと思う。あの憎き一家の主様に。これで三度目だからもうないと信じてるけど、カンちゃんが死なないと安心も出来ない自分がまだいる。そして家族四人はこの呪われた家に囚われたまんま不幸が堪らなく心地良いことを知るのだ。そしてそれぞれの部屋を仕切る壁を壊し、納屋を東南に築き、一人広島で自由に生きることを謳歌し始めた、成功し始めた、おいらを引き戻した。そして紆余曲折あって、カンちゃんと対峙することになった。結果は惨敗。まあああいう身内事呪ってしまえと蔑んだ人らが面々と続く家系とかかわりを持ったおいらが悪い。忠告されていたのに無視して関わりを持った。友達を救うために・・・・・。
母とは普段と変わらない受け入れ方をした。叱られる方が楽になるだろうから何もしない。母にあったそれこそクモの糸みたいな極細の縁も切れてしまった。子供のように、子供だっから真剣に怒ってきたけれど、もう他人のようになってしまった今では元に戻すことは出来ない。姉には冗談ぽく「もう姉のサポーターは辞めるね」と明るく宣言しておいた。
一年もかかった。でも一年は長い。確かに条件をクリアする情報や知識が足りなかったせいもあるが、多分に家族が足を引っ張っていたのも事実。真実を見極めるためには、その極細の糸らが邪魔だったように、おいらも仮想の中の家族まで永遠に失わせた。ある意味において生きる意味がなくなった。木の神さんがそれでもバックアップしてるから、大きなため息をつきながらも今も生きてる。かつておいらの人生を狂わせてきた別系統の祟り神がおいらを支えてくれている。
子が親を選ぶなら、なぜ不幸な家を選んで生まれるのか、相応な理由が知りたい。懲役19年は裁判官の私刑だし、見せしめにして多くの尊い命を救うキッカケに橋になるかも知れないが、その子は父も恨まずに死んでいったとおいらはなぜだかそう思う。そういう世の中の残酷な仕組みが堪らなく憎い。おいらの容赦ない心が痛い。それが今日のおいらの顔に出ているのが、もっと辛い。誤魔化せない胸の傷がどうしても痛んでしまう。
例えば助けになるために生まれてきたとして、それが叶ってしまったあとの救済はやっぱり訪れなかった。心の平穏なんて一度も感じないことは取り戻せなかった。やっぱり父は嫌いだし、母を罰しようとする自分が情けなくて頼りなくて死んでしまいたくなる。違う。
この世にあるどんな記憶も足跡も一片の塵も残さずに消えてしまいたくなる。
それこそが想像を絶する世界との関わり方だ。
おいらは生きることに向いていない。
16のときにもし上手く死ねたら、もうあれから31年も経つから両親も姉も違う生きたを選択しただろう。母は父と別れ姉を連れて家を出て再婚してから男の子を生んでおいらの名から一字取り、会うことはない弟がいただろう。姉も普通に結婚してもう孫がいたかも知れない。そうじゃなくてもおいらがいなければ、おいらを不幸に追い込む様な選択を母は絶対にしなかっただろう。
多分、今生きていてはいけない存在のが自分なんだと思う。生かされたんだけど、生きるために用意された寿命ではなかったはずだから、いつも苦しかった。
自分の心の中にないものは決して取り戻せないし、再生されない。
最後に自分で自分を祓うことになるなんて思いもしなかった。
おいらの大部分はある意味において、父の命の補完庫でありスペックでありスぺアだ。あの嫌いな男のために準備された命だとおいらは何故だが知っている。今ならば壊れだしたばあちゃんが何を、その神社で願っていたのかも分かる。すべてとは本当に父も含めたすべてだったんだ。この世界には死ねない不幸もある。生まれなない幸運もある。
アンチ悪霊ばあちゃんやカンちゃん一族との対決なんてどうでもいい。
本当の自分はどこにいる。
本当のおいらは誰なんだ?
お前は何者だ。
何者でもないものだ。
ただ疎まれて傍観者となるために、そこにいるモノだ。
いま心を支えてくれるのはかつての恐怖でかつての呪いだ。
木の神さんが逝こうとしてる。強く生きろと言っている。
知っていたよ。
成仏しないと生まれ変われないものんね。
自分と同化していた多くの部分が天に召されてく。
ハズしたら持たないからと一部を残してく。それをおいらは木の神さんと呼んで寿命まで生きるんだね。
寂しくても苦しくても、、、、そうやって欠片を探して、子供は親を選んで生まれてくる。それは父の母の姉妹だったかもしれないし、たくさんの報われない魂だったかも知れないけど、もう本当にサヨナラと思うと辛くなる。
涙が毒みたいに苦い。でもとても暖かい。
おいらが持ってるひとりぼっち分を除いて、今日は木魂さんが帰る。おいらが名付けた真名の部分が帰っていく。
事実上の家族はいなくなったけど、孤独を親友として生きるのもいいのかも知れない。
用意されていない寿命の先を生きるのが今は精一杯でも・・・・・・・・・。
嫌いなものをそれ以上嫌いになる必要がないみたいに、嫌いなものを好きになる必要もない。だから大切ではないものなら捨ててもいんだろう。身勝手で我がままだったのはいつだっておいらではなかったのだから・・・・・・。
きっとあの悪霊ババアの仕上げをしに舞い降りたんだけど、どうにもこうにも悪運だけは強くて、ババアが達成しえた血の呪いや因縁や禍根や成仏を促すことにしたんだと思う。ばあちゃんが居る場所を煉獄とか地獄とか言うんだろう。だから誰もお迎えに来ない。父の身体の中で気づかれないように息を潜めてる。でもばあちゃんバレてるぞ。
憎き父親をおいらに返しやがれ。この人はこの人の罪の重さをしょって生きていかねばならないのだ。それが父の寿命を超えた先にある人生だ。自分の檻の中で生きている母を返せ。隣に巣くっていた生きながら魔道に堕ちたババア。今度は奪ったもんもあんたが与えた出来過ぎた幸運を奪い返してやる。もう死んでるもんは土に帰り無に帰せばいい。母は反省して己と闘い続ければいい。
それが親と言うものだと知るべき時もようやくに訪れたのだから・・・・・・。
西の悪霊どもが執拗に狙えども、おいらはいないし、家族ももういない。
死んでるものは奪えまい。
憎しみを超えてしまった先はただの虚無だぞ。
天台僧が魔道に堕ちるのはそういう事だろう。
護摩壇焚いて幣を振る神主だけはインチキだ。いてもいいのは法衣着て祝詞上げる仏法僧のみ。
正しくないものは容赦もなく淘汰される。
カンちゃんがいなければ町もまた素晴らしいところだったんだろうに・・・・。それはもう変えられない。崩壊は止まらない。
・・・・・・・、
木の神さんの荒い魂が逝きました。神上がりですが、成仏したかったみたいです。で、おいらの未練や辛い過去の味を少しだけ持っていってくれました。もう想い出はこれからそんなに苦くはないのかもしれないね。
まずはじいちゃんによろしく伝えてください。あとはばあちゃんにもね。
あなたたちのお蔭で良心に呵責が与えられ、罪に意識が与えられたのだと思います。
もう手かせ足かせがついていない自由な魂と一緒に残りの僅かな人生を人となるために生きようと思いますね。
木の神さんの荒魂さん。本当にありがとう。
いつか和魂(にぎたま)と幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)と合流しましょう。
例えば一昨日まであったような重圧が消えて清浄で正常な場所に戻ったと認識していても、おいらの霧は晴れない。晴れないと思ったけど本当に身体が弛緩しています。深呼吸しています。
罰られて当然の人が罰せられていないからだろうと。おいらの知らないところで罰せられても意味がないと。
でもさ、もう知らなくていい。
もううんざりした。
腐った血が滾ってる場所はおいらにも見えてる。
ちょっと霊感がある人ならばダダ漏れの醜悪さに気が付かれてるぞ。
たぶん糞尿みたいにカンちゃんは匂うはず。
生きるインチキとして恥かいて生きやがれ(笑)。
でもここでチャンネルは切るね。
30年分の痛みは利息つけてお返しします。
赦しを与えることにしました。
皮肉にも恩流しみたいな恩赦です。
敵のくせに敵らしくなくてごめんなさい。
憎しみからは何も生まれないと言うけれど、まあ本当は何かが生まれているんだと思う。
それが今日おいらの中で孵化したみたいだ。
それを憎しみに育てないことにした。
優しさに出来たらありがたい。
だから少し感謝した。
変な言い方だけど、呪ってくれてありがとう。
祝ってくれなくて、ありがとう。
邪悪でいてありがとう。
だから今日から敵ではなくて正義の味方になりますわ。
メタボで地味なヒーローだけど。
自分に誇れる自分になります。
情けなくて弱音をすぐに吐いて、それなりに努力を惜しまない無個性のおいらになります。
人を呪わない自分になります。
おいらはカンちゃんにはなれそうもない。
どこまで行っても今回は救われるみたいです。
あしからず。
妙なアングルで静止画にするワイドショー。どこにでもいる普通の普通の男。
複雑な気持ちになるが想像はしない。裁判官が量刑を超えて私的制裁をしているようにも思う。確かに殺す優しさはない。どこかに子供を捨てる勇気もない。仕事して飲んで女と遊んで・・・・。DV夫で妻と離婚。子供は引き取れなかったのか。おいらは裁判官の超えてしまった想像力よりも、この身勝手な男自身がそれでも子育てしてけるかどうかの身内の想像力の低さを嘆きたい。事情って言われるとどうすることも出来ない。
だからよく言われるように”子供は親を選んで生まれてくる”とする何ら根拠のなさそうな発言を耳にするたび、その残酷さに身震いする。こう言う考え方が事実としても、こういう意見を言える人はきっとひとりぼっちを知らず幸せな家に育った子供だろうと思う。男の子を望んだ家庭に女子ばかりが生まれたり、子供が欲しい家族には子供が授からなかったり・・・・・。
去年だったかな。こんな話をある霊能者がブログに書いていた。きっと事実なんだと思う。思うがゆえに、おいらみたいな鼻つまみ者が訊くとそれは毒みたいに廻る。誰のせいにも出来なくなったら人は最後に何を思うんだろう。どんなに残酷でもこの子が優しい両親を思いながら旅立ったと思う。最後に俗物的な言い方でおにぎり食べたかったとか、せめて思ってあげたくない。
しかし遺体を遺棄した7年間の間で、普通にこの子は小学生になったり中学生になったり、きっと社会という別の方法がもっと早くに気が付いてあげられたと思うとそれは少し悲しい。民事不介入って「壁」も分かるから単純に行政側の責任とも思わないけど、その異様なさまを見て見ぬ振りした誰もが、この惨状をつくりだしてる気がした。
父親と言う病と言う本を読んだ。生物学的には受精がすめば、子供が生まれたのちは父親と言う存在を特に必要としないのだとか。そういうと犯人である男を庇うみたいだと言われそうだけど、それもまた現実のこと。
子供の頃のことを思う。
まあおいらは早熟で嫌なガキだった。
この家に越していたから5つの誕生日に子供用のグローブを貰った。父はおいらを野球少年にしたかったみたいだ。自分が唯一褒められて楽しいと思った競技種目。
その頃おいらはバトミントンのラケットが欲しくて、欲しくて、バトミントンのラケットを母へ父へさりげなくと言うか、大胆にアプローチした記憶がある。姉とバトミントンがしたかったのだ。姉も欲しがっていたし。きっと子供用のバトミントンって高価なものではなかったように思う。しかし普段のどんなん時も買って貰えなかった。だからラケットが欲しかった。
でも実際にプレゼントされたのは子供用のグローブだった。自分が望むものを託したり与えたり、そういう自己満足で子供のが喜ぶと思ったんだろうか。そういう経験上、人の話をよく聞くおいらは人の好きなものを当てやすい。確かに予算の関係があれば妥協するときもあるけど、だいたい相手が欲しいものをあげるようにしてる。最終的には一緒に出掛けて買う。
父がプレゼントしてたもう一つもグルーブだった。小6で町内会の野球チームでレギュラーになった時だ。グローブは町内のを借りていた。マイグローブの友達もいたけど別に欲しくなかった。地区大会が行われるのが野球だけで、それ以外のスポーツはなかった。女子はポートボールだったかな。もしバスケットを選べたらバスケしてたと思う。運動神経も悪くなくて半ばスカウトされた感じの町内会のチーム。
おいらは野球が嫌いだった。あとは父親が死ぬほど嫌いだった。
そのグローブを何回使ったのか覚えていない。でもたぶん嬉しかったから油で磨いたりしていた。中学に入ってバスケ部に入部したんだけど、自室に置いてしまっていたら、ある日なくなっていた。妹の子が野球が好きでグローブをやったと言う。とりあえずバカみたいだと思ったけど、俺が貰ったものだと主張したら、
「ワシがこうたもんだ。だから誰にやろうと関係しない」
いとことは仲が良かったのでいつもグローブが貸してやったいた。いずれやったかも知れないけど・・・・。そういう子供の事情を父は知らない。だから誰か大人が一枚かんでる。それがいつも母親だった。
所有権を主張する。固辞される。なんてバカな男なんだろうと心ん底から卑しく思った。大人になっておいらが捨てたはずのTシャツを父が来てる。膿の仕事だから仕事着にちょうどいいと。役目が終わった想い出のTシャツを処分したのをまた母は知っていた。けれど父に着せてる。もううんざりしたので二人の目の前で鋏で切れ目を入れて破いた。
残忍だと蔑まれたが、どっちが先に心を殺した。足のつかない岩場で3歳児を海に放り投げて、何度も助けてと叫ぶ息子に泳ぎを教えたい父は何度も何度も姉が止めるまで沖に放り投げた。
殺されると思った。星一徹のような過剰なスパルタが虐待に思えたのだ。その当時は幼くて虐待の意味は知らなかったけど、「つまらんの、お前は」って吐き捨てるように行った父であるはずの男の顔は今も忘れたりしない。そういうもんなんだと思ってやれるほど父が好きではなかったし、形にも言葉にでもできなかったけど、最初に死にたいと思った瞬間でもあった。
それから二度と懐いた記憶もない。
〇〇憑きの家なんて昔は噂されていた一家である。実際は〇〇憑きの筋ではなかっただろうが、それなりに線の細い異質な子供は生まれてる。そういう事を知ったとき許せるかと思ったが、無理だった。父が何万回死んでもおいらの中から幼少期に感じたストレスは消えない。トラウマは残る。だから切り離してる。これはすでに親ではないと。
大人になって飲みに出かけることもないし、酒を酌み交わすこともない。一杯のビールでご機嫌になるほど酒も弱くない。この男が死んでくれたらずいぶんとラクになるだろうと大いびきをかいて寝てる様をみて何度思ったことか。もう愛情の域はとっくに超えていた。
だからすごい早い段階で親になることを自主的に諦めた。親になってしまうと子供を危険にさらしてしまうと思った。おいらが血を呪うのは別に霊感とかそういう類いのことだけの話ではない。なんでも告げ口する母と、なんでもそれを繰り返す母と、もう両方の血が嫌で嫌で堪らなかった。
父がガンであると知ったときに、何の感慨もなかった。ああ、そうって言いそうになったのを止めたくらいだった。まずこの感じでは死なないと思った。この人はボケて家族を最後まで困らせてから往生する人だ。人に迷惑をかける生き物だ。
カンちゃんは自分の家族や家族の在り方を想像して、一番効率よくおいらを捩じ上げるつもりだったんだろうが、別段おいらの孤独心を深さを刺激するほどには至らなかった点は気づいてもいないだろう。そこが計算ミス。おいらは親しい他人を傷つけた罪を憎んだし、今も腹を立てている。家族に類が及んでしまったときも申し訳なさが勝ってしまった。嫌いな人間に迷惑を掛けたり荷物を背負わせることになったのが辛かった。おいらにすれば惜しい命でも守りたい存在でもなかったけど、自分のせいで呪われてしまった最悪の義侠心が家族を守るキッカケとなった。
育てて貰った恩はあるのかなって。
後ろめたかった。それはもう一遍の愛情でもなかった。
この人たちは呪われるまんま、家の中をもうめちゃくちゃにした。するなと言えばするし、やるなと言えばやるし。どうしたら1か月祈願をして貰い、ある日突然届いた除災用の米の塩を混ぜたものを神棚に備えることが出来るんだろう。そとに撒いて余ったから・・・・・。あれほどの量をいっぺんに撒くほどに頭が悪いのだ。当然梅雨時ならそんな混ぜ物は腐る。家の周りも臭い。
もう本当に完全に頭に来たので、その他諸々いただいたお守りなど全部取り上げた。神に守られる資格はないじゃないか。
「もうこんなの持っていても、あんたらを助ける神様なんていない。思い知れ!」と言ったら、バカな両親は翌日にその神社へ出かけて父はなんだか病気になって倒れた。結果的にはWINWINになったわけだが、おいらはちょっとその神社へ参るのがその時は怖くなった。
涼しくなったら二人で返しに行けばいい。でもその前の、あんたらはもう守られないの方がきつかったんだろう。おいらは閉店前で割と大忙しで自分の気持ちを誤魔化すと言うよりも真剣に働いた。そういう息子の身を案じて神社に参拝してくれた訳じゃないだろう。自分の命の尊さを思いしれみたいな男だ。死にもしない病気で家族をこれでもかってくらいに脅した。友達に医者の息子がいたので薬を見せて調べて貰ったが、重症患者に処方される薬ではなかった。でも母は認めないんだ。この人も心のどこかで父を負担に思っているから、死んでくれないと困ったんだろう。それを純粋な姉に押し付けて、高校時代にも家がめちゃくちゃになった。
今思えばこの時すでに土地に呪詛を掛けられていたんだと思う。あの憎き一家の主様に。これで三度目だからもうないと信じてるけど、カンちゃんが死なないと安心も出来ない自分がまだいる。そして家族四人はこの呪われた家に囚われたまんま不幸が堪らなく心地良いことを知るのだ。そしてそれぞれの部屋を仕切る壁を壊し、納屋を東南に築き、一人広島で自由に生きることを謳歌し始めた、成功し始めた、おいらを引き戻した。そして紆余曲折あって、カンちゃんと対峙することになった。結果は惨敗。まあああいう身内事呪ってしまえと蔑んだ人らが面々と続く家系とかかわりを持ったおいらが悪い。忠告されていたのに無視して関わりを持った。友達を救うために・・・・・。
母とは普段と変わらない受け入れ方をした。叱られる方が楽になるだろうから何もしない。母にあったそれこそクモの糸みたいな極細の縁も切れてしまった。子供のように、子供だっから真剣に怒ってきたけれど、もう他人のようになってしまった今では元に戻すことは出来ない。姉には冗談ぽく「もう姉のサポーターは辞めるね」と明るく宣言しておいた。
一年もかかった。でも一年は長い。確かに条件をクリアする情報や知識が足りなかったせいもあるが、多分に家族が足を引っ張っていたのも事実。真実を見極めるためには、その極細の糸らが邪魔だったように、おいらも仮想の中の家族まで永遠に失わせた。ある意味において生きる意味がなくなった。木の神さんがそれでもバックアップしてるから、大きなため息をつきながらも今も生きてる。かつておいらの人生を狂わせてきた別系統の祟り神がおいらを支えてくれている。
子が親を選ぶなら、なぜ不幸な家を選んで生まれるのか、相応な理由が知りたい。懲役19年は裁判官の私刑だし、見せしめにして多くの尊い命を救うキッカケに橋になるかも知れないが、その子は父も恨まずに死んでいったとおいらはなぜだかそう思う。そういう世の中の残酷な仕組みが堪らなく憎い。おいらの容赦ない心が痛い。それが今日のおいらの顔に出ているのが、もっと辛い。誤魔化せない胸の傷がどうしても痛んでしまう。
例えば助けになるために生まれてきたとして、それが叶ってしまったあとの救済はやっぱり訪れなかった。心の平穏なんて一度も感じないことは取り戻せなかった。やっぱり父は嫌いだし、母を罰しようとする自分が情けなくて頼りなくて死んでしまいたくなる。違う。
この世にあるどんな記憶も足跡も一片の塵も残さずに消えてしまいたくなる。
それこそが想像を絶する世界との関わり方だ。
おいらは生きることに向いていない。
16のときにもし上手く死ねたら、もうあれから31年も経つから両親も姉も違う生きたを選択しただろう。母は父と別れ姉を連れて家を出て再婚してから男の子を生んでおいらの名から一字取り、会うことはない弟がいただろう。姉も普通に結婚してもう孫がいたかも知れない。そうじゃなくてもおいらがいなければ、おいらを不幸に追い込む様な選択を母は絶対にしなかっただろう。
多分、今生きていてはいけない存在のが自分なんだと思う。生かされたんだけど、生きるために用意された寿命ではなかったはずだから、いつも苦しかった。
自分の心の中にないものは決して取り戻せないし、再生されない。
最後に自分で自分を祓うことになるなんて思いもしなかった。
おいらの大部分はある意味において、父の命の補完庫でありスペックでありスぺアだ。あの嫌いな男のために準備された命だとおいらは何故だが知っている。今ならば壊れだしたばあちゃんが何を、その神社で願っていたのかも分かる。すべてとは本当に父も含めたすべてだったんだ。この世界には死ねない不幸もある。生まれなない幸運もある。
アンチ悪霊ばあちゃんやカンちゃん一族との対決なんてどうでもいい。
本当の自分はどこにいる。
本当のおいらは誰なんだ?
お前は何者だ。
何者でもないものだ。
ただ疎まれて傍観者となるために、そこにいるモノだ。
いま心を支えてくれるのはかつての恐怖でかつての呪いだ。
木の神さんが逝こうとしてる。強く生きろと言っている。
知っていたよ。
成仏しないと生まれ変われないものんね。
自分と同化していた多くの部分が天に召されてく。
ハズしたら持たないからと一部を残してく。それをおいらは木の神さんと呼んで寿命まで生きるんだね。
寂しくても苦しくても、、、、そうやって欠片を探して、子供は親を選んで生まれてくる。それは父の母の姉妹だったかもしれないし、たくさんの報われない魂だったかも知れないけど、もう本当にサヨナラと思うと辛くなる。
涙が毒みたいに苦い。でもとても暖かい。
おいらが持ってるひとりぼっち分を除いて、今日は木魂さんが帰る。おいらが名付けた真名の部分が帰っていく。
事実上の家族はいなくなったけど、孤独を親友として生きるのもいいのかも知れない。
用意されていない寿命の先を生きるのが今は精一杯でも・・・・・・・・・。
嫌いなものをそれ以上嫌いになる必要がないみたいに、嫌いなものを好きになる必要もない。だから大切ではないものなら捨ててもいんだろう。身勝手で我がままだったのはいつだっておいらではなかったのだから・・・・・・。
きっとあの悪霊ババアの仕上げをしに舞い降りたんだけど、どうにもこうにも悪運だけは強くて、ババアが達成しえた血の呪いや因縁や禍根や成仏を促すことにしたんだと思う。ばあちゃんが居る場所を煉獄とか地獄とか言うんだろう。だから誰もお迎えに来ない。父の身体の中で気づかれないように息を潜めてる。でもばあちゃんバレてるぞ。
憎き父親をおいらに返しやがれ。この人はこの人の罪の重さをしょって生きていかねばならないのだ。それが父の寿命を超えた先にある人生だ。自分の檻の中で生きている母を返せ。隣に巣くっていた生きながら魔道に堕ちたババア。今度は奪ったもんもあんたが与えた出来過ぎた幸運を奪い返してやる。もう死んでるもんは土に帰り無に帰せばいい。母は反省して己と闘い続ければいい。
それが親と言うものだと知るべき時もようやくに訪れたのだから・・・・・・。
西の悪霊どもが執拗に狙えども、おいらはいないし、家族ももういない。
死んでるものは奪えまい。
憎しみを超えてしまった先はただの虚無だぞ。
天台僧が魔道に堕ちるのはそういう事だろう。
護摩壇焚いて幣を振る神主だけはインチキだ。いてもいいのは法衣着て祝詞上げる仏法僧のみ。
正しくないものは容赦もなく淘汰される。
カンちゃんがいなければ町もまた素晴らしいところだったんだろうに・・・・。それはもう変えられない。崩壊は止まらない。
・・・・・・・、
木の神さんの荒い魂が逝きました。神上がりですが、成仏したかったみたいです。で、おいらの未練や辛い過去の味を少しだけ持っていってくれました。もう想い出はこれからそんなに苦くはないのかもしれないね。
まずはじいちゃんによろしく伝えてください。あとはばあちゃんにもね。
あなたたちのお蔭で良心に呵責が与えられ、罪に意識が与えられたのだと思います。
もう手かせ足かせがついていない自由な魂と一緒に残りの僅かな人生を人となるために生きようと思いますね。
木の神さんの荒魂さん。本当にありがとう。
いつか和魂(にぎたま)と幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)と合流しましょう。
例えば一昨日まであったような重圧が消えて清浄で正常な場所に戻ったと認識していても、おいらの霧は晴れない。晴れないと思ったけど本当に身体が弛緩しています。深呼吸しています。
罰られて当然の人が罰せられていないからだろうと。おいらの知らないところで罰せられても意味がないと。
でもさ、もう知らなくていい。
もううんざりした。
腐った血が滾ってる場所はおいらにも見えてる。
ちょっと霊感がある人ならばダダ漏れの醜悪さに気が付かれてるぞ。
たぶん糞尿みたいにカンちゃんは匂うはず。
生きるインチキとして恥かいて生きやがれ(笑)。
でもここでチャンネルは切るね。
30年分の痛みは利息つけてお返しします。
赦しを与えることにしました。
皮肉にも恩流しみたいな恩赦です。
敵のくせに敵らしくなくてごめんなさい。
憎しみからは何も生まれないと言うけれど、まあ本当は何かが生まれているんだと思う。
それが今日おいらの中で孵化したみたいだ。
それを憎しみに育てないことにした。
優しさに出来たらありがたい。
だから少し感謝した。
変な言い方だけど、呪ってくれてありがとう。
祝ってくれなくて、ありがとう。
邪悪でいてありがとう。
だから今日から敵ではなくて正義の味方になりますわ。
メタボで地味なヒーローだけど。
自分に誇れる自分になります。
情けなくて弱音をすぐに吐いて、それなりに努力を惜しまない無個性のおいらになります。
人を呪わない自分になります。
おいらはカンちゃんにはなれそうもない。
どこまで行っても今回は救われるみたいです。
あしからず。
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