空に問う。

空に問うても果てがない

バランス

2015-10-23 13:18:09 | 日記
要するにバランス。均衡。平均。ヤジロベーの針か、台か。

そうした秩序を保ちながら、世界(地球ね)はバランスを取っている。

昨日、例のお財布した女性占い師プロガーの違和感の正体はバランス感覚。

神様の四大資質である、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)。

大きくは二つで荒魂VS和魂(幸魂、奇魂)として考えられている。半々もしくは3:7で和魂有利と思っていたけど、7が荒魂で3が和魂みたいな気がする。

荒魂とは神の本性で言葉のまま荒い部分。怒りや憎しみや負の感情を表してる。

和魂は真心や優しさで、幸魂は幸運を差し、奇魂は奇跡である。

和魂はそのまんま、人間の慈悲や生き方そのものみたいな部分である。それが肝要なのだろう。

人は放っておくと際限なく他者から獲物や領土や陣地を奪う生き物らしい。どんな動物よりも頭がいいから悪知恵も身に付ける。弱肉強食の上にいるようだけど人は弱いし、上にはウィルスがいる(笑)。

際限なく他者から奪う生き物は人間だけ。獲物をストックしておく動物もいるけどそれは特殊な環境下での話。飢えは渇きを齎し、渇望した心は獲物を捜すハンターとなる。人間はその叡智で共食いは辛うじてしないけど、精神的な捕食は繰り返す。親子関係、師弟関係など・・・・。奪い合って授け合う。与えあって温め合う。

自分の中では自分が7で、残りが他人に向けられるものだが、実は大きさが違うだけで重さは他人への意識の方が比重が重いんじゃないんだろうか。

アルミニュームと金みたいに、大きさと輝きが違う。

霊感や後天的な精神の異常はそれを自分6、?1、その他諸々3になっているのかなぁ。バランス悪いです(笑)。

?は百の単位なら10。千の単位なら100。万の単位なら1000。

1001以上を無限と読むのだから、型は1000もあるわけです。だから似た人がいて当然。

おいらは1もなくて、0.5以下かな?

中途半端だから時間がかかる。1以上の能力者ならば一日ですむところが一年も費やした。

占い師ブロガーを見てて全然羨ましくないのは3の方ではなく、7を忘れ、同族嫌悪(女性蔑視)し、男性原理で物事を片付けようとする旧前すぎることをさも正しく諭すからですかね。

男はこんなものだと前置きして女性性を否定する。浮気する男は女房が務めを果たさないとか、かまってくれないとか考えない。なんか浮気相手を風俗嬢のように思えと言っていたな。それは違うぞ。性を象徴するシンボルは世界のどこへいったってミューズだしね。

そこに相手をしてくれる女性がいるから、本能で浮気してるだけ。その浮気してる時間を同じ女性が奉仕してくれたと思えばいいだと・・・・。封建時代の話ですか・・・・。中世には女性も選ぶ権利があったんだぞ。だから袖にされる男がいただけ。なんでこうも戦後レジュームみたいな占い師の手によって救われる人がいるんだろう。

要は、それでも好きか嫌いか、我慢できるか出来ないか。事情があって別れたくても別れられないとかです。複雑じゃないですよ。で、子供に対する責任を持ちだすのはタブー。子供が傷つくは大の大嫌いだ。

このバランスの悪さと、まるで7が和魂で3が荒魂みたいな感じが嫌いだ。

スサノオノミコトは例えば心をあれだけ入れ替えたって黄泉の神様でしょう。乱暴者ではありますが、困られたのは高天原の神々だけです。天照大神なんて我がままの象徴でしょう。世界を暗闇にして民草を困らせるのだからね。兄弟ケンカに人間を巻き込んだのは天照の方です。人間性を持ち込んだのは天照大神じゃないですか。

江戸時代の皇室の皇祖神は国常立尊(クニタチノミコト)と伝え聞きます。600年間の長きにわたり、伊勢神宮の斎王(皇女)を使わせてはいましたが、天皇自体は参拝されていないのですね。強すぎるから神殿から外で祀ることを選んだ神が天照大神なのです。それに皇室の宗教は真言宗泉涌寺派総本山である泉涌寺ですからね。仏教なんです。確かに国体のための神事は執り行いましたが、それは日本古来の祭祀は天皇が担う職務だったからです。それをしていただかないと国が立ちいかなくなる。まあ祀らなければ怨霊どもが祟るわけですが、そういう極めて異質な存在で、大切な役割を担っていたんじゃないでしょうか。まあ時の為政者に邪魔もされたこともあるのでしょう。

とにもかくにも天皇とは神でもあり仏(大日如来)の化身でもあるわけです。だから本当に靖国のシステムを興じされていたかは疑問です。A級戦犯を合祀したくらいで行かなくなるのか。もしすると英霊たちに申し訳なく思われたんじゃないんですかね。A級戦犯とは政治犯ですから、一番罪が重いとは限らないけど、救えた命を救わなかった責任がある人たちです。また薩長の夢幻を巧みに利用した人たちでもあるわけです。そして薩長の夢幻は戦後にも引き継がれてる。亡霊どもの夢の跡が昭和なら、平成は終焉かも知れない。ポピュラリズムで作られた幻想の今の世ではもはや日本は救えない気がします。壊して壊して壊して、何がしたかったんだろう。欧米列強国に憧れただけではないのか。

神武天皇は人間の系譜に連なる最初の天皇ですが、あんまりよくわかっていません。神話で語られる英雄談くらいのものしかないのですね。口伝として伝わるにしても正当すぎます。藤原不比等さんらが創作した物語なのでしょうけど・・・・・。でもいったん記紀神話にあるような神の体系が整ってしまうとそれは大掛かりな仕掛けとなる。日本語で表現しにくいけど魔法陣みたいな「場」が出来たはず。信じるものだけが救われるのですよ。従うものだけに与えられるのですよ。そういうフィールドが日本の土着信仰と上手く融合したんだと思います。

おいらに分かるのは、天津神でも国津神でもなく、それこそ八百万の神ですが、3の部分の資質こそ人間性なのだと思います。

まあ祝詞を唱えると分かるのですが、八百万の神と天津神と国津神はちゃんと区別して認識されています。300柱にも満たない神話神と、それ以外の神が分けられているんですよ。その他大勢・・・・。その他大勢の神を禁じたのが実は廃仏毀釈なのですけど。神話の神や天皇の家臣で祟り神となった以外のすべての神も寺と同様に毀釈されたわけです。その当時はお寺だったところが神社として現在残ってるケースはたくさんあります。調べるのも楽しいですよ。

・・・・・・・・、

有名どころの有力神社ばかりを紹介してるのも、何だか。マイ神社ってたくさんあっても良いんだろう(苦笑)

せめてDr〇パや〇原さんくらいに地元では有名だけど全国区になっていない神社を紹介してくれたならなぁ。ブランド志向が強いんだろう。神の神気や怨念が強いほど大きなサイズの神社があるだけなんですがね。それもまた人の成しえたこと。人が怯えた証拠なのです。だから出雲(杵築)大社や伊勢神宮はスケールが違うのです。高さと広さ。まあ古くは伊勢神宮や出雲大社も朱塗りであった時代があったこと知ってんだろうか。伊勢は早い段階で仏教的な部分を削いでしまったけど、実は質素倹約の時代を経て、素朴でシンプルなものにそれこそわびさびを突き付けた究極の美なのかも知れないです。

パトロンがいない時期は荒れ果てて荒廃し、120年も遷宮が行われないときがあったそうです。

また出雲の遷宮は今回で2回目ですからね。江戸時代に建てた社の補修工事です。それ以前には大々的に行われてはいません。60年に一回ってことだし、島根にいるから本殿に上がらせていただいた。改修工事に入る前にそういう期間があったんです。本殿から拝殿にご神体が移されていました。内部まではさすがに見学不可ですが、江戸時代に描かれた天井画「八雲の図」やぐるりは回らせていただきましたが、それから一年以上気分が優れませんでした。

今は大国主がご祭神ですが、何度もスサノオノミコトと入れ替わってるそうです。本殿の真後ろの社に今はスサノオノミコトはお祀りされています。子供だったり子孫だったり同一視される二柱。荒魂と和魂の関係なのでしょう。それを以て調和と成す。大国主命は分からないけど、スサノオノミコトのモデルになるような豪族の長はいたんじゃないかと思います。やけに記述が粗野で人間臭いからです。豪気って言うんですかね。

とは言え、天照大神のあのツンデレな我儘な感じって実に人間っぽくて好きですよ。荒魂除いた神はすべて善い神だと思います。

ああ、悪とこ取り除いたらみんないい人って言っていた妖怪みたいな飲み屋のママがいた。実はママも神だったりしてね。

まあ神様に試さることなく、または奪われることもなく、愛される人間もいるんでしょう。

今日は大泣きして疲れたからヘトヘト・・・・・。

おいらはそういう神に愛されるだけの人を未だかつて見たことがないし、訊いたことがない。やっかんでんのかな。そう思われるのは少し嫌だな。

今は離れていても神の息吹は感じます。でも、それはただ優しいだけ。ただそれだけ・・・・。

でもそういところに触れたまんま人間は生きていけません。

金儲けに走ると、霊感とか占いとか、そういう世界と切れると言われていますが、そういうことでもないんですよ。その人の限界を超えるような事態が起こらない限り霊能なんてものはなくならないんでしょう。良い金儲けしたら失くすこともないんだろう。最近はそう思います。無駄に行使するとしっぺ返しにはあるわけですが・・・・・・。おいらお金に縁がないのでよくわかりませんけど。これを掟にしているんでしょうな。うはは。

際限なく奪わななきゃなんとかやっていけるんではないですか。

とにかくアンバランスの上でバランスとってる新体操の人みたいだ。器用です。

おいらの好きな占い師や霊能者は人間っぽいから好きだなぁ。人間っぽさを失くしたら神になるわけですが、魔に寄ると言うか羅刹になると言うか、蠱惑的な悪魔になるんでしょうね。女性だから魔女。

・・・・昔のタイプのファンがない換気口が風呂場に合って何だか外れてると思って直したんだけど、バカ父がネジが止めにくいために放置してやったつもりになっていただけであった・・・・。今度外すときは家を壊すときか、全体のリフォームをするときだと思ったからキツく閉めた。まだ東北の鬼門にある風呂場当たりの水周りがザワザワしてる。ここを直したら本当の意味でのミッションコンプリートなんだと思う。風呂の栓のチェーンがキレたら紐で繋いで放置する人だからね。長さが市販品では足りないのかと思っていたら、どうなら違ってた。錆びた鉄柱の錆びも落とさずに布ガムテープぐるぐる巻いてペンキ塗るような愚かなDIYの達人ですからね。

不幸になりたい人は両親を貸し出しますよ。

もれなく因縁もついてきますけど(笑)。

まあ、自分のために大義滅親する時期が近づいているようです。

嬉しくもあり、悲しくもありますが、どうやらそうするしか対抗手段が見つからない。

おいらじゃ術師に対抗できませんから、一個ハズします。

記紀にしても聖書にしてもライ麦で畑でつかまえてにしても、読み手の技量で読解力で意味も中身も変わります。 

おいらはそうじゃないと思うけど、それが例の占い師ブロガーのバランス感覚をみんなが認めているのも事実。アンバランスもバランスの在り方。

数多あるアメーバブログの中でおいらの神社詣りにいいねを押してくれたあたり、まんざらご縁もあるんでしょう。反面教師になっていただこう。

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