空に問う。

空に問うても果てがない

2015

2015-01-04 10:17:53 | 日記
あけましておめでとうございます。

と、気分はそんなに単純なモノじゃないけど、取り急ぎ・・・・・。

荒神さんの折られたお札はお返しし、新しいのをいただいてきたけど、まだ荒神さんの新しいお宮が届かない。ので、お札だけで今はお祀り中。

この地方の荒神さんについて詳しく書かれているモノがなかったので、「台所の神様」として荒神さんを調べたら、祝詞ではなく、般若心経をあげて、一礼三拍するのが正式な作法みたいですね。そして榊を飾るのではなく1本だけ荒神松と呼ばれる松を飾り、お神酒は1本だけお供えする。それを参考にしました。

それにしても、そういうのを昔からお祀りしてるくせに何も知らない両親。父の実家ではお札を貼っていただけだけど、じゃあなぜ家を建てる時に荒神さんの神棚をこしらえて貰ったのか、もう難解な人たちです。そこにちゃんと用意されているのであれば「心を尽くして」お祀りしない以上、するべきじゃないと思うんです。だから、去年の六月にお宮を新調する際に「祀るのを辞めるか」話し合ったんですけど・・・・。最終的にはお宮とお札の長さがミスマッチで、折り曲げてお札をお宮に押し込んでいた。

それも全部「おいら」のせいなんだとか。せっかく息子が用意したお宮だから、お宮に合せることにしたらしい。一言「お札が大きすぎて中に収められない」と言ってくれていたら、お宮を再度購入するなり、お宮にあったお札をいただきにいったモノを。家の中に不具合を起こしてる神さんがいるのだから、護りとか祓いとかうまく機能するはずもない。とにかく父親はなんでもやっつけ仕事。あるもので修理し、見栄えなんて気にもしない日曜大工が得意なのだ。必要な部材は貰ってくる・・・。すべてにおいて、この調子だから、「やりゃあいい」だけの最悪な人間。

この二年は違うことなく、ちゃんと神さんに礼を尽くしていた「つもり」だったけど、愚かな父の愚鈍な行為により、なんちゃ礼も尽くせなかった。だから夏に熱中症に似た症状で倒れて入院して、少し精神を病んだ。だって倒れた理由も、おいらの意に反して、自分らの命のためだけに、息子が敬愛する神社で祈願をして貰った日でもあったから。子供のためではなく、自分らのためだけに「祈願」をする、その行為や思いに散々打ちのめされた・・・・。まあ、その時は8月だと言うのに「米が腐り」「塩が水になり」「注連縄が焼けた」のだ。当然、直前に参った神社のバチと思っていたけど、親父はきっと荒神さんに祟られていたんだろう。どの症状も台所に関係する。

しかし、おいらは敬愛する神社が災いを成したのだと思い込んで、少しづつ信仰を失っていった。家族を苦しめる神に対して、疑問が湧いたのだ。たとえ自分らのためだけに訪れたとしても、急な病にかかる理由などないはずだと思ったからだ。おいらにしても父が荒神さんに対して、そんな無体なことをしているとは思ってもいなかった。本当に最悪な父親だ。昔から嫌ってはいた。頭がとてつもなく悪いからだ。でもよいやくわかった。頭が悪いから嫌いだったわけでなくて常識がないからだ。

呪うN神主の事だから、住所、氏名、生年月日で呪ったんだろう。お寺では無理だけど、神道ではこの3つの条件が揃っていれば十分に人を呪うことが出来る。例えば呪われているのが「おいら」でも、その住所に暮らす以上は住んでる人間もまごうことなく「呪われて」いる事実をいくら話しても「わしらは関係ない」の一点張り。そういう考え方では呪いを跳ね返せるはずもない。だからおいら以外の住人は少しずつ呪う神主の思惑通りに呪われていった。

お祓いをしていただいてきた「お守り」を持っていれば無償で守られるわけじゃない。心根を糺さないと意味がないことを考えもしない。おいらはずっと生まれてきたことを後悔して生きていたけど、この人らの子供として生まれてきたことを後悔していたんだと気が付いた。だから一度も払い返すことも出来ずに、おいらは心を少し病んだし、家族の中から笑顔が消えた。そりゃあ当然だ。家の中に災いを成す神を手引きする、誤った祀り方をされていた荒神さんが居たからだ。

まあ、それに気が付いたのも、敬愛する神社のお蔭なのだが、これは長くなるので書きません。ただ部屋に置いていたお宮を家の神棚で合祀することにしたから、そそうを畏れた父親が28日の神棚を掃除する日に、おいらに手伝えといったから。もしこのチャンスがなければ今ごろ、また腰を折られた格好で荒神さんのお札は捻じ曲げられ追い込まれていたのだろう。

だから30日まで我慢していたが、大みそかから口を訊いていない。

だって、どんなに神様が尽力して下さったにしても、家の者の態度や行為が罰当たりではどうしようもなかっただろう。とにかくもう父とは一緒にいることは不可能だ。この家から出て行かなきゃいけない気がする。そうは思いたくないけど、おいらの人生を粉々にしたのは父だと思ってしまうから。おいらも相当なバカだけど、常識はあるつもりだ。今更言っても仕方がないことを、何度も言うたびに死んでしまいたくなる。バカに何を言ってもしょうがない。空しいだけだ。それに「この血」が確実に流れていることが、最大の呪いなんだと気が付いた。

だから、敬愛する神社には母と姉と三人でお礼をお詫びに行った。父は誘わないし、詫びる気もないだろう。悪いのは、おいらなのだから・・・・・・。自分しか愛せない人は人並みに家庭を持ってはいけないと言う定型的な人間だ。それに「お詣りすりゃあ許される」と思うような外道と初詣に出かける気にもならない。

神って守ってくれる存在なんだと思ってる。神とは、そういう存在じゃないのだけれど・・・・・。

まあ、ひとつ良いことがあったとすれば、初詣に行った地元の縁が深い神社の御札を二柱いただいたこと。日ごろは宮司さんが不在なので、はじめていただいた。この二柱はおいらがお祀りすることにした。例えばおいらがどこへ行っても同行して貰うことにする。自分だけの神様がずっと必要だったから・・・・・・。

父と口を訊かないでも平気なので無視し続けようと思う。このバカと話しても何も解決しない。家の大事よりも、野球やら時代劇の方が大切な人間なんだから。親が子を愛さないのだから、子が親を嫌ってもいいよね。それは間違いだって思っていた自分が、今はとても空しい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿