空に問う。

空に問うても果てがない

また逮捕

2017-10-13 08:16:21 | 日記
また逮捕?清水アキラの三男の覚せい剤使用。

安倍がさぁ、黙秘してて推定無罪の一般人である「籠池夫婦」を名指してテレビの党首討論会で「詐欺師」と呼んだこと隠し?それとも・・10日出た福島原発の国の敗訴の件だろうか。福島原発の津波事故は予見できたとして、2006年当時総理大臣で原発の津波対策を拒否した安倍を断罪したこと?

この人の怖いところは自分の不備で福島があんな酷い目にあったのに、当時の菅元総理の原発対応にやんややんやのヤジを飛ばしていたよね。罪の意識はありません。なんせ血統がいいし、元は田布施の出身だから。

そのどちらかのために用意された逮捕だろうなぁ。こういう手法・・・昭和から連続的に使われてる。まあビッグカップルの婚約とか結婚は皇室の問題、覚せい剤など芸能人逮捕は政治のスキャンダル隠し。

とくダネが引っ張る引っ張る。芸能人の親の責任はいつまで?なんて注釈つけて・・・。

昔から噂されてるけど、国家公務員の中でも山口県出身や山口大学卒業者は好待遇を受けるという話。まあ今の日本の官僚制度は明治政府の基本体系を踏襲している。戦後の政界、財界、裏社会を牛耳っていたのも山口県田布施村人脈であったことは有名だ。

安倍晋三の背景にはそういう裏人脈が関わってる。靖国神社が田布施村一族の神社だと言われてる理由も、前身である招魂社なる斎場施設がモデルになっているからである。不思議なことにこの神社は神話の神がご祀神ではない。だから今も本質的には神社ではない。創建した高杉晋作がこの場所を斎場と呼んでいるし、ご神体は長州藩士らの墓である。しかしこの施設は寺でもなく、墓地でもない。斎場なのである。現代社会では斎場と言えば葬儀を行う場所だけど、普通に斎場と言えば祭祀・儀式が行われる場所を指す。

招魂は文字通り、死者の魂とこの世に招くことを言い、招魂術とは死者の魂を鬼として操る術を言う。元々は中国発祥のものだけど洗練されたのは朝鮮半島である。朝鮮半島は恨の文化・精神と言われるように呪術や呪詛が蔓延してる土地柄である。

高杉が仮に鎮魂社を作ったとしたら、それは神道でいいんだけど、招魂社となると日本の宗教をベースにした宗教施設ではない。

ただおかしなことに東京招魂社をはじめ、全国各地に招魂社は作られたのだが、長州人が主体となっているはずの明治新政府は靖国神社神社での『『招魂術(祭)』』を禁じている。通常の葬祭儀礼であるならばそれを禁じたりはしないだろう。その後、葬祭儀礼は仏教の儀礼として一般に広がっていく。

どうして禁じたんだろう?たぶんそれがかなりの効果を呼んだからに違いない。良俗秩序を重んじて禁止したわけでもあるまい。その儀式により、禍いが起こったからこそ禁じたのだと思う。まあ招魂は陰陽道にも通じることなのだが・・・明治政府は「科学的な根拠がない」として明治の初めに宮中から陰陽寮を廃止した。だから招魂社のルーツとは朝廷内にある秘儀でない。朝廷は千年以上前から陰陽道の招魂を国禁にしてる。昔から呪詛は刑罰の対象でもあったし、戦前までは続いた。

高杉が下関招魂社で誰を神として祀ったのか?師である吉田松陰である。だから靖国神社が英霊を慰霊する施設と思われてる人が多いと思うが、実際には吉田松陰を神と仰ぐ長州出身者が信仰する神社とは別の施設なのである。だから右翼の聖地にもなり得た訳である。右寄りの思想の原点も長州にあるんだから・・・。

オリジナルがすべてを形成する。それが神道である。八幡神社には八幡神がいて、稲荷神社には稲荷神がいる。同じ神が同時に存在する。神は一人だが、それぞれ同時に存在する。一人の神が日本全国の神社を移動して歩くのではない。

だから日本全国に吉田鬼は同時に存在することになる。

おそらく日本がおかしくなり始めたのは10年くらい前で、もっとも悪化したのが5.6年前。安倍さんが過激な活動を再開し始めたころだよね。そして総理にもなった。

とにかくここ数年、西の方から妖しい気配が満ち満ちてきて、地面の下を這いずり回るようなぞわぞわしたものが蠢いていた。

おいらは同時に西の方に住んでるイカれた神主から呪詛呪殺をやられていたんで、ずっとそのせいかと思っていたんだけど、それにしては力がデカすぎる。あんな強い力をマトモに食らったらおそらく一人の人間くらいは木っ端みじんだろう。

まあ・・・おいらのところにも実際に黒い鬼が来て、刀のようなモノで胸を突かれた。鬼とは陰陽道の中の悪意や邪気や禍いのような存在であるし、鬼を使役する式神使いの陰陽師安倍晴明は有名である。

近代日本にある朱子学とは半島を通して輸入された朝鮮朱子学が元なのだと思う。朱子学とは儒教の思想を取りまとめたものである。半島ではこの朱子学をもとにした数々の呪詛が生まれている。犬神に蠱毒、招魂術・・・など。

しかし学問として輸入された思想の中から「招魂術」を抜き出すのは難しいだろう。だからここで思うのは修験道の存在である。山野を掛ける苦行に特化した修験道の最終目的は超能力の開発である。江戸時代の加持祈祷、魔よけのお札などは民間種族として根付いていた修験者が行うモノであった。もとは密教に由来するが、神道、陰陽道などの秘儀の部分までも取り込んだ修行である。

おいらに元に現れた黒い鬼はもちろんイカれた神主が使役したものだと思う。

しかし呪詛というものは系統が決まっていて、何でもかんでも都合よく働くモノではない。虫なら虫、蛇なら蛇・・鬼なら鬼だ。

明治初頭に政府は修験道も禁じている。だから修験者の多くは本山である寺に帰るのだが、廃仏毀釈の影響で帰る寺を失くした修験者もいた。その多くは還俗したが、一村一社に神社を据えることとなったときに圧倒的に足りないのが宮司や神職だった。修験者は経も読むが祝詞も口上出来る。だから還俗した者らが神職となるケースは多かった。なんせ神仏習合下の神職は僧侶の下に置かれなり手がなかったのである。

これもまた明治政府の失策だ。その当時、神道の儀式や作法を正確に行えるものはいなかった。なぜならば長い間に仏教の中に取り込まれてしまったので、オリジナルが欠損していたからだ。たぶん神事の再興には伊勢や京都の吉田神社の形式が用いられたんではないかと思う。要するに僧侶である修験者が神社の神主になったんだよね・・・。だから今も神装束を着て、密教の護摩壇を焚く祈祷祈願のような祭祀を行う神社も存在してる。

結局のところ神道は完全なオリジナルが失われ、模倣して形式を形態化したものである。だから今のような祭祀儀礼を行う神社の歴史は維新と同じ150年くらいの歴史しかない。日本人は千年以上の歴史を持つ神道に神秘性を求めて止まないが、ある部分まやかしなのである。

修験道の山岳ネットワークと呼べる繋がりはとても深く強いモノだったと言われてる。

「招魂」という言葉だけに注目すると陰陽道、道教に通じるのであるが、これらで言う鬼とは目に見えない怪異全般であり、霊を指す言葉である。高杉の作った場所は斎場である。儀式を行う場所である。神道では招魂に当たるものを鎮魂と言うが、鎮魂死者の魂を祀り鎮めるという他に、生者の体と魂を活性化するための儀式の意味もある。もっぱら後者を指す。

例えば高杉が招魂神社を作ったのなら、陰陽道+神社と言えなくもないが、途絶えてしまっていたが招魂の呪術を持つ陰陽道はすでに神道(仏教のと言うべきか)の一部でもあったから、素直に「長州神社」とか「吉田神社」と名乗れば良かったのである。

天皇家の祭祀儀礼の中に「殯(もがり)」という儀式があるが、これは古代の日本では死や死生観に関わるものだ、というものが仏教が伝来するまで人間は肉体を失っても魂は普遍であり永遠に生き続けると考えられた。高貴なモノは特にその普遍性を重んじていた。殯とはその名残の儀式ではあるが、肉体を失った魂のみの存在では不安定でやがて器も潰えてしまうので、死者の魂に栄養を与える意味の鎮魂術が生まれたのではないかと考えてる。ただしそれは魂が生き続けるために行われるものであって、使役となれば別の問題である。

招魂とはその先の術であろう。活性化した死者の魂を鬼化し、式神のように使役する。要するに魔力を持ち退魔討伐の為に使うんだよね。鬼で式神だから「鬼神」と言うんだろうか。

吉田松陰を思うとまるで生きながら鬼となったように連想をしてしまう。憂国の存亡のためには暗殺もやむを得ない手段だとしていた。いわゆる危険思想だよね。話し合う余地などないから殺してしまえということだ。暗殺を計画したかどで投獄されていた吉田は獄から「なぜに暗殺を決起しないのか」と高杉ら志士に叱咤している。ある意味この時までの高杉は冷静沈着な人間性であると言えるが、吉田の死後は鬼神である松陰が乗り移ったように尊王攘夷の志士として暗躍を始める。若くして亡くなったことも松陰を思わせる。

もしかすると松陰の遺書と言われる留魂書とは別に高杉に個人的な遺言があったのかも知れんなぁ。松陰を神として祀るとか、魂を呼び起こすとか。弔いをするのであれば寺があるのに、あえて神社でもない施設を下関に建立する。何かしらの意図を勘ぐってしまう。鬼として蘇ることを高杉に託したのかも知れない。

たぶん寺院には経はあるが、特殊な今日は在野には存在していない。密教の秘儀は秘匿されていたからである。浄土宗、真宗、日蓮宗は天台宗の経典から派生した宗派である。唯一流派を生まずに現存したのは真言密教だけである。しかし魂を鬼化するなどに手を貸すはずはない。

そういう者がいるとすれば修験者と言うことになる。超能力開発を目的として発展した山岳苦行。超能力とは霊能力でもあろう。霊験あらたかと言うのはそういうことだ。だから密教の呪術と朝鮮朱子学の招魂をミックスした日本初の招魂道が開発されたのかも知れない。たぶん招魂術は媒介となる神仏が必要ないのだろう。だから魂そのものが神であり、神話の神々を必要とはしていないし、菩薩も如来も必要としていない。そして高杉の死後、下関招魂社で彼もまた神となる。

吉田松陰は末席だが日本の神々になれたはずである。戦国時代以降、武将や英雄が神と祀られることは少なくなったし、頓死したものを祀り崇めて神とする怨霊信仰は残っていたようにも思う。松陰は処刑されているのだから非業の死を遂げたことになり、怨霊の条件を満たしている。なのにあえて下関招魂社は吉田神社にならなかった。ならなかったということは吉田が望んだのは祀り鎮められる怨霊になることを望んだわけではないということだ。憂国を救う鬼として蘇ることを強く望んだんだろう・・・。

そして高杉も鬼となる決心をする。

ほどなくして、木戸孝允の発議により、東京招魂社に吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬が「忠魂」として祀られることになる。まあ当時は神々が同時に存在するとか、そういう概念は今よりも薄かったと思うから、あえて合祀したということなのだと思う。そして東京招魂社では招魂術が禁止される。それは良俗秩序を乱す行為だからではないだろう。朝廷にそこまでの力があったとは思わない。だから宮中の陰陽寮は廃止されたのだ。

おいらは「招魂術」の効果がかなりあって実際に鬼化した吉田松陰の魔力のようなモノを直接目にする機会があったのではないかと思ってる。それを恐れていたからこそ禁じられたのではないのだろうか。神道で同じような意味を成す鎮魂術は禁止されず、宮中で再び祭祀として採用されている。神道のはあくまで宗教儀礼でしかなく、効果はなかったのだと思う。効果があるならば例えば宮中祭祀として復古させることを明治政府は許さなかっただろう。

ただ陰陽道を廃止したくせに清明紋とされる五芒星を弾除けに使ったり、日本軍はよくわからない呪術や魔術を採用してる・・。

旧陸軍が超自然的な独自の神を信仰していたというから、鬼神となった山縣有朋でも崇め祀ったんではないのだろうか。いや山縣有朋が信仰した神こそ超自然的な神のオリジナルだから、吉田もしくは高杉がなる鬼ではないんだろうか。

そもそも東京招魂社(のちの靖国神社)は、創建当初、軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括してる。英霊の慰霊も主祀だったと思うが、吉田松陰や高杉晋作らを信仰の対象としたんだろうなぁ。

特に昭和に入り、大日本帝国はひたすら軍事国家の道を歩き、大東和戦争では数百万人の戦死者を作り出すことになる。そこでは招魂術が盛んに行われていたのではないのだろうか。戦死者を護国の鬼化することで自国防衛をさせるための儀式が行われたせいではないんだろうか・・・。ただしそれは失敗する。連合軍の最新兵器には敵わなかった・・・。

日本人にですら、神社と招魂社の違いが分からないから、本気で神の祟りを恐れていた進駐軍は昭和の神仏分離と言える政教分離を行う神社令を出して、神社を国の管理下から外すことにした。ここで進駐軍は一度神道を廃止すべきだったのではないかと思う。そうすれば数年後の独立を契機に自然偶発的に神道がマトモな状態で復古したのではないかと思う。もちろん靖国神社は解体され国が管理する戦死者慰霊施設として再生できたかも知れない。

思想信条を共にする安倍晋三は、使い物にならない稲田朋美を重用した。この人ほど大臣の器でない人物もしないだろう。稲田さんは産経新聞と、高杉晋作に影響されて政治家を目指したという笑。まあおいらにはよくわからないけど例えば鬼化していなくても松陰や高杉は右翼の神格化した神様なのかも知れない。まあ稲田さんは靖国信仰も熱心だから、安倍さんと同じ田布施(松陰)信仰を持つがゆえに重用されたんではないんだろうかね。

ちなみにA級戦犯の合祀を申し出た世話人も田布施町の出身者なんだって・・・。ということは何らかの意図があってのことだよね・・・。A級戦犯合祀後から天皇陛下が靖国参拝をすることはなくなったのは、政治指導者と変死者がともに弔われることに違和感や怒りを感じられたわけではなく、招魂社が神社でないことを知らされたからではないのだろうか。神社でない宗教施設なら天皇が訪れることはなくなるだろう。それも死者を鬼と崇める神社となれば、穢れを嫌う天孫の子孫としても行けなくなるだろう。噂では今の皇室はクリスチャンではないかともいわれてるしね。単純に言うと、東洋の鬼=悪魔崇拝だよね。

まあ処刑されたA級戦犯らは骨の一部が残らないように粉々に砕かれたと言われていて、その灰の残りを静岡県のお寺で長い間供養されていたようだ。まあ東条英機は暴動する陸軍のトップであり総理であったから処刑は仕方がないと思うけど、その他の方々については少し思うところもあり悲しい気持ちになる。実際には天皇を守ったともいわれているので、政治犯として裁かれたとは言え、合祀を遺憾に思うのは少し違う概念かなぁと思うんだよね。だって戦争の戦勝祈願は常に伊勢神宮で行われていたのに、戦争の入り口には変わらずに訪れ、戦争の出口である靖国神社に参拝されない理由になっていない。

神社とは誓約をする場所である。神に誓いを立てる場所であり、軍隊が戦勝祈願に訪れる場所でもあった。兵隊さんの出陣式は各地の神社で盛んに行われた。仏教は殺生そのものを禁じているが、神々は血の穢れ、死を忌み嫌う。殺傷行為そのものは禁じていない。だから戦地にて死の穢れを纏った兵隊さんが再訪することは穢れを意味するから相当に相性が悪いと思う。

仏教は殺生を禁じているが、例えば日本仏教では仏教の存在を脅かす仏敵に対しては意外と寛容で殺生行為を認めている。だから昔の寺院には僧兵がいた。戦う坊さんだよね。

天皇の信仰は仏教だったのだから、天皇を脅かす敵国人は仏敵として例外を設けることが出来ただろう。しかし平田神学に熱狂した幕末の志士たちは新政府の基本ベースとなる国教に神道を据える。

そして明治12年に招魂社は靖国神社として改められ、慰霊施設としての立場を失う。もっぱら祭祀儀礼を行う神道の一部になり、葬祭儀礼は仏教の儀式として住み分けされる。死の穢れを追うのは仏教の仕事となる。

でも・・・靖国神社では禁じられた招魂術を用いた儀式が行われたんだろうなぁ・・。特に木戸孝允の死後、盛んに行われるようになったのではないかと思う。

ええ、そんな気持ち悪い呪術を国が主体となって行うの???と現代人は生活と宗教とを乖離して物事を考えたがるけど、神社がかつて死地に赴くための兵隊さんの出陣式が行われた過去を忘れていけないし、西洋では今でも社会基盤に宗教が置かれている国造りがなされてる国家も多いんだよ。日本はあまりにも「信仰」というものにアレルギーがあるけど、風水を信じたり、パワースポット巡りの一環で神社に訪れるとか、御朱印長を授かりに行くとか、徳や幸運を授かるために行うことも「信仰」であるのだけれども・・・。ご利益を授かりに行くということはすでに信仰なんだよな。今はスピリチュアルという言葉で誤魔化してるだけ。

スピリチュアリストで霊能者のある江原啓之さんは元神主だから、今では神社神道復古の活動を再開されてる。神など信じていないけど、古代からの聖地としてパワースポットだから通ってるという言い訳は通じない。聖地巡りも信仰だから。生活の中には神仏がそこかしこにあるんだけど、それ自体が何に影響されて行われているのか分からなくなっているだけ。お正月に年神を迎えるのは土着信仰なんだけど、今でも寺社仏閣に出向いて初詣に行くよね。自分の宗教でもないのに、宗教的な習わしを自然と受け入れているのだけれど、そこに疑問は抱かない。

だからその鈍感さは、宗教観と同じように政治観にも表れてる。直接選挙のはずなのに日ごろの生活と政治が乖離している。皮肉なことだけど右翼の人は神道を信仰し、そのうえで政治にも熱心だから、「右翼なの?」と」目を細める前に、その感覚の方が自然であることに気が付くべきである。

生活と政治が乖離しているからこそ、国民は政治家や国家、政府とは国民を守る義務があるとだけは思ってる。

だから『(安倍晋三)の人柄は信用できないけど、(北朝鮮の脅威)命だけは護って貰おう」と、それが義務であるように考えている。本来国民が不信に思った安倍政権を支える母体は自民党なのである。当然においらはある意味正気で真っ当のつもりだから、安倍を抑止できずに暴走を許している自民党という自浄能力を欠いた母体まで支持する気持ちはない。

自民党はすでに右傾化していて、極右団体の思想のまみれているし、靖国信仰にも熱心な信者も多数存在してる。同じ宗教の思想信条を持つ人らの繋がりは異様に強い。信者の悪事を皆で隠してしまうほどに。

極右団体や靖国信仰は政治内の超党派という形で蔓延していて、おそらく民進党の保守と呼ばれる人は信仰や政治団体と繋がることによる票集めなどいろんな理由で裏側では通じている。だからこそリベラルを排除したタカ派の保守(右翼)で固めた希望の党が自民党の第二補完政党だと言われるんだよね。松原仁さんなどは超党派の靖国神社と極右団体の派閥に属している。こういう人は本来なら自民党に属せばいいんだけどね。

簡単に言うと、思想信条が同じものでない国民を守る義務など安倍さんにはないということである。そこは国のリーダーだから義務として守るっしょっていう考え方が成り立っていないんだ。有権者に向かって「あんな人たち・・」とマトモな行政の長なら絶対に発言しないし、刑も確定していない推定では無罪である籠池夫婦を「詐欺師」だから「騙された」とは発言しない。軽率なんだよ。時々、論語を持ち出して煙に巻くけど、あれも「朝鮮」朱子学からの引用だからね。思想信条に一途ではあるが、それを吐露したら政治家としてはしまいである。なのにしまいにならない不思議。

おいらはね、この異常な環境の中で不思議と存在してる<安倍晋三>という人物がすごく怖いと同時に、気味が悪い。怖いだけならそれでいいはずなのに、薄気味が悪くてしょうがない。こういう人物は本人以外の何者かが取り憑いてる場合が多い。日本人はいろんな物体に何者かの臨在感を感じてしまう民族なんだけど、人物像からはあまり臨在感を感じない。安倍さんに妙に惹かれてしまう人は安倍さんを見るたびに「吊り橋」を渡っているような気分になってるんじゃないのかなぁ?恋愛でいう吊り橋効果である。吊り橋の真ん中で揺れるよね。その時に感じた恐怖心を人間は恋愛感情と取り間違えてしまうって奴だ。

日本民族はね、恐怖心に対して抗体がない。その何者かの臨在感が纏う恐怖に迎合してしまう。

だから「人柄が信用できない」けど「安倍さんや自民党を支援してしまう」だな。おいらはいま宗教のフィールドの外にいるから、その恐怖心を信頼感と取り違える誤った選択をしていないのである。だから・・・安倍さんに何も期待しないし、日本がますます闇に向かいつつあるのが分る。政治家や国家の「義務感」のような幻想も抱いていないので、信用できない人間には命を預けることが出来ないという至極当たり前のことを言ってるだけなんだけど・・・。

この人が原発に予算を出して想定された津波対策を拒否せずに否定せずに行っていたら、その数年後に起こった原発事故だけは回避されていた。津波で亡くなられた方の命までは救えなかったとは思うけど、生きながら故郷を奪われる人はいなかったんではないかと思う。大切な故郷を、自身の愚かさで台無しにした人物が5年ももう総理大臣を図々しくやっている。

疑問に思わない?

現代において、未来の災害が予見できる場合に対応措置を取らないのはいずれ起こる災害は人災だということである。だから為政者はその都度、責任を取るために存在してる。安倍さんが国民の命や財産を軽んじた判断をしたがゆえに原発事故で互いの負債を追い、国民は財産を奪われ、また生活の場所を失わされたのだ。そこに人間としての尊厳や罪悪感が存在していたら、安倍さんはもう一度総理を目指すことはなかったと思うし、そういう怠りを知っていてなお自民党は安倍晋三を総裁に選んだんだよ。

病気で身勝手に総理を辞任したくせに、責任を全うせずに逃げだしたくせに。普通はそんな人間は政治家として抹殺されてもしょうがないだよ。もしもこの人のルーツが田布施村になかったら・・・復活はなかったと思う。単に官僚の人事権を握ったから・・・権力を掌握したのではないとみてる。

何でか人間として魅力のない無個性な安倍晋三に政財官が熱狂する理由は別にあると思ってる。なり振りはもう元首とか天皇とかの存在感出してるよね。政治家一家の血統性だけでは説明できない「謎」がある。

面白いことに安倍晋三の祖父岸信介は次男だし、佐藤栄作は三男だし、安倍晋三も次男である。長子は家業を継いだということなんだろう。安倍さんの弟は岸家に養子に入って政治家をしてる。兄は三菱商事の執行役員である。

普通の世襲なら長男少女が家督を継ぐよね・・・。政治家でも・・・。

やっぱり明治の田布施に関係があるんだろうなぁ・・・。ここには南朝の末裔がいたと言われてる。

しかし末裔が「一人」であると考えるのは不条理だよね。末裔がいると言うことは家族があり、一族があり、一門があるということだなぁ。明治天皇の替え玉とされた大室寅之助は萩市から田布施村の地家という家の養子になったあとですり替わったと言われている。

しかし1400年から約400年間・・・本当に末裔家は続いたんだろうか?そういう伝説があって、その伝説を乗っ取った悪い奴らがいても不思議ではない。まあ何か皇室皇族所縁の遺品が必要とは思うけど、京都天皇家が薩長同盟の手により落ちているなら、それなりの遺品は手に入れることが出来たと思うんだよね・・・。岩倉具視は宮中に出入りできる貴族だったんだし・・・。

そもそも江戸時代の天皇家はあってないようなモノだし、徳川家に幽閉されていたような存在でしかなかった。地方の農民風情が京都の天子様が何者であるか知るはずがない。当時の国民とは農民の事。一般人は天皇の存在すら知らずに暮らしていたはずだ。

もしかすると佐藤家、岸家は田布施にいた南朝の末裔の親戚か、別系統の天皇を名乗る一族なのかもしれない。なんとなくだけど、昭和天皇と佐藤栄作、岸信介は似てるよね。それになぜGHQがスパイとして岸信介をリクルートしたんだろう。それには明白な理由があるんだろうか。

岸さんの孫である安倍さんは税金を無題に使うことに躊躇いがない。使途は別にしても・・・国民の財産まで私物化してる感じがする。威風堂々とし過ぎている。一度は這う這うの体だったのに完全復活し5年間も国の中枢に居座っている。確かに公安を使って政財界のスキャンダル、趣味趣向など『情報』を有しているせいだと思うけど、それ以外にもね・・・やんごとなきような、保護されて当然のようなオーラを感じるんだよね。俗にいう、世が世ならばと言う話。こういう噂が実しやかに囁かれると、それが権力に繋がったりもする。出自に一目置くと言うのはどんな社会でも有効だ。

安倍さんの熱狂的な支持者って目が座ってて怖い。何か使命を帯びているみたいに見えるし、それこそ国の元首であるかのような賛美を送るアホもいる。

思い違いをしてるような総理大臣も確かに過去にはいたけど、ここまで天晴くらいにアホで能力のない政治家が総理として君臨した例はないんじゃないのかな。官僚どもが全力でサポートする感じは単に人事権や弱みを握られているからではないような気がする。それでならば幾ら官僚の保身力が強くても第二、第三の前川さんが出てきてもおかしくないんだよね。日本のタブーって主に天皇家に関わることだし、戦時中の事だったりする。例えば戦中の爆弾話を祖父ちゃんから譲り受けていたとしても、それが現在に通じる権力の原資になるかと言えばならないと思う。天皇替え玉説だってもう何年も前から言われてることだし、明治生まれの長州人は誰もが知っていたというしね。だからそんなものは弱みにならない。

おいらが思うだけだと思いたいが・・・・どうも

安倍さんって天皇家から国を乗っ取ろうとしてる感じがするんだよね・・・。皇室を大事にしているようで全然してないし、いずれ憲法で天皇制を廃止して共和国にでもして大統領が全権を握る国家を作りたいのかも知れない。明治時代に幕府から天皇制を奪還したけど、それが有効であったかと言われたら疑問符が残りそうだし。

天皇陛下を常に下に見てる気がするんだよね。それは実際の行動にも現れてる。解散権って総理の専権事項ではなくて天皇の「国事行為」なんだよ。天皇家をぞんざいに扱う安倍さんが国民の生活の事考えると思う。噂ではパート主婦の月収が25万円もあると思ってたそうだから・・・。世間ずれしているんですよ。おぼちゃまだから笑。

それとアメリカ軍に天下るのは相当に嫌なんだろうけど、どんなに遜ってもアメリカ軍と参戦して北朝鮮を攻撃したみたいに感じるけど、単に戦争がしてみたいという幼稚な願望ではなくて、かつての半島を取り戻そうとしているような感じがするんだよね・・・。

空虚で無個性なくせに政財官は何かしらの敬意やカリスマ性を安倍晋三に認めてる気がする。普通は鉄柵以ってバリケード作って演説する総理をあそこまで強固に護衛するモノなんだろうか。ちょっと行き過ぎているんだよね。大袈裟と言うか、大がかりと言うのか・・・。左派から命を狙われているわけでもあるまい。市民団体はテロリストではないし。だけど異常に警戒してる。テレビに出ていなきゃ殺されるみたいな切羽詰まった緊張した面持ちになるときがあるよね・・・。

まあ、アベ的なモノらの思惑や正体は分からないけど、アベ的なモノを守るためならば、どんな情報操作でもしそうだなぁ・・・。

しかしセオリー通りに考えても、『『安倍さんの続投』』はないでしょうに。世の中は安倍を捨てても、自民党を選択しつつあるような・・・考えられないような流れにまた戻ってる。

・・・・・・・で。

少しだけアチラ側に干渉していたおいらは、各地で行われる神道の中に隠された招魂を行う儀式に感応していたのかもしれない。

少なくともイカれた神主一家のルーツも明治に始まるんだろう。それは修験道を用いた神道儀礼であり、招魂術にも通じる呪術が伝わっていたのかも知れない。修験道の世界って思うよりも狭いんだってさ。

しかしそれが何であるのかは知らずにイカレ神主は呪詛を行ったんだと思う。鬼を使役する術式。鬼造りに欠かせない贄が、戦後その神社を中心にしてたくさん起こったことだけは事実である。魂を鬼化してエンミさせる手法・・・。鬼は突然湧いて、跡形もなく消えたんだ・・・。刀を上から真下にある胸のあたりに突き刺されたけど死ななかった・・・。まあそれ自体は物質的な質量を持っているはずはないから穢れとか毒のようなモノなのだけど。

黒い鬼は3Dではない。二次元の厚みのない影のようであり、墨のようなモノである。水墨画のような鬼。和紙に文字で書かれた鬼の絵面がゆらゆらと蠢くような感じかなぁ・・・。経文のようなモノが表面を流れていた。

で、刺されて即死のはずが、おいらには人に憑かない系のものが宿ってる。同じことを三人の霊能者に言われたからあるんだろう。胸の真ん中あたりに黒い渦を巻く穴と周囲に黒い焔があるようだ。鬼とおいらでは相性が悪すぎたんだろね。

しかし死にそびれて良かったと言える人生ではないな。あの時に終わっていた方が自分自身のためには良かったと思う。あれからずっと失くし続けて、もう何も残ってない。

鬼に襲われた数日後・・・最後の日にイカレ神主に会ったが、すごく驚いていた。もしかするとピンピンしていたからかなぁ?

後ろめたいのか近づいてくることはなかった。あの目は怯えていた。たぶん最後の秘術だったのかも知れない。その時は崇敬する神社の守護で助かったと思ったけど、何重にもその神社でいただいた結界で家中を覆っていたので、そもそも突然音もなく黒い鬼が現れたんだから・・・結界になど全然意味がなかったんだけどね笑。

肉体的には死ななかったけど、精神的には殺されたのかも知れない。本当に神道なんていい加減なモノを信仰していたんだと今更悔んだりしてる。でもそれが神道のソレではなく、招魂術に関わる事柄ならば対応策はなかったしね。そこまで思いは及ばなかった・・・。神話の抜け殻のような神と、人間の魂を錬成して作られる鬼では神の出る幕はなかっただろう。ただこうした経験もまるで無駄で活かせないことが悲しいかな。ただ普通に平凡でありたいと真面目に生きてきたのに、やっかみ半分で面白半分で、れっきとした神社の神主に呪詛されるとは思わなった・・・。付け入られる隙があったんだろうし、自分の中の正義漢のようなモノが自分自身をダメにしていった・・・。

まあちょいと思い当たることがあったんで、鬼神の方の影響は9月の終わりごろから受けてはいないけどね。全般の祟り体系は現状維持という感じです。

で、イカレちゃんと安倍晋三もどこかでシンクロしていて複雑に作用してる。それは表の世界の方の悪作用だけど。それがなお続きそうで正直吐き気がするけどね。



社会の闇に誘うのは鬼なんだろう。























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