空に問う。

空に問うても果てがない

歴史認識

2017-08-15 15:07:04 | 日記
歴史認識に外交問題・・・しかし一宗教法人に公人がやたら行きたがるのはどうなんだろう?と言った意見がSNSにあった。

考えるとそうなんだよね。追悼式は日本武道館で行われているんだし。

もし神社の体を取らずに靖国などどいう幻想(命名は明治天皇)を作らない慰霊施設であったなら、神社令で宗教法人化されることはなかった。招魂社なら国の施設でも通った気がするけど。東京招魂社が靖国神社で各地の招魂社が護国神社とされた。国を護る神社とされたということか。

それにいま気が付いたけど、何故に『鎮魂社』では『招魂社』なんだろう?死者や故人に対する神道儀礼は鎮魂祭のはず。ちょっと調べたら招魂とは陰陽道の儀礼みたいだけど朝廷は招魂祭を長らく禁じていたそうだ。

要するに魂を鎮めるのではなく、神霊を招く儀式だから固く禁じられた。怨霊神を呼びさますことも可能と考えられていたからだろう。それでは大変な事態を招いてしまう。科学的ではないが、かつて信じられてきたことだし、おそらく今の日本人も神の祟りは恐れてると思う。そう神は祟るのが珍しい事例ではない。粗末に扱われたらもれなく祟る。

靖国神社でも招魂祭は禁じられたけど、それでも命に背き招魂祭は続けられたそうだ。

陰陽道は廃止されたけど、こういう風に宗教儀礼は残されたんだな・・・。魂をあの世から呼び覚ますような儀礼はすべきではないと考えた明治政府は少しマトモだったということだ。

大日本帝国憲法でも信仰の自由は認められていたが、神道はその他の宗教を超越した一つ上に位置付けられ「神道は宗教ではい」と政府は都合がよい解釈し、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないとの公式見解を示したそうだ。そして徐々に宗教弾圧も始まっていく。いくつもの宗教が禁じられ弾圧され、何人もの宗教家が犠牲となった。

戦後72年も経つのにまるで靖国神社を取り巻く環境は常に戦前のまま時計の針を止めていると思う。閉鎖された空間みたいな感じがするなァ。約240万柱という英霊という神がいて、その神を招魂するって考えると思わずぞっとしてしまう。神とは祀る側に都合がよく出来ていて、祀られる側に選択肢はない。国家安泰を願えば護国に専念するだろうが、国の覇権を願えば・・・それはかなり危険な行為だと思うなぁ。

神霊を呼びさますことはとても怖いことだし悪いことだと思う。

おいらも少しだけ神道をかじっていた時に見た光景は正直すさまじく怖いものであった。ある特定の人物からの呪詛を祓うために神に相手の不幸を願う訳だから・・・。冷静になるとノラ神主がやったようにおいらもノラを呪詛したのと同じなのだ。

神同士が戦うことも争うこともなかったと思うけど、まあおいらは力を貸してもらえずに一方的に叩かれた。そして心を壊した。今も千切れた断片を拾い集めているようなものであって、自らを檻に中に置いてるようなものだ。

その最中・・・だいぶ憑かれていたんだろうが、あまり意識のないまま護国神社にお参りに行った。まあ感謝を伝えいに行ったのだけれど、心の奥で言葉にならなかったが”この地方をお守りください”と祈念していたような気がする。おいらがした行為は儀式でも儀礼でもないけど、あの頃のおいらは半分以上あちら側に落ちていたんで訴えだけは通じたのかも知れない。ただ神への道とは一方通行で、神から人へ道はないから、どういう審判がなされたのかはわからない。しかし今のつまらない自分を見てると、悪い方の審判が下ったんだと思う。

他の護国神社のご神体を知らないが、地元の護国神社は鏡があった。鏡をご神体とするのは太陽の化身でもある天照大神がご祀神だと思っていたけど、英霊の御霊の集合体そのものがご祀神なのである。この地でも約24000柱の神がいる。その中には大叔父もいる。

3年前に願ほどきに出かけた。お礼まりとでもいえばいいのかもしれないが、願いの一部(おそらく0.0001%)でも叶えばお礼に行った方がいい。縁結びの祈願に行き、縁結びが成就しなかったとしたらそれが願いの不実行と思いがちだが、その間に出会うはずの悪い縁から遠ざけていただいたとどうだろう。神道的な思考は起こる事象だけでなく、その裏側も推測する「余談」が許されている。

仏性のように慈悲はないのであるから、二度と訪れることのない神社での祈願は辞めた方がいい。

もちろんがん願ほどきにもお邪魔はしたけど、とても冷たい空気が流れていたな。霊気というべきかも知れないけど・・・。

ノラ神主のように私怨や私欲に駆られて呪詛したり祝ったりしたことはないし、おいらは素人だから神道儀礼は出来ない。一時期祝詞を唱えていた時もあるが、それは護法が目的であって、唱えるたびに大泣きをしていた。少なくとも神に縋りつきたいほどに心身ともに憑かれ果てていた。

このころに例の黒い魔人をみた。角があったから悪鬼かなぁ。40年以上大きく育たなかった木が突然半年も経たずに巨大化し、玄関に倒れそう落ちそうになったから、殺生を避けたかったが、その木を切った。

時を同じくしてるから、木に憑りついた悪霊とでもいうのかも知れないけど・・・ソレには明らかな殺意があり、体と同じ黒く淀んだ刀をおいらに突き刺そうとした・・・・。

おいらは反射的に布団をかぶり呪文を唱えていたが、おいらは死ぬこともなく、その悪鬼も霧散していた。幻覚と呼ぶにはとてもリアルだった・・・。もしこの時にこの家から逃げ出す気になっていれば状況は変わったのかもしれない。

ただおいらはこうした負の出来事に対する耐性が出来ていて、刺されても死ななかったと安どしてしまった。数日後、ひどい目に合ったんだけど・・・。

たぶんノラ神主が放った呪詛を、おいらが観察してしまったことで猛威が弱まったんだと思う。それを「神」と呼ぶには疑問があるけど、ノラ神主の家が代々祀り続けた神の本当の正体は知らないから、それが「神」でもおかしくはないんだと思う。認めたくはないけど・・・。

去年の今ごろは体中が膿みだして、それが終わると神の手を持つと噂だった整体師に身体を壊されるという苦難と悲劇が続いた・・・。いろんな意味であれから一年なんとか逃げ延びたけど・・・。

だから思うに・・・自国防衛などという理念を持った政治家や思想集団には今の憲法は耐えられないんだろう。序文にあるように政府が誤った判断を下し戦争をしないように不戦の誓いがなされ、そして国民に主権があることが明記されている。自国防衛以外での「戦争」は事実上できない。今は存立危機事態だと想定されると危険な解釈を防衛大臣が発言した。

今回の北朝鮮のミサイル実験は性能も技術力もあがった自国のレベルを米政府に認めさせたいがための実験であって、直接グアムと攻撃するとは言っていない。にも拘わらず存立危機事態だとした。

日本に目もくれていいけど、ちゃんとミサイルの針路を丁寧に教えて貰ってる。たぶんPAC3で迎撃できるミサイルではないんだろうが、気休めに空路四県に配備された。

こういう高価なおもちゃを持ってると、それを試したくてうずうずするアホな為政者がいる。できれば日本上空を通過するミサイルの一機でも撃ち落したいんじゃないんだろうか・・・。だから追悼式で「不戦の誓い」にも触れずに東アジアへの加害者表明も避けた。けれどミサイルは直に日本を攻撃対象としているわけではないから通過するだけのミサイルを打ち落とすことは憲法違反となる。

実験か、戦争か。これはあまりに違い過ぎる問題である。逆に日本がミサイルを打ち落とせば、中露韓からすれば日本が再度”脅威”になるだろう。

たぶん今日招かれた神霊は有事をヨシとはしていないと思うので、図らずもアホ政治家の思惑とは別に国を沈黙を貫くと思うし、いい加減に慰霊というの出れば鎮魂祭をしてほしい。まあ少なからずも鎮魂祭にも鎮魂以外の意味はあるけれども、その辺は置いておいても・・・・。

神仏習合とは単に仏教と神道が結びついたということではない。神道において社が建てられるようになったのはその地で起こった災害を鎮めるためか、かつての祭祀場であったり、瘴気が噴き出すような場所を封印する意味も持ってる。祖父ちゃんが言ったように「神様のお墓」でもあるし、「住まい」でもある。

昔の仏教とは密教である。宗教儀礼もあるが学ぶための教えでもあった。真言宗からは派生しなかったけど天台宗がその後の仏教の宗派を生むことになる。日蓮宗、浄土真宗、浄土宗などは天台から派生した一門である。

のちに道教を内包した陰陽道を言う学問が渡来し、神仏習合に溶け込んでいく。神道の目的は神との交信であり禍が起こらぬように祈るだけのものである。しかし先に神仏習合は神道と真言宗の間で定義づけられていくが、なぜか天台から派生した宗派とも神道は習合していく。

ある意味千年以上の歴史を持つ純粋性が高い宗教と言えば真言宗になる。神道とは・・・自然崇拝を基にした原始的儀礼であって、神という存在がどういうモノであるのか定義されていなかった。祈りはあるのに信仰対象がやたら大きくてやたら広い。その点、仏法には仏像があり信仰の対象が目に見える。形なき神を形ある仏像に重ね合わせた本地垂迹が定着していくのである。神が出現した姿が仏(仏像)の姿であるとした。

まあそれでも宗教の一本化はされずに、真言宗、浄土宗、浄土真宗を同時に教義として用いるお寺も数多くあった。だから今のように仏教も小分けに区別されていたわけでもない。そして寺には神社があり、そういう寺の形態を神宮寺と呼んだ。

だから正確には悪霊退治とか調伏とか魔物封じが行えるのは神道ではなく真言宗ということになる。仏教では煩悩とされる人間の欲が、神道では穢れとなる。穢れとは血や病気も含む人間の毒素みたいに考えられて、それが滞るから禍いが起こるとされる。ただそういう基本理念の歴史はそう古いものではない。

だから相手が魔物や呪詛を行うのなら、呪詛そのものを調伏できるのは真言宗のみということになる。

あくまで上品で陰陽道の流れを汲んだのが神社神道で、神仏習合の密教要素と深く融合し超能力開発に特化した民間習俗として根付いたのが修験道であった。

まあ明治時代に修験道も陰陽道と同様に禁止され、寺に帰れないものは還俗し、各地の神社の神主となった。密教と深く結びついた修験道が神社神道と再度融合されるのである。現実に神装束を着て、護摩壇で祈祷する神社も儀礼も現存してる。

だから神社の”穢れ”を”祓う”というのが儀式化されたのもそう遠くないことなのだろう。神道の主役はあくまで神であって崇め祀ることが唯一の儀礼とされた。仏教の主役はあくまで信仰する人間であって、教義と共に仏の慈悲にあずかることが許された。

神道とは主役が神であり、神を祀ることで禍いを避けるものである。たぶん願い事を聞き届けるという神の属性は仏性にある霊験のことなのだろう。

死したものも蘇られる力を持つとされたのは陰陽道の魂ふりの考え方である。すなわち招魂であり、鎮魂である。鎮魂にも再生の意味があるから、正確には御霊鎮祭(みたましずめ)が死者への神道的な儀礼だと思う。鎮魂祭とは生者を神霊の新規や霊的力を持ちて活性化する祭りである。

だから靖国神社のご祀神は「英霊」だから、英霊の力を借りて行う儀式は少なからず、通常の神社で行われる祭りとは意を異なるものだと思うけどなァ・・・。間違えると破壊的な禍いももたらすことになるのかもしれない。

まあ招魂社とあるように戦死者の魂を招き、祀り鎮めるための施設である。おそらく朝廷が長い間禁じてきた招魂術をもとに開始されたものなんだろう。戦死したものは無念のうちに亡くなり祟りなすから神とした。おそらく天皇を神とする思想よりも前に長州藩では人を「神」とする信仰形態が出来上がっていたんだろう。それは明らかに古い祖霊信仰とは違う発想だ。

模したとすれば怨霊信仰に他ならない。無念のうちに死んでいった祟る霊性を祀り鎮めることで再度守護させる。戦死した人たちの魂に死してな戦えということなのかなぁ。武神としたわけもなさそうだし、「忠魂」「忠霊」と当初は呼んでいたようだから、忠義に篤い魂、すなわち死しても戦う武士道精神とでもいうんだろうか・・・。

おそらくそういう概念のもとで行われた儀式なのだろう。死したものの無念を神格化する考え。為政者が使役できる祟り神・・・・。なんかすごく後ろ向きな考え方であるなぁ。このあたりだと江戸末期には津和野藩で大掛かりな神仏分離が行われたとされている。その時の根底が人は死に祖霊となるのか、神になるのかでは大きく意味が変わってくる。

何度も言うが、戦国時代を経て戦国武将が英雄とされ神霊として祀られたのともちょっと意味が違う。例えば誰でも神となれたわけではないからである。例えば元々は仏教で供養されていて、のちに神号が与えられ神となったケースも少なくない。万葉歌人の柿本人麻呂もそうしたレアケースの一人である。

神名、神号を与えると神にはなれる。ただし一人以上崇拝する者が必要とされる。神とは増産できるモノである。路傍の石をご神体し、社をこさえて名づければ神は生れる。お札に神名を書き記すだけでもいいかも。厳密には儀式を行わずには神にはなれないだろうが、新しい神は作り出すことは可能である。反して新しい仏さまは生まれない。必ずどこかの仏名(菩薩とか観音)を借りて作られるから、その仏性の一つの在り方として統一される。

石につまずきたことにより転機を迎え財を成した男がいるとする。その男がその石を神として祀る場合、その神は、それまでいた金運の神に統合されるのではなく、完全に独立した新しい金運の神として生まれることとなる。同一のご神体が存在しない以上は同一の神はいないことになる。

まあ慰霊に神道を持ち込むのは、災い転じて福となすことだ。祟るものを祀り、神として恩恵に預かる以外に理由がない。必ずしも歴代天皇自らが神となっていたわけではない。長い間皇室の宗教といればもっぱら仏法であり、祭祀を行うことが必ずしも今の神道に起因するかは別の問題なのである。

突き詰めると怨霊信仰に結びついてしまうので、英霊信仰を惨たらしいことだと思ってしまう。

「あなたたちのお蔭で今の日本は平和になりました。ありがとうございます」

そのお蔭が戦死であることがとても悲しく思える。だから魂の救済がある仏教での供養をつい願ってしまう。死してなお国を守護するなんて使命を帯びているとしたら悲しいことだし、戦前や特攻を美化する連中の英雄になるのも少し違うと思う。望む望まずにかかわらずもれなく神とした、そうしなければ武神に向かない日本の神々では国民を統制するのが不可能だったからだろう。死すれば現人神と同様に神となれる。

考えても考えても「慰霊」や「供養」に向かない神道をまず最初に下関で招魂社という形で始めたのか・・・少し謎でだいぶ謎なんだけど・・・・。招く以上はその神の力を利用するってことなんだよね。

死んでもなお祖国を護れってあまりにも可哀想すぎやしないかな。

考えても考えても、靖国信仰も英霊信仰も優しい答えが出てこない。

今日はとりあえず永眠を祈念しますけど、おいらにはこの問題の答えが出せない。極右の方なら答えを持っているかなぁ。ただ「そういう風になっているものはそういう風でしかない」というのは答えになっていない気がする。よくある”占領下であったから””経済制裁に合ったから”では議論が堂々巡りするだけである。

普通に人が死ねば極楽に行って楽しく過ごすことになってる。キリスト教なら天国だ。神道なら常世のはずなんだけど、英霊さんらは靖国へ行く。矛盾してるんだよね?

そう。英霊さんをどう扱っていいのかわからないんだ・・・。かつておいらもこの地方を護るのが義務みたいに思って、いろんな神社のいろんな神様にお願いして、そんな役目など思いもしない護国神社の英霊さんらにも同じような願いを託してしまった。

ただ今の自分を思うと、そんな大きな願いをおいらが抱く必要もなかったし、何に突き動かされていたのか、その原因も根拠もわからない。ただそういう願いをして回った中で、英霊さんらにはとても悪いことをお願いしてしまったのではないのだろうかという背信や後ろめたさを感じてしまう。

もし護国神社を除く、この地方に点在する神社の神様だけにお願いをしていれば少なくとも今のおいらがこんな風に情けなく惨めに思えないようなバカな人間として生きてることなどなかった気がしてしまうからだ。

若い神を祀る社の意味で、若宮という言葉がある。神が神として体を成すには時間がかかる。護国神社はおいらにとって若宮なのである。

おいらの個人的な願望を神が叶える筋合いにはない。ましてや英霊さんが応える義務もない。その時のおいらはもしかすると英霊さんを美化してしまっていた気がする。決して神として願ったわけではないが、神として願いは聞き届けられたのかもしれないということ。

たぶんそれがとても怖いんだと思う。英霊を他の神のように願いを叶えるモノなのだと思っていた罰当たりな自分自身に今も鉄槌を振り下ろすような、そんな後ろめたさが今もある。

鎮魂の鐘も取り除かれた町に暮らすおいらにはふさわしい罰かもしれない。

招魂社なる仕組みを考えた人たちを憎むなぁ。本来あるべきはずのない神を作り出してしまった。

どうして国民は反旗をもって逆らわなかったのだろう。大人しく従ったのだろう。戦死すれば労働人口が減り国民の生産性も減る。国が痩せほそろえていくことすら政府には考えがなかったんだろうか。第二次世界大戦・・・とは靖国という思想が生んだ地獄だったのではないんだろうか。誰も救われず、また神となることもない破滅。

どうしても死してなお国を守護する役目にあらない非業な魂の存在しか感じることができない。こんな平和ボケした現代人をましてやおいらなど小さいもんを護る謂れなどないだ思う。

神話の神は許してくれたのだと思うが、人神はおいらを許してはくれない。

付け加えておくとしたら、魔物が現れたのも、護国神社を参拝した直後である・・・・。

まあおいらはバカだから慰霊と供養の差など言葉以外に区別がつかないけど。

しかし今も靖国神社が現存しているように、神としての英霊は集う。

とても重たい問題なのである。

それこそ他の宗教を超越した認識にある、靖国神社という特異な特別性・・・・。

ごめんなさい。

24000柱の神々よ。

こんな地方を護らなくてもいいです。どうか安らかに永眠ください。

ありがとうございました。



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