とても澄んだ声で鳴くカラス。ソプラノ歌手みたいだ。いつものカラスと違うぞ、八咫烏なら嬉しいな。3本足のカラス。一説では「トビ」と言われてる・・・・。
八咫烏と言えばサッカー日本代表である「サムライブルー」のエンブレム。本来は球けりと全然関係ない。なんでも日本にサッカーを持ち込んだ方の出身が和歌山県の熊野出身で八咫烏になったんだって。そう聞くとモチベーションが下がったのを覚えてる。でもまあ定着してるからいいか。この3本足のカラスや鳥は実は世界各国にいる神の化身。通常は太陽の化身なのである。それにしてもサムライブルー勝てないな。個人的にはスタンドアローン過ぎる〇田を中心に据えているからだと思う。ビッグマウスはいいんだけど、そのスタイルから言葉のチョイス・・この話し方に感情移入できない笑。
あ、どっか行った。美声のカラス。
ここにいるよって誰かに教えるような鳴き声。悪いモノ呼ぶんじゃないならいい。今度、多鳩神社に行ってみようか。石見二宮であるこのお社には八咫烏が居て、本殿の横に餌代が設けてある。サムライブルーの関係者も大きな大会の前には祈願に来られる。サッカーボールデザインの肌守りもある。ここの古い社だ。昔の江津市の中心地だったんだろう。怨霊認定されてる長屋王の子供である「石見王」収めていた古代の都。いまでも面影もないけれど・・・・。
石見地方の神社の隠れスポットかも知れない。身体や心が弱ってる人は気おされて近づけないかも知れない。おいらも未だに少し気おされる。存在感がすごいんだぁ。
男女の縁結びにご利益があると言われる南国原産のナギの木がある。落ちてる葉っぱをもらって帰ることも出来るけど、社務所でナギお守りを頂きましょう。ここも大好きな神社の一つです。ここの宮司さんに浜田市の三宮神社のことを教えてもらって通いだした。石見三宮である「大祭天岩門彦神社」。天津神と国津神が並んで祀られてる。本当は浜田市全体を守護する神様なんですが、今は宮司さんはいません。なげ悲しい事です。だから浜田市はいつまでたっても景気が悪い。いくらふるさと納税のNO2になったって赤字では意味がない。熱しやすく冷めやすい市民性。今は夜神楽の会場になってる笑。
何度も言うけど、人間が神を忘れると、神は消える。だからか多鳩神社の宮司さんは「ウチにこんでいいけ、三宮さんに行ってあげなさいや」と言われた。人で好きになる神社もあるなと思う。でもこのまま行けばこの神社も宮司さんが不在になるそうだ。跡継ぎさんがいない。昔みたいに(明治の国家神道時の公務員制度)とは言わないけど、歴史的な文化財であるのも同じだから保護をしてあげて欲しいな。だからちょっとだけ神さんの気持ちもわかる。怒る気持ちもわかる。人間は万能の力を持っているように勘違いした。とにかくスマホみたいに「世界に繋がるツール」が手のひらに収まった時に超現実的になってしまった。この2,3年の人の心の変化は気持ちが悪い。でも偉いのは機械であって人間じゃない。ほとんどの人はスマホを想像した技術者やアプリのクリエイターではないのだから・・・。この集団カン違いが人類が共有する認識となって、世界を作り替えようとしてる。これはもう止まらないんだろう。
何も知らない頃には、誰も戻れないんだから・・・・。
この多鳩神社にも昨年呼ばれた。まあ夢の中に八咫烏が出てきたから、ここしかないだろう。
で、その翌日に江津市で豪雨が降り、水災害に見舞われたぁ。本殿の横にある山は崩れたけど拝殿本殿は無事だったぁ。でも土砂災害で悲惨な地区もあった。その前は津和野。なんか怖かった。災害の前に必ず呼ばれるのに啓蒙は出来なかった。「来い」って言うのに意味があるにしても、おいらがしたのはお詣りだけ。なんか役不足過ぎて申し訳ないと思う。もっとそれなりに理解できる人の上に降りてくればいいんだけどな。
近くにいても感じることしかできないと気が重くなる。なんかゴキブリホイホイみたいな気持ちになることもある。神さんのフリしてる悪霊は結構たくさんいるし、邪悪な人間も悲しい事だけれどたくさんいる。それが時折見抜けてしまうことや、思わざる得ない場面に多く出くわす。これってとても辛いんですよ。
闘おうと立ち上がっても、だいたい一人だもん。そして気が付くと個人VS組織になっていたりする笑。で、不正が許せないんじゃなくて、不正を見て見ぬ人が許せなくなってくる。正義感が流れてく。マジョリティに闘いを挑んでたりする。だから絶対負ける笑。もうそろそろ、おいらの完敗が確定する。予言や予見がハズれる。声を張り上げなくて良かったぁ。もうこれで本当に16年間が静かに終わり、あっという間に流されるだろう。もう自分の事だけ考える時間が戻って来る。まあ神さんがくれた時間だからしょうがなったけど、この1か月は26の頃並に辛かったーーー。抱えてたものが何だか重すぎた。もう何も返らなくていい。対消滅すればいい。何もなかったようにゼロに返ればいい。無為でもなく、無駄でもない。始まりに返ればいい。振り出しに戻ればいい。
でも今度の神議りの時は、もう呪いさんに手を貸さないことにしてほしい。もう犠牲者を見るのは堪らないから。例えば神に使える者は特別な存在だとしても、呪いさんがやっているのは神の立場を失意させる行為だと思うから。今度はちゃんと見逃さないで裁いて欲しい。それが出来るのも神さんなんだから・・・・・。じゃないと、おいらの中の、おいらの外の神さんも対消滅してしまう。
もう頼らないってことは強くなった証拠じゃない。忘れてしまうことだ。また一人忘れてしまう。でもこのまんまじゃもう信じることは不可能だろう。だから予見はハズすことにした。きっと願えばかなったんだろうけど、呪いさん一人のために犠牲に出来ないものがあって、それはどうやってもおいらが望む世界ではないからだ。だから神を忘れることになるんだろう。まあ、その方がこれからの自分にとっても歩きやすことだろう。
いつか思い出す時には優しい風が吹くときでいい。今はまだ、それは吹かない。
八咫烏と言えばサッカー日本代表である「サムライブルー」のエンブレム。本来は球けりと全然関係ない。なんでも日本にサッカーを持ち込んだ方の出身が和歌山県の熊野出身で八咫烏になったんだって。そう聞くとモチベーションが下がったのを覚えてる。でもまあ定着してるからいいか。この3本足のカラスや鳥は実は世界各国にいる神の化身。通常は太陽の化身なのである。それにしてもサムライブルー勝てないな。個人的にはスタンドアローン過ぎる〇田を中心に据えているからだと思う。ビッグマウスはいいんだけど、そのスタイルから言葉のチョイス・・この話し方に感情移入できない笑。
あ、どっか行った。美声のカラス。
ここにいるよって誰かに教えるような鳴き声。悪いモノ呼ぶんじゃないならいい。今度、多鳩神社に行ってみようか。石見二宮であるこのお社には八咫烏が居て、本殿の横に餌代が設けてある。サムライブルーの関係者も大きな大会の前には祈願に来られる。サッカーボールデザインの肌守りもある。ここの古い社だ。昔の江津市の中心地だったんだろう。怨霊認定されてる長屋王の子供である「石見王」収めていた古代の都。いまでも面影もないけれど・・・・。
石見地方の神社の隠れスポットかも知れない。身体や心が弱ってる人は気おされて近づけないかも知れない。おいらも未だに少し気おされる。存在感がすごいんだぁ。
男女の縁結びにご利益があると言われる南国原産のナギの木がある。落ちてる葉っぱをもらって帰ることも出来るけど、社務所でナギお守りを頂きましょう。ここも大好きな神社の一つです。ここの宮司さんに浜田市の三宮神社のことを教えてもらって通いだした。石見三宮である「大祭天岩門彦神社」。天津神と国津神が並んで祀られてる。本当は浜田市全体を守護する神様なんですが、今は宮司さんはいません。なげ悲しい事です。だから浜田市はいつまでたっても景気が悪い。いくらふるさと納税のNO2になったって赤字では意味がない。熱しやすく冷めやすい市民性。今は夜神楽の会場になってる笑。
何度も言うけど、人間が神を忘れると、神は消える。だからか多鳩神社の宮司さんは「ウチにこんでいいけ、三宮さんに行ってあげなさいや」と言われた。人で好きになる神社もあるなと思う。でもこのまま行けばこの神社も宮司さんが不在になるそうだ。跡継ぎさんがいない。昔みたいに(明治の国家神道時の公務員制度)とは言わないけど、歴史的な文化財であるのも同じだから保護をしてあげて欲しいな。だからちょっとだけ神さんの気持ちもわかる。怒る気持ちもわかる。人間は万能の力を持っているように勘違いした。とにかくスマホみたいに「世界に繋がるツール」が手のひらに収まった時に超現実的になってしまった。この2,3年の人の心の変化は気持ちが悪い。でも偉いのは機械であって人間じゃない。ほとんどの人はスマホを想像した技術者やアプリのクリエイターではないのだから・・・。この集団カン違いが人類が共有する認識となって、世界を作り替えようとしてる。これはもう止まらないんだろう。
何も知らない頃には、誰も戻れないんだから・・・・。
この多鳩神社にも昨年呼ばれた。まあ夢の中に八咫烏が出てきたから、ここしかないだろう。
で、その翌日に江津市で豪雨が降り、水災害に見舞われたぁ。本殿の横にある山は崩れたけど拝殿本殿は無事だったぁ。でも土砂災害で悲惨な地区もあった。その前は津和野。なんか怖かった。災害の前に必ず呼ばれるのに啓蒙は出来なかった。「来い」って言うのに意味があるにしても、おいらがしたのはお詣りだけ。なんか役不足過ぎて申し訳ないと思う。もっとそれなりに理解できる人の上に降りてくればいいんだけどな。
近くにいても感じることしかできないと気が重くなる。なんかゴキブリホイホイみたいな気持ちになることもある。神さんのフリしてる悪霊は結構たくさんいるし、邪悪な人間も悲しい事だけれどたくさんいる。それが時折見抜けてしまうことや、思わざる得ない場面に多く出くわす。これってとても辛いんですよ。
闘おうと立ち上がっても、だいたい一人だもん。そして気が付くと個人VS組織になっていたりする笑。で、不正が許せないんじゃなくて、不正を見て見ぬ人が許せなくなってくる。正義感が流れてく。マジョリティに闘いを挑んでたりする。だから絶対負ける笑。もうそろそろ、おいらの完敗が確定する。予言や予見がハズれる。声を張り上げなくて良かったぁ。もうこれで本当に16年間が静かに終わり、あっという間に流されるだろう。もう自分の事だけ考える時間が戻って来る。まあ神さんがくれた時間だからしょうがなったけど、この1か月は26の頃並に辛かったーーー。抱えてたものが何だか重すぎた。もう何も返らなくていい。対消滅すればいい。何もなかったようにゼロに返ればいい。無為でもなく、無駄でもない。始まりに返ればいい。振り出しに戻ればいい。
でも今度の神議りの時は、もう呪いさんに手を貸さないことにしてほしい。もう犠牲者を見るのは堪らないから。例えば神に使える者は特別な存在だとしても、呪いさんがやっているのは神の立場を失意させる行為だと思うから。今度はちゃんと見逃さないで裁いて欲しい。それが出来るのも神さんなんだから・・・・・。じゃないと、おいらの中の、おいらの外の神さんも対消滅してしまう。
もう頼らないってことは強くなった証拠じゃない。忘れてしまうことだ。また一人忘れてしまう。でもこのまんまじゃもう信じることは不可能だろう。だから予見はハズすことにした。きっと願えばかなったんだろうけど、呪いさん一人のために犠牲に出来ないものがあって、それはどうやってもおいらが望む世界ではないからだ。だから神を忘れることになるんだろう。まあ、その方がこれからの自分にとっても歩きやすことだろう。
いつか思い出す時には優しい風が吹くときでいい。今はまだ、それは吹かない。
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