空に問う。

空に問うても果てがない

曖昧

2015-06-30 13:12:23 | 日記
寝る位置を変えたら少しクリア。風水だと東南が寝室だと、その部屋を逃げて寝た方がいいとあった。一応、風水の除災グッズは置いてあるが、どうも毎朝毎朝、疲れが貯金され積算されて辛いので、使い捨てにしようと思い、あと8か月分のために低反発マットを買った。躰が痛いかなと思ったけど、それはなかったな。

で、本当に「祓い」とか「霊症」とかあるんだろうか?と思うようになって、調べるけど、神社が悪いって言う人らと、寺が悪いっていう人らと、いいと肯定する人らと居て、本当に良く分からない。

自分に起こった30年来の出来事は呪いと言ってもいい。おいらが呪われたばっかりに不幸に見舞われた人もいたと思う。十代の頃から、こんな感じだったから自分なんか死ねばいいのにと思ってた。思っていたら、本当に殺されかけた。犯人もまるで「何か」に憑りつかれたようだった(笑)。不幸って思えば叶うんだよね。やる気を削いでやればいい。心を折ってしまえばいい。そしたら社会からドロップアウト・・・・。

おいらの状態は霊症っぽい。ヘンなの見るしね、気配がありあり感じるし、肩や背中や腰が冷たい。そして痛い。

でも怠け者って思われてる。それも辛いが、そう心から思うときの自分自身が辛かったりする。まあ家を出なければ交通事故に遭うことも、人間関係に振り回されることもない。社会とのボーダーがとても曖昧なのだ。

父の手術が成功して戻ってきたけど、病院にいたときよりも具合が悪いらしい。ずっと寝込んでる。しばらく安静って言っても限度があるし、躰に負担がかかるような手術でもない。まあ激しい運動を避けるってことをとにかく「安静」という医者の言い方が悪いので、依然と同じ「すごい病」になっている。けど、肉腫は良性で今後再発する恐れも極めて低いらしい。ので、おいらと同じ癌ではない「ただの腫瘍」に苦しめられてきたに過ぎない。あんまりああだこうだ言わないけど、躰が怠いならば言ってほしいな。家にいて憑りつかれるくらいなら、じいちゃんの家に一時避難していればいいんだし。

入院前は、神さんのことは父がしていたが、入院後は気が向いたらおいらがしていた。もう戻った途端に、神棚のことは他人の仕事になっていたら「世話はせんでいいけど柏手くらい打てば・・・・」と言っておいた。もうそれが信心の無さの表れ。まずは氏神さん(キツネ関係でイケないけど)に挨拶するのが普通なんだけど・・・・。こういう自分しかなく、自分しかいとわないやり方を、ここらの土地神さんや浮遊霊が怒っているんだと思うけどね。生まれ変わって戻って来るかと淡い期待をしていたけど、それは儚い夢でした。

神さんも結局は地元の神様ばかりになった。一宮、二宮(ただ置いてるって感じになり過ぎたのでそれは×かなと思ったので)の神札はお返しした。少し安定したけど、さほど変わりはない(笑)。だからもう要するに、神棚を綺麗にしても除霊してもお祓いしても、線香焚いても塩を撒いても何をしても何をしても、おいらの心は曇ったままだし、心も躰もどんより重い。ずっとヘンな引力か重力で家を天から抑えつけられているような圧迫感がする。首が折れそう。地場も歪んでる。

ここまでの異常は通常在りえるかな?何かないとないんじゃないんだろうか?

先日、不思議な夢を見た。とある神社へ行って、何故かとある神社の女性の神職が家にまでやってきた。もちろんおいらの車に乗ってきたと言う感じだけれど・・・・・。その女性がそこで働くようになってから、とある神社の神聖がとても廃れてしまったように感じて参拝へ行くのを遠慮してる。以前なら1か月に1回はお詣りしていたかも。遠方にあるけど地方の一宮だから。だから夢の中でも、そんなイヤな感じがする女性に声をかけたり、ましてや自分の家に招くなど在りえない話・・・・。すると同時に若い男までイチャモンをつけてきた。

2月くらいの節分祭の後にお願いして「お守り」を送ってもらうようにお願いをしたら「県内の方は受け取りに来ていただかないと・・・・」と姉が何度もダメ出しされたのだとか。着払いで送って貰うので神社に負担はかけないと思うけど執拗に姉を謗ったらしい。ちょうどその頃、おいらの首の腫瘍が見つかって癌か否か分からなかった頃で、無理を言ったのですがね。そこで終わっていれば良かったんですが、今度は送られてきたお守りの中の手紙に執拗に「県内の方・・・・・」の小言の文章と、今回は特別で今後一切しないと警告文が書かれていました。

受け取った方としては、神職のそんな言葉の羅列・・・・正直怖いですよね。何故執拗にそういう小言を筆ペンでしたためるのか・・・。結局お守りをいただいたのはいいが、その手紙の内容が気味が悪くて逆に祟られてるみたいな感じがしたので時間を作って神社へ行って、11月の大祭や正月に節分祭にいただいた神札やお札やお守りの類いを全部お返しした。ずっとお世話になっていたけど、それこそそういう感じの悪い神職さんがいることが我慢ならなかったからだ。そういうイヤな神職は人生の中に二人も要らない。

もしかすると、その女性の神職さんにプログを見られたのかもしれない。微妙にまぶしてぼかしているけど、とある神社に付いて善きことも書いてきたけど、悪いことも書いてきたから。でも神さんが悪いなんて書いていない。おいらの信心が足りなかったのだし、神の期待においらが応えられなかったのだと思っている。けど悪口にとられたらしょうがない。それは反省しますけど、神社と宮司さんとかに対してであって、その女性神職の方には申し訳ないけど、一切断る理由もないので、どうでもいいです。ああいう感じの悪いことをされると、それが例えば一般の会社であっても二度と行きたいとは思いませんから。その方がいなくなったと風の噂に訊いたら伺おうと思います。のでこれ以降の例祭などは今年は参加しないことにしました。ああいう心根の卑しい人に祀られて喜ぶ神も、私が欲した神ではないしね。もともと相性も悪かったんでしょう。それに20年気が付かなかったんですから、バカでした。

要するに最終的にはそこにいる人と成りですね。お詣りも出来ないくらいに気持ちが悪くなったときもありました。で、なんでもなく、もう忘れてしまった頃、夢でそういうのを見てしまうと「なんか呪われてる?」としか思えない。ちょうど今日は名越の大祓の日ですから、茅の輪が飾られていると思いますけど、その神社でくぐったら、逆に貰いそうなので今年は行きません。

神社がいいとか、お寺がいいとか、全部自分のその時の気持ちで決めて来ましたが、こうなってしまった現実を考慮して考えると、どれもこれも大失敗だったことに気付く。行かなきゃっ良かったなぁ。時間も無駄になったし、何より開運で散財した金額もバカにならなかったし。

父はとても具合が悪そう。なのに、それをほっておいて他人の土地の草抜きをする母。土地の神さんが父に対して怒っていると言われているのに、どうして近所の土地を荒らすんじゃい。もうよく分かりません・・・・・。

なので、結論はごちゃごちゃするから、困ったことがあっても興味本位でも寺社仏閣には可能な限り近づかないこと。行かないこと。行かなきゃ「あの時」とか悩むこともないです。そっちに神経が行かないようにして生きる方が健全です。

祟りや呪いはありません。

って事にならないですかね(笑)


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