空に問う。

空に問うても果てがない

呼ばれる

2015-05-14 16:31:14 | 日記
昔のおいらならば、なんだかんだ理由をつけては駆けつけたくらいに、緊急『呼び出し』が掛かった。崇敬するM神社からの強烈なコール・・・・。

今、家にはM神社の神札等は一切ない。霊能者Mさんに相談したり、自分自身で考えたうえお返しした。

正確には4月1日から完全に守護下(?)にはない。まあ、その頃からまた身辺がおかしいのではあるが・・・・・・・。

だから心揺れてる部分ないとは言わないけど、無理矢理安定剤代わりのサプリを飲んで寝た・・・・。30分だけど。ふぅー行かずに正解。

まあ、おいらはダメだけど、霊験あらたかな古社であるM神社。御祈願はきっちりしてるし、気も引き締まります。とにかく素敵な神社さんです。

ーーーーーー。

まあ、このM神社の裏山が「八百山」と言いまして、ご祭神のお墓があります。この場所は禁域なのでしょうが、普通に行けます。ので、もちろんお詣りしたことがあります。

M神社は過去に向いている方角が変わったことがありまして、それに伴い御神墓の向きも変わっています。昔、旧後神墓の近くに水晶球を埋めたことがあります。今考えるとかなりのバチ当たりですが、10年くらい前になりますかねぇ。M神社も相当数のスピ系の大家に愛される日本有数の神社の一つ。その場所では奇跡が起こると言う。こういうのに当てられたわけではないですが、何故か埋めて数か月後に掘り返して持って帰った・・・・。その頃の心理状態ってイマイチ覚えていないのですが、かなり精神が乱れていたんですかね。今でもすごく後悔しています。バチ当たりな行為だから、それこそバチが当たってもしょうがないと思っています。

でも、その後も毎日は平坦だし変わらない日々が続きました。で、ある時に「金運が上がりますように」とお願いしたら、その日の帰りがけに事故に遭って少し結構な慰謝料を貰いました。等価交換なんだなぁと思ったので、その時から神社全体お願い事をするのは辞めました。

それから後も、その失礼な行為に対するお礼参りに行っていたようなものです。何となく硬貨がいいのかと思い100円玉をいっぱい寄進しました。次回に行くとかたずけられていたので宮司さんが回収されたんだと思いますけどね。とにかく禁忌を冒したんですね、おいら。だから本当はM神社の神さんはおいらに天罰を与えることも出来たんだと思います。別段、サイコパス神主だけの力でこうまで呪いがややこしい結果を招いたんじゃないと思います。サイコパス神主の被害者はおいら以外にも沢山いますから、おいらの微々たる返しよりも、強烈なのがいつか本人さんに届くことでしょう。因果応報。これは避けられない。被害者はすべて善意の第三者ですからね。ライバル会社の人間すべてに呪詛を仕掛けるような邪悪な神主さんです。バランスさえ崩れたら崩壊するんでしょうけどね。

だから実際にサイコパス神主の呪詛気が付いたときに、正直に言えばいちばん頼りたくなかったのがM神社なのですが、藁をもすがってしまいました・・・・・。こんなバチ当たりなおいらでも助けて貰えたし、救って貰いましたが、おいらが心の底から願ったサイコパス神主への天罰はついぞ叶わず、逆に自分を、神社を貶めるような考えに落ちてしまったので、お詣りするのを躊躇うようになりました。御祈願のたびに、宮司さんの顔も優れないようでしたしね。だから、それでも毎月一度はお詣りしていたM神社に1月以降行っていない。

一つだけ言えるのは、お詣りを辞めたらサイコパス神主の視線や気配を同時に感じなくなったと言うこと。おいらがとった行動は呪詛の代行だったからお詣りすればするほど、力を相手に与えてしまったんでしょう。どういう理屈かは分からないけどね。

まあ、おいらも出向になったけど断った。営業所閉鎖による解雇にして貰った。サイコパス神主からすれば同じ会社にいなきゃ良かったくらいで、直接かかわらなきゃそれくらいのバチで良かったんだろう。最後に会ったとき、目を丸くしてオドオドして怯えていましたね。この小心者の腐れ外道神主は・・・・・・。まあ彼はこんなだから当然自ら墓穴を掘る。もう埋まりかけているかもしれない。おいらの呪いとは別だけど、出来れば消えて欲しいな。死んで欲しいな。二度と悪さが出来ないように・・・。言葉があって、祝詞があって、響きがあって、揺らぎがあって、静寂たる普遍の世界があって、当然正しきことが行われる最中に、この男は私怨に溺れたのだから。こういう神の使い手や正義の味方気取りは死んだ方が世のためだ。生きていても災い以外は起こさない。なんて・・・・

で、裏山の話に戻りますが、おいらには神罰が下るれっきとした事由があったんです。心入れ替えたつもりで信心を重ねて来ましたが、やっぱりその出来事はなかったことに出来なくていつも疚しい気持ちを抱えていました。そして見逃されていたのにも関わらず、心のどこかで「神罰なんてないのでは?神なんていないのでは?」などと考えてしまった。こういうのは考えてしまうだけでoutなんですよね。

で、その山自体にとぐろを巻く大蛇の存在に気が付いていました。それが今の主。出雲にしても石見地方にしても蛇神信仰は多い。山間部の大元信仰の山の神も蛇だしね。神としてはポピュラーなんですけどね。

大きさは半端ないです。小山にとぐろを巻くくらいですから。一頭の大蛇ですから、出雲のオロチ系とは違うと思う。出雲の蛇は今は小さいです。でもM神社のは相当デカい。記念祭があるので境内を整地したりして、その頃に御神墓の方へ移動した気がしました。その記念祭以後は参ると具合が悪くなるようになって、何度か遠慮しました。もうその頃はサイコパス神主からのMAX攻撃受けていましたから、行くのを拒まれてもいたんでしょうけれど・・・・・。その頃はまた少し神がかっていて、石見地方の名だたる神社にあるお願いに伺った。それは全然叶ってはいなかったんだけど、それでも一部は叶えられていて、おいらは相当なリスクを覚悟した。まあそれが失業ならばそれでしょうがない。短期の願いだったし、それもそうすぐ終わる。もうおいらたちの仕事は要らなくなる。おいらは少し早く辞めただけの事だ。

まあおいらのポンコツな霊感で分かるくらいの蛇だから、相当強いもので悪しきものなのでしょう。それに呼ばれたんですかね。おいらには拝殿の扉が開かれ、金色の光が見えましたけど、あれも蛇が見せるイカサマの幻影なんでしょう。金色の光など発してるはずはありませんからね、実際は。

今はその衝動もおさまりました。勝ち負けでいうと勝ったんでしょうか。まあ何らかの形ではお詫びに行かないといけないとは思っていますが、それは今ではないと思います。今行ってもおいらのこの乱れた気持ちを糺すこともないでしょうし、余計にささくれる気もします。元に先祖が神職に仕えていた神社にお詣りするも、気持ちは一新されないし、グズグズのまんまだし、先に一歩も進めないし。だからちょっとだけ、神ってなんなのーーーーーーーーと思ってしまう。

こんなちっぽけな人間の心を入れ替えることも出来ないのだから・・・・・・・・。


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