空に問う。

空に問うても果てがない

明日は明るい日と書く。

2015-02-02 14:26:05 | 日記
とりあえず除霊とアイシングで小さくなるシコリって、病気ではないと思うけど、明日も腫れていたら、それこそ病院へ行こう。身内にリンパ腫で亡くなった人もいるしね。

これは想像妊娠みたいなものかな。「これは悪いのかな?」と思っていると躰に影響が出る。まあ30年以上、おいらの中にいた「もの」や人らだから、まだまだまだ躰の方が慣れてない。自分の躰なのに不自由さを感じるなんて・・・・・。いったいどんだけ入ってたんだろう。

でも、あの窮屈さを思うと果てしなく安心する。自分一人の躰なのだと自覚してる自分がいる。これって普通のことなんだろうけど、これが全然できなかったんですよ。だからリア充なんて一度もなかった。失敗するのが怖くてたまらなかった。一日が終わるたびに胸を撫で下ろしていた。それがなくなった。ただ疲れはある。麻痺してた感情がどっと溢れた。気力はあるけどまだ躰がついていってない。今更急に無理してもしょうがないか。

京都に行こうか。伊勢に行こうか。

今日も朝から人質テロの後藤さん殺害の件をやってる。ネットで検索したら、全映像はモザイク処理無しで見れる見たいだけど、止めて置いた。残酷過ぎる。

これは見方の問題だ。よその国でよその国を批判する行為でなくても、人道的見地からの救済であっても、しょせんは他国のことだから、心の奥底では繋がってなんかいない。施しを誰もが望んでいるわけじゃない。

日本人って平和過ぎてそのへんの回路が麻痺してるんだ。だからこんな事流れ主義の人間ばかりになった。

リストラに合うのは、騒ぎ立てない人間だ。権利を主張する人間ほど守られる。あとになって騒ぎ立てない人間ほど切り捨てられる。それが現在のコンプライアンス。訴訟や騒ぎ立てる人間を匿うのだ。従順な人間ほどバカを見て利用される。

おいらは不合理も不条理も感じたし苛立ったけど、そんな扱いをする会社の中で将来があるように思えなかった。危険人物と思われながら、働くなんて無理だ。

日本だって独自の文化にケチつけられたら怒るでしょ。クジラ食べれなくなったら怒るでしょ。そういう小さなすれ違いを繰り返しながら、いつの間にか憎しみは育っていく。自国の平和を望んでいたはずの結束が復讐になってく。おいらはクジラを食べないから、クジラを食べない他国の人の気持ちも分かる。でも他国ではクジラは食用ではなく鯨油としてランプを使うための油として使っていた。石油が見つかって燃料確保のための捕鯨が終わると動物保護の立場を取った。ペリーが開国を迫ったのだって、捕鯨の寄港地が必要だったからだ。

おいらは自分がクジラを食べないからと言って、クジラが好物な人を避難したりはしない。それが伝統や文化だと思うからだ。捕鯨に関して他国は文化を否定しているわけでは無いのだろう。野蛮人だと言っているわけでは無いのだろう。捕鯨する理由が違っていただけだ。でも捕鯨に関する報道が出ると「日本人イジメじゃないのか」とね。それをバッシングととる。

世界の認識とモラルとルールの隙間をぬって調査捕鯨があった。それもダメになる時どう思うんだろう。食文化を否定された時、なんて思うんだろう。それはもう闘う理由になるんじゃないのかな。

暮らすのに厳しい土地にある日石油が湧いた。貧富の差が生まれた。もともと不毛な地に暮らすためには厳しい戒律が必要になった。石油もクジラなんだ。宗教を問いながら、宗教に殉じてるわけでもない。表現と侮辱の繰り返しの中で、小さなテロルが生まれた。イスラム教の過激派を見て、恐ろしい宗教と思うだろう。

キリスト教の聖体拝領だって、パンはキリストの肉でワインはキリストの血と云われる。これを知るとキリスト教って怖いと思うでしょう。でもこれに似たような事を実は日本人もしてる。

正月に神棚にお餅を捧げて、その後にお下がりをいただくでしょう。あれは神様の肉を頂いているんです😁 だから見方によって、いろいろ変わる。だから互いを知るためには自分の国の文化や宗教観と同時に他国の文化や宗教も理解していないといけなくなる。必ずしも、自分の正義が、他者の正義ではありえないのだ。

人殺しに正義なんてない。けれど大義で正当化してきたのが人類の歴史だ。

だから、今回の人質テロはただ悲しい。本当にただ悲しい。自分が持ってるものを相手が必ずしも持っているわけじゃない。だから、そのすれ違いがただ悲しい。

これは身近で起こった霊的テロと同じだ。皮肉にも持ってるものが違いすぎただけ。相手は死ぬまで改心はしないだろうし、死んでも己の過ちを認めないだろう。そういう人間でさえ救いたいと、愚かにもあの頃思っていた。でも絶対的にそれはない。

見張る時間も短くなったし、もうそろそろ向こうも電池切れでしょう。無尽蔵に邪悪な力が湧いてくるはずはない。命を削ってやったことだろうし限界は来るんだろう。

だからわかりあえないって事実があることは知ってる。だからずっと悲しかったんだろう。

おいらはもうポンコツだけど、楽しいポンコツになりたいと思う。楽しく生きたいと思う。生きるために生まれたんだから。



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