空に問う。

空に問うても果てがない

墓標

2017-10-08 11:35:03 | 日記
下関の招魂社のご神体(ご神墓)の写真を見た。墓石がずらり。どうも骨が納められているわけではなさそうだけど・・・・。

訪れた人は圧巻と言うけれど、もう写真だけでも薄気味が悪くて気分が悪くなる。近づきたくない。こういう施設がある場所が、安倍晋三の選挙区であることを妙に納得してしまう。

この形態を神社と呼ぶことに抵抗がない人の感覚ってどうなんだろう?墓がずらりと並んでいれば、そこは墓所であり、寺なんだがね。神社に戦争の慰霊碑があるところは多いけど、それは決してご神墓とか、ご神体というものではない。

HPには社殿と書かれているが、実施には拝殿だろう。ご神体は鏡ではなく、裏のずらり並んだ墓石なんだろう。

とりあえず下関招魂社は高杉晋作の発案により作られたが、高杉はこの場所を斎場と呼んでる。初めからそこは墓所でもないし、寺でも神社でもない、全く別の宗教施設の斎場だと考えるべきである。

そこのところありのままHPに詳細が記載されていて、逆に潔いというよりも不気味さを感じてしまう。もしこういう場所に取り憑かれやすい人間が訪れたら100%貰って帰るな・・・・。

靖国神社にはご神墓はないんだけど、日本全国にある元招魂社は霊的なネットワークで結ばれているから、本拠地は下関なんだろうな・・・。この神墓から鬼が招魂される。オリジナルに忠実なのが呪術である。

分祀、勧請された神様は同時に存在してると考えるべきだ。わかり易く言うと分身の術だね。原理原則で考えると神棚の宮型に神宮大麻が祀られていれば=その数だけ天照大神は日本全国で同時に存在することになる。それは最終的に伊勢神宮に通じるものであり、「窓」のようなものなんだろう。ビルゲイツはイコンを参考にしてウインドウズという窓をこしらえたけど、ある意味においてパソコン画面はキリスト教の「窓」であり、「入り口」である。

明治に始まった神社神道の中心は『造化三神(創造神)』+『天照大神』である。今は造化三神の属性も天照大神に付加されているのだと思うけど、ある意味これは「呪術的な結界」なんだよね。

で、地元の旧招魂社しか確認をしていないけど、ご神体は大鏡だった。鏡をご神体とする神様は天照大神だけ。だから稲荷信仰をされてるお宅の神棚には鏡は置かれていない。もし神宮大麻を置いていないのに「鏡」を設置していたら、それは天照大神を祀ってることと同じことになる。シンボルもまた神の依り代になり得るのである。

だから端的に言うと、各家庭の神棚に鏡がある場合は、招魂社にも通じるということである。神棚を据えなさいと言うのはそういう意味でもあるんだよね・・・・。だからおいらとは相性が悪い。今年はもう仕方がないんで、宮型を据えていて中央に神宮大麻、右座に氏神、左座に崇敬する神社のお札をいれているが、新年からは祀っても氏神さんだけにする予定。おいらは別に天照大神が神界の中央に座す神とは思っていないからだ。それにこういう神社本庁が薦める正式な祀り方をしてから家の中が荒れたのも事実である。

父にしても母にしても「信心深く」ないのだから、あんなものは単なる紙なんだろう。しかし「意味」はあるから何かが寄る。

それに我が家の神棚の天井には人間の靴跡(足形)?が長い年月の間に浮かんできてて、大工の杜撰さを物語っているから、最初から神が入り難いのかも知れないけどね。

ニーチェじゃないけど、神は死んでるけど、鬼神さんは執念深そうだから跋扈してる気がする。

ややこしいよねぇ・・・日ノ本の正式な神社じゃないのに、神社の一部になってるってこと。こういうのは宣言すれば「神社ぁぁー」ってことになるのかなぁ。

こういう曖昧なまんまで70年以上も放置しておくからややこしくなるんだよね。ただの慰霊施設なら素直に認めることも出来るんだけど・・・。

陰陽道の伝来って5世紀から6世紀にかけて、仏教や儒教と共に伝来されたという。7世紀になって朝廷で組織化される。陰陽道、天道の「道」とは国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではないんだって。中国では陰陽思想は道教、儒教に吸収されて日本で言う「陰陽道」のように独自発展しなかった。

自然界の万物は陰と陽の二気から生ずるとする陰陽思想と、万物は木・火・土・金・水の五行からなるとする五行思想を組み合わせたものが俗にいう「陰陽五行説」である。自然界の陰陽と五行の変化を観察して、人間界の吉凶を占う実用的技術として日本で受容されために日本で特異の発展を遂げたとされている。最初は漢文が止める渡来人の僧侶が行っていたとされる。

余談だけど、英語でGodと言えば一神教の神で、godと書くと多神教の神さんの事なんだってさ。

神道とは、神ながらの道を縮めた略語だけど、昔はなんて呼ばれていたんだろう?仏教は仏法と呼ばれてた。

旧日本軍は超自然的な神を信じていたというから、日本の神々ではないと思うし、ましてや一神教の神でも、道教の神々でもないだろう。鬼だよね・・・鬼を招魂するのが目的の斎場こそ招魂社という新しい呪術の祭祀場・・・・。

明治政府は神社で祀る祀神を指定して、選別し、今はやりの「排除」をしたんだよね。ある時期の日本には神話の神と鬼神しかいなくなっていて、八百万(土着神)の神々は明治政府により完全に否定され抹殺されてる。

ご神体を失くしてしまった八百万の神々は・・・どこへ行ったんだろう。廃仏毀釈っていうのは単にお寺から仏教要素を取り除くことではない。意味不明なご神体などは処分され、もともとの土着神は神話の神の名で上書きされて消されてしまったんだよ。だから150年前と今で違う神さまを祀ってる神社は無数に存在してる。怨霊に妖怪に化け物に魑魅魍魎、、なんでも神にしていたのが日本人の神文化である。

だから、神ながらの道のどこに伝統や伝説や悠久の流れがあるんだか・・・。

明治政府は結局のところ、招魂システムを採用してしまう。たぶん神道の中の葬祭儀礼を行う専門部署にしたかったんだろうなぁ。実は葬祭儀礼を行う神様として用意された神様がいたが、伊勢派の反対により却下された。潔斎を重んじる神道の中に紛れさせたんだね。神道が葬祭儀礼を持っていたらちゃんとした宗教になったんだと思うけどな。

葬祭儀礼ってもちろん死者の供養や教義のことなんだけど、朝鮮式の招魂術って鬼を使役する呪術だから、死者を鬼としてこの世に呼び出すことを言うんだね。それでなくても7世紀の日本でも招魂術は国禁とされてきた。それは江戸時代まで続いてきたとされるのが、きっと宮中で忘れられていったんだろう。

それがひょんなことから下関の招魂社で再現された・・・。高杉が祀りたかったのはどうも吉田松陰の御霊みたいだし。鬼だよね、この人。宗教界ノーマークだけど、鬼神になり得る偉人がいるとしたら、吉田松陰だと思う。

明治新政府を陰ながら動かしていたのは吉田の思想に影響を受けた松下村塾生である幕末の志士たちである。まさに吉田の亡霊が明治維新の黒幕である。

それは敗戦降伏占領下の日本であっても消えることはなく、その精神性は日本政府(国体)に受け継がれてきた。安倍さんは祖父ちゃんらの思想信条に忠実に見えるけど、その実は松陰の亡霊に取り憑かれているんだと思うけどね。まさに今その力が覚醒してると言えるんzにゃないのかなぁ?

あの執拗に信条に従う、潔さもない安倍さんもまたおいらからすると得体のしれない怪物でしかないんだよね。

だからもう見るのも声を聴くのも嫌。

憑いてる人だけは分るんだよね・・・。依り代化してるんじゃないかと思うんだな。

ここ最近の安倍さんの選挙区での票数は約10万票。最盛期に比べると4万票も減っているんだって。山口四区にちゃんとした候補が立ったら選挙区で落とせるかも知れない。

でも、それは幻想だよね。右翼化した社会では、ああいう保守的な意思の人は落選しないと思う。

もしそんなことが実際に起きたら、この国は本当の意味で幸福になれるかも知れない。

鬼が仕切る社会がいいか、神や仏が統べる社会がいいか、考える重要な選挙であるかも知れないよ。アチラの世界はザワザワしてるから。




















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