父の手術無事終了・・・。まずは一安心。あとは癒着がないように。
・・・・で、霊能者Mさんの言っていた姉に妙に執拗な叔母も来てくれていたんだけど、生き霊系のもう一系統はやはりこの叔母でした。
どうも極度のファザコンで、悲しいくらいマザコンな人。両親の偏った愛情(どうも父方の祖父母は偏りが激しかった)を貰えずに育ったみたい。上は男二人、下は年の離れた弟と妹・・・・。単に我がままで甲斐性のない父に対する憎しみかと思っていたら、人間性に優れていたお爺さんの面影を父の中で引きずっていたよう。我がまま放題父のする何もかもがお爺さんと違っていたから気に食わない、気に入らない・・・・。歪んだ愛憎がそこにはあるようだった。
実際は長男ではない兄を慕い(脳梗塞で30年闘病し既に個人)、実際に次男ではない父を憎んだ。10人兄弟で5人が生きた。兄にも父にもお爺さんから譲り受けた遺産があったのだが、女である叔母には何も残されなかった。それがどうも我慢ならなかったようだ。父に愛されず母に愛されず。実際はそんなことなかったのだろうが、そういう風に思ってしまった不幸。女だから変なしがらみに囚われずに生きることも出来たのに自らも渦中に飛び込んだカン違いの不幸。だから父の生産組合が潰れたときは妹らしからぬ言動を放ったようだし、そしられた。尊敬する父をないがしろにした父。
そう言えばおいらもまた「あんたの父親はあんたに何かを残してくれたんだろうけど、あんたは俺に何を残してくれんの?」
大人げない発言だけど、父は父親らしいことは何もせずに子供育てた。まっ勝手に育った。そういう父がこう言った。「わしゃぁ親父を尊敬してた」と。姿かたちはとても良く似ているのに似て非なる父と子。じいちゃんと親父・・・・。伝わるじいちゃんのスペックを何一つ備えなかった父。この人もまたコンプレックスの塊で、極度のファザコンで究極のマザコン男なのだ。愛情を注がれた息子と、愛情を注がれていないと感じた娘。叔母の心の闇を、闇の心を育てたのは出来過ぎた両親に対する尊敬とコンプレックス。
自分が「男」に生まれていたら、長男より次男より「上手く」やれたのではないかと言う自負。この自負がいつしか叔母の心を闇に変えていたようだ。近親憎悪。まさに理想な構図。父の仕事の手伝いをしていた叔母はまるで自分の会社のように振る舞い働いた。まるで父に託された稼業を自分にも与えられたかのように・・・・・。その自惚れが憎しみになる。いくら陰ながら稼業を支えても褒められるのは父一人。この父も思いやりに掛けた人間である。当然あるはずの労う気持ちも優しい言葉もなかったのは想像がつく。いつも正しいのだ。
叔母が嫁ぐとき「〇〇が地元に帰るのならば付いていく覚悟があるのか?ないなら結婚は許さない」祖父母亡き後、父は妹にそう正しいことを告げた。すでに闇んでいた叔母は結婚に反対されていると思ったらしい。長男は正しいことは言わず本心を隠しただ賛成した。この兄弟の差、この兄妹の差が深い溝を作った。後先を考えない。眼先を追うな。そういう正しい親父は稼業を潰した。真面目に仕事はしたけどただ皆勤賞なだけで、努力を惜しんだ。学ぶのを辞めた。思ったことを口にしない兄と、何でも方便に話す兄と、おいらでも前者を選ぶだろう。おいらも親父が嫌いだ。一度謝れば終わり、一度感謝すれば終わり、貸し借りナシ。そんな風に人間社会が出来ていない。情の部分が欠落してる。
だから少しだけ叔母が父をこれ以上なくくらいライバル視し、嫌った経緯も想像がつく。ウチの旦那は勝ち組だと思っただろう。見返してやりたかった相手が散っていく。惨めになっていく。それを目前に見ていたのだから。でもそれでも借金も返し寡黙に働く父をどう思っていたのだろう。それだけは世渡り上手であったお爺さんの気質にはないものだ。50を過ぎるとリタイヤし、子供らに稼がせる親。悪い部分のたくさんあっただろうに、愛を貰えなかった孤独な少女は他人がほめる見せかけの、張りぼての人間像を崇拝し、尊敬した。父のように「親父には敵わない」と思うことなく、ありのままの父の姿を見ようともしなかった。
まあ悪口にはなるが、悪い意味で長男の嫁はボケ担当、母は自制心の乏しい天真爛漫。前者は叔母に従い、母は反抗した。だから祖父母亡き後はのけ者にされた。叔母の家は目と鼻の際にあって、いつもいつも高台にある我が家に対して相当な恨みを抱いていたのだろう。もしかするとお爺さんが憑依しているのかもしれない。父は祖父の期待に応えず会社を潰し(父だけのせいではないが)、兄はおいおいの状態ですでに罰は受けていたし・・・・。なら怖いな。
相当な資産があったはずだが、引き継がれたものはあまりないように思う。山師的な部分もあったのだろう。話を訊く限り「顔役」もしくは「相談役」だったらしい、兄にも家を買ってやっるような豪快な人だったよう。この町のカリスマ。父らを見ているとその意向も財産も引き継がれはしなかったけれど・・・・。もし身勝手なまじないをした人が居るとするならばお爺さんかも知れない。
おいらはへっぽこ霊感男だから、感度が悪いけど、感情を読み込むのは得意である。人の話を「よく」聞ける。父の「死」の前に揺らいでしまった叔母からでる言葉の数々・・・・・。父の期待に応えなかった兄二人。それが我慢ならなかったようだった。
術後、病室に戻った父に一言二言語ると、そそくさ帰っていった。もう少しそばにいるのかと思った。嫌いな兄でも死ぬのは嫌なんだろう。歪んでる。きっと兄弟の中で一番似ているから、反発してるだけ。それは本当に悲しい真実だった。
叔母のご主人は長崎の離島の人で、出稼ぎにきていたままここに住み着き所帯を持った。長男であること、また実家には誰もいなくなったために墓を新たにこの町に建てた。先祖が眠る菩提寺に墓を据えたのだが、同じ浄土宗であるからだと思っていたら違っていた。
菩提寺からほんの少し先に曹洞宗のお寺がある。
叔母のご主人の家は代々の曹洞宗・・・。本来はこちらでお世話になるのが筋なのだが、またまた叔母の家もご先祖が望まないだろう「宗派替え」をしてしまう。お経をあげれば、念仏を唱えればいいだろうと言う誤り。ここにもそういう当たり前のことが出来ない人間がいた。我欲が強い。強すぎる。それは流れを変える行為だというのに。
早々、考えてみると叔母が体調を崩し心を病み、また家族に不幸が舞い込み始めたのは、その頃からだ。繁栄を築いていた叔母の家にも影が差し始めた・・・・・。まっ、嫁に来た自覚はない。あくまで実家に囚われたままの人。苗字が変わっても、我がまま気ままな小姑モンスターだった。
叔母の家の報われないご先祖「ら」もおいらを通じて訴えていたのだろうが、これももうどうすることも出来ない話だ。
本当に「縁」と言う「縁」すべてが歪んでる。そのそれぞれの家系が出会って、父方母方もこのままでは途絶えてしまう。まるで敵同士が婚姻を結んだように。互いが憎しみ合うように仕組まれた因縁であるように・・・・・。
呪う神主を除けば、なんでもないどこにでもあるありふれた禍根の話であった。物語の概要を掴んでしまえば、物語なら終わりに出来る。物語とは過去であって未来ではないのだから・・・・・。まあ、呪い神主のお蔭さまでたくさん学んだから、この因果の法則も見つけられた気がする。思わぬ誤算だったけどね。
人を憎むこと。それは本当に本当にただ悲しい事だ。おいらは淵までは覗いたけど、落ちる勇気はなかった。
人を呪えば穴三つ。相手と自分と「自分の大切な存在」を失う。二つではないそうだ。相打ちでは終わらないようだ。ハイリスクノーリターンが呪いのすべてである。
だから気づいた者はその因果を断ち切らねばならない。どんなに不条理も不合理でも、居た堪れなくても・・・・。憎み合うよりは笑顔で話せた方が幸せだ。そして叔母の歪みは、呪い神主のそれとよく似ていた。周囲の期待に応えられないんならば、それは自分以外の誰かのせいであるとした間違った認識。周囲の期待など気にせずに、自分らしく生きることを放棄した生き方。誰かを心から愛することで苦しむことよりも、誰かを憎むことで楽を選ぶ生き方。
・・・・ただ、叔母もこの町に越してくるまでは比較的どこにでもいるヒールキャラで、普通の小姑だったみたい。本来人が立ち入るべきではない土地に造成された団地。この忌まわしい土地に変えられてしまった悲しい人間の一人なのだ。
ようやく物語を終えることが出来そうだ。
ちょうど一年前の昨日、父の手術日には地元の神社(母方の先祖に所縁があるよう)で会社の神棚をお返しするお祭りと、家内安全をお願いした。何も知らない頃、母が大げんかをした神社。反目なんだろうなぁ。両親と言う祖先の因果や因縁がありすぎる土地。どうして、どうしてこんなに嫌いな街にいたんだろう。逃げ出したくて逃げ出したのに、追い込まれて逃げ帰ってしまった。それもまた引き継いだ因果のせいだったのかもしれないけど、おいらがきっと弱すぎたせいなんだ。これを認めてしまわないともう先には進めないと思う。
だから、おいらはこの因果を立つ。自分が信じてきたものをすべて取り返す。もう振り回されるのがごめんだ。目に見えない強い力を引っ張られるのは、おいらでなくてもいいはず。
なんて・・・・そんなことに気づいた。父の大変な日に。
今日は痛いだろうなぁ。嫌いだけど病人なので当分は優しい息子でいてやろう(笑)。おいらもまた歪んでるのだから・・・・。
と言うか、呪う神主もいるし、祈願もしたし、ただじゃ済まねえなって思っていたら、奥歯の詰め物が抜けました。・・・呪い返しか(笑)。いひひ。でももうこんなものなんだぁ。
で、最近ある女性賢者のプログや本を買って参考にするべと思っていたが、昨日のプログでドン引き。昨日は日本のロイヤルウエディングが出雲大社で行われた日。高円宮典子さまと千家国麿さんがご成婚なされた日でした。この時に天津神と国津神の結びつきが強くなると言うのをやたらいろんな霊能者やスピ系の人が言っていたけど、出雲国造の祖神って天孫(天照大神の孫)だった気がするから、なんか違うんじゃねえのかって思っていた。出雲国造は朝廷から派遣された国司に近い。世襲制になった経緯も特殊だと訊く。だから天孫と天孫の婚姻が正しくて、伊勢の神が出雲に嫁いだって感じではないんじゃないのかと思った。で、天津神と国つ神云々を語る人は信用ならねえと思っていた。だって事実に反しているからね。
その女性賢者の言うことは比較的「まとも」に思えたけど、違うのかと思う。平成25年の遷宮もたまたま20年周期と60年が重なっただけ。そんなの当時は計算していないし。それに出雲の遷宮はこれで二回目なのだ。だから持ってつけたように遷宮を祝うのはどうかとは思っていた。お互いの社は遷宮が放置されていた期間(要は時の権力者の援助がなく)もあるし。正確ではないのだ。もし徳川幕府の厚い庇護がなければ「お伊勢参り」もなかったわけだ。神は人が忘れ去ると消えるのだから・・・・・。
で、仮に天津神と国津神が婚姻したとして・・・・何が変わったんだろう。ますます日本は混迷したように思う。神の復活とか言う人らもいるけど、それって戦や戦争を連想させるし、あんまり賛同したい意見ではない。戦国時代に武将が戦のために先勝祈願をし、一気に寺社の数が増えたとも言うし。
おしくも通ってる歯医者さんは昨日までで一年間びっしり守っていただいた(!?)祈願をしていただいた神社のすそ野にある。社務所からは50メーター。偶然にしては面白いぞ。それに今回の父の祈願には行ってない。氏神さんと一宮だけなのに・・・・。来いってことかな?無理矢理だけど・・・・。その歯医者に用向きがないとてんで生活エリヤからは外れているのだ。なんか地元の神にはそっぽ向かれてると感じているところだったしね。就職の願いはしたけど、それもまだままならんし。とはいえ、その歯医者さんは人気だから予約がすぐに取れるかも未定。いつもそうなんだけど人生の節目節目で銀歯が取れる。こういう偶然も嫌なんだけど、取られたのが命じゃなくて借歯だから、それくらいですんでよしと思えばいいか。複雑な気分になった。
それか、叔母の生き霊さんの幸せを祈ったせいだろうか。呪い返しにしては速攻だぞ(笑)。近所だから早いんか。母にもまたなんか「憑いてる」みたいだし、話をするのもしんどい・・・・・・。
で、またまた新事実。父方は精神不安定な人が多い。おばあさんの遺伝だろうと思う。心が弱い。他人への依存度が驚くほど高く、心がポキポキ折れる。おいらも・・・その一人だと思う笑。で、父の兄も精神病院に入っていたらしい???初耳じゃあ。そうじゃないかと思っていたけどね。弟は嫌な縁談を断り切れず割腹自殺未遂している。そういう呪われた家系。それを訊くと虚言壁のある叔母の人格障害っぽいところにも納得。「そう」思い込んでる。まともな人間ゼロ・・・・なのだ。正直これはとてもショックだぞ。変な大人たちに囲まれて育ったから、ロクでなしから普通に戻るのは結構しんどいことだった。負けてたまるか。ツキがないのはこの世でおいらだけではないのだからね。
父も少し発達障害みたいなところがある。正確とか環境に汚染された部位では何となくない。道義的責任や思慮深さが欠落してる。まるで自分一人で勝手に育ったように振る舞い、他人をバカにするんだけど、字も読めないし書けない。しかしおバカタレントみて、自分よりも格下だと思っている。常識がないのと勉強が出来ないのは大きな違いなんだけど、その区別もついてない。とにかく頭を下げる(お礼を言うとか)と負けだと感じている始末だ。クレイジーな家系の裏打ちができちゃった。おいら一人が〇チ〇イじゃなかったのだ(笑)。少し安心しました。ああ安心しちゃいけないのか。これから頑張らなないと。
そう言えば昨日病院で、母親を入院させにきた後輩が昼間からコーラの瓶に焼酎入れて病院の廊下で一気飲みしてた(笑)。酒臭い。底辺だぁ。と思っていたけれど、狂気ってほんの紙一重。おいらは上手な引きこもりだけど、そいつみたいに酒に溺れたい自分もかつてはいた。ああした自暴自棄に戻るくらいなら死を選ぶけど、「母ちゃん膵臓がんで末期だから死んだら、おばちゃん飯の支度頼みます」って酒の勢いを借りて、自分の弱さをひけらかしていた。もしかして、あれはかつての自分で、もしかするとこの一年で陥るべき自分の姿だったのかもしれない。人は鏡とはよく言ったもんだ。でもツイテいないとは思わない。何であれ外へ出るキッカケに歯が抜けたのだから・・・・。頭痛もするしね。
心がポキポキ折れたのも遺伝病だと思えばいい(笑)。そういう弱点を知っているから努力もするけど我慢もほどほどにしてきた。これがおいらの生きる知恵で術だった。今更どんなに嘆いても自分を根本から変えるなんて無理。ならば進化すればいい。ポキポキ折れる心にはこの一年で学んだ知識のカルシウムを与えよう。一周廻って「元の」自分って言うのも変な言い方だけど、大筋では間違えてはいなかった。
神もいるし、仏もいる。日本とは元来そういう国なのだ。叔母のことも父のことも理解できるってことは同じ瑕疵がある証拠でもあるんだけど、瑕疵を勲章に変えていこうじゃないか。それが出来るのが人間なんだし、まだ何も終わってはいない。
はじまることばかりなのだから!!!
※歯はセメントが外れただけで簡単に取り付け終了!gooのメール(一年前のメールお知らせ)で知った昨日の一年前の祈願。お礼に来なさいってことですなぁ。銀杏の匂いで少しオイニーな境内ですが、清々しい風が吹いておりました。日を改めて祈願しよう。その前に仕事決めなきゃ(笑)。本当に不思議。で、父の見舞いに行ったらもうベットの上で胡坐をかいてました(笑)。とても元気そう。週刊誌差し入れしてきました。
何はともあれ、はじまることばかりです。
・・・・で、霊能者Mさんの言っていた姉に妙に執拗な叔母も来てくれていたんだけど、生き霊系のもう一系統はやはりこの叔母でした。
どうも極度のファザコンで、悲しいくらいマザコンな人。両親の偏った愛情(どうも父方の祖父母は偏りが激しかった)を貰えずに育ったみたい。上は男二人、下は年の離れた弟と妹・・・・。単に我がままで甲斐性のない父に対する憎しみかと思っていたら、人間性に優れていたお爺さんの面影を父の中で引きずっていたよう。我がまま放題父のする何もかもがお爺さんと違っていたから気に食わない、気に入らない・・・・。歪んだ愛憎がそこにはあるようだった。
実際は長男ではない兄を慕い(脳梗塞で30年闘病し既に個人)、実際に次男ではない父を憎んだ。10人兄弟で5人が生きた。兄にも父にもお爺さんから譲り受けた遺産があったのだが、女である叔母には何も残されなかった。それがどうも我慢ならなかったようだ。父に愛されず母に愛されず。実際はそんなことなかったのだろうが、そういう風に思ってしまった不幸。女だから変なしがらみに囚われずに生きることも出来たのに自らも渦中に飛び込んだカン違いの不幸。だから父の生産組合が潰れたときは妹らしからぬ言動を放ったようだし、そしられた。尊敬する父をないがしろにした父。
そう言えばおいらもまた「あんたの父親はあんたに何かを残してくれたんだろうけど、あんたは俺に何を残してくれんの?」
大人げない発言だけど、父は父親らしいことは何もせずに子供育てた。まっ勝手に育った。そういう父がこう言った。「わしゃぁ親父を尊敬してた」と。姿かたちはとても良く似ているのに似て非なる父と子。じいちゃんと親父・・・・。伝わるじいちゃんのスペックを何一つ備えなかった父。この人もまたコンプレックスの塊で、極度のファザコンで究極のマザコン男なのだ。愛情を注がれた息子と、愛情を注がれていないと感じた娘。叔母の心の闇を、闇の心を育てたのは出来過ぎた両親に対する尊敬とコンプレックス。
自分が「男」に生まれていたら、長男より次男より「上手く」やれたのではないかと言う自負。この自負がいつしか叔母の心を闇に変えていたようだ。近親憎悪。まさに理想な構図。父の仕事の手伝いをしていた叔母はまるで自分の会社のように振る舞い働いた。まるで父に託された稼業を自分にも与えられたかのように・・・・・。その自惚れが憎しみになる。いくら陰ながら稼業を支えても褒められるのは父一人。この父も思いやりに掛けた人間である。当然あるはずの労う気持ちも優しい言葉もなかったのは想像がつく。いつも正しいのだ。
叔母が嫁ぐとき「〇〇が地元に帰るのならば付いていく覚悟があるのか?ないなら結婚は許さない」祖父母亡き後、父は妹にそう正しいことを告げた。すでに闇んでいた叔母は結婚に反対されていると思ったらしい。長男は正しいことは言わず本心を隠しただ賛成した。この兄弟の差、この兄妹の差が深い溝を作った。後先を考えない。眼先を追うな。そういう正しい親父は稼業を潰した。真面目に仕事はしたけどただ皆勤賞なだけで、努力を惜しんだ。学ぶのを辞めた。思ったことを口にしない兄と、何でも方便に話す兄と、おいらでも前者を選ぶだろう。おいらも親父が嫌いだ。一度謝れば終わり、一度感謝すれば終わり、貸し借りナシ。そんな風に人間社会が出来ていない。情の部分が欠落してる。
だから少しだけ叔母が父をこれ以上なくくらいライバル視し、嫌った経緯も想像がつく。ウチの旦那は勝ち組だと思っただろう。見返してやりたかった相手が散っていく。惨めになっていく。それを目前に見ていたのだから。でもそれでも借金も返し寡黙に働く父をどう思っていたのだろう。それだけは世渡り上手であったお爺さんの気質にはないものだ。50を過ぎるとリタイヤし、子供らに稼がせる親。悪い部分のたくさんあっただろうに、愛を貰えなかった孤独な少女は他人がほめる見せかけの、張りぼての人間像を崇拝し、尊敬した。父のように「親父には敵わない」と思うことなく、ありのままの父の姿を見ようともしなかった。
まあ悪口にはなるが、悪い意味で長男の嫁はボケ担当、母は自制心の乏しい天真爛漫。前者は叔母に従い、母は反抗した。だから祖父母亡き後はのけ者にされた。叔母の家は目と鼻の際にあって、いつもいつも高台にある我が家に対して相当な恨みを抱いていたのだろう。もしかするとお爺さんが憑依しているのかもしれない。父は祖父の期待に応えず会社を潰し(父だけのせいではないが)、兄はおいおいの状態ですでに罰は受けていたし・・・・。なら怖いな。
相当な資産があったはずだが、引き継がれたものはあまりないように思う。山師的な部分もあったのだろう。話を訊く限り「顔役」もしくは「相談役」だったらしい、兄にも家を買ってやっるような豪快な人だったよう。この町のカリスマ。父らを見ているとその意向も財産も引き継がれはしなかったけれど・・・・。もし身勝手なまじないをした人が居るとするならばお爺さんかも知れない。
おいらはへっぽこ霊感男だから、感度が悪いけど、感情を読み込むのは得意である。人の話を「よく」聞ける。父の「死」の前に揺らいでしまった叔母からでる言葉の数々・・・・・。父の期待に応えなかった兄二人。それが我慢ならなかったようだった。
術後、病室に戻った父に一言二言語ると、そそくさ帰っていった。もう少しそばにいるのかと思った。嫌いな兄でも死ぬのは嫌なんだろう。歪んでる。きっと兄弟の中で一番似ているから、反発してるだけ。それは本当に悲しい真実だった。
叔母のご主人は長崎の離島の人で、出稼ぎにきていたままここに住み着き所帯を持った。長男であること、また実家には誰もいなくなったために墓を新たにこの町に建てた。先祖が眠る菩提寺に墓を据えたのだが、同じ浄土宗であるからだと思っていたら違っていた。
菩提寺からほんの少し先に曹洞宗のお寺がある。
叔母のご主人の家は代々の曹洞宗・・・。本来はこちらでお世話になるのが筋なのだが、またまた叔母の家もご先祖が望まないだろう「宗派替え」をしてしまう。お経をあげれば、念仏を唱えればいいだろうと言う誤り。ここにもそういう当たり前のことが出来ない人間がいた。我欲が強い。強すぎる。それは流れを変える行為だというのに。
早々、考えてみると叔母が体調を崩し心を病み、また家族に不幸が舞い込み始めたのは、その頃からだ。繁栄を築いていた叔母の家にも影が差し始めた・・・・・。まっ、嫁に来た自覚はない。あくまで実家に囚われたままの人。苗字が変わっても、我がまま気ままな小姑モンスターだった。
叔母の家の報われないご先祖「ら」もおいらを通じて訴えていたのだろうが、これももうどうすることも出来ない話だ。
本当に「縁」と言う「縁」すべてが歪んでる。そのそれぞれの家系が出会って、父方母方もこのままでは途絶えてしまう。まるで敵同士が婚姻を結んだように。互いが憎しみ合うように仕組まれた因縁であるように・・・・・。
呪う神主を除けば、なんでもないどこにでもあるありふれた禍根の話であった。物語の概要を掴んでしまえば、物語なら終わりに出来る。物語とは過去であって未来ではないのだから・・・・・。まあ、呪い神主のお蔭さまでたくさん学んだから、この因果の法則も見つけられた気がする。思わぬ誤算だったけどね。
人を憎むこと。それは本当に本当にただ悲しい事だ。おいらは淵までは覗いたけど、落ちる勇気はなかった。
人を呪えば穴三つ。相手と自分と「自分の大切な存在」を失う。二つではないそうだ。相打ちでは終わらないようだ。ハイリスクノーリターンが呪いのすべてである。
だから気づいた者はその因果を断ち切らねばならない。どんなに不条理も不合理でも、居た堪れなくても・・・・。憎み合うよりは笑顔で話せた方が幸せだ。そして叔母の歪みは、呪い神主のそれとよく似ていた。周囲の期待に応えられないんならば、それは自分以外の誰かのせいであるとした間違った認識。周囲の期待など気にせずに、自分らしく生きることを放棄した生き方。誰かを心から愛することで苦しむことよりも、誰かを憎むことで楽を選ぶ生き方。
・・・・ただ、叔母もこの町に越してくるまでは比較的どこにでもいるヒールキャラで、普通の小姑だったみたい。本来人が立ち入るべきではない土地に造成された団地。この忌まわしい土地に変えられてしまった悲しい人間の一人なのだ。
ようやく物語を終えることが出来そうだ。
ちょうど一年前の昨日、父の手術日には地元の神社(母方の先祖に所縁があるよう)で会社の神棚をお返しするお祭りと、家内安全をお願いした。何も知らない頃、母が大げんかをした神社。反目なんだろうなぁ。両親と言う祖先の因果や因縁がありすぎる土地。どうして、どうしてこんなに嫌いな街にいたんだろう。逃げ出したくて逃げ出したのに、追い込まれて逃げ帰ってしまった。それもまた引き継いだ因果のせいだったのかもしれないけど、おいらがきっと弱すぎたせいなんだ。これを認めてしまわないともう先には進めないと思う。
だから、おいらはこの因果を立つ。自分が信じてきたものをすべて取り返す。もう振り回されるのがごめんだ。目に見えない強い力を引っ張られるのは、おいらでなくてもいいはず。
なんて・・・・そんなことに気づいた。父の大変な日に。
今日は痛いだろうなぁ。嫌いだけど病人なので当分は優しい息子でいてやろう(笑)。おいらもまた歪んでるのだから・・・・。
と言うか、呪う神主もいるし、祈願もしたし、ただじゃ済まねえなって思っていたら、奥歯の詰め物が抜けました。・・・呪い返しか(笑)。いひひ。でももうこんなものなんだぁ。
で、最近ある女性賢者のプログや本を買って参考にするべと思っていたが、昨日のプログでドン引き。昨日は日本のロイヤルウエディングが出雲大社で行われた日。高円宮典子さまと千家国麿さんがご成婚なされた日でした。この時に天津神と国津神の結びつきが強くなると言うのをやたらいろんな霊能者やスピ系の人が言っていたけど、出雲国造の祖神って天孫(天照大神の孫)だった気がするから、なんか違うんじゃねえのかって思っていた。出雲国造は朝廷から派遣された国司に近い。世襲制になった経緯も特殊だと訊く。だから天孫と天孫の婚姻が正しくて、伊勢の神が出雲に嫁いだって感じではないんじゃないのかと思った。で、天津神と国つ神云々を語る人は信用ならねえと思っていた。だって事実に反しているからね。
その女性賢者の言うことは比較的「まとも」に思えたけど、違うのかと思う。平成25年の遷宮もたまたま20年周期と60年が重なっただけ。そんなの当時は計算していないし。それに出雲の遷宮はこれで二回目なのだ。だから持ってつけたように遷宮を祝うのはどうかとは思っていた。お互いの社は遷宮が放置されていた期間(要は時の権力者の援助がなく)もあるし。正確ではないのだ。もし徳川幕府の厚い庇護がなければ「お伊勢参り」もなかったわけだ。神は人が忘れ去ると消えるのだから・・・・・。
で、仮に天津神と国津神が婚姻したとして・・・・何が変わったんだろう。ますます日本は混迷したように思う。神の復活とか言う人らもいるけど、それって戦や戦争を連想させるし、あんまり賛同したい意見ではない。戦国時代に武将が戦のために先勝祈願をし、一気に寺社の数が増えたとも言うし。
おしくも通ってる歯医者さんは昨日までで一年間びっしり守っていただいた(!?)祈願をしていただいた神社のすそ野にある。社務所からは50メーター。偶然にしては面白いぞ。それに今回の父の祈願には行ってない。氏神さんと一宮だけなのに・・・・。来いってことかな?無理矢理だけど・・・・。その歯医者に用向きがないとてんで生活エリヤからは外れているのだ。なんか地元の神にはそっぽ向かれてると感じているところだったしね。就職の願いはしたけど、それもまだままならんし。とはいえ、その歯医者さんは人気だから予約がすぐに取れるかも未定。いつもそうなんだけど人生の節目節目で銀歯が取れる。こういう偶然も嫌なんだけど、取られたのが命じゃなくて借歯だから、それくらいですんでよしと思えばいいか。複雑な気分になった。
それか、叔母の生き霊さんの幸せを祈ったせいだろうか。呪い返しにしては速攻だぞ(笑)。近所だから早いんか。母にもまたなんか「憑いてる」みたいだし、話をするのもしんどい・・・・・・。
で、またまた新事実。父方は精神不安定な人が多い。おばあさんの遺伝だろうと思う。心が弱い。他人への依存度が驚くほど高く、心がポキポキ折れる。おいらも・・・その一人だと思う笑。で、父の兄も精神病院に入っていたらしい???初耳じゃあ。そうじゃないかと思っていたけどね。弟は嫌な縁談を断り切れず割腹自殺未遂している。そういう呪われた家系。それを訊くと虚言壁のある叔母の人格障害っぽいところにも納得。「そう」思い込んでる。まともな人間ゼロ・・・・なのだ。正直これはとてもショックだぞ。変な大人たちに囲まれて育ったから、ロクでなしから普通に戻るのは結構しんどいことだった。負けてたまるか。ツキがないのはこの世でおいらだけではないのだからね。
父も少し発達障害みたいなところがある。正確とか環境に汚染された部位では何となくない。道義的責任や思慮深さが欠落してる。まるで自分一人で勝手に育ったように振る舞い、他人をバカにするんだけど、字も読めないし書けない。しかしおバカタレントみて、自分よりも格下だと思っている。常識がないのと勉強が出来ないのは大きな違いなんだけど、その区別もついてない。とにかく頭を下げる(お礼を言うとか)と負けだと感じている始末だ。クレイジーな家系の裏打ちができちゃった。おいら一人が〇チ〇イじゃなかったのだ(笑)。少し安心しました。ああ安心しちゃいけないのか。これから頑張らなないと。
そう言えば昨日病院で、母親を入院させにきた後輩が昼間からコーラの瓶に焼酎入れて病院の廊下で一気飲みしてた(笑)。酒臭い。底辺だぁ。と思っていたけれど、狂気ってほんの紙一重。おいらは上手な引きこもりだけど、そいつみたいに酒に溺れたい自分もかつてはいた。ああした自暴自棄に戻るくらいなら死を選ぶけど、「母ちゃん膵臓がんで末期だから死んだら、おばちゃん飯の支度頼みます」って酒の勢いを借りて、自分の弱さをひけらかしていた。もしかして、あれはかつての自分で、もしかするとこの一年で陥るべき自分の姿だったのかもしれない。人は鏡とはよく言ったもんだ。でもツイテいないとは思わない。何であれ外へ出るキッカケに歯が抜けたのだから・・・・。頭痛もするしね。
心がポキポキ折れたのも遺伝病だと思えばいい(笑)。そういう弱点を知っているから努力もするけど我慢もほどほどにしてきた。これがおいらの生きる知恵で術だった。今更どんなに嘆いても自分を根本から変えるなんて無理。ならば進化すればいい。ポキポキ折れる心にはこの一年で学んだ知識のカルシウムを与えよう。一周廻って「元の」自分って言うのも変な言い方だけど、大筋では間違えてはいなかった。
神もいるし、仏もいる。日本とは元来そういう国なのだ。叔母のことも父のことも理解できるってことは同じ瑕疵がある証拠でもあるんだけど、瑕疵を勲章に変えていこうじゃないか。それが出来るのが人間なんだし、まだ何も終わってはいない。
はじまることばかりなのだから!!!
※歯はセメントが外れただけで簡単に取り付け終了!gooのメール(一年前のメールお知らせ)で知った昨日の一年前の祈願。お礼に来なさいってことですなぁ。銀杏の匂いで少しオイニーな境内ですが、清々しい風が吹いておりました。日を改めて祈願しよう。その前に仕事決めなきゃ(笑)。本当に不思議。で、父の見舞いに行ったらもうベットの上で胡坐をかいてました(笑)。とても元気そう。週刊誌差し入れしてきました。
何はともあれ、はじまることばかりです。
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