空に問う。

空に問うても果てがない

ムムム

2015-09-14 09:07:51 | 日記
昨日は三人、一昨日は一人。おじいさん、こども、若者・・・。そして少女。少女には心当たりがあった・・・・・。床の間の人形。持ち主(姉)に忘れられた人形一・・・・。姉に憑いていたモノたちが出てきては、おいらに「これがやりたい」「これが心残り」など愚痴を言う。

もちろん「自分には何もできないから、わかる人のところに行って、成仏させてもらってください」とお願いする。しかし、これは「おいら」の意志ではないぞ・・・と気づくまでにタイムラグがあって、乗っ取られている精神は、そのモノらのもの。その取りつかれている時間が応えるのだ。だってそれは自分の意志とは無関係にいろんな景色や感情を見せる。

昨日の若者は、陸橋の下の自転車が捨てられた場所にいて、どこにも行こうとしない。引きこもり。ああ、この子はおいらに憑いていたんだと気づく。でもどこで拾ったんだろう?????

今日は普通に起きた。いつものダルさ(気怠さ)は少し消えた・・・・。若者というか、少年くんが天へ昇ってくれたならいいなぁ。もう家の中は閑散としだした・・・・。夏の頃のいっぱいいっぱい感は消えた。ああ、三隅の福祉施設に面接に行った際にいっぱい拾った人らだろうか。国道から3キロの道のりでいっぱいいた。昔の豪雨災害で落ちた場所たち。薄暗いしね。「ここは通えない」と思ったし、邪魔する力も働いて、落ちる面接に特化した。あれはあれでよかったんだろう。あの忌まわしい場所に本当の意味での「安らぎ」も「幸福」も「安堵」もない。落ちて良かった笑。でもさ、後遺症として一か月近く精神を患った。この体質直さないとね。なんとかしないとね。社会には未成仏霊はごまんといるし・・・・。

に、しても疲れた・・・・・・。もしや自殺霊や落ち武者の出る因果の深いM田市のT神社の神主の仕業じゃないのだろうか。その確率大。まっ、憎む気持ちはないではないが、それに取り込まれてしまっては元も子もない。裁くのは「神の仕事」と言うし。でもね、神様見逃し過ぎじゃない。あれはもう限度を超えているよ。今おいらに分かるのは、黒いモヤモヤしたものに囲まれて追い払おうと必死になってる図。でもそれはあなたが他人に向けた嫉妬や猜疑心またまた呪詛なのだから、それから逃げ切ることは出来ないよ。人を呪い、人生を捻じ曲げるなんて、面白半分でやっちゃいけない。その反動は自分に戻る。それは自分でも体験済み。身に余ることはやっちゃなんねえ。

でも、手持ちの「アイテム」はネタ切れなんだろうな。もうフィニッシュ。もうエンド。呪う神主が奇跡と思っていた力は他人から巻き上げた幸福だから、泉のように潤沢に湧くわけはないのだ。この人は自分自身を特別と思い込んでいて、魔に取り込まれて堕ちた。もう人間世界に戻ることもないんだろう。今度は逆定位。カエサルの物はカエサルに。それは過去から決まってる。

呪う神主に万が一があっても、それは神の定めで神の裁き。もうおいらには関わり知らぬこと。

我が家も問題は山積みだけど、家の中にいた別の人たちが少し消えて楽になった。それをなんとなく感じる朝だった。

もう大丈夫だ。恐れない。

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