この世にはカタチのない大切なものがある。筆頭は愛なんだろう。でも今のおいらには必要でいて必要でないものだから、ちょっと置いておいて笑。でもさ、そのものずばり気持ちって厄介だ。あるようでないし、ないようで、ちゃんとある。
自分の曖昧なテンションを引きずってるわけじゃんないし、悪いことしてるわけでもないけど、今の自分が置かれてる状況をイチイチ説明するのが面倒臭いので、話さなくてはならないだろうって人らに会うのは極力避けている。意図はしていないけど、無視はしているのかも・・・・。
呪われてる自分って今は案外都合がいいのかも。今日は今日で仕切り直しのつもりで、墓参りなどに出かけたけど、過去の因縁にそのまんま遭遇してしまった。だからねぇ、なんとなく気が乗らないんですよね。
3年前の盆踊りの夜のこと。菩提樹のある父の実家のあたりの町内は、魚市場を借りて盆踊りをする。ちょうど親類に新盆の人がいたから、おいらも久しぶりに盆踊りに行った。新盆の人らの祭壇があって線香をあげる。一つずつ写真を確認する。長寿を全うした年齢の人もいれば若い人の遺影もある。ちょうど中学の同級生がいたので話をしたら、「3人も知り合いが亡くなると寂しいね」と言う。遺影を指さす。・・・あっ、先輩が一人とある同級生の兄貴と、同級生Kが亡くなっていた。三人とも昔の面影がない。なんでも3人とも長く病に伏して亡くなったそうで、面持ちが変化してる。何度見つめても面影は一致しない・・・・・。
同級生K君とは若いころよく飲みに出かけてた。そのころにはとんと疎遠になっていたけど、不時の病になのかも?と噂で訊いていた。風貌がすっかり変わり誰とも会いたがらないと訊いたので見舞いに行くのは遠慮した。その話をしてくれたのが、ある同級生の兄貴だった。彼も重度の病にかかっていて、顔色は土気色だった。「気をつけんさいね」それが彼との最後の会話でもあった。知り合いが三人も亡くなるなんて、まだおいらの年齢ではありえない。それも限定された町内での話だから・・・・・。ちょっと気持ちが引けた。
しばらく友達と近況を語りながら別れた。彼はもう一人の先輩の新盆で訪れたと言う。何だか、寒気がしてきて、早々に会場から引き揚げた。
で、このことを当時やっていた会社のブログに書き込んでいたら、突然モニターにノイズが走り、書いていた内容が消しとんだ。わぁー、やっぱり憑いて来たんだぁー。
・・・・それでその件に触れるのは止めて寝た。もちろん眠れなかった。
その後偶然にも、その町内では若い人の不審死や自殺が相次いでいることを菩提寺の住職に訊いた。お寺の前の緩い勾配の坂道は細くて車が交差出来ないが、抜け道であるために結構な交通量がある。昔は頻繁に往来していたが、何だかイヤーな気配がするんで通るのを止めていた。やっぱり、そういうのは確かにあるんだろうなぁと思う。今でもその坂を往来することはなく、敢えて遠回りしている・・・・。だから祖父母には悪いけど、極力、墓参りは遠慮していた。
まあ呪いのベースは隣家の呪詛にあったり、30年前起きた、ある些細ないたずらによる禍根かも知れない。けれど、その盆踊りの夜からも新たに何かが加わったのは確かだ。察知する能力が多少あっても、おいらには霊魂や幽霊なんて視えないし聞こえない。でも感じる以上、何かしら影響を受ける。それを避けきる術を知らない。知識があっても、修行をした訳じゃない。
まあ、実際おいらが「呪い」と感じてるものはハイブリットなんだろう笑。この2年は少なくとも神道オンリーだった。でもそれじゃバランスが悪いと思い、暇を見つけては先祖の墓参りに出かけるようにした。不思議な事なんだけど、朝起きて「今日はこの神社に」「今日は墓参りに行かなくちゃ」とか決められていることがある。先日は会いに来いって呼ばれたので墓参りに行った。その日の起きた時間にちょうど親類が亡くなっていた。
こういう話をしたら全部「悪い偶然が重なったんだ」と話を畳折る人もいる。でも、おいらとしてはその期間が長いし、連続してるし、偶然と片付けるには無理がある。だから仕方なしに”こういう体質”なんだと諦めている。悪いモノを寄せる体質。これって別に嬉しい事じゃない。こんな不出来な力なんて無くなればいいと思ってる。どうも、おいらを挫けさせるのが目的じゃないのかと思う。おいらは一度死んで、生き返ったことがある。だから若いころから常に「死」が寄り添っているような気がする。半分死んでる気がする。だからいつも半分は空っぽだ。満たされた時間は、あれきり一度もない。マンガじゃないけど、死ななかった魂を淘汰しようとする存在があるんだろうか?と思う。
そういえば親類の遺体のない葬儀に出かけた。船が転覆して遺体は未だ上がっていないが、1年を機に葬儀を上げることになった。その最中にハリーポッターに出てくるデスイーターみたいなものを見かけた。葬儀中に金縛りみたいになったら視えた。参列者の顔を一人一人覗き込んでいる。近づいてきたので息を必死で止めた。横に座ってた母が冬なのに大汗をかいてるおいらを心配して膝に手をかけた瞬間、解けた。あれは死神ってヤツなんだろうか?だって連れ去るはずの魂の入れ物がないカタチだけの葬儀だった。だから、あの世に連れていく人を探していたんだろう・・・。
だから最近は葬儀恐怖症でもある。でも件の親類の葬式では、そういう恐い経験はしなかった。前に話した通り、これにもまた別の因縁が絡んでるんだけど。
人はちょっとした躓きで、死ぬ。それをよく理解してるつもりだ。人間は死んだら終わりだ。
でも普通は、生きてるから生きてるんだ。おいらはすでに死なないように警戒しながら生きてる。それを心のどこかで感じてる。だから死にそうになると必死で逃げる。
この呪いのベースがどこまで広がり続いているのかは分からない。でも今はまだ死ぬ時ではないんだろう。苦しさの最中でも、小さな希望が見つかったりするからだ。だから何かを変えようとする。変えようとする力とは生きる力だと思う。
でも今日の過去の因縁は避けられた話だった。一緒に同行した母が、ほんの少し気を利かせてくれていたら避けられた。墓参りに行く?って声を掛けなければ良かった。それならば一つの節目に出来た記念すべき始まりの日になったんだろう。悪気があって話しかけたのではないのだろうが、急に3年前の盆踊りの夜と相次いだ若い人の死を思い出すことになった。
お寺では、ある同級生の母親に会った。御髪は真っ白。だから記憶の中の同級生の母親だとおいらには分からなかった・・・・。墓で出会った意味は分かる。当然、墓参りに来られたのだろう。
そして今日は、もう一つの家系の因縁の元である母方の祖父の祥月命日だった。うわぁー!なんじゃこれーーーーーーーーー。
もういい加減にループするのは終わりにしたいなぁ。
でも糸口も出口も見つからない・・・・・・・・・・。
こういう気持ちって煙みたいでイヤな感じがする。匂いはあるんだよな。
自分の曖昧なテンションを引きずってるわけじゃんないし、悪いことしてるわけでもないけど、今の自分が置かれてる状況をイチイチ説明するのが面倒臭いので、話さなくてはならないだろうって人らに会うのは極力避けている。意図はしていないけど、無視はしているのかも・・・・。
呪われてる自分って今は案外都合がいいのかも。今日は今日で仕切り直しのつもりで、墓参りなどに出かけたけど、過去の因縁にそのまんま遭遇してしまった。だからねぇ、なんとなく気が乗らないんですよね。
3年前の盆踊りの夜のこと。菩提樹のある父の実家のあたりの町内は、魚市場を借りて盆踊りをする。ちょうど親類に新盆の人がいたから、おいらも久しぶりに盆踊りに行った。新盆の人らの祭壇があって線香をあげる。一つずつ写真を確認する。長寿を全うした年齢の人もいれば若い人の遺影もある。ちょうど中学の同級生がいたので話をしたら、「3人も知り合いが亡くなると寂しいね」と言う。遺影を指さす。・・・あっ、先輩が一人とある同級生の兄貴と、同級生Kが亡くなっていた。三人とも昔の面影がない。なんでも3人とも長く病に伏して亡くなったそうで、面持ちが変化してる。何度見つめても面影は一致しない・・・・・。
同級生K君とは若いころよく飲みに出かけてた。そのころにはとんと疎遠になっていたけど、不時の病になのかも?と噂で訊いていた。風貌がすっかり変わり誰とも会いたがらないと訊いたので見舞いに行くのは遠慮した。その話をしてくれたのが、ある同級生の兄貴だった。彼も重度の病にかかっていて、顔色は土気色だった。「気をつけんさいね」それが彼との最後の会話でもあった。知り合いが三人も亡くなるなんて、まだおいらの年齢ではありえない。それも限定された町内での話だから・・・・・。ちょっと気持ちが引けた。
しばらく友達と近況を語りながら別れた。彼はもう一人の先輩の新盆で訪れたと言う。何だか、寒気がしてきて、早々に会場から引き揚げた。
で、このことを当時やっていた会社のブログに書き込んでいたら、突然モニターにノイズが走り、書いていた内容が消しとんだ。わぁー、やっぱり憑いて来たんだぁー。
・・・・それでその件に触れるのは止めて寝た。もちろん眠れなかった。
その後偶然にも、その町内では若い人の不審死や自殺が相次いでいることを菩提寺の住職に訊いた。お寺の前の緩い勾配の坂道は細くて車が交差出来ないが、抜け道であるために結構な交通量がある。昔は頻繁に往来していたが、何だかイヤーな気配がするんで通るのを止めていた。やっぱり、そういうのは確かにあるんだろうなぁと思う。今でもその坂を往来することはなく、敢えて遠回りしている・・・・。だから祖父母には悪いけど、極力、墓参りは遠慮していた。
まあ呪いのベースは隣家の呪詛にあったり、30年前起きた、ある些細ないたずらによる禍根かも知れない。けれど、その盆踊りの夜からも新たに何かが加わったのは確かだ。察知する能力が多少あっても、おいらには霊魂や幽霊なんて視えないし聞こえない。でも感じる以上、何かしら影響を受ける。それを避けきる術を知らない。知識があっても、修行をした訳じゃない。
まあ、実際おいらが「呪い」と感じてるものはハイブリットなんだろう笑。この2年は少なくとも神道オンリーだった。でもそれじゃバランスが悪いと思い、暇を見つけては先祖の墓参りに出かけるようにした。不思議な事なんだけど、朝起きて「今日はこの神社に」「今日は墓参りに行かなくちゃ」とか決められていることがある。先日は会いに来いって呼ばれたので墓参りに行った。その日の起きた時間にちょうど親類が亡くなっていた。
こういう話をしたら全部「悪い偶然が重なったんだ」と話を畳折る人もいる。でも、おいらとしてはその期間が長いし、連続してるし、偶然と片付けるには無理がある。だから仕方なしに”こういう体質”なんだと諦めている。悪いモノを寄せる体質。これって別に嬉しい事じゃない。こんな不出来な力なんて無くなればいいと思ってる。どうも、おいらを挫けさせるのが目的じゃないのかと思う。おいらは一度死んで、生き返ったことがある。だから若いころから常に「死」が寄り添っているような気がする。半分死んでる気がする。だからいつも半分は空っぽだ。満たされた時間は、あれきり一度もない。マンガじゃないけど、死ななかった魂を淘汰しようとする存在があるんだろうか?と思う。
そういえば親類の遺体のない葬儀に出かけた。船が転覆して遺体は未だ上がっていないが、1年を機に葬儀を上げることになった。その最中にハリーポッターに出てくるデスイーターみたいなものを見かけた。葬儀中に金縛りみたいになったら視えた。参列者の顔を一人一人覗き込んでいる。近づいてきたので息を必死で止めた。横に座ってた母が冬なのに大汗をかいてるおいらを心配して膝に手をかけた瞬間、解けた。あれは死神ってヤツなんだろうか?だって連れ去るはずの魂の入れ物がないカタチだけの葬儀だった。だから、あの世に連れていく人を探していたんだろう・・・。
だから最近は葬儀恐怖症でもある。でも件の親類の葬式では、そういう恐い経験はしなかった。前に話した通り、これにもまた別の因縁が絡んでるんだけど。
人はちょっとした躓きで、死ぬ。それをよく理解してるつもりだ。人間は死んだら終わりだ。
でも普通は、生きてるから生きてるんだ。おいらはすでに死なないように警戒しながら生きてる。それを心のどこかで感じてる。だから死にそうになると必死で逃げる。
この呪いのベースがどこまで広がり続いているのかは分からない。でも今はまだ死ぬ時ではないんだろう。苦しさの最中でも、小さな希望が見つかったりするからだ。だから何かを変えようとする。変えようとする力とは生きる力だと思う。
でも今日の過去の因縁は避けられた話だった。一緒に同行した母が、ほんの少し気を利かせてくれていたら避けられた。墓参りに行く?って声を掛けなければ良かった。それならば一つの節目に出来た記念すべき始まりの日になったんだろう。悪気があって話しかけたのではないのだろうが、急に3年前の盆踊りの夜と相次いだ若い人の死を思い出すことになった。
お寺では、ある同級生の母親に会った。御髪は真っ白。だから記憶の中の同級生の母親だとおいらには分からなかった・・・・。墓で出会った意味は分かる。当然、墓参りに来られたのだろう。
そして今日は、もう一つの家系の因縁の元である母方の祖父の祥月命日だった。うわぁー!なんじゃこれーーーーーーーーー。
もういい加減にループするのは終わりにしたいなぁ。
でも糸口も出口も見つからない・・・・・・・・・・。
こういう気持ちって煙みたいでイヤな感じがする。匂いはあるんだよな。
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