今日はもうダメ!限界だぁーーーーーーー。なんかイライラする。それもそのはず理由に今日が11月11日だからだ。
もう何年も経つのに、この日を忘れられない。究極の呪いだ笑。
って、昔、大好きな人の誕生日だった。いまはどこでどうしているのかも知らないけど・・・・・・。
必死でパソコンに向かってる。本当に必死なのだ。これがおいらのボーダーライン。呪いを何とか正当化して逃げきろうとするんだけど、要するにそれが問題じゃないことに気づく。忘れないのがいけないんだと思う。
そういつまで経っても忘れない。呪う〇〇を我執の塊だって言いながら、実においらは我執の鬼だ。忘れればいいんだ。捨てられたのはおいらのほうなんだし・・・・・。なのに忘れられない。今も傷みたいに、触れば分かる。
パソコンが下界と自分をつなぐ最後の砦だと思ってる。だからパソコン周りを整備するのにその度に欲求が増す。Windows7から8.1にアップグレード?モニター台は3台目、キーボードは3本目。Officeは・・。まあOfficeは2013に変えた方がいい。変換の処理能力が違うから。ああ、モニターも買い替えたんだぁ。いくら散財すれば気がすむ。何やってんだ、全く。
だってすべて呪いのせいにして、正当化するなんて100%無理。何故ならば、自分自身も疑っているからだ。これはただの偶然の連続で、それ以上でもそれ以下でもないのではないのかと常に思う。
理由は簡単だ。おいらは死なずに生きてるし、因縁がある人すべてピンピンしてる。
ただの死損ないが、悔み続け、悩み続けてるだけだ。長い間そんな罰を受けてる。心の檻から出ない以上、おいらは一歩もどこへだっていけない。それも分かってる。でも変えられない。だからイライラするんだ。
自分にとって、イヤな事ばかり起こるのは自分が自ら望んだことだからだ。百歩譲って、呪いの影響も考える。でも呪いのベースはおいらの頭の中でだけ形成されている。
と、言いながらも、過去に二回、自分の意識を閉じ込められて奇行に走った事がある。誰かに、何かに乗っ取られて大失態をした。だから恐いのだ。いつまで経っても。
ひとえに忘れないのが原因なんだろう。忘れることはいいことだ。それが歳を拾う最高のプレゼントのはずなのに、過去の過ちが、過去の発言が、過去の行いが、今でもおいらの心の中をひっかき回す。
・・・・中学生のころだけど奇妙な夢を見た。内容を語ると「妄想の人だ」と言われそうなので開示しないけど、どうもおいらを救うのはキリスト教だけなんだと思う笑。モーゼと血の色の台地とお告げを受けた。まっ、モーゼかどうかはわからない。後にチャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」で観たモーセと似てたから、そう思った。その日からだな。オカルトでホラーで奇妙な出来事に巻き込まれるようになったのは。それ以前は普通に変なモノが視える、目ざとい子供でした笑。
だから何度も教会へ行こうとした。でも躊躇う。だって、信じれば原罪が許されるんだよ。それは過去の否定じゃないか・アイデンティティはどうなる?とか悩む。
だって粒子物理学の専門家が、イタリアの教会にある処刑された後のキリストをくるんだ布と言われる聖骸布って聖遺物が作成された年代を調べたら1000年くらい前のモノだって言いながら、「キリストの力によって時空を超えた力が発揮されたんだろう」って真顔で話してた。何なんだ、この科学者。教義の前に折れる科学って話にもならない。もうファンタジーじゃないか。だからか、キリスト教には信仰の深さと恐さを見てしまう。無理無理無理。
でも、心のどこかでは行ったり来たりしてる。それに神式の呪詛や仏教の呪詛もキリスト教ならば効かないだろう。霊魂の存在は否定してる宗教だから。
まあ、なるようにしかならないのは分かっているし、どうしようもないことで悩むのは天職みたいなもんだからしょうがない。でも何でか今日はとてもイライラする。ああああ、辛勝な気持ちになって墓参りなんてするんじゃなかった。それにどっちにしても両方の祖父母の墓前で線香は上げたけど、手は合わせていなかったことに気づく。なんて罰あたりなんだ。
もう限界だ。外に出なきゃ、人と会って話さなきゃ。ダメになる。腐るよーーーーーーーん笑。
書きながら、なんか余裕が出たりして、こういう自分は嫌いじゃないけど、今は全否定しなきゃね。
ああああ、呪われるのも疲れるもんだ。まあ呪いに憑かれてると言えなくもないか。根性悪のど腐れ〇〇。ホントに思う。滅してしまえぇ。
もう何年も経つのに、この日を忘れられない。究極の呪いだ笑。
って、昔、大好きな人の誕生日だった。いまはどこでどうしているのかも知らないけど・・・・・・。
必死でパソコンに向かってる。本当に必死なのだ。これがおいらのボーダーライン。呪いを何とか正当化して逃げきろうとするんだけど、要するにそれが問題じゃないことに気づく。忘れないのがいけないんだと思う。
そういつまで経っても忘れない。呪う〇〇を我執の塊だって言いながら、実においらは我執の鬼だ。忘れればいいんだ。捨てられたのはおいらのほうなんだし・・・・・。なのに忘れられない。今も傷みたいに、触れば分かる。
パソコンが下界と自分をつなぐ最後の砦だと思ってる。だからパソコン周りを整備するのにその度に欲求が増す。Windows7から8.1にアップグレード?モニター台は3台目、キーボードは3本目。Officeは・・。まあOfficeは2013に変えた方がいい。変換の処理能力が違うから。ああ、モニターも買い替えたんだぁ。いくら散財すれば気がすむ。何やってんだ、全く。
だってすべて呪いのせいにして、正当化するなんて100%無理。何故ならば、自分自身も疑っているからだ。これはただの偶然の連続で、それ以上でもそれ以下でもないのではないのかと常に思う。
理由は簡単だ。おいらは死なずに生きてるし、因縁がある人すべてピンピンしてる。
ただの死損ないが、悔み続け、悩み続けてるだけだ。長い間そんな罰を受けてる。心の檻から出ない以上、おいらは一歩もどこへだっていけない。それも分かってる。でも変えられない。だからイライラするんだ。
自分にとって、イヤな事ばかり起こるのは自分が自ら望んだことだからだ。百歩譲って、呪いの影響も考える。でも呪いのベースはおいらの頭の中でだけ形成されている。
と、言いながらも、過去に二回、自分の意識を閉じ込められて奇行に走った事がある。誰かに、何かに乗っ取られて大失態をした。だから恐いのだ。いつまで経っても。
ひとえに忘れないのが原因なんだろう。忘れることはいいことだ。それが歳を拾う最高のプレゼントのはずなのに、過去の過ちが、過去の発言が、過去の行いが、今でもおいらの心の中をひっかき回す。
・・・・中学生のころだけど奇妙な夢を見た。内容を語ると「妄想の人だ」と言われそうなので開示しないけど、どうもおいらを救うのはキリスト教だけなんだと思う笑。モーゼと血の色の台地とお告げを受けた。まっ、モーゼかどうかはわからない。後にチャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」で観たモーセと似てたから、そう思った。その日からだな。オカルトでホラーで奇妙な出来事に巻き込まれるようになったのは。それ以前は普通に変なモノが視える、目ざとい子供でした笑。
だから何度も教会へ行こうとした。でも躊躇う。だって、信じれば原罪が許されるんだよ。それは過去の否定じゃないか・アイデンティティはどうなる?とか悩む。
だって粒子物理学の専門家が、イタリアの教会にある処刑された後のキリストをくるんだ布と言われる聖骸布って聖遺物が作成された年代を調べたら1000年くらい前のモノだって言いながら、「キリストの力によって時空を超えた力が発揮されたんだろう」って真顔で話してた。何なんだ、この科学者。教義の前に折れる科学って話にもならない。もうファンタジーじゃないか。だからか、キリスト教には信仰の深さと恐さを見てしまう。無理無理無理。
でも、心のどこかでは行ったり来たりしてる。それに神式の呪詛や仏教の呪詛もキリスト教ならば効かないだろう。霊魂の存在は否定してる宗教だから。
まあ、なるようにしかならないのは分かっているし、どうしようもないことで悩むのは天職みたいなもんだからしょうがない。でも何でか今日はとてもイライラする。ああああ、辛勝な気持ちになって墓参りなんてするんじゃなかった。それにどっちにしても両方の祖父母の墓前で線香は上げたけど、手は合わせていなかったことに気づく。なんて罰あたりなんだ。
もう限界だ。外に出なきゃ、人と会って話さなきゃ。ダメになる。腐るよーーーーーーーん笑。
書きながら、なんか余裕が出たりして、こういう自分は嫌いじゃないけど、今は全否定しなきゃね。
ああああ、呪われるのも疲れるもんだ。まあ呪いに憑かれてると言えなくもないか。根性悪のど腐れ〇〇。ホントに思う。滅してしまえぇ。
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