超強力と呼ばれるアイテム到着。
風が強いけど今は外で日光浴中。このアイテム約1,5キロをカバーするそうです。
ならば家はおろか、この呪われた町内を超えて、今行かなきゃいけない場所もちゃんとカバーしてくれる。雨の晴れ間だから、早々に日光浴終了もあり得そうだけどね。作家さん作のオルゴナイト。チェコ製です。少し出費はきついけど、神様がカバーしてくれる範囲ではいまだ不安定なので、スピリチュアルな風水グッズとして購入。ホントに金がないのにバカだねぇ(笑)。最後の最後の開運グッズ(笑)。
それと、どうも前世がユダヤ教の人みたいなので、ミリアムの手のペンダントトップも。これはかなりのお値打ちもの。とってもきれいなシルバー925。
おいらはミリアムの手って呼んでいるけど、イスラム教圏ではファティマの手と呼ばれ、キリスト教圏ではマリアの手と呼ばれているアミュレット。ファティマと言えば20世紀初頭の牧童の前に現れたマリアが齎した預言が有名ですね。地獄の存在と、2つ目の第一次世界大戦終結と第二次世界大戦の勃発を預言的中させた。・・・2000年に開示された3つ目の預言は絶対に嘘だと思う。3つ目が一人の法王の暗殺だってね。これには当時存命中だった三人の幼女の一人であるルチアさんも「一部しか開示していない」と言われたそうです。
今のフランシスコ法王さんはおいらも大好きだぞ。他の宗教に対しても寛大だし。でもそう寛大な人物だから、協会活動を中心とするカトリックの根底を揺るぎかねないと思ってる危険な人らも多いだろう。暗殺未遂の後に法王の暗殺の予言を公表してもね・・・・説得力なさすぎ。戦争に比べれば被害度が大違いだし、マリア様が出て来るんなら、直接ローマ法王の枕元に立てばいいのだから。とにかく安直すぎです(笑)。だからファティマの大予言の三つ目はバチカンさん絶対に内容をすり替えたんでと思います。・・・・あるのかな?第三次世界大戦????日本はまだ平和ボケしているから、にわかな明るさで社会を誤魔化しているけど、国際的に見るとイスラム国の猛威などきな臭い話も多い。安保法案の成立で事実上、我が国も参戦出来るからね。理屈上は。
ちなみにファティマの聖母出現はバチカンが奇跡と認めているから、予言ではなく「預言」と言うのだとか。また正式な内容の公開を求めてハイジャックがあったりしたそうです。
まっ、陰謀論はおいておいて「ファティマ」とはイスラム教の預言者であるムハンマドの四女の名前。ファティマの大予言はポルトガルの地名。由来はこのムハマンドの娘さんなのでしょう。
で、ミリアムとは旧約聖書「十戒」のモーゼの姉の名前。マリアはマリア様の手と言う意味。すべて幸福を掴むと言う意味。
通常は、このファティマの手には目ん玉模様が付くのです。トルコなどの青ガラスの目玉のアイテムであるナザールボンジュウが付いてます。合体したんでしょうね、きっと。ナザールボンジュウとは邪眼と呼ばれ、持ち主を邪なモノから守ってくれるそうです。そういう時は割れてしまうのだとか。
でもシンプルに目玉を抜いたデザインのあまり大きくないサイズのミリアムの手をいただきました。まあ、商品名はファティマの手なのですが、宗教により名前は異なりますが、意味は同じだから・・・・。持ち主を護り幸運を掴む。ハサムといって数字の5を表すようです。5とは神であり、手であり、掴むのなのです(笑)。
風水では5、すなわち五黄(土星)で、これが移動した場所は悪いとされています。ちなみにおいらは五黄土星。だから台風の目みたいに周りが荒れていて、本人に影響なし(自覚ナシ)のパターンも多いんですが。今年の五黄は西にあって、もう一つ悪いのが西南にある。ああ言葉が思い出せない。
ウチは東南の位置に通常あってはならない増築したしょぼい納屋があるのですけど、これが出来てから病、事故、失職など男に障るもの全部出てきています。なんとか就職後にはきれいに壊して整地にもとす予定です。ここを抑えないと・・・・。まあ、家相で言うところの東南の禍いてんこ盛りな我が家なのです。で、オルゴナイトはアルミとか銅とか金属系に特化したものを選びました。
五黄を抑える風水グッズなど売っていますが、やはり風水グッズは高いし宗教っぽいから倦厭される方もいるでしょうが、意外なモノで厄除けが出来ます。それは筋トレなどに利用するあれです。鉄アレイ。鉄アレイがなければ鉄制のオブジェでも大丈夫。とにかく金属類をおいて五黄の気を抑え込むのです。ちなみに今年は西側の方面の改装や埋めたり掘ったりは禁忌です。大きな音を立てるのもダメです。そういうのは来年にしましょうね。
鉄アレイなどならさりげなく、風水などしていないみたい。風水とか家相は環境学に基づいていますから、厳密に言えば宗教ではないのですけど・・・・。会社に風水グッズをおいていたら「何かの宗教?」って言われたこともあります(笑)。まあ、たいていこういう人を小ばかにしたり、オカルト人間だって断定する人に限って困ったときの神頼みをします。けど、それも立派な宗教的な儀式であることを忘れてはいけない。人間の願い事を叶えるために神様がいたり、神社があるのではないんです。まあ、前世がユダヤ教(?)であったとしても、キリスト教などで行われる聖体拝領は薄気味悪く思いますよ。だってパンはキリストの肉で、ワインは血ですからね。そう言えども正月に飾る鏡餅も生贄が転嫁されたものですからね。それを食すんですよ(笑)。だからキレイごとで宗教のことを語ってはいけない。だからおいらは浅学ですが知識はある程度あるので、こういうのを信じてますって人に色眼鏡は見たりしません。信じるものは救われるんですからね。ただ「こういうのを身に着けるといい」とか安価なモノを高額で売るような宗教モドキは嫌いです。あとお布施を毎月強要したり、信者でない者から「幸福」を奪っていいとか、ああいう屁理屈でご利益主義な宗教は軽蔑していますけどね。
基本的に、おいらは無宗教。まあ家は浄土宗だし、神社の氏子だし、家にはマリア像もある。けど、みんな大切でみんな好きです。たまにどの神(仏)が優位なのか、頭の上でケンカしていますけど(笑)。おいらにとっては海も風も土地も全部同じくらい大切です。万物に宿るモノ。良いか悪いかは別として、すべて神の産物だとは思います。そしてPCやiPhoneだって・・・・。究極のコスモポリタンでありたいと思いますけどね。
だから、本物の神職がおいらや知人を呪ったりしたのが我慢ならなかった。人の道や神の御力を学んだはずの人間が邪な感情で他人を呪った。これが一般人や普通のスピリチュアルもどきがやったのならば笑い話ですが、資格を持っていて社を持ってる宮司が、嫉妬や妬みで他人を私的感情で呪詛する。それがいちばんイヤだったのです。平和や安寧を祈願するのが、神職であると思っておりました。おいらの知ってる多くの宮司様はちゃんとしたお方が多いけど、自分が呪われてしまったと感じたとき、その小さな黒いしみは一変でおいらの神道に対する考え方や神の神威など汚されることになった。だって信じるものも神で、祟るものも神って怖いですよね。そういう時は、捨てる神あれば拾う神あり、など思いつきもしなかったです。
それに何度も祈願などを受けた経験から、呪う神主Nが装束を着て冠をかぶり、幣を振る姿が、映像が目に浮かびました。心も浸食されてしまったのです。凶器の裏は恐怖です。安堵する心ではありませんでした。今は心を洗い直したので、小さなシミは小さなまま、そのままです。これはおいらが教訓とすべき事柄だから、瑕疵として保管します。本来、呪詛も仕事だと言います。祝いの言葉が祝詞であり、呪いの言葉が呪詛だったそうです。神道が仏教や陰陽道と合わさったときからとも言いますが、記紀のいざなぎいざなみの黄泉でのやり取りを見ているとわかりますよね。だから悲しいけど人を呪うのも神に仕えるものの仕事の一つであることは変わりません。依頼を受けた訳でもなく、ただ私利私欲に狩られておのの欲望を果たすために儀式をおこなったであろう神主Nの存在が悪魔のようにおいらの心にとりついたのは残念で仕方がない。それにそれで揺らいでしまったおいらの心が悲しくてなりません。だから、呪いは相手に伝わったとき(相手が判明した時に)に最大の効力をもって呪いとなるのです。
そんなんないよって思う浅学な心であれば気にしないですんだのです。おいらにも呪いを呪いとしてキャッチする力や知識があったのんです。だからあっけなく心を黒く汚してしまった。だから呪われてると思っても何もせず「呪いなんてない、気にしない」と強く思うことです。そうすれば風邪みたいに去っていきますよ。呪われると思うと不運は寄ってくるし、自らが近づいてしまうものなのです。
だから呪いなんて「ない」。ないと思えばないのです。でも病院に何度も検査に行って体に不調があったり嫌な偶然が限りなく続くようであれば、神社の宮司さんか信頼できる霊能者を訪ねるのもいいかと思いますよ。風邪がインフルエンザの場合もありますからね。
今もまっさらとは言えないけど、白くあろうと思いますね。
ああ、
曇ってきました。また雨が降りそうですから、日光浴は終了かな?日も翳ってきた。
同じ5でも地域差があるねぇ。良い方の意見を取りましょう(笑)
風が強いけど今は外で日光浴中。このアイテム約1,5キロをカバーするそうです。
ならば家はおろか、この呪われた町内を超えて、今行かなきゃいけない場所もちゃんとカバーしてくれる。雨の晴れ間だから、早々に日光浴終了もあり得そうだけどね。作家さん作のオルゴナイト。チェコ製です。少し出費はきついけど、神様がカバーしてくれる範囲ではいまだ不安定なので、スピリチュアルな風水グッズとして購入。ホントに金がないのにバカだねぇ(笑)。最後の最後の開運グッズ(笑)。
それと、どうも前世がユダヤ教の人みたいなので、ミリアムの手のペンダントトップも。これはかなりのお値打ちもの。とってもきれいなシルバー925。
おいらはミリアムの手って呼んでいるけど、イスラム教圏ではファティマの手と呼ばれ、キリスト教圏ではマリアの手と呼ばれているアミュレット。ファティマと言えば20世紀初頭の牧童の前に現れたマリアが齎した預言が有名ですね。地獄の存在と、2つ目の第一次世界大戦終結と第二次世界大戦の勃発を預言的中させた。・・・2000年に開示された3つ目の預言は絶対に嘘だと思う。3つ目が一人の法王の暗殺だってね。これには当時存命中だった三人の幼女の一人であるルチアさんも「一部しか開示していない」と言われたそうです。
今のフランシスコ法王さんはおいらも大好きだぞ。他の宗教に対しても寛大だし。でもそう寛大な人物だから、協会活動を中心とするカトリックの根底を揺るぎかねないと思ってる危険な人らも多いだろう。暗殺未遂の後に法王の暗殺の予言を公表してもね・・・・説得力なさすぎ。戦争に比べれば被害度が大違いだし、マリア様が出て来るんなら、直接ローマ法王の枕元に立てばいいのだから。とにかく安直すぎです(笑)。だからファティマの大予言の三つ目はバチカンさん絶対に内容をすり替えたんでと思います。・・・・あるのかな?第三次世界大戦????日本はまだ平和ボケしているから、にわかな明るさで社会を誤魔化しているけど、国際的に見るとイスラム国の猛威などきな臭い話も多い。安保法案の成立で事実上、我が国も参戦出来るからね。理屈上は。
ちなみにファティマの聖母出現はバチカンが奇跡と認めているから、予言ではなく「預言」と言うのだとか。また正式な内容の公開を求めてハイジャックがあったりしたそうです。
まっ、陰謀論はおいておいて「ファティマ」とはイスラム教の預言者であるムハンマドの四女の名前。ファティマの大予言はポルトガルの地名。由来はこのムハマンドの娘さんなのでしょう。
で、ミリアムとは旧約聖書「十戒」のモーゼの姉の名前。マリアはマリア様の手と言う意味。すべて幸福を掴むと言う意味。
通常は、このファティマの手には目ん玉模様が付くのです。トルコなどの青ガラスの目玉のアイテムであるナザールボンジュウが付いてます。合体したんでしょうね、きっと。ナザールボンジュウとは邪眼と呼ばれ、持ち主を邪なモノから守ってくれるそうです。そういう時は割れてしまうのだとか。
でもシンプルに目玉を抜いたデザインのあまり大きくないサイズのミリアムの手をいただきました。まあ、商品名はファティマの手なのですが、宗教により名前は異なりますが、意味は同じだから・・・・。持ち主を護り幸運を掴む。ハサムといって数字の5を表すようです。5とは神であり、手であり、掴むのなのです(笑)。
風水では5、すなわち五黄(土星)で、これが移動した場所は悪いとされています。ちなみにおいらは五黄土星。だから台風の目みたいに周りが荒れていて、本人に影響なし(自覚ナシ)のパターンも多いんですが。今年の五黄は西にあって、もう一つ悪いのが西南にある。ああ言葉が思い出せない。
ウチは東南の位置に通常あってはならない増築したしょぼい納屋があるのですけど、これが出来てから病、事故、失職など男に障るもの全部出てきています。なんとか就職後にはきれいに壊して整地にもとす予定です。ここを抑えないと・・・・。まあ、家相で言うところの東南の禍いてんこ盛りな我が家なのです。で、オルゴナイトはアルミとか銅とか金属系に特化したものを選びました。
五黄を抑える風水グッズなど売っていますが、やはり風水グッズは高いし宗教っぽいから倦厭される方もいるでしょうが、意外なモノで厄除けが出来ます。それは筋トレなどに利用するあれです。鉄アレイ。鉄アレイがなければ鉄制のオブジェでも大丈夫。とにかく金属類をおいて五黄の気を抑え込むのです。ちなみに今年は西側の方面の改装や埋めたり掘ったりは禁忌です。大きな音を立てるのもダメです。そういうのは来年にしましょうね。
鉄アレイなどならさりげなく、風水などしていないみたい。風水とか家相は環境学に基づいていますから、厳密に言えば宗教ではないのですけど・・・・。会社に風水グッズをおいていたら「何かの宗教?」って言われたこともあります(笑)。まあ、たいていこういう人を小ばかにしたり、オカルト人間だって断定する人に限って困ったときの神頼みをします。けど、それも立派な宗教的な儀式であることを忘れてはいけない。人間の願い事を叶えるために神様がいたり、神社があるのではないんです。まあ、前世がユダヤ教(?)であったとしても、キリスト教などで行われる聖体拝領は薄気味悪く思いますよ。だってパンはキリストの肉で、ワインは血ですからね。そう言えども正月に飾る鏡餅も生贄が転嫁されたものですからね。それを食すんですよ(笑)。だからキレイごとで宗教のことを語ってはいけない。だからおいらは浅学ですが知識はある程度あるので、こういうのを信じてますって人に色眼鏡は見たりしません。信じるものは救われるんですからね。ただ「こういうのを身に着けるといい」とか安価なモノを高額で売るような宗教モドキは嫌いです。あとお布施を毎月強要したり、信者でない者から「幸福」を奪っていいとか、ああいう屁理屈でご利益主義な宗教は軽蔑していますけどね。
基本的に、おいらは無宗教。まあ家は浄土宗だし、神社の氏子だし、家にはマリア像もある。けど、みんな大切でみんな好きです。たまにどの神(仏)が優位なのか、頭の上でケンカしていますけど(笑)。おいらにとっては海も風も土地も全部同じくらい大切です。万物に宿るモノ。良いか悪いかは別として、すべて神の産物だとは思います。そしてPCやiPhoneだって・・・・。究極のコスモポリタンでありたいと思いますけどね。
だから、本物の神職がおいらや知人を呪ったりしたのが我慢ならなかった。人の道や神の御力を学んだはずの人間が邪な感情で他人を呪った。これが一般人や普通のスピリチュアルもどきがやったのならば笑い話ですが、資格を持っていて社を持ってる宮司が、嫉妬や妬みで他人を私的感情で呪詛する。それがいちばんイヤだったのです。平和や安寧を祈願するのが、神職であると思っておりました。おいらの知ってる多くの宮司様はちゃんとしたお方が多いけど、自分が呪われてしまったと感じたとき、その小さな黒いしみは一変でおいらの神道に対する考え方や神の神威など汚されることになった。だって信じるものも神で、祟るものも神って怖いですよね。そういう時は、捨てる神あれば拾う神あり、など思いつきもしなかったです。
それに何度も祈願などを受けた経験から、呪う神主Nが装束を着て冠をかぶり、幣を振る姿が、映像が目に浮かびました。心も浸食されてしまったのです。凶器の裏は恐怖です。安堵する心ではありませんでした。今は心を洗い直したので、小さなシミは小さなまま、そのままです。これはおいらが教訓とすべき事柄だから、瑕疵として保管します。本来、呪詛も仕事だと言います。祝いの言葉が祝詞であり、呪いの言葉が呪詛だったそうです。神道が仏教や陰陽道と合わさったときからとも言いますが、記紀のいざなぎいざなみの黄泉でのやり取りを見ているとわかりますよね。だから悲しいけど人を呪うのも神に仕えるものの仕事の一つであることは変わりません。依頼を受けた訳でもなく、ただ私利私欲に狩られておのの欲望を果たすために儀式をおこなったであろう神主Nの存在が悪魔のようにおいらの心にとりついたのは残念で仕方がない。それにそれで揺らいでしまったおいらの心が悲しくてなりません。だから、呪いは相手に伝わったとき(相手が判明した時に)に最大の効力をもって呪いとなるのです。
そんなんないよって思う浅学な心であれば気にしないですんだのです。おいらにも呪いを呪いとしてキャッチする力や知識があったのんです。だからあっけなく心を黒く汚してしまった。だから呪われてると思っても何もせず「呪いなんてない、気にしない」と強く思うことです。そうすれば風邪みたいに去っていきますよ。呪われると思うと不運は寄ってくるし、自らが近づいてしまうものなのです。
だから呪いなんて「ない」。ないと思えばないのです。でも病院に何度も検査に行って体に不調があったり嫌な偶然が限りなく続くようであれば、神社の宮司さんか信頼できる霊能者を訪ねるのもいいかと思いますよ。風邪がインフルエンザの場合もありますからね。
今もまっさらとは言えないけど、白くあろうと思いますね。
ああ、
曇ってきました。また雨が降りそうですから、日光浴は終了かな?日も翳ってきた。
同じ5でも地域差があるねぇ。良い方の意見を取りましょう(笑)
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