亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
私は震災当時高校3年生で、ちょうど大学の新居探しで両親と長野県に来ていました。
揺れのときは車の中にいたので感じませんでした。不動産屋さんに戻ると「大きな地震があったみたい」と言われ、パソコンの画面を見せられました。父は建物の耐震を研究する仕事をしているのですが、その父が「大変だ…」と呟いたのをいまでも覚えています。
長野県でも電話は通じなくなり、結局私が押さえていた物件はダブルブッキングで取れず、物件を探し直しました。
なんとか部屋を借り、千葉の実家に帰ると姉が怯えていました。
うちの被害は特にありませんでした。
テレビは落ちましたが画面を上にしてだったので割れずに済みました。
私は高校を卒業して暇だったので
その後の原発事故のことをずっとテレビで見ていたのを思い出します。
震災の被害や原発事故のことは終わったことではなくまだ続いています。
そのことを忘れず日々過ごしたいと思います。