去年から取り組んでいる、わたしの自分史「恩返しの人生」~大正、昭和、平成、令和を生きて~の加筆訂正の為に息子達が山口県熊毛郡平生町にある阿多田交流館に行ってくれました。
阿多田交流館は、かつてわたしが終戦時に特殊潜航艇「蛟龍」の訓練をしていた大竹潜水学校柳井分校があった所です。
ここには皆さんがご存じの人間魚雷「回天」の訓練地でもあり回天特別攻撃隊基地がありました。
終戦が1ヶ月遅ければ、わたしはこの訓練基地から広島県の呉軍港の南、倉橋島大浦崎(P基地)の実施部隊大浦突撃隊に向かい、沖縄海域に向けて出撃していたことでしょう。
戒名をいただき一度は死んだわたしです。言わば、第二の人生(20歳から)は、ここ山口県熊毛郡平生町から始まりました。
息子達(宙響 ・そらおと)が平生町の阿多田交流館に行き、鎮魂と平和の祈り響きを奏でた内容を中心に作成してくれた動画だそうです。
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