終戦間近に建造されていたという資料をもとに島根県松江市美保関町の七類港沖の九島。
七類の自治会町さんのお話しを伺って、次の日(最終日)に、同じ時期に出雲市の斐川河川に造られた旧海軍大社基地跡に向かいました。
島根県の戦争遺跡の調査をしている戦後史会議・松江の若杉さんにもアポが取れました。
現地(大社基地跡)でお会いすることが出来ました。
動画は、たかこさんが作ってくれました。
終戦間近、わたしは山口県熊毛郡平生町の柳井分校に特殊潜航挺蛟龍の乗組員として志願し出撃を待ち終戦をむかえましたが、同時期に美保関町七類の蛟龍基地、そして斐川の大社基地(同期甲飛14期の人間が何人か作業に行っていました)を建造していたという事実とその痕跡を知った訳ですが、わたしの中にある終戦間近の島根県という項に新たな1ページが加わりました。
わたしは戒名をいただき特殊潜航挺に志願しました。
終戦があと数週間遅ければ沖縄に向かって出撃していたはずです。
しかし、出撃することなく生きてしまった…。これは、戦後から90歳になるまでの間、ずっと自分の胸に秘めていたことです。
しかし、90歳を越えたあたりから、自分の足が動く限り、自分の足であの時、違う場所で何が起きていたのか、それらが残っている様々な場所に訪れてたみたいと思うようになってきました。
今回は、墓参りを兼ねて息子達に連れていってもらいましたが、島根県(安来市・松江市、鳥取県境港市美保海軍航空隊)はわたしが生まれ育ち、戒名をいただき山口県に向かうまで過ごした大事な場所です。
自分の人生を振り替えった時、同じ時期に、違う場所で、何があったのかを知ると、つくづく自分という人間は、本当に生かされているのだということを再確認することが出来ました。