勝海舟

2010年05月10日 22時01分20秒 | 日記
月曜日
しばらく遠ざかっていました。
さぁ やろう♪・・・


名字の言

日本人初の電信オペレーターは、勝海舟である。
1855年、江戸の浜御殿。現在の港区汐留の辺り。当時32歳の勝海舟はモールス符号を使い、「鶴亀」など7つの言葉を送ったという

▼近代化は大きな進歩をもたらしたが、なかでも通信分野の発展は飛躍的だ。
約150年前、符号だけだった通信は今や、携帯電話やパソコン一台で、世界と瞬時につながる時代となった

▼昭和30年代、学会活動の連絡や激励には、手紙や電報が多く使われた。
若き池田名誉会長は「大阪の戦い」(31年)で、男子部員に「青年は人生の建設の時代である」と書き送り、「ケツセンノカギ キミニアリ(決戦の鍵 君にあり)」と電報を打った。短い言葉であるが、相手を“立ち上がらせずにはおくものか”との、熱い心が伝わっていった
(立)

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