ダンテ4

2010年05月09日 23時57分36秒 | 日記
日曜日

1日中孫と・・・。

名字の言

文豪・吉川英治氏の苦学時代、母から小包が届いた。
それは、母の腰ひもでくくられていた。
氏は、そのひもを自らが働く工場の作業着に使用し、母を思った。
後年には、サヤエンドウ、ソラマメなど、母が好きだった総菜を目にするだけで、亡き母のことが胸をかすめたという

▼「いったい母の日とは、何をする日か」と、氏は問いかけた。決して母をたたえることに、異を唱えたのではない。
つねに母への感謝を忘れないでほしい――それが人一倍、母への思いが強かった氏の切実な願いだった(『折々の記』)



ボローニャ大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A3%E5%A4%A7%E5%AD%A6


ダンテ4

ダンテは勇んで学ぼうと、20歳のころから約2年間、ボローニャ大学で勉学に励みました。
 ボローニャ大学の創立は、1088年と伝えられている。実に、920年の伝統です。
誉れ高き世界最古の総合大学であり、「母なる大学」と讃えられております。
 ダンテが活躍した13世紀には、すでに最先端の学問が脈動する「英知の城」として発展を遂げていたのです。

ボローニャ大学の講演を、私はダンテの『神曲』の一節で結びました。
 「恐れるな」
 「安心するがよい。/私たちはだいぶ先まできたのだ、ひるまずに、/あらゆる勇気をふるい起こすのだ」
(野上素一訳『筑摩世界文学大系11 ダンテ』筑摩書房)

 この言葉を、すべての同窓の友に捧げたい。
 世界に開かれた創価大学は、ボローニャ大学とも教育交流を行っています。
 毎年、創大生がボローニャ大学に留学しています。ボローニャ大学から創大へお迎えした留学生も、創価学園を訪問し、友情を結んできました。
 ボローニャ大学には
「ダンテの胸像」が置かれていました。そこには、彼が学んだ「1287」という年が刻まれていたことも思い出されます。
 ダンテは、ここで、弁論術や哲学をはじめ、天文学や医学などの高度な科学知識を学んだとされます。
 その成果は、『神曲』にも存分に反映されています。
 『神曲』には、古代ギリシャ、古代ローマの名著、さらにアラビアから伝わった最新の自然科学などから学んだ、膨大で多様な知識が網羅されており、当時における「百科全書」とさえ言われているのです。


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